中編
青鬼は、独り暮らしだ。
ひとり、という数えかたが適切かはわからないが、とにかく普段は単独で行動している。
あの日、金棒で飛ばした松ぼっくりは、いい具合に山を越えていった。松ぼっくりひとつくらい、別に追いかける必要はなかったが、その山を見て思い出したことがある。
ーーあの山にも鬼がいるらしい。
鬼か。
なかよくなれるかな。
そう思い、青鬼は山を越えてきた。
どこだろう。
のしのし歩く姿は、森の中の小動物を怯えさせた。
しかたない、どこでもそうだ。
ーーこの山の鬼も、乱暴だったら嫌だなあ。
他の鬼と対峙したことも、多々ある。一方的にけんかを売られ、一方的に負かせてしまった。
うんうん、と過去を思い出し、やや反省しながらなおも歩く。
すると、山小屋を見つけた。
誰かいるのかな。いるとしたら、鬼かもしれない。
そう、山小屋に近づいたとき、中から歌が聞こえた。
人間が歌うような、こもりうた。
中を覗いたら、小鬼がいた。
しかし。
あれ、にんげんかな。
そう思ったくらい、自分とは違っていた。
きれいなかおだな。
その、人間の子供と同じ2つの目が、青鬼を見た。
あ、おれはなにもしないよ。
気持ちが通じたのか、挨拶をしたら返してくれた。
よかった。こんにちはっていいなさいって、
いわれていたから。
いわれていた。
いったのは、だれだっただろうか。
小鬼の赤い目が、青鬼の1つ目をまっすぐ見つめていた。
「こっちだ」
そう言って案内された青鬼のすみかは、山肌を豪快に掘ったような洞穴だった。
入り口は、大天狗でも腰を屈めずに入れるくらいの高さがあり、少し中に入っても月の光で互いの顔がわかるくらいだ。
「おくはちょっと、くらいけど、あかりがあるから」
青鬼は小鬼を肩からおろすと、指をこすりあわせた。青白い炎が指先にともる。無造作に洞穴の壁に刺された枝に火をうつす。
「熱くないのか?」
うん、あつくない。と、青鬼は小鬼の質問にのんびり返す。
「めし、くうか」
うん、食う。と、小鬼は青鬼に笑顔で返す。
そうして出されたのは、果物、そして、獣の足を焼いたもの。
「これ、なんの肉だ?」
「いのししだ。ひろってきた」
「美味いな」
「そうか」
もう山は暗い。
小鬼は食べ終わると、ごちそうさまと手を合わせた。
青鬼に言われるまでもなくごろりと寝てしまう。
おやすみ。小鬼の短い言葉に、青鬼は、うん、と短く答え、こちらも同じように橫になる。
洞穴に戸は無い。
山の空気が、月明かりが、ふたりを包む。
小さな赤い鬼と大きな青い鬼は、仲良く大の字に並び、すこやなか寝息をたてていた。
次の日も、またその次の日も、小鬼は青鬼と一緒にいた。
いくか。
おう。
そうして、山を駆ける。
楽しいな。
うん。
ふたりの会話は、終始このようなものだった。
小鬼が言葉を投げ掛け、青鬼が返す。
大天狗と話しているときは、もう少し単語も長いし、言っちゃあなんだが、窮屈なときもある。大天狗からしたら、小鬼を大事に思うがゆえの言動なのだが、そこはそれ。
青鬼といると、心地よい。
これは小鬼が本能で感じたことだった。
もちろん、長い会話を交わすこともある。
青鬼は、山の獣たちと仲がいい。肩に雀が止まったり、栗鼠が尻尾を絡めて青鬼の体を伝い走り回る。
「良いな。俺はすぐ逃げられちゃうんだ。小さいやつも、大きいやつも」
そう言って、手を栗鼠に伸ばすと、栗鼠はさっと青鬼の後ろに隠れてしまった。
「おまえは、つよすぎるんだ。つよいやつを、よわいやつはこわがる」
「強すぎる?」
小鬼は、自分の手を見る。確かに力は強い。だが、そうではないと青鬼は言った。
「おまえのきもちが、つよいんだ。とおくにいても、わかる」
ふうん、と頷いてみたが、小鬼にはまだわからない。
「こやのそとにいても、おまえがいることがわかった。じゃまするな。じゃまをすると、ころすといわれたきがした」
「言ってないぞ!」
小鬼は反論し、青鬼はわかってる、と宥めた。
「おれは、つよくない。だからわかる。おまえは、いきたいっていうきもちが、つよいんだ」
小鬼は、青鬼を見た。
「生きる?」
ああ、と青鬼が頷く。
「おまえも、ずっとひとりだったんだな」
一つだけの大きな目。しかし、雀や栗鼠を見るまなざしは穏やかだ。
小鬼は、青鬼の肩に止まっている雀を見る。
雀は、さっと飛び立ってしまった。
渋い顔をした小鬼を見て、青鬼は笑った。
「こっちがこいつらをかわいいな、っておもっていたら、こいつらもよってきてくれるんだ。だいじょうぶだ」
青鬼の大きい手が、小鬼の頭を撫でた。頭と、角を。
「おまえのあかいめは、やさしいめだ。おれはしってる」
聞けば、青鬼はもとは違う山にいたらしい。
もっともっと、遠くの山。
なにがあってここに来たのか、聞いても答えてはくれなかった。
「よし来い!」
小鬼は、木の枝にいる栗鼠に両手を伸ばす。
栗鼠はじっと小鬼を見ていたが、小鬼が、こいこいこい!と念じると、どこかへいってしまった。
「ああーっ!」
青鬼は、そんな小鬼を見て笑った。
「まだまだだなあ」
ちくしょう、と小鬼は口を尖らせ、青鬼についていく。
山のなか、それもふもとに近い側を歩くことを青鬼は日課にしているようだが、ただ歩いているのではない。
「ほら」
青い指がさすほうには、大きな四つ足のものが横たわっている。
鹿だ。
矢が刺さっており、すでに絶命していた。
「…人間が殺したのか?」
「そうだ」
青鬼はゆっくり鹿に近づき、矢を抜く。そのまま、鹿の足をもぐと、その場に投げた。
「これは、おれたちのぶん」
そう言い、鹿の胴体を持ってさらに山のなかを歩いていく。
うさぎを見つけた。
こちらも死んでいる。
ちら、と悲しそうな一つ目を向けて、今度はそのまま歩いていく。
「あれは持っていかないのか」
「うん。これで足りる」
大股で歩きながら、青鬼はあちこちに目を向けていた。時折鳥や小動物がまとわりつき、肩に乗ったり鹿肉を啄んだりするが、青鬼は一向に気にしない。
「ひるめしをたべたら、あそぶぞ」
おう、と小鬼は答えて、青鬼のあとを、跳ねるように駆けて付いていった。
山に、人間が入ってくるのは知っていた。
馬にまたがり、弓矢をつがえるのは、動物を狩るのを「楽しみ」としている人間たちだ。そうして命を奪われた獣は、その場に捨て置かれる。
「ゆくゆくはつちにかえるんだけど、せっかくだからありがたくいただく。そのほうがあいつらにとってもいい」
あいつら、というのは、矢に穿たれた獣たちのことだ。
青鬼は、わざわざ食べるために獣を殺したりしない。
人間たちが狩りにこないときも、草木や豆などを山の神さまに感謝しながら食べる。また、川にいき、水神さまに祈りながら必要な分だけ魚をとる。
だから、青鬼はうさぎにも栗鼠にも、山の仲間として普通に接し、獣たちも、青鬼は自分たちに危害を加えないのがわかるので懐いてくる。
青鬼の周りにある空気は、優しい。
近くにいるものを、分け隔てなく受け止め、受け入れる空気だ。
大天狗とはまた違う、まるで山そのもののようなゆったりとした優しさ。
「来い」
小鬼は、青鬼がそうするように、ゆっくりと空に手を伸ばした。
雀が止まりやすいよう、軽く開いた掌を上に向ける。
羽音がして、掌に雀が止まった。
初めて感じる鳥の爪の感触にちょっと驚きながら、雀の目を見て言ってみる。
「どうだ?青鬼の手と同じくらい居心地がいいだろ?」
雀が小首を傾げたので、小鬼は思わず笑ってしまった。
小鬼は、徐々にだが、山の獣たちと仲良くなっていった。
青鬼が言ったことの全てはわからないが、少なくとも、こちらから害を為さない意思を伝えれば、野性の動物は歩み寄ってくれる。
困るのは、自分が意識していない時だ。
「寝てる時に、隣にいた兎が急に起きてどこか行っちゃうんだよ」
「ああ、それはおまえがわるいんだな。うさぎはこわがっただけだ」
うーん、と小鬼は考えこむ。
何だろう。何か夢でも見たのだろうか。
「まあ、仕方ないな」
鬼とはいえ、まだ5つやそこらなので、あまり深くは考えない。青鬼に、遊ぼう、とせがんだ。
「じゃあ、これであそぶか」
青鬼が取り出したのは、金棒。
やった!と、子供らしく小鬼は喜ぶ。この、鋳物製の重い棒を小柄な体でぶんぶん振り回すため、青鬼はしばし使うのを禁止にしていたが、最近は山の皆に優しくできるようになったからな、と解禁された。
そこで悩むのが、金棒で打てそうななにか、である。
「あ、これは?」
そう言って小鬼が取り出したのは、数珠だ。
山を出るとき、烏天狗がかけてくれた。
おまじないだ、と。
青鬼の住みかに来てからは、邪魔だからと洞穴に無造作に置いておいた。
普通に人間が使う数珠より、珠のひとつひとつが大きい。
これを打てばさぞかし遠くに飛んでいくだろう。
小鬼は想像しただけでわくわくした。
「ああ、それは、てんぐさまがくれたものだと…だいじにしないと」
さすがにそれは、と、青鬼が慌てて止めた。えー、と小鬼は不満そうな顔をしたが、大天狗の渋面を思い出したらしい。
「うーん、帰ってまた大天狗さまに叱られるのも嫌だし…大天狗さまの小言は長いからなあ」
面倒くさそうに言い、数珠はとりあえず首にかけ、何か代わりになるものはないかとあたりを見渡す。
「やっぱりこれかなあ」
松ぼっくりに、木の実。
「よし!じゃあどれだけ遠くに飛ばせるか競争だな!」
「いやあ、おれはきょうそうは、にがてで…」
張り切る小鬼とは対照的に、青鬼は及び腰だ。しかし小鬼は構わず打ち始める。
かーん。
「ああ~」
かーん、かーん。
ひたすらひたすら、小鬼は松ぼっくりを飛ばす。
時折、鳥が驚いて飛び立つが、当たらないように打ってるのか、怪我をした獣たちはいないようだ。
「楽しいな!」
小鬼が満面の笑みで青鬼を見る。
「たのしいなあ」
青鬼も満足そうだ。足元の松ぼっくりを小鬼に向かって放る。
かーん。
乾いた音がこだまする。
「なあ、こおに」
「何だ?」
振り向くと、青鬼の一つ目が、小鬼の赤い目をじっとみつめていた。
「こおには、やまにかえるのか」
小鬼も、まっすぐに見つめ返す。
「うん」
短く、当たり前だという口調で答えた。
そうだ。自分の住む山は、ここではない。
ここには、金棒を届けにきただけなのだが、思った以上に長居してしまった。大天狗、烏天狗、小さい天狗の顔が思い浮かぶ。
いってらっしゃい。
そう送り出してくれる人達と、帰るべき場所があるから、こうしてどこへでも行けるのだ。
「青鬼は、寂しいのか」
うん、そうだ。おまえはさみしくないのか。すでに青鬼の目からは涙がぼろぼろと溢れだし、言葉にならない。
「俺も、寂しい。でも、俺はいつでも自分の力で歩いてここに来られる。だから、お前も遊びに来たらいい」
うんうん、と青鬼はなおも泣いている。
「俺の家は、あの山だ。でも、天狗たちがいる山も、俺の大事な場所だ。青鬼がいるこの山も、俺は大好きだ」
青鬼の肩に、雀が止まった。
「お前がこの山からいなくなったら。こいつらも寂しがる。おんなじだろ?」
雀が鳴く。鋭い爪が生えた青い指をさしだすと、飛び移ってきた。
「大好きな場所は、たくさんあるほうが嬉しいもんな」
小鬼は、歯を見せて笑った。
大きな歯も鋭い爪も、少なくともこの二人の鬼たちにとっては、他の者を傷つけるものでは無いのだ。
「けどな、おおてんぐさまは、やっぱりしんぱいしてるだろう」
青鬼は西日が差す茂みを掻き分けながら獣道を歩く。人間が捨て置いた動物の死骸を探しているのだ。今日の夕飯にするためである。
「そうだなあ」
大天狗の怒号を思い出して憂鬱な顔をしたのは、小鬼だ。
首に下げたままの数珠をじゃらじゃら鳴らしてみる。
天狗の山を出てから、何日経っただろうか。
この山での暮らしは楽しいし、獣たちとも友達になれた。
しかし、やっぱり自分の帰るところは、小屋のある山なのである。
「明日帰るよ。楽しかった。ありがとうな」
小鬼の言葉に、青鬼はそうか、とだけ言った。
遊びに来い、と言ってもらえた。小鬼が帰っても、たとえ行けなくても、その言葉だけで青鬼の心は満たされたのだ。
林の中に、旋律が流れた。小鬼が口ずさんでいる歌だ。
「うたが、すきなのか」
「ん?ああ。烏天狗が歌ってくれるんだ。あ、烏天狗っていうのは、天狗の母ちゃんな」
ところどころ忘れているのか、歌詞や音程が不明瞭になる。すると、青鬼が歌を継いだ。
「知ってるのか」
驚いて振り向いた小鬼に、青鬼はにっこり笑って頷いた。
「ああ、むかし、よくうたってくれたひとがいたんだ。ほら。おまえみたいな、あかいめのひとだ」