第44話 : rival
神城が驚きに固まっている中、翠は愛想の良い笑顔を崩さない。
「よろしくお願いします!」
翠は、普段ファミレスで見せる冷徹で毒舌な表情とはかけ離れた、ごく普通の、少し緊張した様子の女子高生に見えた。神城は震えながら、低い声で「よ、よろしくお願いします」とだけ返した。
(や、ヤバい。こんな愛想のいい翠なんて、まるで悪霊に乗り移られたみたいで気味が悪いぞ!)
作業中、神城は徹底して顔を隠し、声を出さないように努めた。しかし、翠はやたらと話しかけてくる。
「あの、あなた…おいくつですか?」
「へ、へい!じゅ、17っす!」
「え!私と同じ!タメ口でもいいですか?私、翠って言います!」
翠は、まるでファミレスのバイトとは別人のような、丁寧な口調で言った。神城は、その様子に背筋が凍るような感覚を覚えた。
「よ、よろしく…翠さん」
「実はね、私、すごい人見知りで、こういう知らない人ばかりの現場だとすごく緊張しちゃうの。だから、同年代の人がいてくれて本当に安心した!ありがとね!」
翠は耳まで赤くして、恥ずかしそうに笑った。神城は、そのギャップの激しさに心の中で絶叫し、気味悪さで全身が震えるのを止められなかった。
(な、なんだこのキャラは!?普段の毒舌はどこにいったんだ!?人見知りを装う新型のいやがらせか!?)
しばらく重い機材を運び終えた休憩中、翠は神城に尋ねた。
「あの、差し出がましいとは思うんだけど…何のために日雇いをやってるの?」
「へい。あ、いや、プレゼントしたくてっす」
神城は、変装と緊張で、いつも以上にぶっきらぼうになってしまった。翠は優しく微笑んだ。
「そうなんだー.....それって…好きな人とか?」
「そ、そんなんじゃないっすけど、お世話になってる人っす」
神城は答えた。嘘をつくときは半分本当のことを言うといい、という知識をどこかで聞いた気がしたので、「お世話になっている」という自分の状況だけは本当のことを言った。
神城は、チャンスだと思い、逆に翠に聞き返した。
「そ、そっちこそ!何でこのバイトやってるんすか?」
翠は、少し照れたように言った。
「私、お姉ちゃんにプレゼントしたくて。お姉ちゃん、いつも仕事で大変そうだから。三万円くらいするウィスキーの、確か『神崎』っていう銘柄で…近所の神翠酒店に一本だけ置いてある幻のウィスキーなの」
神城のマスクの下で、顔面から血の気が引いた。
(か、神翠酒店!?三万円のウィスキー!?…そ、それ、俺が環奈さんのために狙ってるやつと同じだー!)
神城と翠は、「環奈と凛に日頃の感謝を示す」という、極めて善良な動機から、三万円のウィスキーを巡る、運命のライバルになってしまったのだ。
神城は、目標を同じくする翠にバレるわけにはいかないと、午後の作業も顔を隠し、翠はやたらと話しかけてきたが、必要最低限の会話で乗り切った。翠は最後まで、彼を「礼儀正しい同い年の青年」だと思い込んでいた。
そして、作業が終わり、着替えるために現場の隅にある簡易更衣室に入ろうとした時、運命のいたずらが起こった。
神城が、誰にも見られていないと思い、ホッと一息ついてマスク、サングラス、帽子をすべて外し、ポケットに入れていたネームプレートを取り出したその瞬間、
「あ、すみません、お疲れ様でした!」
背後から声をかけられた。振り返ると、そこには作業着姿の翠が立っていた。
翠は、神城の驚愕に歪んだ素顔を見て、次の瞬間、絶叫した。
「ヤ、ヤンキー!?」
その声は、バイト現場での「人見知り翠」の愛想の良さなど欠片もない、いつもの冷徹な女王のトーンだった。
神城は顔を真っ赤にし、
「あ、あ、あの…翠、ち、ちがくてだな!」
と、意味不明な弁解を口にした。
しかし、翠の怒りの炎は止まらない。
「あんた、私を変質者みたいな格好で監視していたの!?この裏切り者!!」
翠は、誤解と怒り、そして人見知りで頑張って喋ろうとしていた自分を知られた恥ずかしさが混ざり合い、神城をボコボコに殴り始めた。
「ぐはぁ!ちがう!これはプレゼント代で...!」
神城の悲鳴が、誰もいない会場設営の現場に虚しく響き渡った。




