うだつの上がらない俺でも恋はする
吾輩は猫である。借りてきた猫である。
そう、借りてきた猫のように大人しく、しかし心持ちはざわざわと落ち着かない様子でリンカの部屋でテーブルを挟み、席についていた。
だってしょうがないじゃん。
こんな夜分に、女の子と二人きりとか人生で初めての経験なんだもの。男でもドギマギして緊張しちゃいますよ。
「ねぇ、あんたはどうなの?」
「ど、どうって、何が?」
リンカはテーブルに酒とつまみを並べていた。この女、さっき潰れてたばかりなのにまだ飲むのか?
「あんたには無いの、恋バナ? わたしのだけ聞いといて話さないなんてないわよねぇ?」
いやいや、勝手に話し出したのあなたですよねぇ?
普段の自分ならそう言っていただろう。だがリンカの気持ちに同調してしまっていた俺は語り始めた。
こんなうだつの上がらない俺でも恋はする。
学生の頃にもかわいいなと思う子は何人かいたが告白することもされることもない、侘しい青春時代を送ってきた。
つまり本気で好きになった人もいなければ、好かれたこともないわけだ。
そんな俺が大学を卒業し、新社会人 ―― といってもコンビニのバイトだが、昼間はイラストを描いたり自由な時間を過ごし、給料のいい夜間に働くという生活が半年ほど続いた頃、一人の女子大学生が後輩として同じコンビニで働くことになった。
彼女と話をしてみると、どうやら漫画家を目指している美大生らしい。
イラストレーターを目指す自分と似たような夢を持っているのもあり、話が合った。
見たイラストや漫画、映画の感想などを言い合ったり、次第に惹かれ恋に落ちるのに時間がかからなかった。
そして意を決して告白を決意した。
いくら年下の子であろうと、想いを伝えるのだ。もちろん緊張もする。
手に汗握りながら告白した結果がこれだ。
「ごめんなさい。迷惑です」
そして、彼女は次の日からバイトに来なくなった。
恋愛は素晴らしいものだと人は言う。
映画でも、ドラマでも、漫画でも、小説でも、歌でもすべてのものでそのように語られる。
恋愛はひどいものだなんて聞いたことも見たこともない。それなのに――
それなのに、俺が人を好きになることは迷惑なのか……
彼女の言葉は俺の心に深く刻まれ、『呪い』となった。
彼女のことを考えると胸の真ん中にぶっとい槍に貫かれたような痛みに襲われ、食事もろくに喉を通らず、一週間もたたないうちに体調を崩し、倒れ、救急車で運ばれてしまう始末だった。
恋の病の傷を癒すには時間しかない。次第に食事もとれるようになり体調は回復しバイトに復帰したが、彼女と一緒に働いた空間に彼女の陰を追ってしまう。
胸は痛んだが、ひょっとしたらまた彼女が来てくれるのではないかと淡い期待を抱き、苦しみながらもバイトはそのまま続けることにした。
本当に自分でも呆れてしまう程、諦めが悪くみっともない男だ。
俺のこのどん底に落ちた恋愛話を誰かに話したのは初めてだ。
どうせドン引きされ、気持ち悪がられるだろうと思い、リンカの方に目をやった。
涙が零れていた。
俺のではない。リンカの目からボロボロとしずくが溢れ、零れていく様に動揺した。
「わかる……好きな人に振り向いてもらえなくて辛いよね? 苦しいよね?」
俺の目からも涙が零れた。零れてしまった。
そして子どもの様に声を上げて泣いた。
そんなみっともない俺をリンカの腕が包み込む。柔らかく、女性特有の花のような甘い香りに包まれる。
「よしよし」
年下の女の子の腕に包まれ、子供の様に頭を撫でられる。
どのくらいその状態であったか、泣き止んだ俺の耳に甘い声が囁かれる。
「ねぇ、わたしと一緒に……寝よ?」
俺はまるで操られるように手を引かれベッドの上に腰掛ける。リンカは肩に羽織っていたストールを外し、ラフな格好へとなる。
ランプだけの頼りない明りが照らし出すリンカはやたら艶やかに見えた。
身体がフワフワする。まるで自分の身体じゃないみたいだ。
リンカの肩を抱き寄せる。
うわっ、女の子の肩ってこんなに細いの? 少し力を入れたら壊れてしまいそうなほど頼りないし柔い。
お互いの顔と顔が、唇と唇が近づく。
何故だろう、部屋に来たときはドキドキしてたのに、今はやたら冷静で頭がすっきりしてるぞ。
しかし、そこで気が付いた。リンカの瞳の中に俺の姿が映っていないことに――
顔はこちらに向けているが、視線は自分の背後を見ている。俺の動きが止まってしまう。
「……どうしたの?」
顔をそむけた俺に疑問を抱いたリンカが聞いてくる。
「止めよう……お前、今でもリョーマのことが好きなんだろ?」
「…………」
リンカは何も答えない。その沈黙こそが答えなのだろう。
「俺にあのイケメンの代わりなんてできない。このまま続けてもお互い傷つくだけだ」
リンカも俺も心が傷ついている。その二人が一時の感情に流され傷を舐めあってもろくな結果にならない。そう考えた俺はベッドから降り出口へ向かう。
「あんたバカだよ。せっかくただでやらせてあげようって言ってるのにさ」
「そうかもな……自分でもバカだと思うよ」
俺は振り返ることなく扉を閉めた。