38.そこにいたのは
翌朝、エルピスは明らかに落ち込んだ様子で朝食を食べていた。目の下に心なしか薄っすらクマができている。そんなエルピスの様子にオラクルとセレニテは心配そうに顔を見合わせる。
「エルピス様はどうなされたのでしょう。」
「分からない。私が怒っても反応が薄かったのよね…神様から何か言われたのかしら…。」
今朝、起きるとエルピスがベッドにいないことに驚いたセレニテは、部屋を飛び出し家の中を探し回ったのだ。一階の研究室の扉を開けた先に座り込んでいるエルピスを発見し、ほっとしたのと同時に怒りがこみ上げたセレニテは勢いのままに怒鳴り込んでいた。
が、いつもだったらすぐに謝るエルピスが、今朝に限ってはぼんやりとうわの空で返事をしていた。
その様子に訝しんだセレニテは怒るのを一旦止めて、エルピスの顔を覗き込むと、その目は虚空を見つめており、生きる屍のようだった。尋常じゃない様子にただ事ではないとオラクルを呼ぶが、何度呼びかけても変わらないエルピスに、とりあえず昨夜から何も食べていないだろう体を労わるため、何とか朝食の席まで連れてくることができたのだ。
とんでもないことを知らされたのかと、セレニテ達が心配している横でエルピスは深く長いため息をついていた。
(僕の…僕のち〇ち〇はどこにいったんだろ…)
たぶんこれを聞いたらセレニテは呆れるか怒るかするだろうが、エルピスは真剣に悩んでいたしショックも受けていた。
「エル、神様からそんなにショックなことを聞いたの?…私たちに言えないこと?」
「…………」
「リヒティ達まだ帰ってこないし。安心しきれない?不安?私だってソレイユ様の力を使いこなせるようになってきたんだよ?今度は私がエルの力になりたいの。」
「…………」
「ねぇ、答えて!エル!」
「はっ!」
「私はそんなに頼りない?確かに捕まったししばらく眠ってたし、ソレイユ様の力を上手く使いこなせているかって言われたら、まだまだだとは思うけ「ちょっ、ちょっと待って!」
ショックのあまり心がどこかに飛んでいたエルピスは、セレニテの強い声にやっと意識を現実に戻すことができた。半泣きのセレニテに罪悪感がこみ上げ、自分の至らなさに後悔が押し寄せる。
(…こんなことでいつまでもくよくよ悩んでちゃ駄目だ。ヴェスティが調べてくれるって言っていたし、信じて待とう。)
「…ごめん、セレス。心配かけさせちゃって…。」
「本当よ。もうちょっと遅かったら頬を張ろうかと思ってたわ。」
「…うん、本当にごめん。」
セレニテの本気度を、上がりかけている右手が証明してくれる。エルピスは頬を引きつらせながら、セレニテに深々と頭を下げたのだった。
「それで?神様にはどんなこと聞いてきたの?」
朝食も食べ終わり、オラクルが片付けてくれている横で、ソファーに向かい合わせで座り込んだ二人。改めてセレニテはエルピスに精神世界でのことを尋ねた。セレニテの眉間には皺がより、エルピスのことを心配していることがよくわかる。
エルピスはそんなセレニテの顔を見ていられず、自然と視線が下がっていき、自分の膝を見ながら重い口をひらいた。
「実は、僕たちを襲った化け物の正体が分かったんだ。」
「え!化け物って…一年前の?」
「そう。一年前僕たちを襲った化け物の正体は……妖精の集合体だったんだ。」
「…えっ?」
セレニテの心配そうな表情が消え、オラクルの作業していた手も一瞬止まり、また食器の片付ける音が鳴り始める。数秒重い沈黙が続き、エルピスの息も細くなっていく。
「聞き間違いかな?…なんか、化け物の正体が妖精だって聞こえたんだけど…。」
「信じたくない気持ちは分かる。けど、事実なんだ。あれは、かつて人に宿っていた、人と契約を結んでパートナーになっていた妖精達で、無理やり離されて一つの力に融合された存在だったんだ!」
「!!」
エルピスの声が響き渡り、部屋に反響する。セレニテが二の句が継げずにいると、畳みかける様に創生神から聞いたこと、精神世界で見たことを矢継ぎ早に話し始める。
化け物に殺されたこと。
自分に創生神が宿り一命をとりとめたこと。
ソレイユは自分に宿っていたのは間違いないこと。
妖精が創生神の力から産まれていること。
妖精が複数体集まり無理やり一つの力にされて歪み、結果黒い瘴気を放っていたこと。
その力を人に宿し、化け物へと変容させていたこと。
全てを聞いたセレニテは腕を組んで黙り込み、情報を頭の中で整理していく。
片付けが終わったオラクルはお茶を二人の前に置くとエルピスの横に座り、静かに成り行きを見守る体制へと入った。
「オラクル、ありがとう。」
「いえいえ、熱いですのでお気をつけてお飲みください。」
エルピスは冷めないうちにとお茶を一口飲み込み、ほっと息をつく。情報共有のためとはいえ、重い話しをするのは精神的にまいってしまう。
しばらくセレニテの様子を見守っていると、まとまったのか組んでいた腕を解き、大きく息を吐き出した。
「結局、進展はあまりない感じね…こうかもしれないって推理していたことの正否が分かったことは僥倖かもしれないけど。」
「う~ん、そうだね。敵の目的も過去の映像では分からなかったし。」
ここまで来て遅々として詳らかにされない謎に、二人揃ってため息をついた。
そのとき、ふとある記憶がエルピスの頭を掠る。
(そういえば、リヒティがーーー)
「セレス、リヒティが禁忌のことを話していた時のこと覚えてる?」
「禁忌の?うん、覚えてるけど…。」
「リヒティ、その時こう言ってなかった?”実際過去にあったんだ”って。その時のリヒティの様子、直に見たような感じじゃなかった?」
「!」
そう、まるで思い出したくないような、そんな表情をしていなかっただろうか。
「待って!もし本当にリヒティが昔その現場を見ていたなら、敵の計画はーーー」
「エーデルの言っていた通り、15年以上前から計画されていたっていう予想は合っていたんだ。」
「だんだん敵の行ってきた犯罪行為の時系列が見えてきたわね。」
「一旦紙にまとめよう。ヴェスティから貰って「持ってきたで。」!?」
いつの間にか部屋に入ってきたヴェスティは、片腕に抱えている資料とは別に白い紙を一枚ひらひらと二人に見せた。テーブルに持っていた資料を置くと、エルピスに向けて紙をセットする。
「面白そうな話しをしてたからな、一応持ってきて正解だった。」
「ナイス判断!さすが研究者ね。いつも紙にメモとってるだけあるわ!」
「……お褒めに与り恐悦至極。」
「有難く使わせてもらうね。えっと、まずはリヒティが見た禁忌からーーーーーーー
とりあえずこんな感じかな。」
「分かりやすく纏まったわね。」
「これならリヒティ殿達も読めば分かりますね。」
「疑問点も書き込んだが、まだまだ分からないことだらけだな~。」
完成図を皆で覗き込みあれこれ話していると、急に玄関の扉が勢いよく開き人が転がり込んできた。
「なんだ!」
「お二人は私の後ろへ!」
ヴェスティが臨戦態勢で一歩出、オラクルがエルピスとセレニテの前へと回り込みいつでも放てるように魔方陣を展開する。
蹲っていた人を遠目でよくよく観察してみるとそこにいたのは
「「リヒティ?!」」
エルピスとセレニテがリヒティの傍へと駆け寄る。蹲っている体制から無理やり仰向けに動かし状態を確認すると、息をしてはいるが意識がなく、両腕が力なく床に投げ出されていた。
「リヒティしっかり!」
「回復魔法をかけるから、セレスは怪我が他にないか確認してもらえる?」
「わかったわ!」
二人が治療始めると、玄関扉から影が射し、二人の手元を暗く覆った。
リヒティに向けていた顔を玄関へ向けるとそこにいたのは
「よう、二人とも。元気にしてたか?」
「…………デリック……」
エーデルを肩に担いだデリックがそこに立っていた。




