無駄な時間と無駄な考え
空いた電車の中でカップルとよく目が合う。
幸せの象徴と目を合わせることが多い。
いや、使えなくなるのを待っている消耗品同士というべきなのだろうか。
彼氏、彼女というものは一時的なマウントである。
自分の価値を自分と対等、もしくは自分より下の人間に示すため相手には手に入れられないであろうものを見せつける。
「お前には手に入らないだろう。」って。
だがいつか、よりいいものが見つかる。
自分が今使っているものなんかより何倍も輝いているように見えるものが見つかる。
「俺たちやっぱりさ...」
何事も終わりはある。特殊な物を出さない限り捨てる時というのはとても寂しい思いをする。もちろん個人差はある。
あの時買ってもらったみんなが持っていなかった「ゲーム機」だってチヤホヤされるのはみんなが買ってもらえるまでだ。みんなが手に入れられるものをわざわざ自慢する奴は人より上に立ちたいという向上心のないつまらない人間だ。
「みんな見て。僕もゲーム機買ってもらったよ。」
周りと違うことは人間に興奮を与える。
彼氏、彼女、ゲーム機なんかだけじゃない。
別れはどちらかの都合のいいように切り出される。
切り出す立場にいる人間も、いつ切り出される立場になるかなんて想像もつかないはずだ。
「今までありがとう」
「うん」
そうやって「経験」や「成長」と言い張り、見栄を張るのだろう。
別の日、電車でカップルと目が合った。
つまらない人間じゃないだけマシか。