57.
ぞわっと鳥肌が背筋をかける。
エルピスが振り向く前に首を片手で絞められ体が浮き上がり、息苦しさにうめき声が自然と漏れた。
「エルピス!セレニテ!!」
リヒティの二人を呼ぶ声が聞こえるが、セレニテからはまったく声があがらない。
何があったのかと下へと目線を移すと気絶して片腕で抱えられているセレニテの姿が見える。ぐったりと両腕を力なく伸ばしてぴくりとも動いていない。
抱えている腕をつたって目線をさらに動かすとそこにいたのは
「大成功!やっぱ正義感につけこむのが一番だな!」
溌溂とした声でそんなことを言う男。
ぱっと見は別人かと思ってしまうが、着ている服がここの事務員が来ている制服と一緒で、眼鏡がなく髪の毛も七三のきっちりした髪型から前髪が目にかかる様に崩した髪型へと変えている。
子供とはいえそれなりに体重のある二人を軽々と抱えている人物は、先ほどまで話題に出ていた人物
リューゲ事務員だった。
認識した瞬間、リヒティは足に魔力を纏い踏み込むと敵へと距離を一瞬に詰め、抱えている腕へ短剣を振り上げる。それを半歩下がることで避けた敵は首を絞めていたエルピスをリヒティへと投げ捨てよう振り下ろすが
「?」
手から離れず不思議そうにエルピスを見やる。そこには息苦しい中不敵な笑みを浮かべているエルピスの姿があった。
「…そう、する…だろうと…思った…」
その隙を逃すはずがないリヒティの一閃が再度セレニテを担いでいる腕へと振り下ろされる。刃が服を裂き肉を切る。血が地面へと滴るが、セレニテを離すほどの斬撃を与えることは出来なかった。
「チッ、浅かったか。」
魔法を解き、エルピスも反撃へと繰り出す。捕まえている腕を軸に体を上に捻ると、手の平の力が抜け首が解放される。その勢い事足を腕へと振り下ろすも、瞬時に距離を取られ振り下ろした足は地面へと穴が空くほどの衝撃をもたらした。
「?」
不思議そうに先ほどまでエルピスを捕えていた手の平を見つめるリューゲ。無防備に立っているように見えるが
(リヒティが行かないってことは、隙がない…ってことだよね。)
リヒティはエルピスの傍で短剣を構えつつもリューゲをじっと見定めている。戦闘に関しては素人であると分かっているエルピスは、とにかくリヒティの足を引っ張らないように補助に徹しようといつでも発動できるように魔法を練り上げていく。
すると、リューゲが手の平からエルピスへと視線を移した。リューゲの黒に近い紫の瞳がエルピスを真っすぐ捕らえる。その視線があまりにも強く、びくりと体が震えた。
「もしかして、キミってーー」
その言葉を聞く前に、リューゲのセレニテを抱えている腕が空へと舞い上がる。
セレニテの体が重力に従い地面へと落ちていくも、リューゲの後ろから駆けてきたヴェスティがギリギリのところでセレニテを抱え込み、頭の直撃を免れた。
「っと、セーフ。取り返したぞ。セレニテを。」
「ヴェスティ!それに副団長も!」
リューゲの後ろにユーリスの姿が見える。隙なく構えている剣から少量の血が滴り地面に跡を残していく。
「リューゲ。君は本物のリューゲ事務員か?それとも姿形を似せた偽物か?答えろ。」
ユーリスが重々しく問いかけるも、リューゲは沈黙をしたまま答えない。
睨み合う緊張状態のその場からセレニテを抱えたヴェスティは離れ、攻撃の届きにくい物陰へと非難する。
(セレニテの様子は…息も脈もしっかりある。睡眠魔法か?睡眠は闇属性精神魔法の一つで習得難易度も高度だったはず……ということはあいつはーー)
物陰からちらりと様子を確認するも戦闘はまだ始まってはいなかった。加勢するべきか悩むも一つの違和感に気づく。
(あっ?あいつ、腕がーーー)
「答えない、ということはつまり偽物だということだな。本物のリューゲ事務員をどこにやった。」
「…………」
ユーリスの問いかけに答えずエルピスをじっと見つめるその瞳が底知れない闇の様に見え、エルピスの背中を怖気が走る。
得体の知れなさに自然と足がじりっと後退したその時、物陰からヴェスティが姿を現し声を張り上げた。
「エルピス!そいつは人間じゃねぇ!逃げろ!!」
「え?」
瞬間
すぐ傍にいた人の輪郭でさえも分からないほどの黒に覆われ、エルピスは咄嗟にリヒティへと手を伸ばすも、その手は剣だこのある固くごつごつした大きな手ではなく、ほっそりとした張りのある手に捕まれた。
振り解く前に骨が折れそうなほどの力強さで握りしめられ、激痛に襲われる。
「ははっ!まさかこんな所にいたのか!あの人も喜ぶぞ!」
その嬉しそうな声音にエルピスは混乱する。
(最初はセレニテ、というかソレイユ様を捕える予定だったけどターゲットを変えた?…まさか、僕にある創生神様の力に気づいた?でも、)
「っ!僕だって、力を使えるようになったんだ!!」
足元に練っていた魔力を放出し、自分とリューゲの足元だけ凍りつかせその場から動けないように固定する。まだまだ魔力練度は低いため、エーデルと比べると硬度がないが、一瞬の隙を作るには十分だった。
その隙をついてリヒティとユーリスの剣がリューゲに振り下ろされる。
リヒティはもう片方の腕を、ユーリスは首を狙っていたが、
「「「「???!!!」」」」
剣が振り下ろされる瞬間粉々に砕かれ、二人の軌道は空をかいた。そして二人の体が吹き飛ばされ、家の壁面へと打ち付けられる。
「ぐっ」
「ぐあっ!」
崩れた壁石が地面へと倒れた二人に降りかかる。ヴェスティもエルピスも何が起こったのか分からなかったが、リューゲとエルピスの間にいつの間にかフードを目深に被った第三者が静かに立っていた。
「様子を見に来てみればぁ……何をなさっているんですぅ?」
「あっ!迎えに来てくれたか?優しいな~。」
「はぁ、ソレイユ様は捕えていなようですねぇ。…この方々のお仲間が間もなく来ますよぉ。今回は撤退いたしましょう。」
「それなら、こいつ!連れて行こうぜ!」
「”こいつ”?」
そういうと捕らえていた手を引いて、エルピスの存在をフードの人物に主張する。急に引かれたためバランスを崩しリューゲに凭れ掛かり背中に手が回されてしまう。ますます拘束力が強まり、危機感を覚えたエルピスは自分だけでなく周りを巻き込むかもしれないと、完全に制御するまでは市街地では使わないと決めていた風魔法を放つため魔力を練ろうとした時、フードの人物がエルピスの顔を見て嬉しそうな声を出す。
「あぁ!あの時の器くんですかぁ!」
「…”器くん”?」
その言葉を聞いた瞬間、リューゲの雰囲気がガラリと変わる。先ほどまでの溌溂とした笑顔の明るい雰囲気は完全になくなり、真顔で目に影が射し陰気な雰囲気へとなった。エルピスの背中に回っている手が肩に移るとぐいっと上体を戻される。髪越しではあったがエルピスを真っすぐ見ていたその瞳は今は地面を見つめている。
「器くんってことは………ソレイユの?」
「そうですねぇ。」
「ふ~ん、そうなんだ。」
エルピスの体にとんっと軽い衝撃が走る。
何が起こったのか、視線を下に向けると
剣が自分の胸へと深々と突き刺さっていた。




