新しい力
短めです。
嵐や時化で自然に起きるものとは一線を画す速度と規模の巨大な津波が眼前まで迫っていた。形容するならば海水の壁とでも言ったところか。
シーサーペンス号の起動は確実に間に合わない。もし間に合ったとしても、のらりくらりと方向転換してる間に船はその猛る荒波に飲み込まれ、膨大な水流と水圧により瞬く間に瓦礫と化すだろう。
「リ、リンタロー!なにか手はあるのかい!?」
噴き出す冷や汗と荒ぶる海の波しぶきで全身水浸しになったザリアネが津波を睨み付けたまま倫太郎に聞いた。
倫太郎ならばこんな絶望的な状況をも切り抜ける手を持っているかもしれない、そんな希望的観測を込めた問い掛けだったが、それに対する倫太郎の答えは芳しいものではなかった。
「…いや、まだこれと言った打開策は思い浮かばねぇ…」
「そんな…」
ザリアネと同じく津波を睨み付ける倫太郎だが、未だ打開策などは欠片も見出だせず闇爪葬のグリップを強く握り締めて立ち尽くすのみだ。
頭の中では活路を模索し、目まぐるしくマルチタスクによる演算が行われてはいるものの、もう十秒足らずでシーサーペンス号と接触するまでに接近した大波を凌ぐには何をするにも圧倒的に時間がなさすぎるのだ。
ザリアネの手持ちのレガリアの中にも巨大な津波をどうにかできるようなものはないらしく、歯噛みするばかり。
剣術に特化しているエリーゼは己の無力を嘆いているのか俯いており、その表情は窺えない。
せめて一分。いや、三十秒だけでも時間があれば…。そんな無意味な“たられば”が一瞬だけ倫太郎の頭を過ったとき、強力な助っ人たちが現れた。
「「「フローズンランサー!」」」
襲い来る津波に向かって倫太郎たちの背後から夥しいまで数の氷の槍が飛翔した。一本一本の威力はお世辞にも強力とは言えないが、幾重にも折り重なることで大規模殲滅魔法にも匹敵する効果をもたらした。
すぐ目の前まで迫ってきていた大津波は数百もの氷雪系の魔法『フローズンランサー』によって津波のフォルムをそのままに、波の表面からどんどんと凍り付き始め、波の速度は急激に落ちてきていた。
「マール、レディ!」
「ギリギリ間に合ってよかった。船に乗ってた氷雪系の魔法を使える人たち全員呼んできた」
海龍が暴れ始めてから今まで、船内に残ったレディとマールは海龍が怖くて部屋に引き籠っていたわけではない。
海龍と倫太郎たちが戦闘を始めたことを船内放送で知った彼女たちは、海龍の最後っ屁である海還の可能性があることにマールが気づいて船内を駆けずり回り、氷雪系の魔法を使える者を片っ端からかき集めたのだ。
約千人の乗客のうち、大なり小なり攻撃魔法を使える者は約三百人、その中で氷雪系の魔法が使えるのは約五十人程。その全員が一斉に放った初級魔法であるフローズンランサーは一人一人の威力は大津波に対して微弱なもので大した効果はない。しかし、それも束になれば話は違ってくる。
「皆さん!もう少し、あと少しで津波の動きを完全に止められます!魔素を使いきるまで氷雪系の魔法を撃ち続けてください!」
マール先導のもとに魔法使いたちのフローズンランサーが絶え間なく津波を穿つ。数分間にも及んで氷の槍を放ち続ける魔法使いたちは徐々に疲弊の色を顔に滲ませ始め、最初ほどの勢いは今はない。しかし、全員の体内魔素が空になる頃には津波は完全に凍り付き、今では微動だにしない氷の壁へと姿を変えていたのだった。
「…やった…。…やったぞッ!海還を止めたぞ!!」
「助かったんだ!生きて国へ帰れる!」
「うおぉぉぉー!!!快挙だぁッ!!!」
「オレぁもうクタクタだよ…」
災害級の被害をもたらす海龍による海還を退け、乗客は沸き上がった。肩を抱き合い喜びに涙する者、緊張の糸が切れてへたり混む者、魔素がすっからかんになりながらも満足そうに意識を手放す者と様々だ。
「………」
その歓喜の渦の中で、倫太郎ただ一人は微動だにしない津波の氷の彫刻を睨んだままだった。
……パキッ……ピシッ……
歓喜の雄叫びが鳴り止まぬ中、静かに、しかし確実にその時は近づいていた。そしてそのことに気づいていたのも倫太郎一人であった。
「オッサン!早く船を出してくれ!」
「よっしゃあ!操舵室、各レガリアを起動!凍った津波を迂回して順路に戻せ!出発だ!」
『了解!シーサーペンス号、再起動します!』
機械の甲高い起動音とともにシーサーペンス号がゆっくりと浮かび上がり向きを変える。船に搭載されたレガリアが順次稼働し始める。もうすぐ発進できるというところまできて、それは起きた。
…ビシッ!……バキン!…ビキッ……バリンっ!
最初は小さな亀裂だった。それが下から上へとせり上がるように、幾重にも枝分かれしながら極太のヒビとなり氷付けの津波に広がってゆき、ついには全体を覆い尽くしてしまった。
「なんだぁ!?」
乗客にもにわかにざわめきが起こるが、それと同時に凍った津波は崩れ落ち、その下から崩れた氷塊を飲み込みながら新たな津波が突如として姿を現した。
先程の比ではない。氷塊を抱え込んだ荒ぶる津波だ。海還は死んでいなかったのだ。
「……終わった。もう、助からねぇ…」
誰かが呟いた。喜びを分かち合っていた和やかな空気は消し飛び、デッキにいる者の殆どは膝を付いて絶望の眼差しで呆然と襲い来る第二の津波を眺めているだけだ。完全に心が折れてしまったようだ。
「まだです!まだ終わってません!もう一度…いえ、何度だって凍らせてやりましょう!あの津波のどこかにアストラル体の核があるはずです!それさえ破壊できれば…全員で生き残りましょう!…コキュートスブロア!」
僅か一小節の短い詠唱に莫大な魔素を注ぎ込み、マールが氷雪系大規模殲滅魔法を襲い来る津波の真正面にぶち当てた。効果は絶大…とはお世辞にも言えない。当たった範囲は一瞬にして凍って動きを止めるが、圧倒的な水量と水圧によって凍った箇所はすぐに砕けて押し返されてしまう。正直、時間稼ぎにもなっていない。
しかしマールは構わず己の持てるすべてを振り絞る勢いで魔法を打ち続ける。
急激に体内から魔素が流れ出て行く負荷でマールの顔色は青ざめてゆくが、歯を食い縛りながら魔法を乱発する彼女の眼に諦めの色はない。
「…そうだ。こんなとこで死にたくねぇ…死ぬわけにはいかねぇ!オレぁやるぞ!」
「俺もだ!何回でも凍らせてやるぜ!」
「魔素全部使いきってブッ倒れたって構わねぇ!絶対生き残ってやる!」
苦しげな表情ではあるが、諦念を欠片も見せずに単独で高火力魔法を連発で行使するマールに周りも感化され、一人、また一人と立ち上がる。魔法使いである彼らにはマールの背中が余程大きく見えていることだろう。
「「「アイスニードル!!!!!」」」
低火力ながら魔力消費が少なく、連射の効く氷雪系魔法のアイスニードルが夥しい群れとなり、再び津波を凍らせ始める。
魔法使いたち全員の意地とヤケクソによる氷雪系魔法の連発により次第に波の勢いは弱まり、もう少しで完全に凍りつかせるところまで漕ぎ着けた。
「もう少しです。皆さん踏ん張ってください!」
誰よりも高威力な魔法を立て続けに放ち続けるマールの檄は皆を奮い立たせる。それに呼応するように魔法使いたちの士気は上がり、飛翔するアイスニードルの弾幕も濃くなりつつある。が、海龍のどす黒い怨嗟の念を多分に孕んだ海の激流はすべてを飲み込まんと迫る。
「くぅっ……もう…魔素が…」
弱まる魔法使いたちの攻撃とは逆に、ここに来て勢いを増す津波。誰かが放った出枯らしのようなか細いアイスランサーを最後に魔法使いたち全員の魔素は枯渇してしまったようだ。
死。誰もがその一文字を頭に思い浮かべたとき、なんの前触れもなく赤黒い爆光が世界を覆い尽くした。
「待たせて悪かったな。あとは任せろ」
閃光が支配する中、聞こえてきたのは倫太郎の声。その声音には死の縁に立たされている焦燥や絶望感はない。
光が収束し視界が戻ったとき、魔法使いたちと津波の間に倫太郎は立ち、その手には見たこともない巨大な金属製の大筒が握られていたのだった。
ゆうに二メートルを越える超ロングバレル、砲口は成人男性の頭が入りそうなほどの馬鹿げた口径を誇る。破滅的な破壊をもたらすであろう弾は爆煉石とファバン鉱石をブレンドした倫太郎特製品だ。その弾を込めるシリンダーは九連装、すでにフル装填されており、出番を待つかのように弾倉から鈍く輝く弾頭を覗かせていた。
闇爪葬を用いて創造したのはグレネードランチャーだ。刃物にしか変形できないという闇爪葬の制限があるため、バレルの下部がすべて鋭い刃となっている。光を吸い込むような漆黒のボディと同色の刃の刃文がヌラヌラと揺れる。
『ヒャッハァッ!!!コレァ銃ってヤツだけどなんか違ぇなァ!ワカルぜェ!?とんでもねぇ弾をブッパなすんだろォ!?テンションアガるなァリンタロー!』
「久しぶりに喋ったと思ったら相変わらずうるせぇな。今そういう空気じゃねぇからちょっと黙ってろ」
バシュン!バシュン!バシュン!
圧縮空気を大気解放したときのような発砲音が三発、巨大なグレネード弾が同じく三本の細い燃焼煙を引きながら津波へ飛ぶ。
ガンブレードの弾丸とは違い、緩い弧を描きながら黙視できる速度で飛翔するグレネード弾にデッキにいる者の視線が集まった。
着弾と同時に三つの太陽が津波を飲み込んだ。否、まるで太陽が三つ目の前に現れたかのような爆光と熱風が海水を瞬時に蒸発させたのだ。
肌を焼く熱波と爆音、目も眩む閃光が海を蹂躙する。爆炎に飲み込まれた津波は爆風で吹き飛ぶよりさきに即座に蒸発、とんでもない熱量だ。
倫太郎はダメ押しにもう三発射出し、津波の水飛沫さえも蒸発させる。一発でサッカー場をも悠々と飲み込むほどの大きさの爆炎を起こすグレネード弾による六回目の爆発が終わったときには津波など影も形も消え失せていた。
……ガァァァァァァアアァァァァ…
死んで海の一部となったはずの海龍の苦悶の声がどこからともなく木霊する。どうやらアストラル体である海龍の核も海水とともに完全に蒸発してしまったようだ。
静まり返る海。膨大な熱量をもって海水が蒸発させられたことによる絡み付くような湿気が残っていること以外は穏やかな青が広がる平時の海原だ。つい数秒前まで生きるか死ぬかの瀬戸際だったとは思えない長閑な風景である。
「ふぅ…やっとくたばったか、あの生モノ。意外としつこかったな。んじゃオッサン、船を出して……んん?」
倫太郎の錬金魔法による爆光から始まり、グレネード弾の圧倒的な火力と耳を塞いでなお鼓膜が破れそうなほどの爆音に戦き、倫太郎以外の者たちは全員デッキで腰を抜かしてヘタリ込んだ状態だ。
「おい、お前ら。今はそういうギャグシーンじゃねぇだろ。ったく…締まらねぇ奴らだな」
「「「お前のせいだよ!!!」」」
海還の脅威が去った大海原、澄み渡る空とどこまでも青い海の境界は曖昧でどこか幻想的だ。
心労に心労を重ねた魔法使いたちの心を多少は癒すことだろう。
そんな彼らの気苦労など知らんとでも言うように倫太郎は魔法使いたちと同じように腰を抜かしているルーダを引き起こした。
「おら、オッサン。早く船出してくれ」
「おめぇ鬼かよ…。ちょっとは休ませろってんだ」
「あん?あの生モノが暴れだしたあたりからアンタずっとそこで座ってたじゃねぇかよ」
「ぐっ…。しっかり見てやがる。ちっ、しかたねぇ。よし!操舵室、シーサーペンス号起動だ!時間くっちまった分カッ飛ばして行くぜ!」
甲高い起動音を響かせながら再び浮かび上がるシーサーペンス号。倫太郎が海に投げ入れた手榴弾の影響はなく、調子よく各レガリアと機械は起動した。
目的地は南の大陸、レーレント港。そこまで行けば魔法大国エルドミニアはもう目と鼻の先だ。
客室に戻り、座席に着いてカタパルトで撃ち出されるような強烈な加速を感じながら倫太郎はエルドミニアに地球への帰還の手掛かりがあることを願った。
いつも「攻撃魔法は使えないけどお前の眉間に鉛玉ブチ込むくらい余裕」を見ていただきありがとうございます。
更新1ヶ月以上空けて申し訳ありません汗
私事ではありますが、本業だけでは生活が厳しくなったため副業に手を出し始めたら執筆の時間が…(^-^;
最後までエタらず書ききりたいと思いますので応援よろしくお願いいたします!




