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お華の髪飾り  作者: 本隠坊
5/37

⑤天変地妖

(1)

 

 浩太郎達は、一つの厄介事が片付き、ようやく子供の行方に本腰を入れる事になった。

 翌日、もう一度範囲も広げ、聞き漏れている船宿や、青物を商売している連中を片っ端から調べ直す事にした。

省蔵親分は、若い者達を休業中のすみやに集めた。

 若い者と言っても、下っ引きと言うより、不良連中と言った方が正しい。

 どれも貧乏人の倅で、省蔵が何かと世話を焼き、正業に着くよう指導している者達である。

 ただ、何か大きい事件があったときには手伝ってくれるよう頼んでいた。

「お前達。度々で済まないがもう一度、今度は、少し範囲を広げて船宿、舟を扱う商人の連中など、舟を扱う者達に、当たって貰いたい」

 などと大声で言っていると、そこに突然、

「こんにちは。あら、大勢ね~。捕り物の相談?」

 と言いながら、お華がのぞき込みながら

店に入ってきた。

 省蔵、平吉はともかく、若い連中は皆驚いた。

 なにせ芸者が、そのままの姿でニコニコしながら入って来たからだ。

 さすがに省蔵は、お華に近寄り小声で、

「お嬢様。若様もいらっしゃらないのに、こんな所にいらしてはいけません。ご身分に関わります」

 少々困った口調で言うと、お華は笑って、

「あら、親分。芸者じゃ、ご身分も何もないでしょ? それに私はお手先よ」

 省蔵は頭を抱え、

「はあ~、仰る通りなんですが……」

 若い者達は、突然のお華の登場に驚き、そして訳が分からず苦笑してざわついている。

「親分。丁度良いわ。私のこと紹介して頂戴」

 と、更に困った事を言われ。省蔵はお華の父、段蔵の顔が頭に浮かんだが、腹をくくった。

「突然のことで皆、驚いただろうが、この方は、お華太夫と仰る深川の芸者だ」

 お華は笑顔で、チョコと頭を下げた。

 若い者達は、お華太夫と聞き、更に声を上げて驚く。

 若者などには特に憧れともいえる。

 深川一の芸者がなぜここに? との疑問が当然湧く。

「しかし、実はこの方は、同心の旦那、桜田様のお妹様である。お奉行様のご意向で、隠密の探索をやってらっしゃる方だ。決してご無礼があっちゃならん!」

 省蔵としては、少々大袈裟に言った。

 お華は、

「あら、隠密なんて、良いじゃない?」

 と笑いながら、

「そう私は、親分と同じお手先よ。でも、同心の妹だからね。芸者の格好で内緒でやってるの。みんなもよろしくね。あ、ただ、親分も言ったように、絶対内緒よ。喋るとホントの隠密同心に捕まるわよ」

 お華は、少々脅かし、嬉しそうに言った。

 だが、若い者達は、それを聞いて、少々緊張し始めた。


 お華は、自分の事件が無事解決したものの、少々しくじったこともあって、親分を手伝おうとやってきたら、この様な集会に出くわしたという訳だ。

 突然のお華登場で少々混乱したが、省蔵は気を取り直し、

「それでは、さっきも話した通り、船宿・下り船・駕籠を乗せた不審な男を急ぎ調べて貰いたい。頼んだぞ」

 と言う言葉を聞いて、お華はあることを思いついた。

「みんな。これはお奉行様直々のご命令による探索なの。早く決着がついたら、みんなを深川の料理屋に招待してあげる。今日からみんなはお華の会の仲間よ!」

 この、思わぬ言葉に若い連中は顔を見合わせ、一斉に気勢を上げた。

 不良と言っても、まだ料理屋なんぞで飲める年頃の者達ではない。

 それは、とても魅力的な申し出だった。

 すると、その中のひとり、寛太というまだ十三、四ぐらいの若い男が、

「姉さん姉さん、芸者さんも来てくれるので?」

 嬉しそうに聞いてきたので、お華は、

「あったり前でしょ。私はお華太夫よ」

 と胸に手をやり言うものだから、みんな大騒ぎだ。

 省蔵と平吉は、どうして良いかわからず、口を開けている。

「でもね。みんな! この一件は、小さい子供達の命が掛かってるの。それも頭に入れておいてね。グズグズしてると死んでしまう。あんた達も寝覚めが悪いだろうし、そんなんでお酒飲んでも美味しか無いからね」

 若い者達は、これまた一斉に、

「へい! 承知しやした」

 と次々、外へ出て行った。

 それを見送ると、平吉がお華に、

「お嬢様、大丈夫ですかい? あんな事言って」

 心配そうに聞くと、

「大丈夫、大丈夫。足りない分は兄上に出させるから」

 と言うものだから、省蔵は意味ありげに、

「いや~、御先代様にそっくりですよお華様」

「あら、そう?」

「昔、同じ様な事をおっしゃって若い者達に呑ませてやったりしてましたよ。ただ、ここ(すみや)でですけどね」

 と苦笑する。

「まあ、それは嬉しいことを言ってくれるわね」

 お華も笑うが、省蔵は続けて、

「ただ、若様はお怒りになるでしょうね……」

 途端に、お華の顔が曇り、

「まあ、それは面倒なことを言ってくれるわね」

 と三人は大笑いだ。


 さてそれから、お華も手伝い、深川の知り合いの船頭にも声を掛けて、隈無く聞いて貰った。

 さすがに、お華太夫の頼みともなると、深川は、あっという間に情報が集まる。

 そして、料亭招待が掛かった若い連中は、さらに気合いが入って、本所だけでなく、向島、木母寺あたりまで聞き回り、ドンドン様子が知れてきた。

 そのおかげで、これまで分かった事柄はますます事実として固まってきた。

 しかし、こうした派手とも言えるやり方は、逆に相手の耳にも入りやすい。

 その男は、ある船宿の陰で、そこの船頭と若い男達の話を密かに聞いた。

「とっつあん。駕籠を舟に乗せた妙な舟見たことないかい?」

「妙な舟? う~ん」

と話している、どうも我が身の事を聞いているような男達を発見した。

 男は、危険を感じたのだろう、直ぐに走って、背駕籠を橋の下の奥に隠し、そして今度は、自分を探っていた男達の後を追う。

 道々様子を窺っていると、間違いなく自分のことと悟り、二人の内、偉そうな奴を選び、その男の跡を付けた。

 付けた男、それは平吉であった。

 跡をつけられていることに気付かなかった平吉は、そのまま、すみやに戻ってきた。

 すると、戻ってきた平吉に、幼いお千代が笑顔で飛びついてくる。

 それで、全てが決まった。


(2)

 

 翌日。

 蔵前のすみやでは、男手が無いため、朝方、支度にてんてこ舞いだった。

 幼いお千代は、店の隅で一人遊びをしている。

 すると突然、調理場の奥で悲鳴が上がった。

 省蔵の女房お﨑の声である。

「おかあさん?」

 不審な男は、続いて店にも入り込んできた。

 おていはその不審な男を見て、慌ててお千代を庇おうとするが、 その背後から棍棒の様なもので殴りつけられてしまった。

 その男は、倒れたおていを一顧だにせず、座って恐怖で泣いているお千代の口を汚い手拭いで口を塞ぎ、麻袋に押し込み、手荒く抱きかかえると裏から出て行った。

 何とも素早い手際である。

 おていは、

「お千代……」

 と、微かに呻いて、気を失った。


 その知らせが奉行所に届いたのは、暫く経った後である。

 浩太郎は、省蔵親分と一緒に、屋敷を襲った浪人連中に事情を聞いていたところだった。

 そこに、すみやの近所の者が、省蔵に知らせにやってきたのだ。

 省蔵から、状況を聞いた浩太郎は、顔面が凍り付く。

 しかしすぐ紅潮して、

 悔しさのあまり横の戸板を殴りつける。

「油断した!」

 省蔵も涙を流し、しゃがみ込んでしまった。

 すぐさま浩太郎は、省蔵達を現場に走らせ、佐助をお華の所に使いにやった。

 浩太郎もすみやに急行すると、お華は既に、医者優斎と一緒に居た。

「あたしは、ここに来るところだったのよ。途中で佐助さんに会ってね。話を聞いて急いできたら……」

浩太郎は頷く、省蔵が、

「女房やおていは、頭を殴られて気を失っていたようにございます。優斎先生のおかげで、外科の医者に運ばれておりました」

「どこだ」

 すると、優斎が、

「それは私がご案内しよう。たまたま私が往診の途中、昼を取りに来たら、おかみさん達が倒れていたので、この近くの存じ寄りの外科に運んだのだ」

「ありがとうございます先生。それで様子は」

「何か棒の様なもので殴られた様だ。命には別状無いと思うが、しばらくは動かせまい」

「そうですか。それは助かった」

 浩太郎は、目を閉じ、胸を撫で下ろした。

「しかし、浩太郎さん。お千代坊が」

 という優斎に、怒りの目で頷き、

「とりあえず、その外科へ」

 優斎が皆を引き連れて向かう。

 医者宅では二人が並んで寝かされていた。

「打撲などの得意な医者です。発見が早くて良かった」

「よかった!」

 とお華も様子を見て笑顔になった、安堵したようだ。

 すみやが襲われた以上、下手人も、調べが進められている事に気付いたに違いない。

 このままではお千代は疎か、他の子供も危ない。

 しかし、まだ居場所も特定されていない以上、動き様がない。

「どうしたらいいのか……」

 と浩太郎は、腕を組み沈思しているが、良い考えは浮かばない。

 病室では、優斎とお華が、静かに病人二人を見守っている。

 するとそこに、千住へ行っていた平吉が、血相変えて飛び込んできた。

「おてい! おっかさん!」

 店の有様を見、近所で聞いて、慌てて飛んできたのだろう。

 枕元に近寄ったが、気を失っている状態で返事は無い。

 浩太郎は、瞑目して頭を下げ、

「命には別状無いようだ。だが、平吉すまん。お千代が浚われた」

 平吉の目に、みるみる涙が浮かび、膝が崩れた。

 それを、横の省蔵がとっさに支える。

 しかし、悲しむ平吉に、浩太郎は聞かなければならない。

「しっかりしろ平吉。それで千住は、どうだったんだ?」

 平吉は、ようやく気を取り戻し、

「は、はい。残念ながら、所の親分に聞いたところ、最近江戸者とは思えない田舎者が河原に住み着いているとか、妙な臭いが立ちこめて困ってるといったものだけでして、他には何も……」

 浩太郎は落胆し、

「そうか、その程度か」

 とため息交じりに漏らした。

 しかし、それを一緒に聞いていた優斎が、浩太郎の横に来て、浩太郎の袖を僅かに引っ張り、別の小部屋に誘った。

 それを見たお華も、優斎達について行く。

「どうした先生」

「細かい事情は、先ほどお華様からお聞きしました。多数子供が浚われているとか。先ほどの報告は、その子供達の場所を示していませんか?」

 浩太郎は、優斎の意外な言葉に驚いた。

「え? どういう事だ先生」

「この様な事、子供の医者である私が申すのは本当に心苦しいの

ですが、浩太郎さんは、子供達が全て生きているとお思いですか?」

「それは……」

「弱い子供を、幾日も閉じ込めて居たとしたら、危害を加えずとも、それ程もたないでしょう。問題はその後です」

 浩太郎は、調べが遅れた自分を責め、

「く、そうだな。俺たちがぐずぐずしてるから」

 すると優斎は、

「違いますよ。亡くなった子供達が、教えてくれているんです。この時分、死んでしまったら早く火葬なり、しっかり土葬しなければ、かなりの臭気が立ちます。死んでいても教えてくれているんです。そして、今ならお千代坊だけで無く、助かる子がいるかも知れない。みんな待っているんですよ、あなたを」

 すると、離れて聞いていたお華が、

「うん。私もそう思う。もう迷っている暇はありません。それに賭けるしかありませんよ兄上」

 と寄ってきた。

 浩太郎は、一瞬の間を置いて深く頷き、

「よし。これからみんなで千住に行こう。悪いが先生。あなたも一緒に来てくれないか。手当する者が必要になるだろうから」

 優斎は、もちろん承諾する。


 早速、浩太郎は、平吉に舟で一足先に行かせ、千住の親分に事情を話して、その場所に人を張らせ、我々の案内を頼むよう命じた。

 そして省蔵は、蔵前近辺の船宿へ、舟の手配に駆けだす。

 浩太郎が皆を引き連れ道に出ると、

「おじさま!」

 とお華が声をあげる。

 道の向こうから源内が、従者も連れず歩いてきた。

 高積は、与力一人と同心二人役である。

 担当地域の商店や材木店などを廻り、五尺を超える積み荷などを取り締まる。

 将軍お成りなどが有る場合を除き、普段は比較的暇な部署である。

「おう。どうしたみんな集まって」

 と和やかに言いながら、近づいてきた。

 浩太郎が、

「おじさま。もし手が空いてましたら、手伝って頂けませんか」

 人は多いほど良い。

「なんだ浩太郎殿。捕り物か? 前に、助けて貰ったからな、何でも言ってくれ」

「ありがとうございます。あるいは捕り物になるかも知れませぬ。少々込み入ってますので事情は後ほど、とにかく、ご助力をお願い出来ればと思いまして」

 すると、源内は満面の笑みで、

「ほう、久々にやる気の出る話だ。先日は、おさよやお華に振り回されたからな」

 お華は、

(返事が、姉上と一緒だ)

 顔を背け、舌を出して笑っている。

 浩太郎も笑顔で、

「よろしくお願いします」

 と頭を下げた。

 

(3)

 

 浩太郎一行は省蔵が準備した舟に、二手に分かれて向かった。

 片方には、浩太郎と源内と省蔵親分。

 浩太郎が、事情を説明しながら、厳めしい表情で乗っている。

 もう一方は、お華と優斎、そして佐助の順番で猪牙ちょきに乗る。

 両国、向島を超えた辺りで、

「ここらへんは、初めてきたぁ」

 お華が、浩太郎が一緒の舟で無い事を良いことに、まるで行楽気分のように、背伸びしながら声を上げる。

 お華は芸者として、お客の送迎に舟を使うことがあるが、せいぜい向島辺りまでだし、その上、昼間に乗ることはあまりないので、つい言葉が出てしまったのだろう。

 それを聞いて、後ろで佐助が笑っている。

 お華は、真ん中に座って川面を眺めている優斎に、

「先生。先日はご無礼致しました。お助け下さろうとしていたのに本当に申し訳ございませんでした」

 改めて謝った。

 優斎は顔を向け、笑みを浮かべて、

「いやいや、余計な事をした私が悪いのです。もう気にしないで下さい」

「兄に聞いたんですけど、先生は、お武家だったんですって?」

 優斎は、頭を手にやり、

「はい。別に隠すつもりはなかったんですけど、まあ、武士の落ちこぼれですよ」

「でも、一刀流の免許をお持ちとか。兄から聞きました。それで落ちこぼれって事はないでしょう」

 優斎は手を振り、

「はは。剣が強いのと宮勤めは別ものですよ。私は二男でしたし、剣とは別に、医療の方にも興味があったので、ポンと、江戸に出てきて弟子入りしたのです」

「そうなんですか」

「まあ、武家を辞めて芸者になった、お華さんと一緒ですよ」

 と、笑う。

 するとお華は、

「ところで先生。なんで子供専門なんですか?」

「ええ。大人を診る医者は山ほど居ますが、子供専門というのは殆ど居ませんからね。それに子供は大人と違って非常に難しい。風邪薬ひとつ、量を間違えると大変な事になります。ですから、大人とは別に診なければ間違いも起きやすい。まあ、医者冥利って事もありますけど……」

 お華は頷き、

「言われてみると納得できます」

「それじゃ私がって思ったんですけど、最初は中々大変でした。武士の厳つい男では、子供も怖がりますからね」

 優斎は笑い、そして、

「知らぬ間に、武張った所が出ていたのかも知れません。それが消せるようになって初めて、子供が怖がることが無くなりました」

「やっぱり、子供には殺気や何か通じてしまうんでしょうか?」

「そうですね。医者も武士も心の持ち様ですよ」

 すると、お華は、少し暗い表情で、

「兄に、先生のような、まともに修業された武士に、簪など児戯に等しいと言われてしまいました。先生から見ると、やはりそんな物ですか?」

 やや気落ちした様に言うと、優斎は大笑いして、

「浩太郎さんはまた余計な事を……。そんなことないですよお華さん。しっかり修業の跡が見えますし、私だって初めて見たら、たぶんあの浪人たちと、そう変わりませんよ」

「え? そうなんですか?」

「お華さんの簪は、前に浩太郎さんから伺ってましたし、あの時も既に見てましたから、掴めただけです」

「でも、それだけで」

 お華はまた、些か消沈している。

 優斎は微笑みながら、

「お華さんは、何か勘違いしていませんか?」

「勘違いですか?」

「そう。ああいった手裏剣というものは、一撃必殺のものではありません。あくまで、相手に隙を作らせ、その間に逃げるのが本道です。たとえ掴まれても、はねられても良いのです。しかし、その一瞬の隙は、真剣勝負では命取りです。だから、おさよ様が動きのトドメを刺すことができるのですよ」

「はい。確かにそうですね」

 お華は頷く。

 すると優斎は、

「私は、お父上様のお気持ちがわかる様な気がします。恐らく、あの戦い方を教えたのは、お二人の命を守り、その上で、決して人殺しにはならぬように、との事ではないでしょうか」

 その言葉を聞いて、お華はいっぺんに目の前の雲が開けたような気がした。

「人殺しにならない……。そういうことだったんですか。私は恥ずかしい。そんなこと一度も考えた事がありませんでした」

 すると、優斎は続けて、

「お華さんは、深川では一番の舞手と聞いてます」

 お華は、恥ずかしげに、

「いえいえ、そんなことは無いですよ」

 と手を振る。

「踊りで、一番大事なことは何でしょう?」

 優斎の突然の質問で、お華は少々戸惑ったが、

「え~何よりも落ち着き慌てぬことでしょうか」

 優斎は頷き、

「それですよ。剣も踊りも医療も手裏剣も皆同じです。あなたは既に、それを分かってらっしゃる筈です。だから、気にすることは無いと思いますよ。あれで充分です。戦国の世なら間違いなく、女忍者になれます」

 それには、優斎とお華、後ろの佐助もまた大笑いした。


(4)

 

 さて、千住大橋近辺に到着した浩太郎一行は、省蔵と千住の親分に会って、話を聞きに行く。

 先行させた平吉が所の親分に頼み、若い下引き連中を既に放っていたから、浩太郎達が到着する頃には、所の者で無い百姓風の男と、例の臭いの場所は既に割れていた。

 千住の親分は、

「旦那。江戸側の河原を川上に行きますと、荒れた仕舞た屋(廃屋)が一件ごぜいやす。直接川辺から荷物をやり取り出来るように作った物ですが、ここ半年ばかり見慣れない不審な男が出入りしてる様でごぜいやす。それに最近、妙な臭いがするようになって、近所の連中は、余計に気味悪がって近づけないって有様で」

 それを聞いた浩太郎は、大きく頷き、

「なるほど、そりゃおあつらえ向きというところだな」

「へい。ただその連中は、子供の声は聞いたことがねえとは言っておりやしたが」

「そうか。だが今のところそこが一番怪しいって訳だろ?」

「へい。そりゃ確かで。一応、若い者を張り付かせておりますが」

「よし。とにかく行ってみよう。ぐずぐずしておられん。駄目なら駄目で、また考えなければならん」

 浩太郎達は、親分の案内に従って、その場所に急行した。

 そこは、大橋から若干昇った、川の畔であった。

 背の高い雑草などが生えている中に、如何にも仕舞た屋らしい、割と大きい小屋が見えてきた。

 遠目から見ると、川に張り出した船着き場があり、そこから目立たず小屋に入れる倉庫風の小屋であった。

 千住の親分の言う通り、使用者が存在しないせいか、如何にも荒れている。

 ただ、よく見ると船着き場には舟が繋がれてあった。

 柱には、斑に繋ぎ目の後が確認でき、それは遠目にも、繋がれっぱなしといった舟ではなかった。

 浩太郎は、

「誰かいるな」

 と呟き、確信した。

ぎりぎりまで、静かに近づいた浩太郎は、そこに座り込んでいた若い者を見つけた。

 浩太郎は、その若い者を呼び寄せ、どんな様子かと聞いた。

「へい。やはり誰か居る様でございます。何か音が微かにするんでございますよ。恐らく、大勢では無いようです。というよりもこの臭い、堪りませんや」

 若い者は渋面で訴える。

 浩太郎は笑って、

「確かにな。それではお前はここを離れ、代官所に行ってくれないか。北町奉行所が、ここで探索の御用を行うので、御領内を少々お騒がせ致しますが、どうぞお気になさらずとな」

 若い者は頷き、

「へい承知致しやした」

「定町桜田の手の者と言ってな。それと、御助勢には及びませんと必ず付け加えよ。良いな」

「へい!」

 と若い者は、ようやく臭いの呪縛から逃れ、助かったといった表情で、走って行った。

 本来、この辺りは代官支配の土地であるから、一言、断りを入れるのが礼儀である。

 しかし、代官側の助勢を頼むと時間も手間もかかる。

 こう言っておけば、代官側も実は助かるのだ。

 側で話を聞いていた源内も、

「よく分かったな浩太郎殿。それで良い。あいつらは役に立たんからな」

 と笑っている。

 医者の優斎が、瞑目して辺りの臭気を探り、

「この臭いは間違いありませんよ。浩太郎さん」

 沈痛な表情で、浩太郎に告げた。

「そうですか……」

 浩太郎は、少し俯いて考えていたが、何かを決意したように顔を上げ、皆を呼び寄せた。

「おじさま。おじさまは正面から、奉行所の御用と大声で仰って頂けますか。何とか外におびき出して下さい。お言葉はお任せします」

「承知した」

 源内は嬉しそうに頷いた。

「そしてお華。お前は左に回れ、私は右だ。間合いは承知してるな。お前の的は、お千代と一緒に居る奴だ。他の者が居てもそちらは構うな。後で良い。もしお千代がいなければ、とにかく討ちまくれ」

 お華は、幾分落ち着いた様子で、

「大丈夫、任せて」

 と答えた。

「私の合図で、親分と平吉は、真っ先にお千代を引き離せ。まずはお千代の救出が第一だ。他の者は、その他の連中を頼む」

 省蔵始め、他の連中も頷く。

「そして、先生」

 浩太郎は、腰から大刀を鞘ごと引き抜いて、渡した。

「すまないが。もし、私たちの手に余るようなら、お華を守ってやってくれませんか」

 すると、お華が目を丸くして、

「あら。それは頼もしい」

 と和やかに言うと、優斎は笑って頷き、

「さて、今回は出番があるかな? お預かりする」

 刀を受け取った。

 そして、浩太郎とお華は左右に散った。

 位置に着くと、源内は、刀を抜き放ち、

「中の者に申し渡す! 北町奉行所のお調べである。既に囲んで居る故、おとなしく直ちに出て来られよ。出て来なければ直ちに打ち込む!」

 と大声で怒鳴った。

 三回目で、木戸がゆっくりと横に開く。

 中から出てきたのは、薄汚れた着物を着て、でっぷりとした鋭い目をした男、ただ一人であった。

 やはり、お千代を片手に抱え、もう一方には出刃を持っている。

「来だら殺すぞ!」

 と明らかに訛りのある言葉で言い放つ。

 平吉が、

「お千代!」

 と叫ぶ。

 泣いている様子のお千代は、口を覆われ、その男の左手で抱えられていた。

 浩太郎は、お千代の無事な姿に安堵し、

(よし、一人だけか。これなら大丈夫だ! お華、外すなよ)

 低い姿勢で、独り言を呟く。

 一方お華も、「良かった……」とお千代の姿を見て安堵し、そして俯いた。

 舟での優斎との話が役に立ったのか、まるで、これから踊り始める前と同じ心境だった。

 息を整え、顔を上げ、スウッと立ち上がった。

 そして素早く、簪を懐から居合いの様に抜き放ち、一筋の煌めく光が飛んだ。

 それは、狂いなく相手の右頬へ、深く突き刺さった。

「げ!」

 衝撃で、お千代を抱いていた腕が下に下がっていく、

「よし!」 

 それを見て浩太郎も、スクッと立ち上がり、小柄を投げ打った。

 それは、反対側の頬に突き刺さる。

 男は、思いも寄らぬ二重の衝撃に、再び悲鳴を上げ、天を仰いだ。

 だが、慌てながらも、お千代に出刃を向けようとした。

 しかし、それを許さぬ、お華の二本目が再び光を放った。

 今度は、出刃を持つ手にズシンと突き刺さる。

 瞬間、浩太郎は一斉に飛びかかるよう、合図の声を上げた。

 だが平吉は、その声も待たず、既に走り出していた。

 簪の衝撃で、出刃を落とした男の手にあるお千代に飛びつき、男を思い切り蹴り上げた。

 男がよろけると、お千代を奪い返し、抱きかかえて反対方向へ、(だつ)()の如く走り出す。

 そして、他の男達も飛びかかり格闘になった。

 相手は一人。

 多勢で飛び込んだため、思いのほか、安易にお縄となった。

 その様子を、もう一本、簪を持って見ていたお華は、大きく息を吐き、やれやれと座り込んでしまった。

 男を縛り上げ、親分達が取り囲んで居るときに、

「先生!」

 と、浩太郎は優斎を呼んだ。

 優斎は、早速小屋に近づき、

「また出番はありませんでしたね」

 と笑って、刀を浩太郎に返した。

 そして二人は、小屋の開いている板戸の前に立った。

 日は高いが、薄暗い小屋の中に入ろうとすると、更なる強烈な臭いに襲われる。

 二人は、口と鼻を袖口で覆いながら中に入って行く。

 小屋の暗さに慣れてきたとき、二人の足が止まる。

 正面の信じがたい光景が、二人の目に飛び込んできたのだ。

 二人はまるで、金縛りにでも遭ったように釘付けにされた。

 浩太郎は動揺を隠せず、震える声で、

「せ、先生……こ、これは……」

「これは子供の」

 なんと正面の棚の上に、頭蓋が等間隔に五つほど並んでいる。

 すべて頂点の部分が割れているようだ。

「な、なにゆえじゃ」

 浩太郎の声が震える。

 幾分落ち着いている優斎は、斜め横の釜の方に、サッと進み、かかっている鍋の中を覗く。

 何かを煮込んでいた様子であった。

「く……」

 優斎は、それが何だかすぐ気付いた。

「やはり」

 と呟く。

 浩太郎が、

「なんです? それは」

 と聞くと、

「人の肉ですよ。煮込んでます」

「なんと……」

 浩太郎はあまりの衝撃に、その場に膝を突いてしまった。

「何と言うことを!」

 と言い表せぬ怒りにさいなまれ地面を叩く。

 その時、お華が、

「兄上?」

 と言いながら、小屋に入ろうとすると、

「入ってはならん! お華! お前はお千代の世話をしろ!」

 浩太郎は怒鳴った。

 しかし既にお華は、正面のおぞましい光景を見てしまっていた。

 意味が分かったお華は、口元を押さえ外の壁に寄りかかる。


 その時だった。

 微かな唸り声が二人の耳に届いた。

 その方向へ一斉に振り向き、

「浩太郎さん!」

「何か今」

「まだ生きている者が、この小屋のどこかに」

 二人は、まるで生き返ったように、小屋の中を荒々しく探し始める。

 優斎は、板場の上に敷いてあった筵を引き剥がし、床を叩く。

「おい! おい! 聞こえるか!」

 すると僅かに、

「う……」

 と耳に届いた。

 二人の顔に喜色が浮かび、床板を取り始める。

 釘打ちをしていない床で、次々取り外すと、これも言葉に出来ない臭いが立ち上がる。

 しかし、あまりに暗すぎて様子が分からない。

 浩太郎が、

「助けに来たぞ!」

 と、中に声を掛けたが、もう返事が出来る状態ではないのだろう。

 優斎は素早く釜の所に行き、落ちていた付け木に何とか火を点して戻ってきた。

 そこには五人ほどの子供が口を塞がれ縄を打たれて転がされていた。

 それを確認した浩太郎は、優斎と、まず一人救出した。

 外に運び出すと、

「先生はここで子供の具合を。お華は先生のお手伝いを!」

 素早く指示を出し、省蔵を呼んで残りの子供達を外に運び出した。

 そして、

「先生! 子供の様子はどうか」

「危なかった。もう少し遅かったら命は無かったろう。とりあえずは間に合った。しかし、すぐに手当せねばなりません。近場でどこか治療に当たれる綺麗な所を用意して頂きたい」

「承知した」

 浩太郎は子供達を優斎に頼むと、刀を抜いて、座らせている下手人に迫って行った。

 お華は、抜刀した浩太郎に驚き、

「兄上! それは!」

 と叫ぶと、子供を診ている優斎が、

「お華さん。大丈夫ですよ」

 和やかに、そして静かに言った。

 優斎は浩太郎の刀が、刃引きであることを知っていた。

 浩太郎は、

 刃先を下手人の目の前に置き、

「子供達の亡骸は何処だ! 何処にやった!」

 大声で問い詰める。

 すると、その男は意外とあっさり、小屋横に少々こんもりと土が盛り上がっている所を指さす。

 浩太郎は刀を納め、走ってそこに行き、今度は刀を鞘ごと外し、先で掘り始める。

 掘り始めると直ぐに、土に汚れた骨らしき物が見えた。

 そこからは素手で、懸命に掘り進めるとやはり数本の子供の骨らしき物が出てきた。

 浩太郎はそこで中断し、親分二人を呼ぶ。

 それぞれに治療に当たれるしっかりした場所の手配と、下手人を千住の番所への引き立てを命じた。

 そしてお華には、続けて子供達の治療の手伝いを命じた。

 浩太郎は、それらの指示が終わると乗ってきた舟で、源内、平吉とお千代を一緒に、蔵前に向かって帰っていく。

 お千代は相当に怖かったのだろう。父親の平吉にしがみついてまだ大声で泣いている。

 浩太郎は頷きながら、

「お千代が助かって本当に良かった。この子は俺の油断のせいで連れていかれた様なものだから……」

 しかし平吉は、

「いいえ若様。私たちが悪いのです。若い者一人でも残しておけば良かったのです。あまり気になさっちゃいけません」

 和やかに頭を下げる。

「そうじゃ、生きていた者もいたのは天の助けじゃ。さすが婿殿じゃ」

 と源内は言ってくれるが、

「いや、やはり私はまだまだです。あんなに死人も出てますし」

 などと言い合いながら、舟は進んでいく。

 やがて蔵前に到着すると、お千代は無事に母親と対面し、それらを見届けた浩太郎と源内は奉行所に戻っていった。

 報告と今後の手配をしなければならない。


(5)

 

 浩太郎は、内与力の加藤へ報告のため、部屋を訪ねる。

 加藤は事件の解決を聞いて喜び、浩太郎に、

「やはり拐かしであったか」

「はい左様にございました」

 平伏して答える。

「で、動機は何か?」

 当然聞かれるであろうこの事は、浩太郎にとっては出来れば触れたくない事だが、

「俄に信じられぬ事では……ございますが」

 口ぶりが重い。

「どうやら食べるためだった様でございます」

 加藤は意外な言葉に、すぐに理解が出来ず、

「ん? どういうことじゃ」

 浩太郎は一つ息を呑み、

「子供を食べるために浚っていった様にございます」

 と一気に言った。

 加藤は目が険しくなり、

「なんじゃと! 誠かそれは」

「はい。小屋の中の鍋には、死んだ子供の肉が煮込んで会ったと医者が申しておりました」

 加藤は顔色が変わり、

「なんと!」

 それ以外は言葉が出ない。

「なお、五名ほどの子供は生きて閉じ込められておりましたので救出致しました。これも危ないところであったと医者が」

「そうか……それは不幸中の幸いというところだな」

「はい。しかし、既に骨になっておった者も多数おりました。お申し付けを完全に果たすことが出来ませんでした。誠に申し訳ございません」

 浩太郎は、畳に頭を擦りつける様に平伏する。

「何を言うておる。お主であったから助かった者もおったのじゃ。この事、私からお奉行にご報告しておこう」

 加藤は笑みを浮かべる。

「加藤様。下手人の連行、遺骨の発掘などの指示を、私の方で申し付けて構いませんでしょうか?」

「うん。構わん。よろしく頼む」

「それと」

「なんじゃ」

「遺族への報告についてにございます。事が事だけに、どう言ってやれば良いのか、未熟な私には判断出来かねます。誠に申し訳ございませんがこの事も、お奉行様にお伺い願えませんでしょうか」

 浩太郎は本当に相談したいことを言った。

 加藤も唸った。

「確かにの~。食べられましたとは言い難いはな……よし、これもお奉行にお話してみよう」

「ありがとうございます。よろしくお願い致します」


 報告も終わり、後の手配が終わると浩太郎は八丁堀に戻って行った。

 源内の家に行くと、おさよとお華が居た。

 源内夫婦に挨拶した後、お華に、

「先生に戻って良いと言われたのか?」

「はい。庄屋さんの方で、他のお医者や手伝ってくれる方もおりましたので、とりあえず今日は一旦戻って参りました。ただ、先生は念のため今夜はお泊まりになり、明日あたしが、もう一度様子を見に行って、親元に知らせに行くことにしています」

「そうか。そうしてくれるとありがたい」

 お華は笑顔で、

「例の深川の子も生きてました。死なないでいてくれて本当によかった」

 浩太郎は頷き、

「そうだな。そちらの方もお前に頼む。行くと言うなら、一緒に行ってやってくれないか」

「はい。承知しました」

 するとおさよが、

「浩太郎様。お夕飯は?」

「いや。今夜は食欲が無いのじゃ。酒飲んで寝ることにします」

 と言って、少々寂しげに屋敷に戻って行った。

 おさよは心配になって、

「どうなされたのでしょう。お元気が無いような」

「姉上。仕方ありませんよ。あんな物見てしまっては」

 お華は、一連の出来事と小屋の様子を語る。

 おさよもあまりの話に驚き、

「浩太郎様には、人一倍辛いかも知れませんね」

 思いやるように呟いた。

 そして、横でせんべいをパリパリ食べているお華を横目で、

「あなたは強いのね」

 と苦笑する。

「そりゃ、心底驚きましたけど。引き摺ってはいられませんよ。死んだ子供達のためにも元気で居ないと、咎人に負けた様な気がするのです」

「なるほど。一理あるわね」

 おさよは苦笑しながら外に目を遣り、浩太郎の気持ちを考えていた。


(6)

 

 お華は翌日早朝。舟で千住に向かい、子供達の様子を確かめ、優斎の話を聞いて、生きていた子供の親たちへ、知らせに向かった。

 皆、感情を爆発させるように喜んだ。

 お華にしつこい程の礼を言い、直ぐ様、お華が教えた庄屋に向かって行った。

 そして、最後にお華は、自殺騒ぎを起こした深川の長屋に向かった。

「おかみさん」

 と腰高障子を開けると、おかみがカミソリを手に、それをうつろな目で見つめていた。

 お華は呆れた様に、

「おや、おかみさん。やっぱり死んじゃうのかい?」

 と聞いた。

 おかみは、虚ろな目をお華に向け、

「やはり、もう耐えられません……」

 喉元に刃を当てようと少しずつ近づけていくと、お華は笑い、

「おやおや可哀想に、やっぱりあの子は、ひとりぼっちになっちゃうんだね」

 ボソっと言った。

「え?」

 おかみは、お華の顔を見て、

「お華さん。いま何と」

「見つかったのよ! 助かったのよ! 生きていたの。まだ死ぬ気なの?」

「うわ~っ」

 おかみは声を上げ、持っていたカミソリを投げ出し、大泣きで、床に突っ伏した。

「全く~。あたしの兄が言ったでしょ! 母親らしくしろって」

「すみません、すみません」

 とまだ泣いている。

 お華は、框に座り、

「とは言ってもね。ホントに危ない所だったのよ。今、お医者様が介抱しているの。あなたも側に行きたいなら、一緒に連れてってあげるから、すぐ用意しなさい」

 おかみは、泣きながら笑みになって、

「はい! いますぐ!」

 二人は、舟で千住に向かって行った。


 浩太郎の方は、事件の後始末が始まった。

 下手人は朝方、奉行所の小物達が厳重に左右を固め、千住から、北町奉行所へと出発していた。

 浩太郎は親分達と一緒に、再び現場に向かい、遺骨の収集を見聞していた。

 ある程度、作業が進むと省蔵親分が、

「五、六体はございましょうか、大きさから見ても、やはり子供の様にございます」

 と報告した。

 浩太郎は、ひとまず千住の寺に、遺骨を丁重に運ぶよう命じ、すぐに奉行所へ向かった。

 下手人の取り調べがあるからである。浩太郎は担当者として同席するよう命じられている。

 浩太郎が戻ると、下手人は既に、吟味所に座らされていた。

 下手人は東北出身の様だったが、それ以外は一切分からなかった。 丁度、奉行所内にその方面の言葉が分かる者が居て、それを介しながら行われることになった。

 吟味与力の佐久間が正面におり、対に容疑者。横に浩太郎などがいる。

 その他、書役や助役がいるが、今回も加藤がお華の時と同じように隠れて座っている。勿論、今回は純粋にお役目の為である。

「その方、名前と在所を申せ」

「盛岡の五助だ! 何で俺を捕まえるだ!」

 と、のっけから文句を言っている。

「その方、許可無く里を離れ、千住に住み着き、子供を浚って食していたというのに相違ないか」

「んだ。子供は俺の好物だ、食ってなんが悪い!」

 佐久間は事前に、浩太郎から一部始終あらましを聞いているので、

奇異な受け答えは想像出来ていたが、あからさまに子供が好物と言われると、妙な気分になっていた。

「好物とはなんじゃ! 誰の許しを得て子供を浚ったのじゃ。親がその様なこと許す筈なかろう。その上、無残に殺し、食するとは人とは思えん」

 と少し憤慨気味に言ったが、

「俺の方じゃ、食い物が無ぐなれば人を食うのじゃ。許しなんかいらねぁ~」

 と言い、更に形相が怪しく変わり、

「子供は美味え。おめはんも脳みそ食ってみい。この世のものどは思えねぁ~。脳天を刳り抜いてよ、そんまま食うんだよ。それがら、煮込んで食うんじゃ。これもだまらねぁ……」

 とキキキと妙な声で笑う。

 浩太郎は、小屋に飾られている様に置かれていた、数々の頭蓋骨が脳裏に浮かび、気分が悪くなるのを必死に堪えていた。

「盛岡では許されていただと? 南部候が許しておられたと言うのか?」

「お殿様はよ。恵みのないお殿様でよ。米やら食べるもの全部お江戸に売っちまった。他に食うものと言ったら決まっちまう」

 この男は、先年起きた天保大飢饉の事を言っている。

 この飢饉は、江戸時代三大飢饉の一つで、天保三年(1832)の凶作に始まり、翌年は冷害、洪水に見舞われ、大量の離散者、餓死、疫死者を出した大飢饉である。

 これまでのものと比べ、七年の長きに渡った飢饉だった。

 佐久間は、

「しかし、それは許されていたわけではない。それにその方は江戸まで出て、子供を浚っている何故じゃ」

 佐久間は子供を食べるという言い方が言い辛いらしい。

「おれはよ、里に食うもんがなぐなっちまったからよ、外へ出て探すことにしたんだ。色々食いあるいでよお江戸さ来でしまった。やっぱりお江戸は良いな。うますべえな子供がいっぱいおる。えさが上等なんだな……頭が上手ぐて堪らねぁ~」

 と恍惚の顔で言っている。

 この男は、行く道行く道で繰り返し食べていた事も白状していることになる。

 与力始め、人々は驚愕した。勿論、浩太郎もである。

(おのれ狂人め!)

 と膝を握りしめる。

「よく分かった。この上は吟味の上、お奉行より、お沙汰があろう。この者を牢に戻せ!」

 佐久間としては、供述からも罪状がハッキリしており、吟味は尽くした……というよりも話が正常に通じない以上、無駄であると判断したのであろう。

 下手人が連れて行かれ、残った佐久間と加藤、そして浩太郎が陰鬱な顔で、残っていたが、浩太郎が佐久間に、

「あれは明らかに狂人。それでも常のお裁きになるのでしょうか?」

「そうだな。お主の言う通り、普通は幾らかのお情けがあるものだが、結果があれではな。お奉行がお情けを掛けても、死罪は免れまい」

 この時代に、精神障害に対しての減免措置は無いに等しい。

 あくまでも奉行の心一つであり、また、将軍・老中次第である。


 「左様でございますか……。加藤様、親への説明はいかがなりましたでしょうか?」

 加藤は苦笑し、

「ああ、それも、お上次第じゃ。お奉行もまず、人食を表に出して良いのかという問題があると仰っておった。闇に隠すのは性分ではないが、かといってそのまま出すのも残酷ではないかとな」

「それは確かに」

「あと、出てきた骨は寺に埋葬し、合同塚にせよと仰っていた。いずれにしても名前も判別出来んだろう。その埋葬料は奉行所から出すゆえ、その方手配せよ」

「は、ありがとうございます。直ちに手配致します」


(7)

 

 こうして、浩太郎にとって最悪の結果に終わった事件は、一応の決着がついた。

 しかし、浩太郎の心の中の蟠りは、そう簡単に晴れるものではない。

 八丁堀に戻ってきた浩太郎は、隣に住む優斎の所に顔を出した。

 今日は患者も無く、書物らしい物を読んでいた。

「これは浩太郎さん。来るだろうと思ってましたよ」

 と言われ、浩太郎は苦笑し、

「見抜かれてましたか」

「いくら何でも、あれは納得いかないだろうな。と思ってましたから」

「何故です?」

「あなたは恐らく子供好き。その証拠に、一度もここに来る子供達の泣き声を怒ったことが無い。子供は泣くのが商売のようなもの。その上、医療場では仕方が無いと心から理解しているからです」

「そんなものかな?」

 と浩太郎は恥ずかしげに笑う。

 そして、

「もし、そうだとしたら、お華を赤子の頃から世話してたからかもしれませんな。またあいつは人一倍泣くものだから慣れちまったのかもしれません」

「そうでしたか」

「あんな泣き虫でも、大きくなれば人を救えるようになる。だから今度の事はやり切れなくてね……」

「わかります。ただ、私はあの男のことも少々分かるのです」

 と優斎は、今まで読んでいた冊子を浩太郎に渡した。

「これは?」

「はい。もう亡くなりましたが、私の師匠筋の方が書いた物でございます」

 浩太郎は、表書きに目を向ける。

 杉田玄白著『(のち)()(ぐさ)』とあった。

「おお、杉田玄白殿と言えば、あの解体新書の」

「おや? ご存じでしたか」

 意外な返事に優斎が微笑む。

「うむ。これでも子供の頃には医術に少々興味があったのじゃ。解体新書は父上に隠れて読んだ覚えがある。驚いた書じゃった。それではこれも?」

 優斎は頷き、

「ともかく、まずは付箋のところから読んでみて下され」

 言われて浩太郎は冊子に目を落とす。

「然ありしにより 元より貧乏人共は生産の手立無く――」

 と言った言葉から始まっていく。

 浩太郎は、暫く読んでいる内に、みるみる目元が険しくなっていく。

『元々貧乏人には生計の手だてがない。家族を見捨て、我が身のみ他領にさまよい出て、窮状を訴えて食を求める。しかし、何処へ行っても、同じように飢饉に見舞われているから、他領の者などには目もくれない。一握りの飯さえ、与える者など居ない。一方、他領に出て行くことも叶わず、そこに居残った者達は、食べられるものを食べ尽くしてしまうと、最後には、先に死んでいった者の死体を切り取って食べたということである。小児の首を切り取ったり、頭の皮を剥ぎ取って火に炙り焼いたり、頭蓋の割れ目にヘラを差し入れ、脳味噌を引き出して、草や木の根や葉と混ぜて炊き、食べていた様である』


「せ、先生。これは誠の話か?」

「はい。これは今から五十年ほど前に起こった、天明の頃の大飢饉についての記述にございます」

「とすると、もうこの頃から人を食べるなどは起こっていたというわけか」

「はい。先年起こった大飢饉(天保の大飢饉)と何も変わるところがございません」

「しかし、あれは江戸でもお救い小屋が建てられてたが、父上からそんな話は聞かなかったがな」

「江戸に(ちよう)(さん)出来る者は、マシな方なのです。私の故郷の方にも沢山逃げて来ました。しかし、仙台においてもヤマセのお陰で、大変な不作。そして他から逃散してきた者の対応で、我が兄などは大変苦労したようにございます」

 優斎は仙台伊達の出身である。

 ヤマセ(山背または山瀬)とは偏東風の事である。

 この風は、東北において冷雨寒気の元凶として恐れられていた。

 これが吹き荒れると、飢饉の始まりと広く受け止められていた。

 冒頭に述べた小氷河期と、どれほどの関連性があるのか定かではないが、何らかの影響はあるのだろう。

 ただし、これによる凶作が、直ちに飢餓の原因とは言い難い。

 ヤマセが吹いて、農民が警戒を呼びかけても、藩の財政上、武士達は江戸や上方に米を送り、さらには備蓄米まで手をつけて売り払ってしまったのである。

 つまり、江戸などを中心とした武家政治の市場構造が、大きな原因と言えるだろう。

 

「すると……」

「武士はともかくも、民の間では、動けない家族を抱えると、悲惨でございましょう。回りは食べ尽くしてしまうでしょうから。あの男はその中の一人。子供が美味かったというより、何もかもタガが外れ、死肉を口にしたことで、心に異常をきたしたのだと思われます」

「なるほど」

 浩太郎は続けて、

「死罪は仕方ないとお思いか?」

「そうですな。死罪がどういう意味を持つものかを考えると、疑問はあります。これこそ、罪を憎んで人を憎まずということなのでしょう。しかし、あまりに罪が大きすぎる。それに、あの男はもう元には戻れますまい。そして、遺族の事を考えると致し方ないとは思います」

「そうよな」

 浩太郎は、両手で頭を抱え俯く。

「しかし、実はさらに問題があります」

「お上のことはならんぞ、俺は役人だからな」

 と顔をムクッと上げて、笑いながら言うと、優斎も少し笑顔で、

「お上と言うより、奉行所の事にございますよ」

「奉行所だと?」

「浩太郎さんは、咎人が子供を食べた事に衝撃を受けておられるが、そもそも奉行所は、その事について、表だって問題には出来ますまい」

 浩太郎は驚き、

「何故じゃ!」

 と少々大きな声で聞くと、

「おや? 浩太郎さん。土壇場で打ち首になった罪人がどうなるのかお忘れですか? 人胆丸ですよ」

「あ!」

 それには、浩太郎も目が大きく開いた。

「そ、そうだった」

 と浩太郎は、自分の腿を叩き、再び頭を抱える。

()(ためし)()(よう)の後、あの浅右衛門がやっていることは、あの北の咎人と、そう変わるものではありません」

 山田浅右衛門。

 江戸で御様御用という刀剣の試し切りを勤めていた者だが、罪人の処刑、斬首も行う。

 本来罪人の処刑は、奉行所の番方が勤めるのだが、浅右衛門方が代わって行っている。 

 別名、首切り浅右衛門、人斬り浅右衛門などとも呼ばれた人物である。

 しかし、彼の仕事はそれだけはでなく、罪人が打ち首になり、遺体が試し切りに使われると、奉行所黙認で遺体から肝臓や脳、胆嚢などを取り出し、労咳などの薬として製造販売しているのだ。

 これは莫大な富を産み、浪人身分であるにもかかわらず、山田浅右衛門が、営々と首切りを続けていける一つの大きな要因となっている。

 浩太郎は、新任の同心。

 まだ、実際の場面に出くわした事は無い。

 ただ、話は知っていた。

 優斎は、幾分不満そうな顔で、

「私に言わせれば、全く効果の無いものですが、未だにそれをありがたがって買っている者がいる。これでは、表に出せないのも当たり前です」

「それはその通りだ……」

「地方では、肺病に効くから、子供の生き肝を盗るなんて事も起こってるようで、この状況は、まるで地獄絵図です」

 医者である優斎は、そういった情報に詳しい。

 浩太郎は打ちひしがれた表情になった。

 そして優斎は、

「このままでは、子供はただの道具にされてしまう。これは、お上や奉行所も、そして我々も、もうそろそろ全てを見直す時期に来たのやも知れませぬ」

 浩太郎は何度か頷き、

「そうじゃの~。そうかも知れぬ。しかし、俺に出来ることはないからの」

 しかし、優斎は首を振り、

「出来ますよ。これからはとにかく、子供がむやみに浚われないよう目を見張っていただければよろしいかと」

「ま、そういうことか……」

 浩太郎は悲しそうに笑う。


 ただ、その変革の時期の予兆は、既に各地で発生している。

 飢饉によって、農村での一揆が乱発し始め、大坂では、大塩平八郎の乱が起こっている。

 乱そのものは、一日で収束したものの、前代未聞の元奉行所与力の反乱は、幕府を大きく揺るがせた。

  

 優斎は、お茶を浩太郎に注ぐと、

「話は変わりますが、浩太郎さん。お華さんは、何故お手先なんぞになったのです? まあ、あの簪の腕があれば、役に立つことも多いでしょうが。お父上のご恩返しとはいえ、そこまですることは無い様に思うのですが……」

 と和やかに問う。

 すると、浩太郎は苦笑いになり、

「あれが、養女である事は、以前にお話しましたよね」

「ええ、その事だけは」

 浩太郎は、養女になった経緯を説明した。

「ほ~。とすると、本音は仇討ちですか?」

 浩太郎は笑い、

「さすがにあなたは直ぐ分かりますね。恐らくそうでしょう」

 おさよにも話したように、手掛かりが無いことを言った。

 優斎は首を傾げながら、

「なるほど。それで全てが分かりました。ただ、あの方はお父上から、人殺しは止められているはず……あ!そうか、だからお手先か……そうか……」

 些か、意味有り気に、天井を見上げる。

「困ったもんですよ」

 浩太郎は大笑いする。

 そして、

「ああいう賊は、また金が切れれば同じ様なことするもので、気を付けてはいるのですが、それ以来一向に音沙汰が無い。おそらく元々、地方の盗賊だったように思います。残された証拠というのが、たった一つ。左逆袈裟を使う侍がいるって事です。お華の本当の両親もこれでやられてしまいました。しかしこれだけではどうしようもない」

 ところが、「左逆袈裟」という言葉を聞いた瞬間、優斎は顔色が変わった。

「左……逆袈裟ですか……」

 と言い、沈痛な表情になった。

 浩太郎は、それに気付き、

「どうなされた」

 と言うと、

 優斎は、いえいえと手を振り、直ぐ元の表情に戻り、

「以前、仙台でその剣を使っていた奴がいたような気がするのですが、昔の事なんで……。ただ、浩太郎さん。もしその男がまた現れたら、お華さん一人では、恐らく斬られてしまいます」

「ほう、それほどのものか? 町人相手に左逆袈裟なんざ、おかしな奴だとは思っていたが、危ない奴かい?」

 浩太郎が聞くと、

「ああいう剣でむやみに人を殺すなど、余程の自信と、人殺しが好きだという心の表れです。簪で間合いを置いても、構わず突っ込んでくるでしょう。一人では勝ち目がありません」

「こいつも一種の狂人だな」

「ええ」


 流派によって呼び方が多種あるだろうが、通常、相手の左肩辺りから右脇腹まで振り下ろして斬る事を袈裟切りと言い、お坊さんが着ている袈裟の様に斬るところからそう呼ばれている。 

 そして、逆に右脇腹から左肩へ斬り上げる事を逆袈裟というのだが、ここで言う「左逆袈裟」とは、相手の左脇腹から右肩にかけて斬る事を指している。

 

 しばらくして、浩太郎が帰っていくと、優斎は物置の奥から、自刀を取り出し、抜いた。

 その刃先を見つめながら、

「ここで左逆袈裟の話を聞こうとは……まさかとは思うが」

 独り言をいいながら、打ち粉を持ってきて手入れを始める。

「しかし、お華さんに教えられるとは……私もまだまだだな……」

 と笑うその姿は、医者優斎ではなく、武芸者優斎の姿であった。



~つづく~

今回もお読み頂きありがとうございました。

 優斎は、辻井さんのラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を聞いてて思い付きました。

 カッコ良さげに聞こえますが、たまたまです(笑)


 さて、今回、小説の主題は飢饉と享保の改革です。

 まずは一つ書き終えました。まずは一安心。

 現代では、飢饉なんてあり得ないように思いますが、この世に絶対などと言うことはありませんからね、油断は大敵です。

  そして、人斬り抜刀齋なのか、人斬り浅右衛門なのか(笑)

 その内書きたいなとは思いますけど、本当の事書くとかなり厳しいので少し難しいです。 今回だって、少々悩みました。

 お嫌な方、申し訳ございませんでした。

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