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敗者列伝 ―光秀と三成―  作者: 妙原奇天
第一部 明智光秀編

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第二十話 娘婿の行方

 鐘が一つ、間をおいて、一つ、一つ、一つ。坂本の朝は、いつも通りの印で始まった。つづけて舟の鐘が二つ、そして四つ。湖の上で薄く伸びた音が、春を待ち切れぬ葦の先で折れ、屋敷の方へ返ってくる。耳の奥に返る湿りは、いくらか柔らいでいた。寒の底は越えたのだろう。だが、胸のどこかでは、まだ凍てついたままのところが残っている。


 その朝は、娘の婚礼の日でもあった。細川忠興――忠興殿。名を口にすると、舌の上で水がひと筋、細く流れる。若く、聡く、眼がよく動く。あの眼は、利を見落とさぬ眼だ。理も、見落とさぬだろう。だが、理をどこまで抱えて歩けるかは、別の筋肉の話になる。


 屋敷は、めずらしく色を持っていた。お琴が、押し入れの奥から取り出した紅の紐を、簀戸の結び目に回し、柱の根には薄い松葉色の布をそっと巻いた。色は、声を持たない。持たないのに、ひとの体を温める。お初が、香の具合を見に来て、灰の山に小さな筋を引く。一筋、二筋。線は、風の通りを作る。香は、通り道があると生きる。


 「殿」


 利三が、襖の陰から半身を見せ、控えめに頭を下げる。いつもの朝礼の声より、半分ほど柔らかい。


 「御出立の刻、寺の鐘の合わせ、了俊殿がお訊ねに」


 「陸は一と三、舟は二と四。夜は打つな。婚礼といえど、印は変えぬ」


 「承知」


 利三はすぐさま下がり、その背にお琴の足音が淡く混じった。台所からは湯気の立つ音、布団部屋からは女たちの笑い、廊下を行き交う草履の擦れ――音の重なりが、ひとつの輪を作る。この輪の真ん中に、今日だけは、戦の話を置くわけにはいかない。置いた途端、輪は、音をなくすだろう。


 娘は、鏡台の前でゆっくりと髪を結われていた。黒髪の面を梳る櫛の歯が、わずかに節を拾うたび、笑い声が止まり、また戻る。指のこわばりを知らぬ若い髪だ。煕子の髪は、こういう重さだったかと、光秀は不意に思った。煕子の髪を、指先で持ち上げ、乾かし、光を当て、また落とした夜のことが、冬の灯のように浮かぶ。


 「父上」


 娘が、鏡越しに眼を上げた。眼の高さが、いつのまにか自分の記憶よりも少し上に来ている。幼いころ、縁側で笹を拾い、節を数え、「一、二、三」と言っていた口元が、そのまま、少しだけ細くなった。笑うと、煕子の口元に似る。


 「よう似合う」


 それだけ言うと、言葉の底が、思ったより早く尽きた。尽きた底に、何かがふつふつと湧いたが、それを掬う器は、今は手にない。代わりに、金継ぎの茶碗を、文机の端からそっと手前に寄せた。あの細い金の線は、今朝も冷たく、光は柔らかい。


 「殿」


 お琴が、そっと言う。「煕子さまの帯。あの春の柄の。——よろしゅうございましょうか」


 「……あれを」


 煕子の帯。春の小さな花が、控えめに織り出された、あの帯。欠けに金を置く者の指の熱が、見えぬまま布に染みている。お琴が、娘の背で帯を取回し、結びの蝶を小さく整えた。蝶の羽の角度――少し下へ。お琴は、煕子からそう教わったのだ。


 「父上」


 娘が、帯の端に指を添え、鏡の中で微笑んだ。「重うございません」


 「重い方が、飛ばぬ」


 言って、自分の声の硬さに、微かな石付きが混じったのを聞いた。柔らかく添えてやるべきだ、と知りながら、指が固い。固さは誠実だが、今の世では扱いづらい。それは、昨夜の勝家の言だ。娘に向けてまで、その言葉が頭をぎるのは、父親としては、いささか不格好である。


  ⸺


 出立の刻。門口には、細川からの使者と供の列が整い、色のある衣が風に小さく鳴った。鳴りは、戦の具足の金具の音とは違う。あちらは刃の匂いがする。こちらは、糸の匂いがする。糸は、切るためではなく、結ぶためのものだ。


 「坂本殿」


 先に到着していた忠興が、馬から軽く降り、膝を折って拝した。若さは、膝の折り方に出る。無駄が少ない。膝に迷いがない。目は、まっすぐにこちらの眼を捉え、次に娘の方へ行って、すぐ戻る。その戻りの速さが、利を見落とさぬ証だ。だが、利ばかり見ていては、理の板の目が読めないことがある。板目は、手で撫でて、やっとわかる。


 「忠興殿」


 光秀は、手短に礼を返した。言葉を重ねると、何かがこぼれそうで、帯の結び目のように、見えぬところで固くなる。


 祝言は、寺の大広間で行われた。了俊の導きで、装束の直し、盃の取り回し、詩歌の座。朗詠に合わせて、若い声が薄く揺れる。春の初めの声は、まだ体の内側で鳴る。外へ出すには細いが、その細さが、清さに見える。


 「和歌は、端を詠むものですな」


 了俊が、盃の合間に光秀へ囁いた。「中心を詠めば、祈りになります。端を詠めば、理になります」


「理は、端に座す」



 光秀は、小さく返した。目の端で、娘の横顔を見やる。笑うと、煕子の目尻に似る。煕子が笑ったときの小さな皺の出具合が、まったく同じ位置に浮かぶ。胸の内で、金継ぎの線がいくつか、連なって光った。


 忠興は、礼の所作に乱れがない。杯の置き方、座の重心の置き場、言葉の末尾の切り方――どれも、学んだ者の手だ。学んだ者は、すぐに学んだ手を見せないようにする。隠す術まで学んでいる。そういう者は、理を理解しようとするだろう。だが、理解することと、抱えて歩くことは、別である。


 盃が三度、行き交い、香が三度、立て直され、琴がひと曲、薄く流れた。稲冨は、隅で札の枚数を数え、声箱の蓋を一度だけ開けて閉じた。紙は、今日は少ない。祝言の朝は、紙より人の声が多いのだ。弥七は、鈴を縄の根で結んだまま、小さく指先で触れ、「内で鳴る」と独り言のように言った。お初は、花嫁の腰帯の結び目の下へ、細い布をもう一枚、当てた。腹の守りは、祝いの席でも怠らぬ。


 「父上」


 娘が、盃の合間に、そっと近づいて囁いた。「坂本の札、わたしの目の高さにも、ひとつ掛けておいてください」


 「掛けてある」


 あの子は、子の目の高さで育った。札は、子の目の高さに二枚。大人の目の高さに二枚。寺の掲、辻の板、舟着きの柱――印は、目の高さにあるほど、人を裏切らない。


 宴も程よく弛み、忠興が、花を詠んだ。短く、品よく、少しだけ冷たく。冷たさは、頭の良さを隠そうとして隠し切れない者の癖だ。場は、控えめな笑いで応えた。秀吉の笑いとは違う。あちらは火の粉を飛ばす。こちらは、水面に石を落とす。波紋が、静かに広がる。


 「坂本殿」


 忠興が、座を少し外し、光秀に向き合った。彼の眼差しは、礼を失わず、まっすぐで、ほんの少し、光の速さが速すぎる。


 「わたくしは、坂本殿の印を、好きと存じます。鐘の分け、袋の口の絵、畦の回し、声箱。——理は、人を守ります。人は、理に守られている間、笑うことができる」


 「ならば、よい」


 光秀は、盃を返しながら言った。「理に守られぬ笑いは、風に飛ぶ。風に飛ばされる笑いを、わたしは好かぬ」


 「承りました」


 忠興は、短く頭を垂れた。垂れた首筋に、若い筋の線が、薄く浮いた。どれほど聡くとも、若さは、筋に出る。筋は、やがて節になる。節が伸びを許す。伸びる者は、折れる痛みを、一度は知る。


  ⸺


 祝言の輪が最も美しく緩んだ、そのときだった。門の外で、馬の蹄が急に土を叩き、廊下の板が短く鳴り、襖の隙の空気が切り替わった。空気は、命令の匂いを運ぶ。命令の匂いは、香を押し退け、詩歌の余韻を浅くする。


 「安土より急使!」


 利三の声が、礼を保ったまま、鋭くなった。彼が鋭くなるのは、余計なものを切るためだ。切られたものが、床に落ちる音はしない。見えないところで、余韻がひとつ消える。


 使者は、礼を二つに折り、紙を差し出した。封の朱は粗く、筆の起筆は太い。羽柴の添え状に続き、信長の直筆の短い命。読みながら、光秀は、盃の底に映る金継ぎの線を見た。細い光りは、刃の光りに似る時がある。


 ――毛利攻め、急げ。播磨より西、手止むることなかれ。躊躇、罪。兵糧の手配、坂本にて引き受け、湖西・堺・淡路の渡し、遅らすな。祝言のを以て、浮つくこと無用。


 最後の一行が、薄く刃こぼれを含んで見えたのは、気のせいか。「祝言の余」。余韻の余。余白の余。理は、余白を嫌わない。命令は、余白を嫌う。嫌うほど、速くなる。


 了俊が、座の仕切りを変え、客たちの視線の行き先をさりげなく整えた。整えながら、彼は、鐘の紐の高さを指先で確かめるふりをして、光秀の目と短く合図した。印を変えるな。変えぬことで、崩れを抑える。寺の長のやり方だ。


 「忠興殿」


 光秀は、静かに立ち、忠興に向き直った。「祝言の席の最中ではあるが、書状が参った。西へ、急げという」


 忠興は、わずかに顎を引いた。引いた顎は、若い頸の筋を張らせる。張りは、一瞬で、すぐに引いた。彼は、場を読む者だ。余韻と命令の重なりを、瞬時に秤にかける。


 「承りました。坂本殿の印、わたくしの座にも掲げましょう。鐘は、一と三。舟は、二と四。夜は打たず。袋の口は『少し』に」


 「頼む」


 約の言葉は、短いほどよい。短くとも、板に刻まれる深さは変わらない。


 宴の輪は、了俊の手で、静かに結び直された。祝言のことばは、そのまま祝言として終わるのではなく、戦前の祈りとして畳まれる。祈りは中心を詠む。端ではなく、中心だ。中心に置いた祈りが、端の理を長持ちさせることがある。


 お琴が、娘の袖を整え、布の端を指で押さえた。押さえながら、目の端に、薄い水が立つ。泣きはしない。泣かないようにする。泣かないことが、今日の礼だ。


 「父上」


 娘が、ほんの短い間だけ、誰にも見えぬ角度で、光秀の袖に指をあてた。指先は、温かった。温いものは、言葉の角を丸くする。丸くしながらも、意味は薄まらない。


 「行って参ります」


 「行ってこい」


 その間に、煕子の笑う顔が、ふっと挟まった。娘の笑顔は、幼い日の煕子の姿に重なり——重なったところで、命令の紙が割り込む。割り込まれた像は、薄く裂け、金の線がひと筋、心に引かれた。


  ⸺


 屋敷に戻ると、文机の上には、朝寄せておいた金継ぎの茶碗が、そのままにあった。利三が机の片足に紙を噛ませ、揺れを減らしている。今日ばかりは、揺れが多い。紙は、白。白は、何にでもなる。紙一枚が、器を倒さない。


 「殿」


 稲冨が、声箱の紙束を抱えて入ってきた。紙は、多くもなく、少なくもない。祝言の朝と命令の昼が半ばで混じると、紙は、数を迷う。


 「『鐘が同じで、よかった』『袋の口の絵、嫁入りの荷にも役に立つ』『鈴が鳴らない夜は眠れる』『太鼓が二つ、でも鐘は鳴らないから怖くない』」


 「板の隅に、『祝』の印を小さく添えよ。祝は、戦と同じ板に乗せる」


 「承知」


 「弥七」


 「は」


 「舟手を二手に割る。南の渡しへ急ぎ、堺での積み替えを今夜から。鈴は縄の根で結べ。鳴らすな。ただし、内では鳴らせ」


 弥七は、短く「は」と応え、鈴を内で鳴らす仕草をしてみせた。鳴らない音が、室の空気を少しだけ澄ませる。


 「源九郎には釘を増し、定吉には帳面の線を一本足させよ。若旦那には、袋の口の『少し』の絵を、嫁入り道具にも添えさせる。お初には、舟着きに居つけ。腹帯の結びを見よ」


 了俊は、寺の掲に『祝』の一字を細く添え、鐘の紐の高さを子の目の高さに合わせた。「祝いも印の一つです」と言って、眼を細めた。


 「権六」


 「は」


 「湖西の見張りは、交代を短く。夜は、太鼓の二に惑うな。鳴らさぬ印を守れ」


 「承知」


 「利三」


 「は」


 「安土への返書。『祝言、滞りなく。命、承る。坂本は印を変えず。湖西・堺・淡路の渡し、明夜より連続。兵糧の繰り上げ、油一樽。太鼓の二、禁ず』」


 利三の筆は、板を並べる音である。音はしないが、肩の筋でわかる。並べた板の上に、人が渡るまでが、理の仕事だ。渡る人が笑うかどうかは、理の外の仕事である。


  ⸺


 夕刻。忠興は、娘を連れ立って屋敷を辞した。門口で、お琴が深く頭を下げる。お初が腹帯をそっと押え、若旦那が『少し』の絵の札を荷に添え、源九郎が釘袋を打ち鳴らし、定吉が走る。稲冨は板に『祝/印』の枚数を記し、了俊は寺の鐘の紐を握る。弥七は、鈴を内で鳴らし、権六は、見張りの交代を刻限通りに切る。利三は、紙をまとめ、光秀は、懐に、一枚の文を差し入れた。


 『煕子へ』


 筆は、ためらいなく躍った。今日だけは、躊躇が筆先の行く先を曇らせない。


 『娘が、嫁ぎました。帯は、そなたの春の柄。結びの蝶は、少し下へ。お琴が、教えを忘れておりません。忠興殿は聡く、礼を失わず、理の札を愛すと言いました。愛すと言うことと、抱えて歩くことは違いますが、違いを知る力は、あの眼にあります。——祝言の輪の真ん中に、命の紙が差し込まれました。「毛利攻め、急げ」。余韻は、薄く裂けました。裂け目に、金の線を一本、置いておきます』


 筆を置き、灯を少し絞った。影が浅くなる。浅い影は、眠りを呼ぶ。眠りは、理の時間だ。理の時間に、体を預ける。預けなければ、明日の板が削れない。


 襖の外で、利三の足音が止まる。止まりは、伴う沈黙だ。


 「利三」


 「は」


 「夜半、評を開く。兵三、村三、町二、寺一。『祝』の札を持って来る者を許せ。祝は、印の敵ではない」


 「承知」


 評は、灯を二つ、竹の入口で短く開いた。弥七が『内で鳴る鈴』の話をし、権六が『迷いは節』を言い、市松が帳面の『祝/印』に細い線を足し、了俊が鐘を叩いた。子の指が折られ、若い兵の肩が緩み、町の者が笑い、村の者が頷く。笑いは、ここで利く。印は、ここで利く。両方を離さず持つことが、今夜の答えである。


 評の終わり、定吉が紙を差し出した。『春』の一文字。光秀は、それを板の端に貼り、小さく『端』と添えた。春は遠い。端は近い。端を集める。集めた端に、板を渡す。


  ⸺


 夜更け。文机に戻ると、金継ぎの茶碗の線が、灯の下で細く返った。返りは、刃でも鞘でもない。器の返りだ。器は、盛るためにある。盛り切れば、捨てられてもよい。捨てられてもよいと覚悟して、盛る。盛るのは、人であり、理である。


 懐の文を指で確かめ、光秀は、独り言のように、薄く言った。


 「人の縁は刹那に、戦にかき消される。——だから、印を変えぬ」


 灯を落とす。落とす前に、佩刀の柄に軽く手を置く。骨がひとつ鳴る。鳴りは、節の音。節は、止まり、そして伸びる。伸びるために止まる。止まる場所を間違えぬよう、胸の内に、札の角をひとつ、押し当てた。


  ⸺


 暁近く、湖の方から風が二つ、長く交わって来た。舟の鐘が二と四。陸の鐘が一と三。耳の印は、救いであり、束縛でもある。束縛は、自由の形を保つために要る。自由は、印の上にしか立たない。


 「行こう」


 利三が「は」と応え、稲冨が板と筆を抱え、弥七が鈴を内で鳴らし、権六が顎を引き、市松が帳面を抱き直し、お初が腹帯を整え、源九郎が釘袋を打ち鳴らし、若旦那が『少し』の絵を掲げ、定吉が走る。了俊は、寺の鐘の紐を握り、子の目の高さをもう一度確かめる。


 娘は、もういない。門の外に、細川の旗の影が薄く動いた気がしたのは、風のいたずらだろう。人の縁は、刹那に戦にかき消される。だが、かき消えた縁が完全に無になるわけではない。灰に混じる小石のように、火の脇でひっそりと残り、指先で弾けば、短い音を返す。


 光秀は、庭の端の雪の名残を踏みつつ、ふと屈んで、小さな石を拾った。拾って、指の腹で弾いた。石は、音を立てずに落ちた。立てなかった音が、胸に返った。返った音が、胸の内側の白い紙に、薄い線を一本、引いた。線は、言葉になる。言葉は、印に乗る。印は、人を渡らせる。笑いは、その上を軽く流れる。理は、その下で板を支える。


 「忠興殿」


 心の中で、光秀は短く呼んだ。呼びながら、娘の笑顔と、煕子の笑いの端と、信長の短い命の文と、秀吉の軽口と、勝家の忠告と、滝川の川筋と、稲冨の札と、弥七の鈴と、お初の腹帯と、源九郎の釘と、若旦那の絵と、定吉の走る足音と、了俊の鐘と――それらを一枚の板の上に、静かに並べた。


 板は、重い。重いが、渡るためにある。渡りきれば、片端を外す。外した板は、次の場所でまた使える。器は、使われて器になる。理は、揺さぶられてなお、継がれて理になる。


 「毛利攻め、急げ」


 命は短い。短いから、印を長くする。印が長く続けば、刹那に消える人の縁も、どこかで結び直される。金の線が、薄く、確かに、継ぎ目に置かれる。


 光秀は、佩刀の柄を握り直し、門を出た。冬の息はまだ白く、土は固く、風は細い。細い風が、器の縁を撫でる。撫でられた縁は、強くなる。強さは、孤独の別名だ。孤独は、器の余白だ。余白があるから、盛れる。盛れば、渡せる。渡せば、捨てられてもよい。


 坂本の辻で、鐘が一つ、間をおいて、一つ、一つ、一つ。つづけて二つ、そして四つ。耳が覚えるべきものは、今日もここにある。耳が覚え続ける限り、春は、遠くても、途切れない。


 娘婿の行方は、西へ。娘の笑顔の行方は、春へ。自分の理の行方は、板の上へ。――それぞれの行方が、遠い一点で交わる日を、金の線で静かに予感しながら、光秀は歩き出した。

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