3.嵐の前に
「あー、あのさ、もう手を繋がなくても大丈夫だよ?」
家を出てからずっと握られている右手をぶんぶん降りつつ、エルピスはセレニテに控えめな抗議をした。ほっそりした女の子らしい手がエルピスの手をきゅっと強く握りこむ。
「そういって、この前畑に落ちそうになってたのはどこの誰よ。」
「うぅ、あれは!杖が折れちゃったからしかたなくだよ!杖さえあれば大丈夫だし。今も持ってるでしょ?!」
左手に持っている杖を掲げつつ、反論するも微かに首を振られた気配を察知し、エルピスとセレニテは二人同時にため息を吐いた。
傍から見れば仲良く手を繋いでいる姿は恋人のようにも見えなくもないが、エルピスはセレニテよりも身長が低く綺麗な顔立ちのため恋人というよりも姉弟のように見られがちだ。それに不満を持ったことはないが、この状況はエルピス的には情けなさでいっぱいである。
「こんなところまたデリックたちに見られたら冷やかされるよ。セレスも嫌だろ?」
「あんな小心者にとやかく言われても気にしないわよ。また何か言ってきたら鼻っ柱折ってやろうかしら。」
「…ほどほどにね。」
怒りと同時に繋いでいる右手にも力がこもり、手がみしみしと音をたてている。
そろそろ離してもらいたい。
苦笑しつつセレニテの左手をポンポン叩くと力がふっと弱まった。
デリックは同い年の男の子で、小さい頃は子供たちのリーダーとしてみんなを引っ張ってくれた頼もしい存在だった。口が悪くいたずら好きの悪ガキな面もあったが、怪我をしたときはおぶって家まで連れてってくれたり落ち込んでるときは元気づけてくれたり正義感のある少年だった。
それが今では疎遠になってしまった一人で、エルピスは少し寂しい気持ちになる。が、常々不思議に思う。正義感のあるデリックがなぜ疎遠になってしまったのか。色が変わり、目が見えなくなっただけで気味悪がって避けるだろうか?正義感のある男が?それ以外の理由があるとしたらそれはーーー
「げっ、デリック。」
「よぅ、儀式前に介護のお散歩かぁ?」
「うるさいわね。ちょっとリヒティに用事があるから向かってるところよ。儀式に遅刻したくないし、用事も早めに済ませたいからさっさと退いてくれる?」
「おぉ、こわっ」
これだ。見えなくなってから、以前よりもセレニテにちょっかいをかける頻度が多くなったのだ。
セレニテはふわふわのプラチナブロンドと大きな青い瞳をもち、肌は白く頬や唇が花のように色づく美少女だ。勝気な性格のせいか、目は少し釣り目がちで、凛とした雰囲気も出ていた。
一年前、十四歳の時の姿が最後に見たセレニテだが、一年経ち少し大人っぽくなっているのかもしれないと、エルピスは見れないことを残念に思いつつ、デリックのこのちょっかいは好きな子に対してのものではないかと検討をつけている。
好きな子が姉弟とはいえ、男につきっきりになり自分を蔑ろにしている。面白くないと思っても不思議ではない。姉弟なのだから仕方がない、むしろ家族思いのセレニテは素敵だと思えと思わなくはないが。まぁ、二人の邪魔をしていると言えなくもないエルピスは、二人の口論(という名のじゃれ合いだと思っている。セレニテはそれを知ったら怒り心頭になる。)がすむまで大人しくしていることにした。
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「無駄な時間を使っちゃったわ。これで儀式に間に合わなかったらどうしてくれようかしら。」
あれから数分口論をしていたセレニテだったが、時間が限られていることを思い出し、今日のところはこれで勘弁してやる!と三流の悪役のような捨て台詞を吐いてデリックと別れてきた。黙っていれば大人っぽい雰囲気を出せるのだが、口を開けばこれである。
右手を握りつぶされないかと心配しつつ、リヒティの家へと着いた二人はドアを強く叩いた。
「おはよう、リヒティ!セレニテとエルピスだけど、今いるー?」
内側から走る音が近づいていることを察知すると、ドアから数歩離れて待つ。すると、勢いよく扉が開き、大きな声が鼓膜を震わせた。
「よっ!今日の主役の二人が朝から会いに来るなんてな!兄ちゃんは嬉しいぞー!」
オーバーリアクションで二人を抱きしめ、エルピスは頭を犬のように撫でられ、セレニテは儀式のために整えた髪を乱されてはたまらないと、さっと手を避けた。
「ははっ!すまんすまん!つい癖でやっちまうところだった!」
「もう!いつもは良いけど、今日は本当に勘弁して!せっかく時間かけて整えたのに無駄になるところだったわ!」
「今日は纏めてるのか。大人っぽくてセレニテに似合うぞ。服装は…なんか二人とも雰囲気が似たような感じだな?ズボンとスカートではあるけど。」
二人とも上は白地に花の刺繡をされ、七分袖の袖口がふわりと膨らんでいるタイプのシャツに、下は大人っぽくネイビーの無地のフレアスカートとズボンを着用している。
セレニテは自慢げに、エルピスの腕を引いて服装を見せびらかした。
「合わせコーデってやつをしてみたの!似合うでしょ?」
「まぁ、似合うけど。お前ら美形だからな…なんでも似合うから驚きがあまりない。」
「…リヒティ…」
ストレートに褒められ、嬉しさと恥ずかしさと驚かせられなかった残念さとでセレニテは頬を染めつつ頭を振った。
名前は呼び捨てたが兄として慕っているリヒティは、二人よりも十五歳上の大人だ。日焼けした健康的な小麦色の肌に黒い髪の毛をツーブロックに刈り上げている。髭は生えていないのが本人的には悩みの一つだと以前愚痴っていた。切れ長の緑の瞳が今は緩く弧を描いている。
リヒティは産まれも育ちもここの村ではあるが、相棒の精霊を得ると早々に旅に出た冒険家だ。様々な街や国を渡り歩き、いろんな人と関わりたくさんの経験を積んで二十五歳の時にこの村に戻ってきた。いろんな国の人たちと関わったせいか、リアクションはオーバーだし、スキンシップも過剰だ。会いに来る度に力強く抱きしめられるので、身構える癖がついてしまった。リヒティ自身力加減には気をつけているらしい。
旅をしていたせいか剣技や魔法はこの村でリヒティが一番強い。戻ってきてからは剣術・魔法の師範として村の人たちに教えている。子供たちは危険だからと、基礎体力作りと武道の型、受け身しか教えてもらえてなかったが、ついに明日からは大人たちと一緒に剣術も魔法も教えてもらえるのだと二人は期待に胸躍らせていた。
「立ち話もなんだし入れ。茶くらいは出してやるよ。」
「「お邪魔しまーす!」」
2人は森の匂いのする慣れ親しんだ家へと意気揚々と入っていった。
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「それで?儀式前だってのにわざわざ俺ん家に来たのはなんでだ?」
カップが目の前に置かれ珈琲の香ばしい香りが鼻をつき、ついつい嗅いでしまう。この匂いはエルピスが好きな香りの一つだ。ありがとうとお礼を言って一口飲むと、エルピス達が飲みやすいようにミルクが入っているのが分かり、口が綻んだが楽しんでばかりもいられないと、エルピスは口を開いた。
「…ちょっと最近気になることがあって、リヒティなら知ってるんじゃないかと思って…」
「…気になること?」
「気のせいならいいんだけど……最近…日が短くなっていない?」
「?!」
「あっ、エルもそう思う?私も夜が来るのを早く感じてたんだよね。雨も降ったりしてるから気のせいかと思ってた。」
「………二人ともそう感じるのか………。」
持っていたカップの水面がゆらりと揺れ、水面に映っている顔が歪み苦しそうな表情に変える。
卓上にカップを置いてリヒティは静かに息を吐き出した。
「…今日から二人は精霊を得る。いわば大人の仲間入り…みたいなものだしな…。」
言いにくそうな様子にエルピスとセレニテの背筋がピンと張り、リヒティを真っすぐ見つめる二つの視線がぶすぶすと突き刺していく。
「………はぁ、これは憶測の話しでしかないが……」
リヒティはそう前置きをするとぽつぽつと話し始めた。
「王都にニ柱の神がいて、王と共に国を見守り支えていることは知っているな?」
「知ってるよ。」
「お母さん達に教わったわ。常識よね。」
「太陽の神ソレイユ様と月の神ルア様のお二人の力でもって、あ~、詳しくは長くなるから割愛するが、簡単に言っちまうと世界の朝と夜のバランスをとっているんだ。これもだいたい知ってるな?」
「そうだったね。」
「俺も旅の途中王都によることもあったからそこで聞いた噂話だ。……今から十五年前神の継承があった。」
「?神の、継承?」
急に知らない単語が出たためエルピスとセレニテは二人揃って首を傾げたが、リヒティは気づくことなく話しを続ける。
「王都の騎士たちはすぐに探しに行った。ルア様はすぐに見つかったが、ソレイユ様が見つからないってんで大騒ぎ!ただ、見つからないだけで特に世界に大きな変化はないし、生きていることは確実だから儀式の訪問しつつ探そうってお偉方の中で話しがまとまったみたいだった。
…だが、二人も気づいた日の陰り、そして前より頻発している獣の被害。ソレイユ様に何かあったんじゃないかと、俺は考えてる。」
「………ソレイユ様は……亡くなったの?」
「亡くなってりゃ神の継承が行われているはずだ。それが無いってことは、何か…考えつかないことが起こってる…のかもしれない。」
そこまで話すと珈琲を一口すすり、場の空気を変えるためリヒティは殊更明るく笑い飛ばす。
「…まぁ、俺の杞憂だろうがな!ははっ!」
そんなリヒティの気遣い虚しく二人は真剣な顔でいる。笑って誤魔化せないことを悟ったリヒティは、二人を邪魔しないように黙って見守ることにした。
「神の継承が分からないんだけど。亡くなると継承が行われるってことでいいんだよね?」
「おっと、そこまでまだ教えてもらってなかったか。そういうことだ。亡くなると同時に産まれた素質のあるやつに神は宿ると言われている。まぁ俺もそこまで学がないから詳しくは知らん。」
そういうと温くなった珈琲を一気に飲み干し、リヒティは一つため息をこぼした。
「これから儀式を行うってのに、こんな不安を煽るようなこと話しちまってすまん。だが、もしこの仮説が当たっていたら、遅かれ早かれお前たちにも辛い現実が襲い掛かるかもしれない。その時までに覚悟を決めていたら未来を切り開いていける、と俺は思っている。まぁ、何が起こるかなんてさっぱり分からんがな!」
「リヒティ………」
「おっと!そろそろ時間だぜ。遅刻して儀式を受けられなかったら大変だ!もう行こう!」
「………うん。」
これからの未来に陰りを感じつつ、二人は儀式を行う広場へと足を向けた。




