第一章一話 尾賀、登校する。
この物語に、高尚な思想はない。
格差も階級も、愛も恋も、ほとんど関係がない。
ただひとつあるのは、拳がすべてというルール。
ここ黒龍学園では、力こそが法律であり、制度であり、教師の説教に勝る説得力を持っている。
そして、この話の主人公は、よりにもよってバカだ。
加減乗除の半分しかできない。
わり算は苦手だ。
通知表は色でしか見ていない。
だけど身体だけは無駄にデカい。
なぜか拳だけはやたら強い。
そんな彼が、高校最強を目指す話である。
たまに人が飛ぶけど、気にしないでほしい。
黒龍学園に転入が決まったのは、一週間前だった。
理由は単純。
働いていた現場が潰れた。
金がない。
進学しておけばとりあえず食えるらしい。
それだけだ。
ろくに制服も持たず、昨日のうちに詰襟を借りてきた。
カバンの中には筆記用具の代わりに軍手とタオルが入っている。
初日だというのに、靴の裏にはまだ現場の砂利が挟まったままだった。
でも、本人はいたってやる気だった。
「ここはなんかすごい戦争があるらしい。」
楽しみだなー、そう考えると喧嘩に明け暮れていた日々を思い出す──。
特になかった。
大体ワンパンで終わってしまうので、印象らしい印象がないのだ。
ドアを開けた。思ったより軽かった。
バァンと開いたその教室には──誰もいなかった。
尾賀はしばらく、その場に立ち尽くした。
静かだった。
机は並んでいる。
イスもある。
黒板もホコリをかぶっているだけで、壊れてはいない。
でも、生徒の姿はどこにもない。
「……あれ?教室って、こんなもんだっけ?」
声は出ているのに、誰も振り返らない。
当然だ。誰もいないのだから。
尾賀は後ろを振り返り、廊下を見た。
誰も通らない。
時間割もチャイムも知らないが、たぶん今は“授業中”なんだろうと、ぼんやり思う。
「……ま、いっか。教室は来たし。」
それだけ言って、適当なイスに腰を下ろす。
ギシギシと鳴る音が、やけに大きく聞こえた。
30分ばかり座っていた。
その間尾賀は、窓から校庭を眺めたり、昼寝したりしていた。
「おい、俺偉い子ちゃん過ぎるだろ……。マジで誰も来ねえじゃねーか。」
これまでの学校の常識があまりに通じない、拙い尾賀の頭でもそれだけはなんとなくわかった。
「しゃーねー、座ってても仕方ねーべ。男は度胸だ!まず行動!」
颯爽と立ち上がると、教室を後にした。
「学園戦争っての、俺もやりてーんだよなー。戦って強けりゃ偉い所なんてここくらいなもんだしな。」
何かが必要なのは、学のない尾賀にもなんとなく察せられた。
「困った時には人に聞けって、そういや親方言ってたっけな。」
尾賀は校舎2階の廊下の窓から飛び降りると、そのまま着地した。
突然飛び降りたのにも理由がある。
外に男子生徒を発見したからだ。
「な、なんだこいつ…!?でけぇ…!」
尾賀の体格は恵まれていた。
身長2m30cm、体重120kgからなるその恵体は、相手を威圧させるには充分だった。
「わりいんだけどよ、ちょっと教えてくんねーかな。俺学園戦争参加してーんだ。」
説明はわかりやすく、下手に、端的に。
これも親方の教えだ。
「ここをよくわかってねーみてえだな!!この学園はつえーやつが一番正しい!知りたきゃこの俺様を倒してみな!!」
男子生徒は拳を握り前傾姿勢で走り出す。
(右利きか……ストレートかローだべな、こりゃ。)
尾賀は軽やかに身体を横に逸らすと、手の甲で男子生徒の顎を軽く突いた。
1mほど浮いた後、仰向けで倒れる。
「目線は肩と腰だけ見んだよ、動き始めたらどっからどう攻撃が来るかわかんだろ?」
「それから一直線に走ってくる奴があるかよ、おめー喧嘩した事ねーのか?」
「う、うるへぇ……。」
脳が揺れているのか、呂律が回っていないようだった。
「ほんじゃま、教えてくれっか?俺学園戦争参加してーんだ。」
「へへ……まだ俺は負けちゃいねー、ぜ……。」
「そっか。」
尾賀は男子生徒の顔面目掛けて軽くジャブをした。
男子生徒は咄嗟に腕をクロスさせてガードするも、そのまま尾賀の拳はガードごと貫いた。
地面は男子生徒の頭の位置を中心に、3mのクレーターが出来ていた。
「教えてくれっか?」
「は……はひ……。」
尾賀はヤンキー座りをすると一息つく。
「やれやれ、手加減ってのは大変だな……。」
男子生徒曰く、部活に入れば参加資格を得られるらしかった。
「なるほどなぁ、そんな簡単な事もっと早く言えよ。」
部活の一覧ってどっかで見れねーかなー。
そんな事を考えていると、男子生徒が3人現れた。
「あんだ?」
「お前よくも俺らの仲間をやりやがったな!!」
「おいやめよう、流石にでけえよこいつ……。」
「絶対許さねえ!」
皆内容は様々だった。
尾賀は校舎を背にすると拳を握った。
「交戦的なバカは好きだぜ、来な。」
こういう時、尾賀は経験則的に、全員に足下と一番近い人間の肩を見る。
誰が前に出ようとしているかを見極める。
足踏みすらしてない奴は前に出る気がない、つまり敵として認識する必要もなくなるからだ。
「おりゃー!」
相変わらず一直線に走ってくる。
相手が踏み込む前に、股の間に足を差し込む。
相手が転ぶと、尾賀の胸に飛び込む。
「おいおい、俺とハグでもしたかったのか?」
そう言うと、背中を摘んで放り投げた。
「人間砲丸、大体30mって所かー。」
右手を目の上に当て、眺めるような動作をする。
「自己ベストは38mなんだよ、おめーらも弾になるか?」
1人は全力で逃げ出した。
「畜生やってやる!!」
相手が走り出すも、相手の額にデコピンを放つ。
衝撃に地面を10mほど引き摺られ、止まる。
「バカの相手してる場合じゃねーんだって、俺部活探さなきゃなんねーの。」
尾賀は両手をポケットに入れて、背筋を丸めて小走りで走り出した。
尾賀はA-棟で買った焼きそばパンと牛乳を屋上で食べていた。
「情報収集ってどうも苦手なんだよなー、もっと知的な奴にやらせるべきだべ。」
ぼんやり空を眺めていると、屋上の扉が開く。
「おい、ここは俺らの縄張りだぜ?」
「何のうのうとお食事してんだコラァ!」
その数、およそ20名。
「お食事しちゃわりーのかよ、ここにしょんべんでもかけてマーキングでもしてんのか?おめーらはよ。」
男子生徒達が一気に殺気立つ。
「仕方ねーなぁ…おら、やりてー奴かかって来い。」
尾賀はゆっくり立ち上がると、焼きそばパンを齧った。
10名ほどが拳を握り走り出す。
「尾賀…ストレート!!」
右拳を握り、振りかぶって拳圧を飛ばし攻撃する、遠当てという技術だ。
10名が一斉に吹き飛ぶと、それぞれが床に倒れた。
「な、なんだよこいつ……!」
後ろにいた奴らが狼狽え始める。
「強すぎる!何なんだよお前!!」
「俺か?俺尾賀。つえーのは生まれつき、理由ない。」
「弱く生まれちまった不運を呪ってくれ。」
牛乳にストローを刺し、吸引する。
「あ、そうだ。お前ら部活の一覧ってどこ行きゃ見れる?」
「え……ほ、報道部前に張り出されてるけど……。」
尾賀はにっかり笑うと礼を言う。
「おう!報道部前か!わりーな!ありがとよ!」
そう言うと、尾賀は跳躍し、フェンスを飛び越え屋上から直接降りた。
「な、何だったんだアイツ……。」
男子生徒の呟きが屋上に響いた──。
ご拝読ありがとうございました。
読者の皆さんが今、抱いている感情は大きく二つに分かれていると思います。
一つ、「なんだこのバカは」。
もう一つ、「なんだこのバカ、強すぎる」。
そうです。
尾賀はバカです。
でも、彼の世界では強さこそが正義であり、知性は“あるに越したことはない”程度の扱いです。
そういう意味では、尾賀は完璧にこの学園に適応できる主人公……と言えるかもしれません。
この物語は、殴って、踏んで、吹き飛ばして進む話です。
ちょっとばかし倫理観や文法が曲がっていても、拳の軌道がまっすぐならさして問題ありません。
次回は、いよいよ“部活”の選択。
まともに終わる気がまったくしないですが、どうか期待下さい。
ではまた次回の更新でお会いしましょう。
愚筆失礼致しました。