退屈からの脱却
「グーフィ。例の件、進捗はどうですか?彼らはまだ口をつぐんだまま?」
トルスリック王国第二王女であるレレイラ・ゼラ・トルスリックは自室まで呼び立てたトルスリック騎士団副団長のグーフィに訪ねる。
彼女は少し寝不足のようで瞼がやけに重そうだ。それもしょうがないこどだろう。なにせ暗殺のターゲットとなっているのだ。食べ物はすべて毒に見えるし、寝ている間に心臓を一突きされる想像を嫌でもしてしまう。大好きな焼き菓子さえまともに喉を通らない。
不安で夜も満足に寝られない日が続くのはまともな神経をしているのならば当たり前とも言える。
「はっ。その件ですが賊の一人が少々気にかかる証言をしたとのことです。しかし内容が内容ですのでここでは…」
「構いません。そう思ってさっき一等魔術師に遮音の障壁を三重に張ってもらいました。室外からの音はこちらには聞こえますが室内の音は隣の部屋はおろか、この部屋の天井裏にさえ音が漏れることはないでしょう」
王宮魔術師は三階級に分けられている。見習い扱いの三等魔術師、熟練の二等魔術師、国内でも有数の実力を持つ一等魔術師。一等魔術師ともなると魔法の真髄を極めたと言っても過言ではない奇跡を引き起こし、強力な魔法を自由自在に操ってしまう。
その一等魔術師が念を入れて遮音のために三重もの障壁を張ったというのだ。レレイラの部屋で爆弾が爆発しても誰も気付く者はいないだろう。
「では…。賊とトルスリック騎士団の面汚したちに意外な共通点が見つかりました。今捕らえている連中全員がここから西にあるトーシャ村という小さな集落の出身なのです」
「それは…今回の暗殺の実行犯全員が同郷ということですか?」
「はい」
難しい顔で俯いて考えこむレレイラ。トルスリック騎士団員と賊が同じ出生地、それは一体なにを指すのか。
トーシャという小規模集落が存在していることは知っている。
特筆すべき特産などはなく、これと言った特徴のない村だ。それどころかここ最近の雨の少ない乾いた気候のせいで農作物も不作で、税を払うのにも困っている貧しいイメージをレレイラは持っていた。
しばらく考えたレレイラだが、出生地の共通点ということがなにを意味するかわからないようで諦めて話の続きをグーフィに促した。
「それでその共通点が今回の件と一体どう関係しているというのですか?」
「はい。賊のメンバーと騎士団の面汚し共にそれぞれその共通点を持ち出して問い詰めたのですが、賊の頭が『故郷のためにやるしかなかった』と一言だけ…。それ以降はどんなに厳しい尋問をしても一切口を開きません」
「故郷のために、ですか…」
未遂とはいえ第二王女暗殺という大それた反逆罪、それがどうトーシャ村のためになるというのか。
暗殺を企てた黒幕の正体を聞き出すための尋問だが、謎が深まるばかりで解決の糸口は見えない。
尋問とは言うが実質やっていることは拷問である。その内容はあまりにも苛烈で、ありとあらゆる苦痛を叩き込む。
鞭で打ち、生爪を剥ぎ、水責めを繰り返す。加減を間違えれば死んでしまうハードなものだが、それでも頑として口をつぐみ続けるのはなぜか。
レレイラは第二王女である。現国王が退いた後は弟の第一王子が王座に就くため、レレイラはこの国の政治には関わることなく、政略結婚でどこかの有力国家に嫁いで行くことになるだろう。
ほんの数年内にいなくなる者をわざわざ賊と騎士団まで差し向けて殺そうとするだろうか。と言うことは私怨による線が色濃く浮上する。
「大変失礼かとは存じますが事が事です。今からする質問の無礼をお許し願います。姫様は、その…誰かから恨まれるような心当たりは?例えば縁談の相手を手酷く袖にした…など」
私怨による暗殺という可能性があるということにもちろんグーフィも気付いているようで、しどろもどろ聞きにくそうにレレイラの顔色を窺いながら聞くが、レレイラは首を横に振った。
「いいえ。縁談は何度もさせてもらってますが、誠心誠意丁寧にお断り申し上げています。その中に今回の首謀者がいるとなると探すのは困難でしょう…」
類いまれなる美貌を持つレレイラのもとには近隣、遠方を問わず毎日のように縁談の申し出が届く。今までにこなしてきた縁談など二百は軽く越えるだろう。
トルスリック騎士団を賊に派遣できる権力者、と言うことならば縁談を申し込んだ国内の、それも軍関係者の中の権力者が容疑者ということになる。
かなり絞り込めたように感じるが、実はそうでもない。
「十一部隊あるトルスリック騎士団に関係している権力者で姫様に縁談を持ちかけた者、ですか…。ゆうに百は越えますな」
公爵家、伯爵家、辺境爵家、王家の遠縁の親族、挙げればキリがない。
結局なにも進展がない、という事実だけが残り、レレイラとグーフィは疲れが滲み出たような溜め息を溢すだけであった。
そんな二人に沈黙が訪れたときレレイラの部屋のドアをノックする音が響いた。
「お姉様、ご機嫌麗しゅう。あら、グーフィもいたのですね」
「シルディア」
入室してきたのはレレイラの妹、第六王女であるシルディアだった。
くすんだブロンドの長い髪を縦ロールに巻き、鼻梁の通った涼しげな顔立ちでオリーブ色のくりっとした瞳が映える優しげな輪郭の十代半ば過ぎの少女である。優雅なカーテシーの一礼とともににこりと微笑む。
「お姉様、最近どうなさったのですか?食欲もないみたいですし、自室に籠りがちではないですか。今日のように気持ちよく晴れた日は中庭でシルディアとお茶をするのが楽しみとおっしゃっていたのに全然いらしてくれないし、心配で心配で…。城の中もなぜかピリピリしていますし…お姉様の体調不良となにか関係が?」
眉尻を垂らして潤んだ瞳でレレイラを見つめるシルディア。
レレイラが暗殺の標的となっていることは、ごく一部の者しか知らない。極秘扱いのため、いくら仲のいい妹といえども漏らすわけにはいかない。
なんと言って誤魔化そうかレレイラは逡巡するが、先にグーフィが口を開いた。
「シルディア様、レレイラ様は今ダイエット中なのです」
「えっ?」
「はぇ?」
姉妹揃って素っ頓狂な疑問符のついた声を出した。レレイラは瞬時に「話を合わせなければ!」と気付いて自らの口を塞いだ。
「ご存知の通りレレイラ様は菓子のためならば山越え遠征も躊躇しないほどの無類のスイーツ好きですが、最近少々お太りになったようなのです。第二王女様と言えどもやはり年頃の女子ですので下腹部に余分な肉が存在していることは許容できないとのことです」
ぶふぉっ!
「まぁ!そうだったのですか!…気が付きませんでしたわ。でも過度な減量はかえってお姉様の美貌を損ないかねません。程々にしてくださいませ」
思わず噎せそうになるのをすんでのところで堪えてグーフィを睨む。どうやらレレイラはこれからダイエットをしていている設定を貫かなければならなくなってしまったようだ。
「え、ええ。実はそうなの。王女なのにポッコリお腹なんて恥ずかしいでしょ?だからこっそり痩せようと思ってたの。オホホホホホ」
シルディアの死角で何度も肘鉄をグーフィの脇腹に打ち込むレレイラは顔に笑みを張り付けてはいるが、こめかみには青筋がくっきり浮かんでいた。「もう少し気の効いた嘘つけやコラァ!」という気持ちと共に肘鉄の重さは増すが、グーフィは涼しい顔である。
「わかりました。病に侵されていないということだけ分かればシルディアは安心です。ではお姉様、シルディアはこれで失礼しますね」
一礼して退室していくシルディアの背中を見送り、これまた再び溜め息を同時に吐き出すレレイラとグーフィだった。
「…私、太ったのかしら?」
「いえ、その…咄嗟のことでしたので…つい。申し訳ございません。姫様」
責めるような尖ったレレイラの視線がグーフィを刺す。居心地悪そうに頭を垂らして、巨体がみるみる縮んでいくグーフィは未だ嘗てないほどバツが悪そうだ。
「はあ、まあいいでしょう。兄弟にも打ち明けられないのは辛いですが、無闇矢鱈に情報を垂れ流す訳にもいかないのはわかっていますから。頭を上げなさい、グーフィ」
「はっ、ご慈悲に感謝いたします。それはそうと、ここに来る前にメイドから差出人無記名の姫様宛の手紙を預かりました。無印の封蝋ですので名のある貴族や商会からの縁談ではないようですが…ご確認ください」
グーフィは懐から取り出した一通の封筒をレレイラに手渡した。レレイラは迷いなく蝋印を剥ぎ取り素早く目を通す。読み進めるにつれて徐々にレレイラの眉間のシワが深くなっていくのをグーフィは間近で怪訝そうにしていた。
「たしか…賊の襲撃から助けてくださったリンタローさんのお仲間はレディさん、といいましたよね?」
本来、一介の奴隷が王女へ手紙を認めるなどそれだけで不敬にあたり主もろとも斬首に処されても不思議ではないが、レレイラにとって彼らは恩人であるし、この程度の些事で騒ぎ立てるほど狭量ではない。
それよりも拙い文章で綴られた手紙の内容が重要だ。
「はい、確か。それがどうされましたか?」
「リンタローさんが殺人の容疑で憲兵に連行されたそうです」
「っ!殺人!?」
自分のことでいっぱいいっぱいだというのに、レレイラにレディから送られてきたのは倫太郎を釈放、または減刑のために口添えをしてほしいという旨の嘆願書であった。
「…それで…いかがなさいますか?」
グーフィが聞きたいのはレレイラが王女として司法に介入し、王族の権力をもって倫太郎を解放させるか否か、である。
レレイラと同じくグーフィにとっても命の恩人にあたる倫太郎の一大事であるため、なんとかして助けてやりたい気持ちは大いにある。
みなまで言わずともグーフィの意を汲み取ったレレイラはしばしの沈黙の後に静かに首を横に振った。
「憲兵が法に則り、法のもとに行った公務に対し、王族である私が横槍を入れて権力を振りかざせばリンタローさんは取り返せても憲兵団や民衆からは少なくない反感を買うでしょう。これからも世界一の法治国家を自負するのならば、それはやってはいけないことです」
辛そうに目を伏せるレレイラだが、グーフィはレレイラがそう答えることを最初から分かっていたようだ。
正義感が強く品行方正、政に関しても精通し、実直であり民から慕われる人柄のレレイラ第二王女は自分の都合で法を蔑ろにするような人間ではない。
それでも恩人の力になりたくてもなれない心苦しさから中々面を上げようとしないレレイラを見かねて、ふう。と一息ついたグーフィはなにかを決心したように痰を切る。
「姫様なら、そうおっしゃると思っておりました。では私めが一肌脱ぎましょう!憲兵団には旧知の友人がおりますゆえ、即時釈放…は無理にしてもなんらかの便宜を図ってもらえるよう頼んでみます。もちろんそれは私の個人的な行動であるため、トルスリック騎士団の名も王家の威光も借りませぬ。いかがでしょうか?」
グーフィの提案を二度三度頭の中で反芻してレレイラは頷く。王家の威光もトルスリック騎士団副団長としての力も使わず、個人的な行動ならばグーフィの自由である。
レレイラもそれが落としどころとして妥当だと判断したようだった。
「お願いします、グーフィ。無力でごめんなさい。リンタローさんに会ったら「お茶会、楽しみにしてます」と伝えてください」
「なにをおっしゃいますか!己の命を狙われている最中に他人を思いやれる貴女は王族に相応しい。胸を張ってくだされ。必ずリンタロー殿にお伝えしますぞ。それとなく事の詳細も聞き出してみますゆえ少々お待ちくだされ、では私はこれで失礼します」
敬礼して退室していくグーフィの背中を見ながらレレイラは倫太郎の現状を憂いていた。
レディからの手紙には詳細なことはほとんど書いておらず、倫太郎が殺人容疑で憲兵に連行された状況とレレイラの口添えで倫太郎の釈放に力を貸してほしいということだけが記してあったのだ。
倫太郎が本当に殺人を犯したのか犯してないのか、殺したとしても正当な理由はあったのか無かったのかすらレレイラにはわからない。
「心配事ばかり増えますね…」
王女の権力を振るうには躊躇われる事案のため、あとはグーフィが頼りだ。今の自分の心とは裏腹にどこまでも晴れ渡る青空を仰ぎながらレレイラは深く溜め息を溢したのだった。
しかし、事態はさらに面倒な方へと転がることとなる。
──────────────────────────
留置場。と言えばなんとなく薄暗く不衛生なイメージを思い浮かべがちだが憲兵団本部にある留置場は地下にありながら換気は行き届いており、外注の清掃業者が隅々まで綺麗に掃除しているため、ベッドがもっと上等な物で、鉄格子がなければ快適な客室のような環境だ。
しかし娯楽などは皆無。一日に三度ある食事くらいしか楽しみがない。倫太郎が拘留されてから一週間目の朝、いつもの取り調べが始まろうとしていた。
「出ろ。聴取の時間だ」
「…へいへい」
倫太郎の両脇を挟んで歩く二人の憲兵に連れられて来たのは聴取室。もう何度留置場とこの聴取室を往復したことか。数えるのも億劫になる。
狭い聴取室の簡素な椅子腰掛け、向かいに座る飄々とした態度のロイ・エルガンとこうして膝を突き合わせた回数も数えきれない。
「やぁ、リンタローくん。今日はひどい雨で滅入るね。一日中晴れると踏んで雨具を持ち歩かなかったから打たれてびしょ濡れだよ」
「…わかってて言ってんだろ。地下に晴れも雨も関係ねぇよ」
とは言うものの、倫太郎は地下だろうが湿度や気温、気圧の変化を感じとることで外の天気は大体予想がついている。これは一週間も外の空気に触れられない倫太郎への軽い嫌味なのだろう。
「さて、今日も張り切って取り調べをしましょう!何度も同じことを聞かれてウンザリしてるのは重々承知ですけどね」
明けても暮れても同じような問答を繰り返す日々にロイの言う通り倫太郎もいい加減辟易している。「わかってんなら聞くんじゃねぇ」と内心悪態をつくが、取り調べとはそういうものであることも承知している。
何度も似たようなことを聞いて供述に矛盾がないか、嘘はないかを精査して真実を抽出する作業だ。きっと聞く側であるロイも正直飽き飽きしていることだろう。
しかし、今日の取り調べはいつも通りとはいかなかった。
ド…ォォォオオオォン…
どこか遠くの方から聞こえる爆発音。天井からパラパラと塵が降り、巨大な憲兵団本部が微かに揺れる。
「なんだ?」
「…なんでしょうね。オルマー君、上の様子を見てきてください」
聴取室の外で待機していたオルマーにロイがそう言うと、オルマーは「はっ!」と一言短く返事をして駆けて行った。
ここは憲兵団本部。ただでさえ頑強な造りの建物に一等魔術師十数人がかりによる魔法でさらに耐久性を爆上げしてある代物だ。
ちょっとやそっとの魔法での砲撃では傷一つ付かないはずであるが、ロイはなぜか嫌な予感がして眉間にシワを寄せる。
ドォォォォオォン…
二度目の爆発音は最初よりも少しはっきり聞こえた。どうやら距離が近くなっているようだ。
「なあ。…ここ、もしかして今攻撃されてんじゃねぇのか?」
「………どうでしょう」
こともなげに倫太郎が言うがロイは一言だけそう返して黙りこんだ。
性格と立場上、憶測や予想で物を言うのは控えているロイだが、それよりも今はどんどん大きくなる胸の中の嫌な予感を押し殺すことで無口になっているようにも見える。
数分か、数十分か。お互い沈黙してしばらく経ったとき、聴取室の扉が慌ただしく開かれた。飛び込んできたのは上階の様子を見に行っていたオルマーだった。
「本部長!!!大変です!攻撃っ…建物が!奴は…彼を出せと…!」
きっと必死に全力で走ってきたのだろう。オルマーは汗だくになりながら息を切らして叫ぶがテンパりすぎて要領を得ない。
「落ち着きなさい。オルマー君。落ち着いてゆっくりでいいので話して…」
ドォォオオォォン!!!
「ヒィッ!」
ロイの言葉を遮るように三度目の爆発音が響き、地下全体をビリビリと揺らす。
思った以上に事態は緊迫しているようだ。このままここに居続けると最悪の場合、建物の崩壊で生き埋めになる可能性さえある。そう判断したロイはオルマーの腰にぶら下がっている鍵の束を引ったくるように取り、倫太郎の枷を外した。
「避難します!事は一刻を争う状況のようです。まずは上に逃げましょう。オルマー君!しっかりしなさい!他の者たちと共に留置場に収容されている者たちの牢を開け、全員で避難を!」
「はっ、はい!」
腰を抜かしかけ、蹲るオルマーに喝を入れて手短に指示を出すロイは冷静を装っているが冷や汗が頬を伝って落ち、指先の震えも隠しきれていなかった。
「リンタロー君!先導します!走れますか!?」
「…ああ、走れる。ちなみに道案内はいらねぇ。覚えてるからな、道順」
「……フフッ、そうですか。じゃあ行きましょう!」
ロイの焦燥感いっぱいの表情。そんな顔とは真逆の表情を倫太郎はしていた。
留置場に連れてこられてからというもの、代わり映えなく毎日同じようなことを尋問される続ける日々で限界近くまでフラストレーションが溜まったときに起きたこの展開。少なくとも退屈しのぎ以上の変化であることは間違いなさそうだ。
不謹慎だが口角が上がってしまうのを抑えきれない倫太郎だった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
誤字脱字の指摘、ダメ出しすら執筆の励みになりますのでどんどん教えてください。
「面白い」「続きはよ」「書籍化希望」などと微粒子レベルでも思ったら応援よろしくお願いします!




