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お華の髪飾り  作者: 本隠坊
8/37

⑧父の遺言

(1)

 

 天保十一年。師走のある日。

 朝方、お華は屋敷に呼ばれた。

 庭から回り、

「おはようございます。兄上、姉上。寒くなりましたね」

 などと言いながら、居間に上がり、障子を、身体分明けて、中に入る。

「おはよう、お華ちゃん」

 おさよは和やかだが、少々暗い顔で、お茶の用意をする。

 既に、同心の格好で座っている、浩太郎の正面に座ったお華は、

「兄上。朝っぱらから何です? 御用ですか」

「そうじゃ」

 と頷き、些か厳しい顔で言う。

 それを聞いて、おさよはますます複雑な顔で、茶をお華に出す。

 そんな、妙な雰囲気に気付いたお華は、二人の顔を見て、

「なに、朝から夫婦喧嘩でもしたの?」

 浩太郎は、些か渋い顔で、

「喧嘩ではない。お前の事を思っての事じゃ」

 と、妙な事を言われ、

「あたしの事? 一体何よ」

 浩太郎は一つ、深い溜め息を吐き、お華に向かって、

「改めて、お前に聞く事がある」

「はい」

「お前は、お手先。この先も、辞める気はないんだな」

 お華は、首を傾げ気味に、

「何、今更? 辞めないって言ったでしょ」

 とお華は、明るく言うのだが、今度はおさよが、深い溜め息をつく。 

 すると浩太郎が、

「これは、俺の意思では無い。もしお前が、このままお手先を続けると言うならば、守らねばならん事があるのだ」

 お華は少し驚き、上目遣いで、

「な、何なんです?」

 浩太郎は頷き、

「本日これから。お前は、伝馬町の処刑を見なければならないということじゃ」

 浩太郎は静かに言った。

 お華は衝撃の顔で、思わず叫ぶ、

「え~、し、処刑?」

「そうじゃ。打ち首を、一度は見なければならんのだ」

 お華は慌てて手を振り、

「ち、ちょっと兄上。あたしをからかっているの?」

 浩太郎は、静かに首を振り、

「本来なら、そんな必要は無い。お前は深川の芸者だからな」

そして腕を組み、

「だが、お前はお手先として、お奉行から許可を貰い。我が家の稼業をやると言ってしまった。手先と言っても、実際、妹である以上、俺とほぼ、変わらない立場だ。そうなると、お前は、我が家の掟に従わなければならない」

厳しい顔で、話す。

「掟、ですか?」

 言いながら、お華は眉を寄せる。

 浩太郎は頷き、

「そうだ。そしてこれは、お父上のご遺言でもあるのだ。代々、受け継がれた事であり、父上もこの事、言い残して逝かれた。同心もお手先も、人の命を左右する職。もし間違った調べをし、無実の者を罪に陥れる様な事の無い様に、との戒めのためじゃ」 

 お華は、目を大きく開き、

「お父上の遺言ですか……」

 この言葉は、この時代の人にとっては、かなり大きいものだ。

「そう、お父上は死の間際、私に言い残した。今後、町回りの同心、またはお手先を継ぐものは、必ず一度は見せるように。とな。事実、俺も見ている。そして、親分も平吉さえもだ。女だからといって、これは逃げられぬ」

 それを聞いて、肩を落とした、お華。

 そのお華の、隣に座るおさよが、

「お華ちゃん。今ならまだ間に合うわ。辞めてしまいなさい」

 と、お華の手を握り、心配そうに言う。 

浩太郎は続けて、

「父上とて、まさかお前が、手先になるなんて、お考えになってなかったであろう。だから、本来これは、将来の我が息子に向けて言ったことなのじゃ。しかしな……。それと、もっと大事な事は。もう少し時を置いてから、と言うことも出来なくなってしまったのじゃ。お前は武家の娘として、今、決めねばならない」

 おさよが、それは聞いていなかったらしく、

「そんなすぐに?」

 浩太郎は大きく頷き、

「そうなのじゃ。些か早く、沙汰が降りてしまった……。実は、本日処刑になるのは、お前の(かたき)、左逆袈裟なのだ」

 これには二人とも、大きく驚愕した。

 お華が、大きく目を開き、

「あれが、もう……」

 と目を瞑り、下を向く。

「そうなのじゃ。もしお前がただの芸者ならば、俺が確認し、お前と隣の先生に、後で報告すれば良いことだ。しかし、お前自ら手先として捕らえ、そして、これからも変わらない以上。お前は敵の最後まで見届ける責があるのじゃ。わかるだろう」

 お華は頷いたが、言葉が出ない。

「ということじゃ。さて、そこまで聞いてどうする? すでに昨日。牢屋奉行の石出帯(たて)(わき)様には、遠山様の沙汰を、与力様がお伝えしている。ご足労ながら、おさよの父上様にお手伝い頂き、同行の上、お前の見学をお届けしている。もう、お前は行くだけで良いことになっている。後は、お前の決断一つじゃ。あまりお待たせする訳にはいかん。お前の思いを聞かせよ」 

 おさよが、

「お父上もご存じなんだ……」

 と驚く。

 しかし、お華はまだ俯いたままだ。

 おみよは心配そうに見守る。

 しかし、そう時を置かず、お華は、大きく目を開けた。

 そして頭を上げ、

「お父上の娘として、女だからといって逃げる訳には参りません。そして、皆様のご厚意を、裏切るわけにはいきません。参ります」

 と、浩太郎に向かい平伏した。

 浩太郎は静かに笑い、おさよに向かって、

「やっぱり、そうなるって言ったろ」

 おさよはガッカリした顔で、

「そんなこと分かってましたよ。お華ちゃんだし」

「よし、決まった。では、一緒に伝馬町まで参ろう。お()()様が待ってらっしゃる」 

 と立ち上がった。


(2)


 お華は、暗い顔で同道する。

 そんなお華に、浩太郎は歩きながら、

「全くお前は……。今夜眠れなくなるぞ」

「え!」

「お化けが苦手な癖に。おみよが気の毒じゃ」

 お華は、下向き加減の青い顔で、トボトボ歩く、

「まあ、覚悟せい」

 二人はそんな話をしながら、八丁堀からそう遠くは無い、伝馬町牢屋敷の前に着いた。

 すると、

「お華~」

 笑顔の甚内が、門前で待っていた。

 浩太郎は、サッと近寄り、深くお辞儀をし、

「申し訳ありません。お()()様。やはりこういう事になり申した」

 と苦笑いすると、続けて、お華も、

「お義父様、本日は誠にありがとうございます」

 力なく、頭を下げる。

 甚内は手を振り、悲しげな顔で、

「辞めときゃいいのに……。まあ、しばらくの我慢じゃ。あっという間じゃ」

 そして浩太郎は、

「どうせ後で悔やむのに、本当に気が強くて。お父様にまでお手を煩わして、誠に申し訳ないことにございます」

「まあ、○○さんの遺言ではな。そう言えば、前もこんなことあったな、浩太郎殿」

 笑って言うと、浩太郎は、えらく慌てて、

「お、お義父様、どうか、その事は」

 手を合わせて、頭を下げる。

 ところが、お華は、どうも、その言葉さえ、耳に入らなかったようだ。

 緊張でそれどころではない。

 甚内は「ふふっ」と笑いながら、

「では参ろう」

 と、大門脇の小扉を開けた。

中に入ると、牢屋敷。やはり、広い敷地だ。

 浩太郎は先頭で、中の牢屋同心などに、一々挨拶しながら進んでいく。

 お華は、その後ろに緊張した顔で続き、またその後を甚内が行く。

 左側に、牢屋が続く。逆側は、奉行の役宅である。

 やはり、独特の匂いが鼻をつく。

大牢、二間牢と庶民の牢が続き、その他、揚屋、揚座敷など、武士、僧侶など身分の高い者用の牢があるが、お華の方から、中を見ることは出来ない。

 一種異様な雰囲気であるが、それを振り払う様に、お華達は進んでいく。

 

 すると、お華の耳にいきなり、牢内と思われる場所から、

 題目(南無妙法蓮華経)が低い調子で、聞こえてきた。

 それも、相当な人数の声だ。

 それにはさすがに、お華も両手で、耳を押さえる。

 お華の恐怖には、抜群の音響効果である。


早足気味に奥に進み、刑場に入ると、ずらっと、床几が用意されていた。

 横一列に見届け人の与力、牢屋奉行などが座る席。今回は特別に、お華達用の見学席が、端の方に続いている。

 横から見る形で、距離的には、一番遠いとはいえ、正面は、正面なので、迫力満点である。

 甚内が、右横を指差し、

「あれが、処刑場だよ。お華ちゃん」

 と言った。

「あの穴の空いたところ。あそこに首が落とされるのじゃ。()(だまり)とも言う」

 続けて、指の方向を変え、

「そして、あそこの土盛りの所。あれが本来、土壇場と言う。あそこが()(ためし)()(よう)で、死体が斬られる場所じゃ」

 と、聞いてもいないのに、丁寧に説明してくれる。

 はい。とは言うものの、お華としては、耳を塞ぎたいのを必死に我慢していた。


 ついでながら、今では、(ドタキャン)などと、普通に使う言葉だが、実は最高に、縁起の悪い言葉だ。

 下手すると、祟られるかも知れない。

 何しろ、一年で、約三百人の処刑者が出たという場所だからだ。

 現在、その場所は、大安楽寺という寺になっていて、伝馬町十思公園、横にある。


 ところで、何故か、浩太郎はずっと黙ったままだ。

 お華は、それどころではないので、全く気にしていないが、甚内は笑みを零す。

 暫くすると、整った白地装束の一段が、処刑場に入ってきた。

 すると甚内が、

「お華ちゃん。あの先頭の男。あれが、当代、山田朝右衛門だ」

 と、紹介した。

 さすがに、その名前だけは知っていたお華は、その男をジッと見詰める。

 彼は、七代目、山田朝右衛門吉利である。

五代目までは、(浅右衛門)であったが、それ以降は朝右衛門と変えている。

 当主らしく、威厳を備えた顔で、弟子達を率いて進んでいる。

 弟子達先頭の一人は、刀らしき包みを、頭上に掲げる様にして進んでおり、後の者もいくつかの同じく、刀らしき包みを携えている。

 御様御用に使うのだろう。

 腰物奉行に依頼された、将軍の佩刀だけでなく、大名、旗本などの依頼による刀も同時に行う。

 浩太郎は、難しい顔で睨んでいる。

 千住の事が、頭に浮かんだのかも知れない。

 お華は浩太郎に、

「あの人も、妙な雰囲気、持ってるわね」

 と囁くと、浩太郎も頷く。

 この男、身分は浪人なのだが、老中水野忠邦とも懇意で、剣の鑑定話など、呼ばれて披露もしていたと言われている。


 さて、暫くすると、お華の耳に町奉行与力の声が聞こえてきた。

 お華達が座っている所から、丁度、建物挟んで反対側からである。

 罪人を縄付きで座らせ、どうやら罪状と罰を、言い渡しているようだ。

 既に、聞こえていた囚人達の題目は、いつの間にか消えていた。

 静寂な空気が流れている。

 予定の行動が終わった与力が、こちらの席に着き、全ての人間が位置に着くと、大勢の人数が前後を挟み。

 逆袈裟の男が、後ろ手に縛られながら、通称、地獄門を進んできた。

 逆袈裟の男は、その途中、ふと、横を見た。

 すると丁度、お華と視線が合ってしまった。

 お華の目が、大きく広がる。

 深川で見た時より、更に窶れた様子で、お華が一瞬、同一人物かと疑う程であった。

 一方、目のあった逆袈裟の男は、すぐ気付いたようだ。

「あはは」と声を上げながら、処刑所に向かって行く。

 その声を聞いた、お華の気持ちはどうだったであろう。


 逆袈裟の男も所定の場所に座ると、男は面紙を断った。

 これは意識を乱さぬ為の物だが、武士として、最後の意地なのかも知れない。

 そして縄付きのまま、係の者に着物の上を脱がされ、両方から、肩と足を押さえつけられて、首を前に出すように、上半身を折っていく。

 それをジッと見詰めるお華。

 そして刀に水を掛け、横に朝右衛門がスッと立ち、補佐役の侍が反対側で、膝を突いた途端、空気が変わった。

 

 それは一瞬だった。

 振り下ろした刀に、引き摺られ、

 首からの血潮が、煙のように、そして、妙な音を出しながら、吹き出るのが、お華の目にも見えた。

 お華は即座に、目を閉じ。顔に手を当て、俯く。

 押さえつけていた男達は、首無しの遺体を、穴の中に放り込む。

 出血を出し切るためだ。

 これで、処刑は終わった。

 お華には、やはり血煙の様子は衝撃的であった。

 さて、その遺体はこれから、試し切りに使われるのだが、

 甚内が、やにわに立ち上がり、

「これで良かろう」

 と、二人を促し、席を立った。

 三人は、早々にお礼と、挨拶を済ませ、伝馬町を後にした。

 お華には、衝撃の様子がありありと出ており、足下がおぼつかない。

 屋敷への帰り道も、沈黙のままだ。

 その様子を眺め、浩太郎と甚内は顔を合わせ、苦笑する。

 そして浩太郎が、

「お華、お前。これから我が家に寄って、おさよに塩を振って貰ってから、優斎先生にご報告せよ。そしてお礼も忘れずにな」

 と言い残し、屋敷前で別れた。

 二人は、奉行所に向かったようだ。


(3)

 

 お華は、とりあえず屋敷に戻った。

「姉上~。戻りました!」

 と、掠れた声で言うと、塩壺もって、おさよがやって来た。

「お華ちゃん! 大丈夫?」

 お華は力なく頷き、

「だ、大丈夫……だと思う」

 おさよは塩を若干多めに、まるで、お華の簪の様に、打ち付けるように振ってやり、

「そう? じゃ、これから先生ね」

 お華は、頷き、

「ありがとう。じゃ言って来ます」

 と、明らかに元気が無い。

 頷くおさよだが、立ち去るお華の後ろ姿に、悲しげな笑顔になってしまう。

 

 立ち去るとは言っても、隣だから、多少よろけながらも数歩で、優斎の家の前に立ち、大きく息を吸って、

「先生!」

 と、言いながら入っていった。

 患者の居なかった優斎は、突然のお華の訪問に笑顔で迎えたが、その元気の無い顔を見て、

「おや、お華さん。どうなされた?」

 すると、

「先生。先生にご報告と御礼がございます。お邪魔して宜しゅうございましょうか」

 などと、改まった言い方をするものだから、優斎は驚き、

「あ、はいはい。では、こちらに」

 普段は、医療場として使っている居間に、導いた。

 そして優斎は、

「どうなされた、お華さん」

 あまりの様子に、心配そうにお茶を出すと、

 お華は、突然真剣な顔で、平伏するものだから、胡座の優斎は慌てて座り直した。

「先生、妹様の仇の件で、ご報告がございます」

「え? あ、はい」

「実は本日。伝馬町牢獄におきまして、斬罪と相成りました。獄門となった様です」

「なんと!」

 優斎は、さすがに驚いた。

「私と兄が、間違いなく子細、見届けました。優斎先生には、ご協力の御礼と、仇討ち成就のお祝い申し上げます」

 お華は、顔を伏せたままだ。

 優斎も、これにはさすがに、平伏し、

「これは、わざわざのお知らせ。仙台の母と兄も、さぞや喜びましょう。誠にありがとうございました」

 礼を述べたあと。首を傾げ、

「しかし、お華さん。なぜあなたまでが、立ちあったのです」

 お華は、身体は起こしたが、伏し目のままで、

「はい。私はお先手になりましたし、私の敵でもございますから……」

 優斎は、なるほどといった様子で、

「そうでしたか、それはそれは、誠にご苦労な事にございました」

 と言うと、お華は即座に、座を立った。

「お華さん、もう行かれるので?」

「はい、私の父母にも、報告に行かねばなりませんから……」

「ああ、それは、そうですね。本日はありがとうございました」

 お華は、寂しく笑い。

「いえいえ、こちらこそ。それでは失礼致します」

 頭を下げ、さっさと行ってしまった。

 優斎は渋い顔で、

(あれを、実際に見たのか……。それでは……)

 何とも言えぬ顔で、お華の心を思いやった。


 それから夕刻になり、浩太郎が戻ってきた様だったので、優斎は、買ってきていた酒樽を持って、屋敷に向かった。

 優斎は、浩太郎の前で平伏し、

「お華さんから、ご報告を頂戴致しました。この度は誠にありがとうございます」

 との言葉から、ちょっとした宴になった。

 佐助も呼ばれ、優斎の横に座る。

 優斎は、

「いや~、驚きましたよ。まさかお華さんに、あの話を聞かされるなんて」

 浩太郎は、頷き、事の次第を語る。

「なるほど。お父上の……。それでは、厭だとは言えないでしょう」

 優斎は少し、苦笑いとなる。

 おさよが、つまみを持ってきたので、手を叩き、

「ああ、昨夜。言い争っていたのは、この事でしたか」

 この言葉に、浩太郎とおさよは顔を合わせ、浩太郎が恥ずかしそうに、

「お、お聞きになってましたか」

 優斎は、手を振り、

「そりゃ、あれだけ言い合ってたら、さすがに聞こえますよ」

 と言われ、二人を除き、大笑いとなった。

 おさよは、

「私は、いくらお父様のお言葉とは言っても、そこまでする必要は無いのでは、と思ったものですから」

 こちらも恥ずかしそうに、ポツリと言う。

 優斎は笑って、

「それも正しゅうございます。お父上様も、お華さんの事までは全くお考えでは無かったでしょうしね。ただ、この辺は難しいところです」

 すると浩太郎が、

「そうだよ先生。俺だって、好きで連れてった訳じゃないんだ」

「そちらも正しい。要するに、解決しないことを言い合っていたと……」

 すると佐助が、

「私もお珍しい事だったんで、驚きまして。思わず、先生のところに行って、止めて貰おうかと思ってました」

 すると優斎が、大笑いして、

「それはご勘弁を。このお二人が小太刀でも取り合ったら、いくら私でも止められませんよ。下手するとおさよさんに、足をバッサリだ」

 これには、佐助と二人で大爆笑だ。

 その二人は、恥ずかしそうに下を向く。

 そして優斎は、

「まあ、これはお二人がどうというより、全てはお華さんが選んだ事。結局、これはお華さんの自業自得ということですかね」

「そうだよ先生」

 四人は和やかに納得した。

 

 すると浩太郎が、少し気になったのだろう。

「すまんが佐助。ひとっ走り、置屋に様子見てきてくんねいか? どうせ、布団にくるまって寝てんだろうけどさ」

 佐助は、大きく頷き、

「わかりやした」

 というと、おさよも、

「ごめんね佐助さん。帰ったら食べる物は用意しておきますから」

「ありがとうございます」

 と、彼は早速、屋敷を出た。

 さすが韋駄天、佐助。

 あっという間、という具合で戻って来た。

 ところが、

「旦那様、奥様。お華様はまだお帰りではないようです」

 庭先に掛け入った佐助が、大きな声で報告する。

 さすがに、座って酒を呑んでいた三人は驚く。

おさよが、

「え? お華ちゃん、まだ帰ってないの?」

 すると、

「あの馬鹿者……」

 と、浩太郎は酒を呷る。

「どこ行っちゃったのかしら」

 のおさよの言葉に、優斎が目を開き、

「分かった。多分、すみやじゃ無いですかね」

 と言うと、浩太郎も、

「それだ!」

 と頷く。


 みんな暫く黙っていると、おさよが、

「仕方無い。私が行ってきますよ」

 じゃ、私も。と言う佐助に、

「大丈夫、まだこの時刻だし」

 と言うおさよは、仕度を始める。

「そりゃそうだ。夜中でもな」

 小声で笑う、浩太郎と優斎。

 そして浩太郎は、

「どうせ飲んだくれてんだろ。親分には悪いけど、そのまま寝かしてくれるように頼んでくれ」

「わかりました。じゃ、先生すいませんが、ゆっくりなさって下さい。佐助さん。食べ物とお酒は台所に用意してありますから、あとお願いね。それでは行って参ります」


(4)


 その頃のすみや。

「もう一杯頂戴!!」

 小上がりの窓に側に寄りかかりながら、叫ぶお華。

 眉を寄せ、困った顔のおていが、

「お嬢様、大丈夫ですか?」

 心配そうに言いながら、お酒を運んでくる。

「大丈夫、大丈夫!」

 とお華は言い放つのだが、とてもそうではないようだ。

 お華の傍らには、ニコニコして、小さいお千代が寄りかかっている。

 さすがに、親分夫婦と平吉は、心配そうに眺める。

 こんな調子だから、とっくに店は閉めている。

「親父、どうするかね」

「まずは、お屋敷にお伝えしなければならないだろう。平吉、お前。悪いが、行ってくれねえか」

 と親分が言ったその時、戸が開いた。

 おていが、

「すみません今夜は……」

 と言った時に、おさよの顔を見て驚いた。

「こ、これは奥様!」

 おさよは、お華の様子を目にすると、

「あらあら、やっぱりここだった」

 親分達は慌てて、一斉に頭を下げ、

「これはこれは、奥様自ら。誠に申し訳ありません」

 と言うのを、手で制止し、

「ごめんね、みなさん。ご迷惑かけて」

 小さく頭を下げる。

 平吉が、

「とんでもございません、ご連絡が遅れて申し訳ございません。今お伺いしようと思ってたとこで」

 おさよは、笑って手を振り、

「全くね。この子は、ほんと行き倒れが好きだから」

 と笑う。

 そして壁に支えられて、いつの間にか眠っている、お華と、その膝に頭を乗せて、これも眠っているお千代の横に腰掛ける。

 おていが、お茶を運んできて、そして、少し離れた、土間の腰掛けに座る。

 おさよは、お千代の頭を撫でながら、

「やっぱり、ずっと飲んでたの?」

 お千代を起こさないよう、小さい声で聞くと、親分と平吉も、反対側に腰掛け、

「ええ、夕刻近く、ふらっといらっしゃって。さすがに様子がおかしかったんで、伺ったんですけど、それには黙るばかりで……」

「あはは。そりゃ言いにくいかな。実はね。今日御用ということで、伝馬町行ってさ」

 親分と平吉は、眉を上げて驚いた。

 そして親分が、

「伝馬町って、まさか、お華様をですか?」

「そうなのよ。親分達も経験あるんでしょう?」

 二人は大きく頷いて、親分が、

「なるほど、それでこんなに。やっとわかりやした」

 と少し笑顔になる。

「私は反対したんだけど、この子もさ、強情だから。こんなことになるのは分かっていたんだけどね」

 今度は平吉が、

「さすがに、あんなの初めて見たら、酒でも呑みたくなります。でも、それなら安心しました。私にも覚えがありますから……」

「大体、お手先、辞めれば済む話なのよ。ところがさ」

「どうなされました」

 と、親分が心配そうに聞くと、

 おさよは、お茶を一口飲み、

「あのね、悪いことに今日の処刑っていうのが、あの例の、逆袈裟って男だったものだから……」 

 それには、二人が驚愕した。

 そして親分が、

「そいつはいけねえ。それじゃお華様は、引くにも引けねえ」

「そうなのよ。余計な時にさ」

「なるほど、処刑見て、優斎先生にご報告して、墓参りして」

 親分は下を指差し、

「で、ここって事ですか」

 おさよも頷き、

「そういうことよ」

 皆は、静かに大笑いになった。


 すると、おさよが、

「あ、そうそう。今日は私の父上も、お華ちゃんに付き添ったらしいんだけど、それにも驚いちゃったのよ。いくら何でも、あの父がって……」

 すると、親分は不思議な顔で、

「おや、奥様はご存じありませんでしたか? 甚内様は、高積のお役ではありますが、一時、伝馬町のお役もお勤めだった事がお有りになるです」

 と言われ、おさよは大いに驚いた。

「え? あの父が?」

 親分は頷き、

「そうですねぇ、奥様がお生まれになる前の事でございましたかね。ですから私の時も、平吉の時も付き添って頂きました。中々度胸のお有りの方です。まあ、我が娘に自慢しておっしゃるような事ではないでしょうから、ご存じ無いのも、当然かも知れねえです」

 と笑いながら、茶を飲む。

「へ~。それは驚いた。あの父がね~」

「お聞きしたところ、あれは慣れだよ。と笑っておいででした」

「そうなんだ」

 意外な話に、おさよは微笑んだ。

 すると親分は、笑いを堪えた様子で、口に手を当て、

「これまで、一番大変だった方ご存じですか?」

 などと聞くので、

「大変だった人? 一体どういうこと?」

 親分は、妙に嬉しそうな笑顔で、

「実は、これまで、あれ見に行くのを一番嫌がったのは、若様でございますよ」

 それには、おさよも、えらく驚いた。

「え! あの人が?」

「奥様のお父上様も、憶えておられますでしょう」

 親分は続けて、

「あの時は、私も後ろに寄り添って行ったのですが、もう大変。嫌だ、嫌だと大騒ぎなさって、大旦那様と甚内様がなだめすかして、そりゃ、引き摺る様に」

 と大笑いした後、

「その後、あまりの事に、暫く、お奉行所をお休みなさっていたのでございます。それに比べれば、お華様など、大したものでございます」

 それには、皆で大笑いである。

 すると、さすがにお千代が目を覚まし掛け、

「う~ん」

 を唸ったので、おさよが「ごめんね~ごめんね~」と言って宥めると、

「全く、あんなに偉そうに言っといて情けない」

 すると慌てて親分が、

「大旦那様も、我が嫡男のくせに情けない、と仰ってました。でも奥様、これはご内聞にお願いします」

 と、二人で静かに笑う。


(5)

 

 同じ頃、屋敷では、猪口を片手の浩太郎がいきなり、

「しまった!」

 と叫んでいた。

「どうしました?」

 優斎も、幾分酔った顔で笑う。

「親分が知ったら、みんなバレちまう」

 浩太郎は頭を抱え、

「あのな、伝馬町。一番怖がっていたのは、実は俺なんだ……」

 それを聞いた二人は、押さえながらも大爆笑である。

「お華お嬢様よりですか?」

 佐助が言うと、浩太郎は頷き、

「帰ったら、絶対言われる……」

 優斎が微笑んで、

「そりゃ、仕方無いですよ。あんなもの見て、喜ぶ方がどうかしてます」

「それはそうなんだが、さすがに俺はな……」

 そう、打ち首は本来、奉行所の番方同心の役目だからである。

 浅右衛門は、御様御用の為、金を払ってまで、打ち首を代わっている。

 浩太郎にとって、実は、ありがたい事かも知れない。

 しかし……、

「ああ、まあそれも分かりますがね」

 優斎は、含み笑いで言うが、浩太郎は、頭を抱える。


 一方、おさよの方は、

「じゃ、親分。みなさん、今夜はこの子泊めてくれる? 私は戻ります」

 と座を立つと、おていが、

「はい。今夜はお千代と私が一緒に二階で。ご心配なくと若様にお伝え下さいませ」

 頭を深く下げる。

 それに笑顔で答えるおさよに、

「それでは、あっしがお送り致します」

 と平吉が言うと、

「いえ、私は大丈夫。悪いけど、それより、置屋に伝えてくれないかしら。あちらでも心配なさってると思うから」

「そ、そうですかい」

 と、平吉は戸惑ったが、相手がおさよでは、送るのか送られるのかわからない。

 少し笑って、

「そりゃ、そうですね。承知しました。早速お伝え致します」

 そう言って二人は、すみやを出た。


 暫くたって、

「只今戻りました。みなさんごめんなさいね」

 と言って、屋敷に帰ってきた、おさよを、「いえいえ」と言いながら、些か緊張気味で、三人はその姿を見詰める。

「お、おうご苦労。やはり、すみやだったか」

 と、これも、何やら伺うように言う浩太郎に、

「ええ。行き倒れてました」

 と笑い、

「今夜は泊まるようお願いしてきました」

「そ、そうか」

 すると、おさよが、

「あ、私、これから父上の所に行って、お礼とご報告をしなければ」

 顔に、少々冷たさが漂う。

「え? 父上に?」

「ええ、それと、嫡男が出来たら、どうすれば良いのかお聞きしなければ……」 

 と言い捨て、また玄関に向かった。

 それを見送った三人は、眉を上げる。

「バレてる……」

 と浩太郎は再び頭を抱える。

 優斎も、

「バレてますね」

 と佐助と一緒に頷き、また、忍び笑いになった。



~つづく~

 物語は、第2部といった所です。

 これからお華達は、改革の渦の中に、巻き込まれていくわけですが、今回は、その序章。

 少しだけ、伝馬町牢屋敷を書いてみました。

 奉行所を書く以上、こちらも書かないと、片手落ちの様な気がしまして……。


 私は別に、霊感が強いわけではありませんが。

 伝馬町駅近くにある、十思公園。

 行ってみると、気のせいか、少々異様な感じが伝わります。

 大安楽寺は特に。

 なにしろ、血溜の所ですから……。

 一応、申し訳程度の牢屋のミニチュアや、ここで斬首になった、吉田松陰の石碑などがあります。

特におすすめしませんが、江戸時代に興味のある方と、霊感の強くない人は是非(笑)

 それでは、今回もありがとうございました。

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