第18話 : beginner
昼のシフトが始まる直前、店長が神城たちバイト全員を集めた。
「えー、今日から入ることになった井出 翠さんだ。みんな、わからないことがあったら色々教えてあげてくれ」
店長の紹介とともに、凛の妹、翠が一歩前に出た。バイトたちは大喜びで拍手喝采だ。
「翠ちゃんかわいいー!」
「すーいすーい、すいすいすい!」
「すーい!すーい!すーい!」
神城は、気持ち悪いほど満面な笑みで翠を見つめた。その顔には「俺は味方だぞ!頼れる兄貴分だぞ!」という意思がにじみ出ていた。
しかし、翠は神城を見るや否や、先ほど以上のものすごい形相で睨みつけた。
(いや、睨みつけるべきは、変なコールやってたやつらだろうが)神城は珍しく正論を心の中で呟いた。
神城がここまで翠に気に入られようとしているのには、深い(そして単純な)理由があった。
(翠に気に入られれば、凛ちゃんも落とせるんじゃね??。「敵を欺くにはまず味方から」というやつだ!)
ことわざの意味は盛大に間違っているが、とにかく神城は翠に好かれようと、人知れず努力を始めた。
そして、なんというチャンスか。翠の教育係には、なぜか(神城の自己申告により)、神城自身が任命された。
「よし、翠ちゅあーん!オーダーの取り方を教えるぬぇ!」神城は意味不明な語尾をつけた。
次の瞬間、翠は神城の弁慶の泣き所(急所)を思い切り蹴った。
「ぐぇっ!」神城は両目を強くつむり、涙を流して蹴られた部分を抑え、その場にうずくまった。
「……ッ、いきなり何すんだテメェ!」涙目で睨みつける神城。
翠は冷めた目で言い放つ。「その気持ち悪い話し方、やめてください」
神城は一呼吸置き、気を取り直した。
「わ、わかった。じゃあ、仕切り直すぞ。翠!これからビシバシ指導をするぞ!まずオーダーをとれ!」
「命令すんな!」
またもや翠は、神城の弁慶の泣き所を思い切り蹴った。さっきとは、場所を少しずらした、別の方の足だった。
「ひぃっ…!」今度は声も出ない。神城は両足をスリスリしながら、完全に涙腺崩壊して床に転がった。
「おい....あの翠って新人、あの神城に蹴り喰らわせてるぞ」
「ヤバい。神城より強いのがいるなんて…」
他のバイトたちがヒソヒソ話す。これからこの店のパワーバランスはどうなっていくことやら。
その様子を遠巻きに見ていた姉の凛は、グラスを拭きながら、ぼんやりと考えた。
(あれ?私、派遣社員で3ヶ月の契約なのに、妹の翠はバイトで無期限なんだ。しかも、うちの子、高校生だし…他のバイトの子とかも)
(そもそも、うちの店って、社員が足りてるはずなのに、なんでこの店、わざわざ私みたいな派遣なんか雇ってるんだろ?)
凛は、妹が神城を蹴り飛ばしている光景から目をそらし、拭いているグラスの向こうに、少しだけ、店の運営に対する小さな疑問を抱いていた。




