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悪魔

三度、不躾な力加減で扉を叩く音が響いた。


王城の六階のフロアは王子と王女たちの居住区であり、彼らの執務室も兼ねている。基本的に出入りできるのは王族と専属の執事とメイドや特定の近衛騎士に限られていた。


しかし今は倫太郎を筆頭にレディ、マール、ザリアネの部外者が足を踏み入れている。前代未聞のことであるが今はそれどころではない。


「はい、開いています。どうぞお入りください」


扉の内側から鈴の鳴るような声音で返したのは第六王女のシルディアであった。


「お邪魔しまーす」


「あら?リンタローさん。さきほどぶりですわね。皆様まで…。どうかなさいましたの?ダリヤ、お茶を煎れてちょうだい」


倫太郎たちがシルディアの執務室へと足を踏み入れると、シルディアは執務の最中だったらしく広いデスクで書類に筆を走らせているところだった。忙しいはずだが嫌な顔もせず一旦筆を置いてニコリと微笑み、倫太郎たちにソファへの着席を勧める。


その横では直立不動でシルディア専属のメイド、ダリヤが控えており、シルディアの命令に短く「はい」と答えると手慣れた手つきで人数分のお茶を煎れ始めた。


「まさか…。シルディア殿下が…?」


いつも以上に固い表情でポツリと呟いたのはグーフィだ。レレイラと特に仲の良いシルディアが暗殺を企てるなど到底信じられないらしく、疑うような目でチラチラと倫太郎を横目で見るが倫太郎は慌てる様子などなく「まぁ任せとけ」とでも言いたげな余裕の態度だ。


「忙しいとこわりぃな、姫さん。お茶飲みながら世間話しにきたわけじゃねぇんだ」


倫太郎は先のような丁寧な言葉と態度で対応しようかと考えたがぶっちゃけ面倒だったため、いつも通りの倫太郎節で接する事にしたようだ。誰も彼も心に余裕はないようで、それを咎める者はいない。


「えっ?はぁ…。一体どうなさったんですの?」


「実はな…レレイラ姫に暗殺者を差し向けた奴がアンタら兄弟の中にいるんだ」


「…え?…」


「リンタロー!」


ポカンとした顔で固まるシルディアに対し、エリーゼとグーフィは慌てて倫太郎の口を塞いだ。予めこの事は兄弟たちには知られてはならないと釘を刺しておいたにも関わらず何を血迷ったのかと責めるように睨むが、倫太郎は冷静にその拘束を振りほどいた。


「冗談じゃねぇ、マジだぜ?それで今は犯人探ししてるとこなんだ」


状況がよくわからなかったが故の間の抜けた顔から徐々に険しい表情へと変わっていくシルディア。グーフィとレレイラの慌てた素振りと倫太郎の真剣な口調から真実だと確信したようだ。


「…本当なんですの?一体誰がそんなことを…」


エリーゼとグーフィの取り乱し方が確信の決め手になり、倫太郎が言っていることは事実だと信じたようだ。

シルディアは悲壮感を(あらわ)に憤りを隠そうともせず、奥歯を軋ませながら怒りで体を強張らせる。


とても演技だとは思えない。辺りには「本当にシルディアが黒幕なのか?」という疑念の空気が漂っている。だが倫太郎はシルディアではなく、終始全く別の方向にいる人物を見ていた。


「こんな国の行く末に関わるようなヘビーな話題なのに一切反応なしってのは…観念したのか、開き直ってんのか…どっちだ?メイドのねーちゃん」


倫太郎の刺すような視線はティーセットが積まれたワゴンで静かにお茶の準備をしていたメイドのダリヤに向けられていた。黙って聞いていたレディたちやエリーゼ、グーフィも倫太郎の言葉の意味を理解すると同時に全員同時にダリヤへと視線を移す。


「…お戯れを。なぜ私がそのような大それたことを…。大体貴方は矛盾しています。ご自分でさきほど「犯人はレレイラ様のご兄弟にいる」と、確かにそうおっしゃっていたではありませんか」


濡れ衣を着せられそうになって慌てて弁解するメイドに見えることだろう、倫太郎以外には。


倫太郎からしてみれば、このメイドの全ては嘘で塗り固められているようにしか見えていない。


手段も動機もまだわからない。本来ならば外堀から埋めていくのが定石であるが、今回は出たとこ勝負だ。しかし負ける気はサラサラない。


「シルディア姫と面談したとき、お前ずっと目を瞑って黙っていたよな?おかげで最初は全然気づかなかったぜ。けどレレイラ姫の話をしながら注意深くお前を見たら、お前の目以外の全てが俺に教えてくれたよ。『私は隠し事をしています』ってな。王子と王女全員に話を聞いたが、なにかを隠そうとしてたのはお前だけだったぜ?…そもそもお前からは人間の匂いがしねぇんだよ」


「………フッ、フフフフフッ。以外とあっさりバレちゃいましたね。やはりまどろっこしいやり方は私に合いませんね、さっさと自分で殺した方がよかったです。それにしても貴方は相手の目を見て嘘を看破するという情報でしたが…嘘を見抜く判断材料は目だけではないってことですか。厄介ですね」


部屋にいた全員がゾワリと身体中の毛が逆立つ感覚を感じた。

ダリヤの足元から赤黒い湯気のようなものが噴出し、ダリヤを包み込む。

うねり、(とぐろ)を巻きながら天井付近まで立ち上ったそれが徐々に晴れる。そこにはメイド姿ではなく扇動的な格好のダリヤが薄ら笑いを浮かべながら立っていた。額からは山羊を連想させる角が二本生えている。


「魔族…いや、貴様、悪魔かっ!?」


グーフィが間髪入れず抜刀し正眼に構えてレレイラの前に立つ。敵意を剥き出しにしてダリヤを睨み付けるが、彼女はまるで意に介さないようでニタニタと微笑を絶やさない。


この世界の悪魔とは地球のように崇拝や忌避の対象ではなく、実在する種族だ。

だが種族ごとにコミュニティを形成して繁栄してきたわけではなく、彼らは突発的に『発生』する。故に扱いは魔物に近い。しかし魔物との決定的な違いは高い知能と戦闘能力を有し、言語を自在に操るということ。そして何よりも厄介きわまりない固有の能力を持つ。


「なるほどな、悪魔が黒幕ならば納得だ。お得意の固有能力である『催眠』と『傀儡』でシルディア殿下を操り暗躍することでレレイラ殿下の暗殺を企てたわけか」


エリーゼも腰の細剣を抜き放つ。しかしエリーゼもグーフィも表情には出さないが冷や汗を滴らせている。相手が自分の力量ではどうにもならない手練れだと本能的に理解しているのだろう。


「フフフっ、ご名答。見物でしたよ。シルディアにレレイラ暗殺を命じられたときの騎士たちの間抜けな顔ったら…今思い出しても笑えます。でも騎士だけじゃ人手不足は否めないので騎士たちと出身地の同じ賊たちにもコンタクトを取ってこう言ったんです。「レレイラ暗殺に手を貸せ、拒めばお前らの故郷は更地になると思え」ってね。そうしたら快く引き受けてくれましたよ」


そう言いながらダリヤは恍惚とした顔で嗤った。


悪魔の催眠と傀儡にかかっている間はシルディアにその記憶はない。己の与り知らないところで自分がそんな残虐非道な命令を下していたと知り、シルディアは崩れ落ちた。


「まさか…そんな、私が……。うっ、げぇっ!ゲホッ、げぇっ!」


「シルディア!」


心から慕う姉であるレレイラを、操られてたとはいえ暗殺などという恐ろしい謀略に加担していたという事実にシルディアは精神の許容量を易々と越えてしまったようで顔面蒼白になり吐瀉物を撒き散らす。

そんなシルディアを気遣い駆け寄って背中を擦るレレイラに申し訳なさそうにシルディアは深く俯いたのだった。


「…なかなかいいシュミしてんな。んで?なんでレレイラ姫を狙った?」


いつの間にか闇爪葬をガンブレード形態で呼び出し、肩に担ぎながら倫太郎はゆっくりとダリヤに向かって歩きだした。


「動機ですか?簡単ですよ。その女の心の美しさと高潔さが癪に障ったからです。まるで私とは真逆の存在、見てるだけで虫酸が走りますね。弱者に寄り添う?偽善者の思考です。弱者は踏み潰すために存在してるんですよ」


さも当然と言わんばかりに嘲笑い見下すように冷ややかな目でレレイラを睨むダリヤ。

害意がたっぷりと込められたその視線は耐性のないレレイラには心臓にナイフを突き付けられているも同然だった。ガクガクと笑う膝が言うことをきくはずもなく、力なくその場にへたりこんでしまった。


「よし。黒幕の正体も動機も犯行の手口までわかったんだ。あとコイツに聞くことなんてねぇよな?(やっこ)さんもヤる気満々だ、サクッと片付けちまおう」


エリーゼとグーフィの方を振り返りそう聞くと、二人は顔を見合わせ静かに頷いた。

ダリヤの放つ殺意が空間を歪ませ、ユラユラと揺れる陽炎のように視覚化していた。ここで全員殺すつもり満々らしい。


倫太郎がグーフィに目配せする。その意図をグーフィは正確に読み取り、足腰の利かないレレイラとシルディアの手を引いて素早く部屋の隅へ待避していった。


「さて、これからお前は死ぬことになるけど、何か言い残すことはあるか?」


ガンブレードの切っ先をダリヤに向けて言い放つ。そんな倫太郎を小バカにするかのようにダリヤは嗤った。


「死ぬ?私が?私を殺せるつもりなんですか?フフフフフ…敵との力量の差を感じ取れない戦士は三流以下ですよ?」


「じゃあお前は三流以下ってことだな。性格も根性も戦士としてもクソってことか。自己紹介どうも、三流悪魔さん」


ヘラヘラと見下すように(あざけ)る倫太郎に対し、ダリヤの目が座る。

次の瞬間、ダリヤの尖った五指が伸縮自在の槍のように伸びて高速で倫太郎に襲いかかった。


ギギギギギィン!


そのすべてを闇爪葬の剣の腹で受けきると金属同士がぶつかり合ったような硬質な音が響いた。


「余程死に急いでるようですね。お望みどおり貴方から殺してあげますよ」


ダリヤは倫太郎の挑発で完全にキレている様子だ。瞳孔は開いて額には立派な青筋が走っていた。

もう既にシルディアの傍で控えていた侍女としての面影などほとんどない。憎悪と殺意に満ちた形相は悪魔らしいと言えば悪魔らしい。


ダリヤが両手を振りかぶり一気に振り下ろすと両手の指すべてが伸び、倫太郎に向かって殺到する。


ガガガガガガガァン!!!


それを腰だめに構えた闇爪葬による正確無比なクイックドロウにて迎撃。十指の内七本は進行方向を大きく逸れて壁や天井に突き刺さったが、残りの三本は倫太郎の心臓を抉らんと真っ直ぐに空を裂きながら突き進む。


しかしそれは予定通り、限界まで引き付けて闇爪葬の横凪ぎの一閃でその三本を同時に斬り飛ばした。


「っ!?ぐぅっ!」


ダリヤは一瞬だけ顔を苦痛に歪ませはしたものの決定的な隙を晒すことはなかった。それどころか天井を突き破った指を方向転換させ、倫太郎の真上の天井を突き破って再度部屋に侵入することで闇爪葬を絡めとった。


達人の振るう変幻自在の鞭のように闇爪葬に巻き付いたダリヤの指はガッチリと固定されていてなかなか引き剥がせない。


「武器は没収です!串刺しになりなさい!」


残った六本の指が同時に倫太郎へと同時に迫りくる。まるでレーザーのように一直線に急所を貫かんと急迫するが倫太郎からしてみれば遅すぎて欠伸が出るほど余裕があった。


名残惜しげもなく闇爪葬を手放すと床を踏み抜く脚力にモノを言わせ超低空で滑るように疾駆、僅か一歩でダリヤとの距離をゼロにした。ダリヤはまったく倫太郎の動きを捉えられておらず、瞬間移動でもしたように感じたことだろう。


(まばた)き以下の刹那で肉薄されたダリヤからすれば「気付いたら目の前にいた」という状況だ。


ぎょっとしてダリヤの身体が強張(こわば)る。そのチャンスをみすみす見逃す倫太郎ではない。


「っらァッ!」


全体重を乗せた渾身の右ストレートが吸い込まれるようにダリヤの頬にメリ込む。ゴチャッ!という聞こえてはいけない水気を含んだ衝突音が部屋中に響いた。

それと同時に吹き飛び、きりもみ回転しながら窓ガラスを突き破ってダリヤは外へと飛び出した。落下する先は王城中庭の石畳、普通ならば生きてはいない。

もしかしたら倫太郎の一撃で絶命したかもしれないが、考えようによってはそのほうが幸せだろう。数秒後、遠くからドシャッと重量物が地面に叩き付けられる音が聞こえてきた。


「うわぁ…ここ六階でしたよね?」


「……多分、今窓の下を見たら汚い赤い花が咲いてる」


ドン引きするマールとレディを傍目に倫太郎はダリヤと一緒に窓からフリーフォールしていった闇爪葬を呼び出した。いつものように黒い霧が倫太郎の右手へと集束し、ガンブレードの姿で現れる。


『よォよォ、リンタロー。あのサディスティックねーちゃん、グッチャグチャだけどまだ生きてるぜェ?メチャメチャしぶてェ。ゴキブリ並の生命力だなァ。しかも再生しようとしてやがる』


「…マジかよ。三流悪魔のクセに粘るなぁ」


本気で嫌そうに舌打ちして闇爪葬から空の薬莢を取り出し、リロードを済ませた。

砕け散った窓から下を覗くと石畳に叩き付けられて四肢が曲がってはいけない方向へ曲がり、腹の中身を盛大にぶち撒けながらもモゾモゾと蠢くように復元しようとしているのがわかった。


「あの三流悪魔の侍女、まだ生きてやがる。ほら見てみろよ」


倫太郎は胸糞わるそうにそう吐き捨てるとザリアネも倫太郎に次いで窓からダリヤの様子を確認するとザリアネの顔色がサァッと青ざめていった。


「えっ…っ!?再生能力を持っている悪魔っ!?…聞いたことないよ、そんな個体。新種…いや、突然変異かもしれないね」


ザリアネの口振りからすると、本来悪魔という種は瀕死の状態から再生などしないようだ。だが目下の悪魔はほぼほぼミンチに近い致命傷から再生しようとしていた。

それだけでも辟易するほど面倒な相手なのは言うまでもないが突然変異だというのならば、もしかしたら他にも厄介な能力を隠し持っている可能性は高い。


まぁ、それでもやることは変わらないのだが。


「んじゃサクッとトドメ刺してくるわ」


「あっ!ちょっ!…ウソ……」


まさかと思ったレレイラが声を上げるが、何事もないように六階の窓から飛び出した倫太郎を引き止めるには少し遅かったようであった。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


誤字脱字の指摘、ダメ出しすら執筆の励みになりますのでどんどん教えてください。


「面白い」「続きはよ」「書籍化希望」などと微粒子レベルでも思ったら応援よろしくお願いします!

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