第十九話 孤立する理
風は、まだ冬の鋭さを手放さないでいた。会議の場に設えられた大幕の継ぎ目から、時折、薄い刃のような空気が差し込んでは、地図の端をめくり、背後の旗の房をわずかに揺らせる。焚き火の煙が上に逃げきれず、幕の梁のところで滞り、灰の粉が光に舞う。その一粒の光が、紙の上の川筋や山稜にまたたきながら落ちていくのを、光秀は、冷めた茶のような眼差しで見ていた。
「――ここは踏み込むべきじゃ。毛利の動きが鈍った今、躊躇えば、わしらの気の方が折れる」
柴田勝家が、低く太い声で言った。声は刃に似るが、刃文は直線的だ。一直線に、的の真ん中を目指す。その隣で、滝川一益が鼻で笑ったような音を立て、扇で地図の南東を一度だけ軽く撫でる。
「鈍ったと見せるために引いておるのかもしれませぬ。わしは、川下の渡しをもう一つ押さえたい」
「川ばかり見ておる男よのう。川は流れるが、兵は立ち止まらぬ」
勝家の言に、笑いがいくつか生まれて、火の粉のように会所の隅へ飛んだ。笑いの火の粉が、人の頬に小さく灯り、消える。消え際に、目だけが細くなって、誰かの顔の筋肉の位置が変わる。笑いは、音の形をしている。音は、理の壁をするりと越える。
「坂本殿はどう見られる」
羽柴秀吉が、いちばん軽い声で、水面に小石を投げるような調子で尋ねた。投げられた小石の波紋が、会議の輪に静かに広がる。光秀は、扇を閉じ、紙の上の印を一本指で辿った。
「補給の列が、ここで細っております。ここに板を二枚渡し、舟の鐘を二と四で合わせ、夜は打たせず、太鼓の二を別に禁ず。海路の油が一昨日より減りが早い。堺で一樽、今日の分を明日に返す契りで繰り上げる。――前へ出る前に、腹を先に満たすべきです」
理路は整っていた。光秀自身が、それを承知している。整っている、というのは、無駄がないということであり、余白が少ないということでもある。余白が少ない言葉は、誰かの心の余白に入りづらい。
「腹の理でござるな」
秀吉が、唇の片側だけで笑った。「腹は正直でござる。わしも腹を愛しておる。が、腹は時に、笑いで膨れる」
いくつかの笑いが、また火の粉になった。
「坂本殿」
滝川が、扇の骨で卓の端をこつ、と叩いた。「理は通る。いつも通る。じゃがな、戦の場には『今』がある。補給の板を一枚増すあいだに、敵の槍はひと間詰めるかもしれん。理は、槍の長さには勝てぬぞ」
光秀は、短くうなずいた。「理で槍を止めるとは申さぬ。理で槍の根を枯らすのが務めと心得ます」
言葉は、過不足がなかった。なのに、輪の中の視線のいくつかが、光秀の肩先を滑って、別の方角へ逸れた。逸れる視線は、称賛を避けるときのそれではない。重さを避けるときのそれだ。重い石を抱えたまま火の近くにいると、手の皮が焦げる。理は、重い。扱える者は限られる。
勝家が、扇を畳み、顎で地図の上を示した。「わしは、ここと、ここを同時に突くのが良いと思うておる。毛利の影は長い。長いものは、足元が薄い。そこを踏む」
「同時は、笑いの種にもなりまするな。『二兎追うて二兎得た』と、あとで言える」
秀吉が軽口を添える。場の空気が、薄く明るむ。明るむのは、悪くない。悪くはないが、その明るさが理の輪郭を溶かす時がある。溶けた輪郭は人の目に心地よく、理の板は滑りやすくなる。
「坂本殿の板、わしが手を貸そう」
秀吉が、さも気安げに言い放った。「堺の商人衆には、わしのような顔も時に要る。笑いで袋の口が開くなら、理で指を入れられる」
「袋の口は『少し』にございます」
光秀は、淡々と返した。淡々、という言い方は、時に冷たく響く。
会議は、その後も、いくつもの矢が行き交うように進んだ。勝家の直進、滝川の斜行、丹羽の抑え、秀吉の引きと押し。光秀の言葉は、何度か差し込まれ、何度か、薄い木霊に変わって幕の布で吸われた。吸われていく木霊の感触が、肩のどこかに冷たく残る。
やがて、結びの声を合せる段になったとき、勝家が、ふいに光秀の方へ顔を向けた。目の奥には敵意はない。だが、ためらいの小さな皺が、眼尻の近くに寄っている。
「坂本。お主の言葉は固い」
耳打ちに近い、低い声だった。輪の外へ出る一歩手前、火の縁で、勝家は立ち止まり、続けた。
「固いは、誠実の証よ。わしは嫌いではない。が、今の世じゃ、『扱いづらさ』にも映る。扱いづらいものは、どれほど良くても、手が伸びぬ」
「承知」
光秀は、短く答えた。勝家の声に、侮りはなかった。忠告に近い。それだけに、胸に残る。
勝家は、肩を軽く叩き、「気を悪うするな」と言い置いて、去った。その背を、光秀は見ない。背を見ると、言葉が固まる。
秀吉は、会議の終わりを火の粉で飾るように、軽い冗談をまたひとつ二つ放って、輪をほどいた。ほどけていく輪から、笑いの薄片が空気に散り、夜の冷えとまざり合う。滝川は、扇をしまい、足音を残さずに、幕の隙間に消えた。丹羽は、足袋の土を指で払って、静かに頭を下げた。
残った地図の上には、指で押した跡がいくつも残っていた。紙の下に木板があり、木目が、その跡を受け止めている。木目の縞は、年輪の記憶だ。記憶は目に見えない形で、決断を支える。
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夜営の火は、落ち着いた呼吸をしているように見えた。火は、いつもどこかで、呼吸の真似をする。吸って、吐いて、落ちる灰の白さが、時間の形を地面の上に描く。灰の上に混じる小石を、光秀は、親指と人差し指の腹で弾いた。弾いた石は、火の脇で、短い音をたてて止まる。
理は硬い。硬いものは、手のひらの肉を押し返してくる。押し返しは、扱いづらさの始まりだ。人の口に当たれば、歯に障る。障れば、唾が出る。笑いは、唾を流しやすくする。笑いの澱は残らない。残らないのは良い。だが、何も残らなければ、明日の板がどこへ置かれたのか、印が薄くなる。
「殿」
利三が、火の向こうに座し、音を立てぬように茶を寄せてきた。茶は、温い。温いものは、言葉の角を丸くするが、意味を薄めはしない。利三は、それを知っている。
「勝家殿の言、腹に置くべきと存じます」
「置いてある」
「固さは、誠実。――誠実は、いまは余白を削る」
利三の口は、いつも少しだけ石に似ている。角があり、重みがある。だが、投げつけてはこない。置く。置かれた石は、手の中で温まる。
「わたしは、言葉を柔らかくするために、理を曲げる気はない」
光秀は、火の向こうの暗さへ視線を投げた。「曲げぬことが固さに見えるなら、それは、わたしの器の縁の薄さだ。縁を押し広げる必要がある」
「縁を広げれば、薄くなる」
「薄くなる。薄くなれば、扱いが難しい」
利三は、茶の湯気をそっと鼻に通した。「扱われることを望んでおられますか」
火が、短く音を立てた。薪の内側の水が、熱を奪われ、形を変える音だ。
「扱われるのではない。印が使われることを望む」
「印が使われるために、言葉が柔らかい方が人は近づきます」
「柔らかくしよう。――中身は、薄めない」
利三は、目を半ば閉じた。閉じた目に、火が赤く映る。赤い映りは、刀の刃文を連想させる。刃文は、美しい。美しさに眼が奪われると、刃の重さを忘れる。
火を見つめると、灰の中の小石が、光を反射して瞬いた。瞬きは、人の目のそれと違って、意味を持たない。意味を持たない光は、清い。理も、意味を薄めれば清い。だが、薄めれば、効き目は弱まる。
夜営の外から、遠い太鼓が二度、間を置いて鳴った。毛利の影の音だ。こちらの陣では、鐘は鳴らさない。鳴らさない印を守る夜だ。鳴らさぬことが、鳴ることよりも強くなる時がある。
「殿」
弥七が、火の光の端に腰を下ろし、鈴を内で鳴らす仕草をして見せた。鳴らない音は、持つ者の中にだけ、確かに鳴る。
「会議の輪の中で、殿の言葉が、石に聞こえる者が多い。石を恐れる者は、石を遠ざける。けど、石の上に橋板は渡せる。笑いは、水に浮かぶ。浮かぶには、板が要る」
弥七の語は、時々、理の比喩に自分なりの筋を通す。鈴の中の空洞が、そういう時に響くのかもしれない。
「弥七」
光秀は、弥七の手の中の鈴を見た。「内で鳴る音を、誰にどう伝える」
「伝えませぬ」
弥七は、はっきりと言った。「内で鳴る音は、持つ者の骨へ伝わる。骨の節が、動きを整える。外に出すと、軽くなる」
「軽くするために、出す時もある」
「はい。けど、出すときは、『印』のほうを先に」
光秀は、わずかに笑った。笑いは、火の影にかくれるほど小さかった。
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翌朝、川霧が薄く出た。霧の中で、舟の鐘を二と四に打つと、音は水の上で伸び、それから意外なほど近いところで折り返して耳に返る。返った音は、少し濡れている。濡れた音は、戦の冷たさを和らげる。それを、年若い兵の頬が覚える。覚えた頬は、火の方角に向き直る。向き直った先に、板の上に置かれた札がある。『二と四』『袋の口は少し』『夜は打たぬ』『太鼓の二は禁ず』――印が人の目の高さにある限り、理は、見捨てられない。
会議の続きは、野の上で行われた。幕を外し、空の下で、地図を木箱に広げた。空の白が紙に落ち、紙の白が空へ返る。その隙間で、声が重なる。
「坂本、どうだ」
勝家が、短く訊いた。短い問いは、余計な飾りを嫌う。
「昨夜の太鼓が二度、間を置いて二度。舟の鐘のまねごと。印を破りに来ています。鳴らさぬ印は守ります。太鼓は、こちらは打たぬ」
「よし」
勝家は、それ以上、何も言わなかった。その「よし」は、石の上に置かれる板の重さに似ている。重く、安定する。
「坂本殿」
秀吉が、扇の先で西の空を指した。「雲が低い。影が濃い。濃い影には、笑いの火を近づける。火は、理の板をも照らす。照らす時に、板を滑らす風が出る。――滑る前に、釘を」
「源九郎に多めに打たせます」
「おお、あの鍛冶、好きじゃ。顔が火の色に似ておる」
軽口に笑いが起きる。笑う間、光秀は、札の角を押さえた。風は、札を倒す。札が倒れると、目に入らない。印は、目の高さにあるべきだ。
滝川は、川筋の蛇行を指しながら、冷静に弁じ続けた。「ここを押さえれば、毛利の小勢は出入りが難しい。補給の列は、ここで一度、南へ振って、次に西へ。――坂本殿の板、二枚分を、ここで受け持つ」
「助かります」
光秀は、深く頭を下げた。滝川の言葉は、理の言葉である。理は理を呼ぶ。会議の輪の中で、理が木霊ではなく、石として、板として、響く瞬間がある。その瞬間は、短い。短いからこそ、記憶に残る。
昼餉をはさんで、いくつかの指令が決まり、再び、輪はほどけた。ほどけるとき、秀吉が、光秀の肩に軽く触れた。触れ方に、軽さはあったが、逃げる気配はない。
「坂本殿」
「はい」
「理は、よう働いとる。――働いておる理を、笑いで包んでやるのが、今のわしの役かもしれぬ」
「包む布は、薄い方がよろしい」
「承知」
秀吉は、笑いながらも、目のどこかを少しだけ硬くした。その硬さは、刃の柄に似ていた。
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午後、坂本からの早駆けが雪を散らして駆け込み、稲冨が紙を差し出した。声箱の紙が、新しい文字で埋まっている。
『鐘が二と四のとき、父が戻る。母が笑う』『袋の口の絵、わかりやすい』『鈴が鳴らない夜は眠れる』『塩の味、少し増えた』『油の湯で手が戻る』『太鼓が二つ鳴ったが、鐘は鳴らなかった。だから怖くない』。
最後の一枚には、子の手の癖で、『印』とだけ書かれていた。光秀は、その紙を懐に入れた。紙の温かさは、自分の体温でしかない。だが、その温かさが、理の最後の鞘になる。
権六が、見張り台から戻り、短く報告した。「影、濃さ変わらず。ただ、風の向きが半刻ごとに回る。帆の癖が読みにくい」
「帆は、笑いでふくらむこともある」
光秀の口から、ふと漏れた。自分の言葉に、自分が驚く。権六は、じっと光秀の顔を見た。見たまま、頷いた。
「帆柱は、理で立つ」
「そうだ」
答えながら、光秀の胸の内側で、何かがわずかにほどけた。ほどけたところへ、冷たい風が入り、熱が逃げた。逃げた熱は、火の方へ吸われ、夜の準備を始める。
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夜が来た。太鼓は二度、間をおいて、また二度。こちらの鐘は鳴らない。鳴らさぬ印が守られる場所で、人は静かに飯を食い、火に手をかざし、草鞋の紐を結び直す。笑いは、焚き火の周りで薄く揺れ、理は、板の上で静かに立っている。
光秀は、文机代わりの板の前に座し、煕子の文を取り出した。『殿の理は必ず春を呼ぶ』。その一行は、今夜は、石ではなく、水に見えた。水は、石を丸くする。丸くなった石は、口に当たっても、歯に障らない。だが、丸くなりすぎれば、橋の脚には使えない。
筆を取り、『煕子へ』と書き、続けた。
『理が木霊になる夜がある。声が幕に吸われ、火に飲まれ、笑いに溶ける。固いが誠実だと勝家殿は言い、扱いづらいと世は言う。扱いづらさが、人を遠ざける。――それでも、印は目の高さに掲げ続ける。笑いは、その前を渡っていけばよい。笑いが渡っていくために、板は滑らぬよう、紙を一枚噛ませ、釘を増す』
筆先の墨が、紙に深く沈む。沈む音は、聞こえない。聞こえない音が、胸に返る。返った音に、火のぱちりが重なる。
弥七が、焚き火の向こうで、若い兵に鈴の話をしている。「内で鳴る音がある」と。兵は、笑いながら、真剣に聞いていた。笑いは、軽い。真剣は、重い。軽いものと重いものは、よく一緒に座る。
「殿」
利三が、茶を差し出した。湯気が、夜の冷えにかすかに溶ける。
「固さは、幾らか」
「少し削った。削ったぶん、縁が薄くなった。薄くなった縁を、指で撫でた」
「割れぬように」
「割れれば、継ぐ」
利三は、うなずいた。そのうなずきに、笑いは混ざっていなかった。混ざらぬ夜もある。混ざらぬ夜が、人を支える。
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翌朝、会議は短く、決断は速かった。勝家が陣の左を取り、滝川が川の蛇行を押さえ、羽柴が正面に軽い輪を広げる。光秀は、補給の端を固め、調略の糸を張る。糸は目に見えない。見えないものは、疑われる。疑われるものを、理で支えるのが、光秀の役だ。
会議を解いたあと、秀吉がふいに近づき、低く言った。
「坂本殿。昨夜の火の前で、石を弾いておられたな」
「見ていたか」
「見ておった。石は、理の形じゃな。固い。重い。けど、石は、火に焼かれると、熱を持つ」
「冷めれば、また固い」
「その時は、手ぬぐいで包む」
秀吉は、ひょいと指先で手ぬぐいを持ち上げる仕草をしてみせた。「包んだまま、渡す。渡して、置く。次の者が、板を渡す」
光秀は、深く、短くうなずいた。うなずきは、理の礼だ。理の礼は、笑いを要しない。要しないが、笑いと敵もしない。
「坂本殿」
背後から、勝家の声がした。昨夜の忠告の続きではなかった。短い一句だけ。
「固いままで、よい」
光秀は、その一言を、胸に入れた。胸に入れた言葉は、火ではなく、石に似た温かさを持った。温かさは、すぐには逃げない。
遠い西の空が、薄く赤んだ。赤は、戦の色である。赤の下で、鐘が一つ、間をおいて、一つ、一つ、一つ。続けて、二と四。耳の印は、救いであり、束縛でもある。束縛は、自由の形を保つために要る。理は、束縛の作り手であり、解き手でありたい。
光秀は、佩刀の柄に軽く手を置き、骨の小さな鳴りを確かめた。鳴りは、節の音。節は、止まり、そして伸びる。伸びるために、止まる。止まるのが、今の自分に許された唯一の柔らかさだ。
火の灰に混じる小石を、もう一度、指先で弾いた。小石は、火の脇で、今度は音を立てなかった。立てない音が、胸に返った。返った音が、胸の中の紙に、薄い線を一本引いた。線は、言葉になる。言葉は、印に乗る。印は、笑いを渡らせ、笑いは、人を渡らせる。
理は、孤立する。孤立するから、堕ちない。孤立するから、見える。見えるものの位置を、今、自分の指で確かめながら、光秀は、薄い冬の光の中に立った。会議の輪で逸れていった視線の手前に、いつもと同じ高さに、札を掲げる。『二と四』『袋の口は少し』『夜は打たぬ』『太鼓の二は禁ず』。小さく、『迷いは節』と添える。
遠い太鼓が二度、鳴り、間をおいて二度。こちらの鐘は鳴らさない。鳴らさぬことが、今の戦の理である。鳴らさぬ理は、笑いの中で忘れられそうになる。忘れられるたびに、札を指で押さえ直す。押さえ直す指は、冷たい。冷たい指でしか、押さえられないものがある。
「行こう」
利三が「は」と応え、稲冨が板と筆を抱え、弥七が鈴を内で鳴らし、権六が顎を引き、市松が帳面を抱き直し、お初が腹帯を整え、源九郎が釘袋を打ち鳴らし、若旦那が『少し』の絵を掲げ、定吉が走る。了俊は、寺の鐘の紐を握り、子の目の高さをもう一度確かめる。
理の声は、木霊のまま消える晩もある。だが、木霊が消える場所に、印を一本置いていけば、明日の朝、その場所を誰かが見つける。見つけた者が、笑うかもしれない。笑いは、悪くない。笑いの輪の中で、理の板が滑らぬよう、紙を一枚噛ませる。それが、今の自分にできる最善だ。
孤立する理を、今夜も抱える。抱えた理が、重くて、硬くて、時に人の口に当たる。――それでも、橋は、石の上にしか渡らない。石を嫌う者が増えても、石の熱は、火のそばで静かに保たれている。煕子の一行が、胸の内側で、刃でも鞘でも板でもなく、水になって流れた。
『殿の理は必ず春を呼ぶ』
春は遠い。だが、遠い春ほど、端が多い。多い端を集める手は、時に固い。固さを嫌う声に囲まれても、固い手で、札の角を押さえる。押さえられた札の白が、冬の光を返した。返った光は、誰のものでもない。――誰のものでもない光が、もっとも強いことを、光秀は知っていた。