仮釈放
「ムショ帰りの風呂は最っ高だな」
身体から湯気を立ち上らせ、髪を拭きながら脱衣場から出てきた倫太郎の表情は至福そのもの。一週間もの間風呂に入られなかった故に風呂上がりの爽快感はいつもの比ではないようだ。
普段は全方向に絶えず注意を払い、いつなんどきどんな場所で敵襲にあっても対処できるように気を張っていていつもどこか険しい顔の倫太郎だが、今この時だけは完全に表情筋が弛緩しきっていた。
「今度レディが背中流してあげる」
「じ、じゃあ私は前を…」
「いや結構だ。風呂は絶対一人で入る派なんだ俺は。つーかお前ら当然のように俺の部屋にいるんだな」
フィンネルの憲兵本部襲撃事件からもう数日が経ち、倫太郎たちは束の間の安寧を取り戻していた。
宿屋『渡り鳥の巣』にそれぞれ個室を借りているのだが、気が付けばマールとレディは暇があれば倫太郎の部屋で寛ぐのが常習となっていたのだった。
あの後、フィンネルは憲兵本部で倫太郎らによって捕縛され、憲兵本部長であるロイの判断で王城へと移送される運びとなった。
王都グランベルベの憲兵団は主に都内の治安維持を業務とする国営組織だ。その興りは古く、トルスリック王家が発足した初期にまで遡る。しかし長い歴史の中でも他国の王族を下手人として挙げたことなど初めてであり、正に前代未聞である。
憲兵団を総括する本部長であるロイはさすがに頭を抱えた。他国の王族相手に取り調べや尋問、ましてや収監などできるはずもなく困り果てた末に「王族のことは王族に判断を任せよう」という丸投げに近い結論に至る。
そしてロイはフィンネルを捕らえて直ぐ様王城へ使者を遣わせ、今回の顛末の委細を王家に報告を上げた。その結果フィンネルの身柄は王城で預かるということになったのだ。
「しっかしまさか即日釈放されるとは思わなかったな。まぁ俺としちゃありがてぇんだけど、それでいいのか?って気がしなくもねぇんだよなぁ」
コップに注いだ果実水を乾いた喉へ一気に流し込んで一息つき、ベッドに腰掛けながら倫太郎は釈然としないように呟いた。
今回の騒動で倫太郎の相手などしている場合ではなくなったという一面もあるが、フィンネルによって憲兵団本部の建物はほぼ全壊状態で、団員の負傷者は数えるのも億劫になるほどの被害が出ていた。しかもその騒動の犯人は他国の王族という非常に面倒且つデリケートな事案だ。
そんな状況の中で倫太郎の『正当防衛の可能性の高い殺人程度』の事件の聴取をいつまでもしているほど今の憲兵団には人員も収容施設にも余裕などない。
それに倫太郎はその襲撃犯を捕縛するのに一役買った功労者であるため、ロイの判断で仮釈放という名目のもと解放されたのだった。
「でもフィンネル王子が憲兵団本部を襲撃したのはあそこにリンタローがいたからですよね?そのあたりの事情を説明してもらうために近いうちにまた出頭要請をかけるって本部長さんが言ってましたから、まだ完全に終わった話にするのは尚早ですよ」
「そうなんだよ。面倒くせぇ…。もういっそのことさっさとこの国から出ちまうか。呼び出しがかかる前にさ」
「そんなことしたら国外逃亡と見なされて今度こそ国際指名手配される。さすがにそれはレディでもわかる」
「…言ってみただけだよ」
開き直ったようにそんなことをぼやくが、冷静にレディに突っ込まれて倫太郎はダルそうにベッドに寝転んで天井をぼんやり眺め始めたのだった。
そんなとき、ノックも無しに倫太郎の部屋のドアが勢いよく開いて一人の女性が駆け込んできた。髪を乱して肩で息をするほど急いでやって来たのは毎度お馴染みのレガリア専門店の店主、ザリアネだ。
倫太郎を確認した瞬間、間髪入れずに倫太郎の胸へと飛び込んだ。
「リンタロー、来たよっ!…くんくん、すぅ~…ふぅ。この匂い…石鹸のパフュームとリンタローの男の香りか融合して芳しいフレーバーに昇華しているね。クセになりそうだよ」
「ザリアネ、お前もナチュラルに俺の部屋に自由に出入りするのはなんなんだ。ここのセキュリティはザルかよ…あと嗅ぐな、抱き付くな、離れろ」
倫太郎の腰にしがみついて離れようとしないザリアネを無理矢理ひっぺがす。
倫太郎は釈放された直後、大きな鞄を持って鬼気迫る勢いで憲兵団本部へ突撃しようとしているザリアネとばったり出会った。
あとから聞く話によると、ザリアネは倫太郎が憲兵に連行されたことは商人のネットワークで知っていたものの、何の罪でいつまで拘留されるのか、そもそも出てこられるのかなどは全く情報が掴めず何日も眠れない夜を過ごしたとのことであった。
一言でレガリアと言ってもモノによって用途は千差万別で、大容量収納の那由多の異袋や万能言語翻訳機能の知理の指輪のように非戦闘型の便利アイテムに属するレガリアもあれば、一撃で地形を変える威力を有する物騒な性能を持つ物騒なレガリアまで様々なのだが、なんでも憲兵団本部でフィンネルが起こした派手な爆発音を聞き付けたザリアネは「リンタローの危機!?行かなきゃ!」と、鞄にありとあらゆる戦闘に特化したレガリアを詰め込めるだけ詰め込んで店を飛び出して憲兵団本部に乗り込もうとしていたのだ。
そのときのザリアネの慌てっぷりは相当なもので、倫太郎たちと憲兵団本部の外で出くわしたときに「あっリンタロー!今ね、リンタローのピンチかもしれないんだよ!」という迷言を残したほどだ。
「あっ。そうだザリアネ、コレ那由多の異袋の残りの代金だ。納めてくれ」
「んっ?…きゃあ!」
那由多の異袋から風船のようにパンパンに膨れた麻袋を取り出してザリアネに手渡す。
中には三千百万ベルもの大金が詰まっており、反射的に受け取ってしまったザリアネはその重量に耐えられずに前のめりにひっくり返ってしまった。
「これって…」
「だから那由多の異袋の代金の残りだ。利息分てことでちょっとイロもつけといた。納めてくれ」
「…つい何日か前までブタ箱に入ってたのになんでこんな大金を準備できたんだい?」
ザリアネの疑問はもっともだ。牢獄の中で稼げる内職をしていたというわけではなく、出所後すぐにマールのツテでオークションに出品してもらったアマギ石の落札価格のほんの一部である。
夢幻の回廊にてジョバンニ・エル・イグナイザー改めゴリ雄からもらった人の頭ほどもある馬鹿デカいアマギ石は国内外のセレブが集う会員制の由緒正しきオークションにて小国の国家予算にも匹敵するような額で無事落札された。
三人で分配しても一人あたりの分け前は数百年は遊んで暮らせるような桁違いの莫大な金額になったのだ。
何列にも分けられてなお堆く積まれた大量の百万ベル貨幣のタワーを前に普段は仏頂面がトレードマークのレディですら表情を驚愕一色に染めて金色の塔を見上げていた。
マールは例によって目をカネの形に変え、鼻息荒くヨダレをボタボタと垂らしながら……まぁとにかく顔面が放送事故レベル過ぎて詳細は口にするのも憚られたということだ。
通常ならばそんな大金は持ち歩くのは無理なのでギルドの金庫を借りて管理するが、その大量のカネを一瞬で那由多の異袋に収納して「そんなに見ても増えも減りもしねぇぞ」と目の色を変える二人をよそに、大金を見慣れている倫太郎はいつも通りだった。
「…まぁ日頃の行いの賜物だな」
一から説明するのが面倒だった倫太郎はそう言ってザリアネの質問をはぐらかした。
「日頃の行いが良い人は間違っても憲兵になんて捕まりませんよ」
「ツッコミ待ち?」
「…それはそうと今朝、王城から招待状という名の召集命令が来た。俺とレディ、あと数人くらいなら連れて来てもいいって書いてあるな。これはこの前お姫様を賊から助けた件の礼だとは思うけど…全然気乗りしねぇ。こちとら国になんて関わるつもりなんてねぇのに、やれ爵位授与だとか勲章がどうとか…そっとしといてくれればいいのに」
倫太郎はマールとレディのジト目を華麗に受け流して軽やかに話題を変えた。
早朝に城から使者が訪れ、高級そうな封筒を倫太郎に恭しく手渡して行ったのだ。その中には貴族街と王城の関所の通行証も同封されていた。
「ああ。そう言えばレディからそんなことがあったと聞きましたね。いいじゃないですか、勲章や爵位がいらないなら報償金という形でもらってしまえば。お金はいくらあっても困りませんよ」
「それが一番後腐れない。レディも正直偉い人が苦手だからできれば城になんて行きたくない」
もちろん倫太郎としてもこの国に縛られるような爵位の授与や勲章など願い下げだ。しかし面倒臭いからといって召集に応じなければカドが立つ。
倫太郎は寝転びながら手紙を眺めて溜め息を溢すのだった。
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「グーフィ、その憲兵団本部での一件ですが…もしかしてリンタローさんも関係しているのでは?」
山積みの書類がレレイラの公務室のデスクで溜まりに溜まっている。賊の襲撃以来、不安とストレスで仕事が手に付かない日が続いていた。
フィンネルが起こした憲兵団本部襲撃事件の報せは城内に一気に知れ渡った。
憲兵団の遣いの者から直接報告を受けたグーフィによってレレイラの耳に情報が入ったのだが、その話を聞いたときからレレイラの脳裏には倫太郎の顔がチラついた。
確信はない。が、なんとなく倫太郎が一枚噛んでいるような気がしてならなかったのだ。
突拍子もなくレレイラがそんなことを言うものだからグーフィは目を皿にして固る。
「さすが姫様、お耳が早いことで。憲兵の遣いの者が申すにはリンタロー殿とその仲間らがフィンネル王子の暴挙を止めたようですな。元々フィンネル王子はリンタロー殿となにかしらの因縁があったようですが…詳しいことはまだ分からないそうです。いやはや、彼は何処にいてもなにかしらの面倒事に巻き込まれる星の下にいるようですな」
本人が聞いたら甚だ遺憾の極みだと反論するだろうが、事実としてこの世界に来て間もない頃から倫太郎は事ある毎に戦闘や厄介事に奇跡的な確率で遭遇している。グーフィがそう思ってしまうのも無理はない。
「ああ、やっぱりですか。ちなみにこの件については貴方から今初めて聞きましたよ」
倫太郎とは知り合って間もないレレイラだが、グーフィから時折彼の話を聞いていた。「抜群にウデは立つがトラブル体質」というのがレレイラの倫太郎に対するイメージである。
「その一件での功績と憲兵団本部長との司法取引によりリンタロー殿は仮釈放という名目で解放されたようです。しかしまだフィンネル王子と因縁の件がハッキリしておりませんので完全に自由の身というわけにはいきませんが。まさか私がロイ・エルガンに直談判しに行こうというタイミングでこのようなことになるとは…。まぁ、手間が省けて僥倖でした」
以前グーフィが言っていた『旧知の友人』とは憲兵団本部長のロイである。
王家の威光にも騎士団の肩書きにも頼らずに倫太郎の減刑を求めて憲兵団本部へ赴こうとしていたのだが、それならばトルスリック騎士団の公務中に行くのは筋違いと考えたグーフィは公休を使ってロイに会いに行く予定でいたのだが、今回の騒動で倫太郎は解放されてしまい若干肩透かしを食らっていたのだった。
そしてレレイラは命の恩人である倫太郎が釈放されてホッとする反面、今回の騒動によって生まれた新たな問題に直面して項垂れていた。
「よりによって魔族国家ガルミドラ…ですもんね。あぁ、タダでさえ暗殺の件で慌ただしいのに、さらに面倒事が……さすがに疲れてきましたよ、私。あの国との外交担当も私ですしね…胃が痛いです」
「姫様…お労わしや」
ドサッと椅子に身を預けて遠い目で外を眺めるレレイラになんと労りの言葉をかけていいのか、気休めなど言わない方がいいのかわからずにグーフィは目を背けた。
「それはそうと、姫様。早速ですがリンタロー殿には例の賊から助けていただいた件で王城への招待状を出しておきました。一週間後に報奨授与日を行いますので姫様も御同席お願い致します。そして…その日に合わせて例の茶菓子が届く手筈になっております」
ニヤリと笑うグーフィ。“例の茶菓子”のワードにレレイラはバッと振り返って目を見開く。
かねてからレレイラが所望していた国外の超人気店の新作スイーツがやっと配達される目処がついたのだ。
「…くふふふ、そうですか。私、俄然ヤル気が出てきましたよ~!よーし!ではリンタローさんたちと憂いなくスイーツを楽しむためにこの書類の山を片付けちゃいましょうか!」
凄まじい勢いで書類に目を通し始めたレレイラ。暗殺の恐怖に押し潰されるまでいかなくとも、今までどこか上の空で覇気を失っていたのを間近で見ていたグーフィは心配でしょうがなかった。
茶菓子程度で気持ちを立て直してくれるかは疑問であったが、嬉しそうなレレイラを見ると、わざわざ国外まで足を運んだ甲斐があったとグーフィも嬉しく思えたのだった。
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