第9話「秤の天下」
名は、後から付く。
秤は、先に置かれる。
関白となった秀吉が「土の数を数えよ」と一言で言った日、国の骨に沈んでいた低い音が、ゆっくりと起き上がった。
太閤検地。
言葉は派手だが、実際に動くのは縄と枡と尺と杭である。
治部少輔三成は、奉行衆の筆頭として、尺と枡と縄の規を一本に揃える役を請け負った。
一本の規で、複数の土地の息を測る。
人はすぐに笑う。「筆で国取りか」と。
笑いは嫌いではない。笑いが先に出れば、次に骨が入る。骨は黙って入る。
最初の朝、彼は紙の上ではなく土の上に立った。
縄の先に鉄の針をつけ、畔の折れに杭を打つ。杭の頭に麻布を巻き、字を守る。字を守るのは、字ではない。順だ。
順序は、骨で受け継がれる。
紙の上の理を土の上の足で確かめる――それが三成の検地の一行目だった。
*
草案は、長束正家と擦り合わせる。
長束は、文の裾を短く切る才に長けている。
「尺は京目。縄は十間ひと結び。枡は印枡」
彼が書いた三行は、それだけで骨に入る強さを持っていた。
だが、骨は地域ごとに厚みが違う。
浅野長政は、余白に黙って指を置き、前田玄以は沈黙の角を紙に立てた。
「地域差の吸収法を決めよ」
浅野が短く言い、玄以が続ける。「京目は京目として、土の目がある。土の目を数えぬと、人は縄を噛む」
縄を噛む人の前で、長い説明は要らない。
佐吉――いや、石田治部少輔三成は、筆を立てた。
一行――『京目・印枡・十間縄を根とす』
二行――『土の目は石盛で撓めよ』
三行――『撓めの印は欄外に』
欄外の印――丸・半月・角――は、枡の底だけに押すものではない。紙にも押せる。紙に押せば、人の目の角に届く。
「石盛とは?」
若い吏が問う。
「田の顔の厚みだ」
三成は答え、土へ膝をついた。「同じ一反でも、ここは息が深い。あちらは浅い。深さを、石に換える。深さが一に満たなければ、半月。満ちすぎれば角」
若い吏は黙り、爪の内に入った黒い土を舐めた。
味で測る者は、秤に向いている。
*
検地には、名請が要る。
誰の田か、どう耕したか、どの年にどの水を使ったか。
名は、先に走らせてはならない。
名が先に走れば、名は土を置いていく。
土に先に触れ、名はその後で紙に置く。
帳面のつけ方は、三行に決めた。
一行――『名請、田畑屋敷の順』
二行――『田は表、畑は裏、屋敷は余白』
三行――『余白に雨と風』
余白に雨と風。笑いが起きた。
「何を書けと言うのだ」
「去年の水の癖、今年の風の角度。字にならぬは印でよい」
印――丸・半月・角。
字は人を疲れさせるが、印は骨に落ちる。落ちた印は、後から効く。
畦に腰を下ろした老百姓が、怒りと涙の間の顔で言った。
「祖父の畦を削るのか」
畦は、祖父の背の高さでできている。
背の高さは、年々撓む。
撓んだ畦は、隣の水を欲しがる。
「削るのではない。整える」
三成は、枡の角を指で撫でた。「角を立てるために、丸く撫でる」
「わからん」
「わからぬなら、今はそれでよい。わかるのは、収穫のあとだ」
老人は唾を吐き、土に吸わせた。
唾が土に入ると、土の匂いが低くなる。低い匂いは、遠くへ届く。
「筆で国取りか」
武断派の若者が、背で笑う。
福島正則の声に似て、しかし軽い。
「筆は刀ではない」
三成は小さく答えた。「秤だ」
「秤で戦は勝てぬ」
「勝たせるのではない。残すのだ」
若者は鼻を鳴らし、去った。背中は、槍の背に似ていた。背で支える者は、前の光を見ながら後ろの影を持つ。
*
田畑屋敷の区分。
紙の上では容易い。
土に入れば、容易い顔を裏返す。
水が抜けず、田の顔をした畑。
風の道が通り、畑の顔をした田。
屋敷の土間に米が干され、田の顔をした屋敷。
秤は、顔に騙される。
騙されぬために、鐘を聞く。
検地の朝の鐘は、寺の鐘と違う高さで鳴る。
しかし、合図の間は同じ。
一つ、間をおいて一つ、一つ。
舟の二と四は、ここにもない。
ない音の空白は、秤の余白だ。
余白に、印を置く。
現地の社に『検地の札』を立てた。
札には、三行。
一行――『目は縄へ』
二行――『手は杭へ』
三行――『耳は鐘へ』
目が人に向かえば、顔に騙される。
目を縄へ。縄は嘘をつかない。
手が刀に向かえば、血に惑う。
手を杭へ。杭は言い訳をしない。
耳が声に向かえば、言葉に流される。
耳を鐘へ。鐘は等間を守る。
札の前で、誰かが笑った。笑いは必要だ。笑った後に、目が縄へ落ち、手が杭へ落ち、耳が鐘へ落ちる。
札の裏に、三成はさらに小さく書き足した。
『口は後』
『笑いは骨の隙間』
『釘は見えぬ所へ』
見えぬところで釘を打てば、板は撓む。撓めば、風は抜ける。風は板の下。板は撓め。
*
石盛の定めは、論争を呼んだ。
「田一反に対して石何斗とする」
長束は数を愛し、浅野は余白を愛し、前田は沈黙を愛す。
数を短くし、余白を深くし、沈黙を重くする。
佐吉の筆は、砂子のような字で欄外に走る。
『深田、三分増』
『浅田、三分減』
『畑は二分撓め』
畑の撓めは、雨の少ない年に効く。
撓めの印――半月――を石盛の欄外に押す。
印の黒は、湯の白に似合う。
夜、陣屋の灯の下で、三成は古い枡を並べて撓めの角度を測った。
枡の角は、人の癖で撓む。
癖を責めない。癖を印にする。
印にすれば、癖は秩序になる。
秩序は、嫌われる。嫌われるものが、国を支える。
「治部」
浅野が言った。「地域差はどう吸う」
「石の撓めを増やす」
「増やしすぎれば、怠ける」
「怠ける前に、鐘を打つ」
前田が口の端をわずかに撓めた。「鐘の高さで、土は働くか」
「高さではない。間だ。間が土の足音を揃える」
沈黙が一つ、間をおいて一つ、一つ――座の空気が鐘になった。
*
検地は、記憶と争う。
祖父の畦、父の畦、子の畦――畦は家の骨だ。
骨に触れる者は、嫌われる。
嫌われることは、折れぬことに近い。だが、同じではない。
折れぬために、撓める。
畦を削るのではない。撓めるのだ。
撓め方を札にした。
一行――『畦、端を撫でよ』
二行――『角、立つ前に丸めよ』
三行――『丸めてから、立てよ』
笑いが起きた。「畦を撫でるだと」
「撫でる手が増えれば、喧嘩が減る」
喧嘩が減れば、火事が減る。
火事が減れば、人は眠れる。
眠れる夜の数は功績だ。
功は名ではなく、順序でできている。
その晩、百姓の一人が密かに陣屋へ来た。
小さな木片を差し出す。穴があき、縄が通っている。
「撓め結び」と太市が昔呼んだものに似ていた。
「これで杭の縄を撓め、畦を撓める」
男の指は節だらけで、しかし一所で柔らかい。「うちの畦は、祖父の背の跡です。跡を残しつつ、撓められますか」
「残す」
三成は言い、紙の余白に小さく書いた。
『跡は印に/印は欄外に』
欄外は、嫌われる。だが欄外の印が、のちの争いを半ばで止める。
*
検地の列は、時に宗と理の間を歩く。
社に札を立てると、神主が眉を上げた。
「神の地に、縄を引くか」
「縄は神の前に止まる」
「止まるだけか」
「札を立てる。『目は縄へ/手は杭へ/耳は鐘へ』。神前に至る前に、口の札を置く」
神主は札の字を見て、沈黙した。
沈黙の高さは、寺の鐘と違うが、間は同じだった。
「よかろう」
神前に置かれた口の札は、土地の言い争いを二つぶん遅らせた。遅れる間に、手が杭へ落ちる。
ある村は、寺と神社の間で水を争っていた。
寺は鐘で合図し、神社は笛で合図する。
合図は違えど、水は同じ川から来る。
佐吉は、二つの合図の間に札を立てた。
『鐘、三打の間に笛一声』
『水、半間』
『笑い、一つ』
笑いの札に、僧は眉をひそめ、神主は口を結んだ。
だが、その夜は火が上がらなかった。
火が上がらない夜の数を、佐吉は数えない。数えれば、掟が数字の顔になる。
*
石高――天下の単位が、紙の上で生まれ、土の上で育った。
石高は、秤の言葉だ。
言葉は、嫌われる。
百姓は言う。「米は腹の言葉だ。石の言葉ではない」
「腹の言葉を、遠くの骨へ届けるために、石の言葉にする」
骨は、遠くでも同じ高さで鳴る。
鳴る高さを、印で合わせる。
印枡の底の黒、石盛の欄外の半月、長束の数字、浅野の余白、前田の沈黙、佐吉の札――それらが揃った時、石高はたしかに天下の単位になった。
その過程で、嘲りは耐えなかった。
武断派は言う。「筆で国取りか」
商は言う。「印で値を固める気か」
百姓は言う。「祖父の畦を削るのか」
僧は言う。「神の領分に縄を引くのか」
女は言う。「男の紙が台所の米を軽くする」
すべてに対し、三成はひとつの型で答えた。
短く、低く、間を置いて。
「筆は秤です」
「印は喧嘩を減らします」
「畦は撓めます」
「縄は神前で止まります」
「米は重くなります」
低い声は、遅れて効く。
遅れて戻る礼ほど、長く残る。
*
検地の最中、陣屋の台所でも秤は働いた。
飯の一口は戦の百口につながる。
器の角度を五分反りにし、一口を十六粒、三口で百。
塩は一指。
夜火は二つまで。
釘は二度に分けて。
口は後。
笑いは均す。
奉行の掟は、遠征の陣屋と同じ文で、村の台所にも立った。
笑いは起きた。
笑いは、骨の隙間だ。
骨の隙間に笑いが入ると、骨は折れにくい。
折れにくい骨で、朝の足は前に出る。
「治部」
夜、秀吉が帳へ顔を出した。
「土の数は数え切れるか」
「等間の滴のようには、いきません」
「滴は見えぬところで揃う」
秀吉の声は、月の光よりも低かった。「天下は広く、夜は短い。お前の札で夜を延ばせ」
「延ばします」
「延ばしすぎるな。朝が来ぬ」
同じ言葉を、彼は別の夜にも言った。
繰り返しは、掟を骨にする。
骨になった言葉は、紙を離れても立つ。
*
検地の進む先々で、三成は社に札を立て続けた。
『目は縄へ/手は杭へ/耳は鐘へ』
札の木目が雨を吸い、字がすこし滲む。
滲んだ字は、骨に近い。
澄みすぎた字は、皮で止まる。
村の子たちが札の前で遊び、縄を持って等間を測る。
遊びの等間は、夜の等間と同じだ。
等間が命を繋ぐ。
命を繋ぐ等間を、文にする。
文にした等間が、また人を撓める。
撓められた人が、夜を延ばす。
検地の列の端で、太市が拍子木を濡らさぬよう懐に抱え、時折、三拍だけ打つ。
拍は短く、低い。
短く、低い拍は、怒りの前で効く。
怒りは高い。
高いものは、疲れやすい。
疲れれば、札が入る。
*
ある村で、屋敷の境を巡って兄弟が争った。
兄は、屋敷の竹垣を祖父の畦だと言い、弟は、畦は田の中にあると言った。
鐘の高さが合わない。
「目は縄へ」
札を指して三成が言う。
縄は、竹垣を越え、田の中を通り、祖父の畦の「跡」を見つけた。
跡は、印にする。
印は欄外に押す。
欄外の半月が、兄の怒りを撓め、角が、弟の言い張りを止めた。
兄弟は、最後に笑った。
笑いは、骨の隙間だ。
その夜、村には火が上がらなかった。
*
検地の列が山を越え、川を渡り、田畑を数えてゆくにつれ、石高は地図の上で線になり、線は掟になり、掟は骨になった。
骨になった石高は、名と切り離される。
名のない数字は、誰にも憎まれにくい。
憎まれにくいものは、遠くへ届く。
遠くへ届いたものが、遅れて戻る。
戻ってきた時に、礼になる。
武断派の誰かがまた言った。「筆で国取りか」
佐吉は答えなかった。
答えは、田の上で、畦の上で、屋敷の土間の上で、夜の台所の灯の下で、すでに出ている。
朝、起きた子どもが器を持ち、十六粒の一口をすくい、三口で百になり、背が伸びる。
伸びた背が、風の中で撓み、折れない。
それが、秤の天下だ。
*
夜、陣屋の灯の下で、三成はまた古い枡を並べた。
撓めの角度を指で測り、底の印を確かめる。
丸・半月・角。
丸は正。半月は撓み。角は外れ。
外れは直せる。撓みは撓められる。正は守る。
守ることは、折れぬことに近い。だが、同じではない。
守るばかりでは、前に出ない。
前に出るために、撓める。
撓めて、折れない。
折れないから、残る。
残るものが、功だ。
遠い寺の鐘が鳴った。
一つ。
間をおいて、一つ。
一つ。
舟の二と四は、ここにもない。
ない音の空白に、三成は黒い点を置いた。
点は小さいが、消えない。
点が二つ三つと並ぶと、線になる。
線が交わると、網になる。
網は、夜にかかる。
夜にかかった網は、朝を少し遅らせる。
遅れた朝の白は、湯の白に似ている。
薄く、厚く、重く。
茶の三献を、三成は自らにだけ点てた。
薄い一献で喉に道を、厚い一献で香に橋を、重い一献で胸に重しを。
重しがあれば、夜は崩れない。
崩れない夜の底で、枡の底の黒が低く鳴る。
低い音は、遠くへ届く。
遅れて戻る音が、石高を天下の単位にする。
*
検地は続く。
名請を記し、田畑屋敷を区分し、石盛を撓め、尺・枡・縄の規を一本に揃える。
揃える手は、嫌われる。
嫌われる手は、折れぬ。
折れぬ手は、撓める。
撓める手は、板の下で釘を打つ。
釘は見えぬ所へ。音は低く。
二度に分けて。
風は板の下。板は撓め。
撓めた板の下で、人は等間に眠る。
眠れる夜の数は、またひとつ増えた。
翌朝、浅野が短く言った。「目録は三行にせよ」
前田が沈黙を置く。
長束が数字を置く。
三成は、余白に雨と風を置く。
紙の上の理が、土の上の足で確かめられる。
その道を、札で照らす。
札は短く、濃く。
そして、ほどけるように。
『目は縄へ/手は杭へ/耳は鐘へ』
『口は後/笑いは骨の隙間/釘は見えぬ所へ』
『田は表/畑は裏/屋敷は余白』
『深田、三分増/浅田、三分減/畑、二分撓め』
『満月増水/二の堰、渦/橋、半間』
『灯は二つ/塩は一指/一口十六粒』
『名は後から/順は先に/点は最初に』
並べて読むと、詩の真似事のようで、顔が少し熱くなる。
だが、短さは恥と同居する。
恥に撓めを入れるのが、奉行の仕事だ。
*
昼下がり、百姓の老いと若いが、検地の縄を挟んで向かい合った。
老いは祖父の畦を背に、若いは新しい水の道を指す。
「削るのか」
「撓める」
言葉は噛み合わない。
鐘が鳴る。
一つ。
間をおいて、一つ。
一つ。
等間の間に、二人の息が落ちる。
縄は、二人の間を真っ直ぐに通る。
真っ直ぐは、嫌われる。
嫌われる前に、撓めよ。
縄の中ほどに釘を打ち、わずかに弧をつける。
弧は、誰の畦でもない。
弧の下に印を置く。
丸――正。
半月――撓み。
角――外れ。
この村では、弧の下に半月が押された。
半月は、撓んでいる。
撓んでいるものは、折れない。
老いが笑った。
若いが笑った。
笑いは、骨の隙間だ。
隙間があれば、夜は延びる。
延びた夜の底で、人は眠る。
眠れる夜の数は功績だ。
功は名ではなく、順序でできている。
順序は骨で受け継がれる。
骨に届く印は、底に。
骨に届く札は、楽の直前に。
*
夕刻、湖が細く鳴った。
関白の居間からは笑い声が聞こえ、廊の影は長く伸びた。
秀吉が月を指で隠し、「隠れるか」と問う。
「指が近すぎます」
「お前の札も、時に近すぎる」
「針を見ています」
「皿も見よ」
「棚も見ます」
「夜を、見よ」
「はい」
月の光は薄く、しかし等間で庭石を撫でる。
等間が命を繋ぐ。
命を繋ぐ等間を、天下の秤に移す。
その仕事を、三成は明日も続ける。
尺と枡と縄の規を一本に揃え、石盛を撓め、名請を欄外に印し、田畑屋敷を区分し、社に札を立て、鐘の間に耳を置き、夜の台所で一口十六粒を数え、塩を一指に留め、灯を二つまでにし、釘を見えぬ所へ打ち、笑いを均し、口を後ろへ回す。
関白の一言で動き出した天下の秤は、今日も低い音で鳴った。
低い音は、遠くへ届く。
遅れて戻る音が、やがて礼になる。
礼になった時、名は初めて走る。
名が走るのを背で聞きながら、三成は筆箱の底の黒い点を撫でた。
点は小さいが、消えない。
消えない点が、秤の天下の最初の証だった。
舟の二と四がどこにもない空白に、今日もまた、黒い点がひとつ増えた。
点が並ぶまで、息を吐きながら――短く、低く、間を置いて。