ステンドグラスの下の夢
気分を害しましたら申し訳ありません。
「絶対に許さない!!」
そう叫ばれた言葉に喉が詰まる。
俯いた視線の先に、前髪から雫がポタポタと落ちた。
その雫から香る緑茶の匂いを嗅ぎながら、お茶が冷めていて良かったなと思う。
きっと、猫舌の俺のためにわざわざぬるめに淹れてくれていたのだろう。
彼女は本来そういう気遣いができる人だ。
その彼女が怒りに顔を歪めて叫ぶ。
「絶対に許さない!!」
繰り返された言葉に、ああ彼女はきっと本当に許してくれないんだろうなと思った。
それは絶望にも似た思いで。
「本当にすまない……」
隣であいつが小さく背を丸めて謝る。
それに倣って頭を下げた。
「また……そうやって……またそうやって……っ!」
彼女の声に涙が混じる。
人前では絶対に泣きたくないと言っていたのはいつだったか。
彼女の小さな矜持は今儚くも崩れ去っていた。
そう、俺たちのせいで。
「最低よ……あんた達……」
「……っ。」
力なく呟いた声に思わず顔を上げる。
血の気の失せた顔と目があった。
「大っ嫌い。」
低く、唸るような声で吐き出された言葉に、ひゅ。と息が漏れる。
いつもキラキラと輝いていたはずの瞳は今は暗く、そしてもうこちらを映してはいなかった。
大切だった。
大切なはずだった。
どこへ行くにも何をするにも、いつも三人一緒で。
思春期を迎え、大人になっても、俺たちの友情ってやつは永遠に続くんだと思ってた。
あいつが彼女と結婚するまでは。
「結婚することにした。」
あいつにそう告げられたあの日、酷く疲れていたのを覚えている。
まるで頭を殴られて落とし穴に落とされ、そのまま泥をぶっ掛けられたような感覚だった。
結婚?誰が?彼女と?あいつが?
どうして?
まるで置いてけぼりにされたようで、どんどんどす黒い気持ちが膨らむ。
最初は彼女を取られたせいかと、あいつに随分冷たくした。
いつかこんな子供じみた嫉妬と別れなければ。そう思いながら。
けどそれも教会のステンドグラスの下、タキシードを着たあいつを見て砕け散った。
なんてことだ。
俺が好きだったのは彼女ではなく、あいつの方だったんだ。
それからはもう転がるように堕ちていった。
俺に冷たくされて折れていたあいつは、俺の邪な誘いにあっさり乗った。
意外とあいつも俺と同じだったのかもしれない。
彼女に隠れて重ねる逢瀬。
俺達は熱に浮かされていた。
「もう彼女を騙しつづけたくない」
元々善良なあいつのことだから、いつかはこうなるんだろうとは思っていた。
それが予想より早かっただけで。
彼女と、そしてあいつの家だった場所からの帰り道。
とぼとぼとあいつと並んで歩く。
ポケットの中の紙くずがカサカサと鳴った。
いわゆる離婚届けってやつ。
「離婚はしない。してあげない。」
そう言いながら彼女はそれを念入りに破いて千切った。
役立たずの紙くずになったそれを俺のポケットに押し込むと、彼女は俺達を家から追い出したのだった。
「二度と顔見せないで。」
ドアを閉める前、そう告げた彼女の言葉が蘇り胸に刺さる。
全てをぶち壊したのは自分だというのに、彼女を裏切ったのも自分だというのに、俺は酷く傷ついていた。
「傷つく権利すらないのにな。」
自嘲の声が聞こえたらしい。
あいつがぎゅうと手を握った。
ゴツゴツしていて、すこしカサついた手のひらが俺の手を包む。
このままどこへも帰りたくない。
俺達は三人で一つだった。
誰が欠けてもいけなかったのに。
俺は道を誤った。
「なぁ、海、行きたい。」
ぽろりと溢れた呟きに、あいつが笑って頷いた。
「ごめんな。俺のせいで」
海についてあいつが最初に言った言葉はそれだった。
「なんでお前が謝るんだよ。元はと言えば俺が……」
「それに乗ったのは俺だ。」
強い眼差しで遮られる。
「それに、最初にお前を置いてけぼりにしたのも俺だ。」
ああ、その目。
眼差し。
こんな状況だというのに、俺はグズグズに溶けてしまいそうだと思った。
彼女のことだって大切だ。
失うくらいなら死んでしまったほうがマシだ。
だから今、引きちぎれそうなぐらい苦しんでいる。
それなのに、それなのに、ああ。
あいつのことになるとこんなにも邪な想いを滾らせてしまう。
「俺達最低だね。」
俺の言葉にあいつが眉根を寄せた。
あいつもそれなりに傷ついているらしい。
「ああ、本当に最低だ。」
そう言いながらあいつが俺を抱き寄せる。
潮風が冷たくて、寒いから。
あいつに寄り添う。
波の音はまるで俺達を誘っているみたいだった。
「なぁ、このまま死んじゃおっか」
大袈裟だと嘲笑われるだろう。
馬鹿だと言われるだろう。
けれど、三人でいられないのならこの世界に俺はもう用はないんだ。
「そうだな……それもいいな」
あいつがくしゃりと笑った。
その大きな目からぽろりと涙がひと粒落ちる。
それから俺達は歩き出した。
本当に最後まで自分勝手で最低な俺達だ。
砂を踏んで進んだ海はとても冷たくて。
笑ってしまうくらい冷たくて。
でもあいつと繋いだ掌は熱かった。
厚かましいことに、生まれ変わってもまた三人でやり直せたら。そんなことを思う。
すっかり暗くなった海で、波の音が俺達を包む。
最後に俺たちは、息が止まるまでキスをした。