エリーゼと会食
まだ日は沈んでおらず夕方の兆しさえ見えない青空が広がる空の下、倫太郎とレディは王家特注の大型馬車から降車した。
ここはまだ王都まで数キロ離れた草原地帯だ。
「本当にこんな半端なところから歩いて行かれるのですか?どうせなら宿付近までお送りしますのに…」
「いや、ここで結構だ。人通りの多い街中で王家の馬車から降りたりしたら絶対変に目立っちまうのは分かりきってるからな。でもここまで送ってくれてありがとう」
王家特注の馬車だけあり、座椅子は極上品で荒れた道を長時間走っても尻が痛くならない素晴らしいものであった。衝撃を吸収する懸架式のサスペンションの機構も備わっており、降車のために立ち上がるのが惜しくなったほどだ。
「リンタロー殿、最後に重ねて礼を言う。助かった、ありがとう。近いうちに此度の一件の褒賞授与のため、王城へ招待することになるだろう。そのときにまた会おう」
「……ああ、そうだな」
無論倫太郎は褒賞などいらないと断ったのだが、グーフィもレレイラもそれをよしとはしなかった。
なんでも「話が歪んで伝わり、功労に対して褒美の一つも与えないなどということになると国の沽券に関わる」「王女の命を守ったという勲章ものの大義に対して礼を受け取れないというのは逆に失礼」と、二人はがんとして譲らなかったのだ。
以前にも倫太郎はキングウルフと戦い、退けてエリーゼとグーフィの命を救ったことがあり、それも本来ならば武勲として褒賞の一つも受け取っていてもよさそうなものだが、あのときはエリーゼに頼み込んで面倒事にならないように取り計らってもらったのだ。
しかし今回は助けた相手が王女ということもあり誤魔化しが効かない。
頑なに固辞して悪い印象を持たれ、関係が拗れても面倒だと考えた倫太郎が渋々折れる形で褒賞の受け取りを約束した、という流れである。
「私からも改めて感謝を。リンタローさんとレディさんのお陰で無事王都へと戻れそうです。後日王城でまた会えることを楽しみにしています。美味しいお茶とお菓子を用意してお待ちしていますね」
品良く朗らかに微笑むレレイラは気品に溢れていて、さすが王家の淑女だと思える上品さであった。
しかし、こっそりグーフィに聞いたところによると王女レレイラは無類のスイーツ好きで、今回の外出も巷で話題になっている山二つ先の街にあるという有名スイーツ店へとお忍びで行っていたから、らしい。
日々、それこそ山のように沸き出る政務をスイーツのために徹夜で一掃して、念のための護衛にトルスリック騎士団の中でも腕の立つグーフィを指名し、リフレッシュ休暇のノリで行ってきた帰りに賊に襲われた、というのが今回の顛末だ。
「あ、ああ。楽しみにしてるよ」
レレイラたちと別れ、王都に戻るまでのんびりと歩いてきたが一時間もかからなかった。
昼食を抜いていた倫太郎とレディは露店をハシゴしながら串焼きやフルーツジュースなどを買い食いしつつ、雑多な人ごみを慣れたようにスルスルと歩く。向かう先はレガリア専門店、ザリアネのところだ。
細く薄暗い裏路地を右へ左へと曲がり、突き当たりにあるレガリア専門店の煤けた古い木製のドアも見慣れて久しい。
以前、倫太郎が来店したときにザリアネが力一杯開いて壊した蝶番も修理したようで、今はドア枠にきちんと収まっているものの、建て付けの悪さは変わらないようで開閉の時のギギィ~と軋む音も相変わらずだ。
「うぃーっす。ザリアネ、いるか?」
「いるよ!いるいるっ!リンタロー!よく来たねっ!レディもいらっしゃい!」
「こんにちは、ザリアネ」
いつも座っている銭湯の番台から飛び降り素早く倫太郎へと駆け寄るザリアネ。倫太郎はザリアネが主人の帰宅に喜び、尻尾をブンブンと左右に振り回す犬に見えて仕方なかったが、それはそっと胸の隅にしまって早速本題を切り出す。
「そこそこまとまったカネができたから支払いに来た。納めてくれ」
那由多の異袋から貨幣の入った袋を取り出してザリアネに渡す。袋の中身はまだ確認していないが、渡されたときのずっしりとした重量感と袋越しに触ってもわかる貨幣の大きさや形で中に大金が入っているということをザリアネは一瞬で察した。
「うわっ!重っ!一体いくら入ってんだい。こりゃあ半端な額じゃないね」
「えーと…確か、三千六百万ベルくらいか?」
「さっ、三千六百っ!?たった二日でそんなに稼いだのかい!?」
ザリアネの美しい顔が驚愕に歪んだ。
探求者や魔物専門のハンターは非常に危険が伴う職であるが腕の良い者ほど実入りが多い。
一人頭の取り分は減るがパーティを組んで魔物を囲い“確実、堅実、安全”をモットーに手堅く稼ぐ者たち。ソロやペアで動き、高額買取価格が見込める高ランクの魔物を狙ってハイリスクハイリターン上等で挑む者。その在り方は様々だ。
探求者のトップランカーである虹色タグの一等探求者でも余程レアなレガリアを見つけない限り一日の稼ぎは百万ベルにも届かない。魔物ハンターも幸運に幸運が重なり、普段倒せないような魔物を狩れたとしてもやはり精々百万ベルを下回る。
それを踏まえて考えればザリアネのリアクションはけして大袈裟ではないことがわかるだろう。
正確には昨日の一日で稼いだカネなのだが、そんなことは余談だと思い、いちいち訂正せずに倫太郎は話を進める。
「まぁ、そんなとこだ。一応、数えてみてくれ」
「あ、ああ。……三千六百三十万ベルだね。これ全部返済にあててもいいのかい?生活費を抜かなくても大丈夫かい?」
「ああ、今んとこ衣食住にかかるカネには困ってねぇから余裕だ。それに借金してるって思うとなんだか気持ち悪くてスッキリしねぇから、さっさと返すって決めてんだ」
甲斐甲斐しく心配するザリアネだが、倫太郎の手元にはロックドラゴンを倒したときの資金がまだ潤沢に残っている。当面の生活費にはなんら困っていないのだ。
「そうかい。…しかし貴族でもないのにこんな大金を二、三日で用意してくる奴は初めてだよ。さすがアタシの惚れた男だね。これで残りの貸し分は三千七十万ベルだよ。あっという間に半額以上返済したね。…リ、リンタロー、もっとゆっくりでもいいんだよ?何回も小分けに返しに来てくれてもいいんだからね?」
一見、支払いを細かくすることで倫太郎の金銭的負担を小さくしてもいい、という優しそうな提案だが、本音は「支払い回数が増えれば増えるほどリンタローに会えるっ!」というザリアネの下心がまるわかりだったため、倫太郎はなんとも言えない苦笑いで返した。
「借金を完済してもこの店のレガリアは有用だからな。ちょくちょく立ち寄るよ。だからそんな顔すんな。さて、じゃあ用件も済んだし俺らはお暇するぜ。レディ、帰ろう」
「うん。またね、ザリアネ」
「ああ…もう帰っちゃうのかい…。いっそここに住んでくれたらいいのにねぇ…」
そんなザリアネの名残惜しそうな声を振り切り帰路へとつく倫太郎とレディ。
鬱屈しそうな薄暗く狭い路地も慣れたもので、迷いも戸惑いもなく歩く倫太郎の後ろをレディがついて歩く。光はロクに差していないが感覚的にもう夕方前だろう。一旦宿に戻り、ひとっ風呂浴びればエリーゼとの約束の時間に丁度良い頃合いになっているはずだ。
「レディ、夜はエリーゼとの会食だ。お前も来るだろ?」
「うん、行く。お腹減った」
「じゃあまず宿で風呂入って汗流そうぜ。賊どもが巻き上げた砂埃で身体中砂っぽくて気持ち悪ぃ」
「ん、レディが倫太郎の背中流してあげる」
「いらん」
窮屈な路地を抜けて大通りに出るとやはり空は朱に染まり始めていた。
二人はゆっくりと他愛もない話をしながら渡り鳥の巣までの帰路を歩いていった。
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夜の帳がすっかり降りて、王都の飲み屋が連なる大通りは日中とは違った騒がしさで賑やかになる。
行き交う人々は誰も彼も酒臭く陽気だが、足下の覚束無いような危なっかしい者も少なくない。
約束の時間にはまだ早いが、倫太郎とレディはエリーゼと待ち合わせた料亭の軒先まで来ていた。
店の名は『騎士の円卓』。雑多に立ち並ぶ探求者御用達の飲み屋と違い、店構えに品があり気軽に立ち入ることは憚れる雰囲気だ。
「ここか。なんだか周りの飲み屋と違ってお上品な感じだな。まぁいい。入ろうぜ、レディ」
まだ約束の時間まで少し早いが、エリーゼの名前で予約を取っているようなので、店員にそれを伝えればいいだろうと暖簾をくぐろうとすると店先に立っていた上背のある店員の男に止められる。
「申し訳ございません、お客様。当店では奴隷の連れ込みはご遠慮いただいております。お客様のお食事が終わるまであちらの建物で待機させていただきたく存じます」
そう言って店員が示す先には、掘っ立て小屋と言って差し支えないような簡素な建物があった。その中には『騎士の円卓』で食事を摂っている主人の奴隷が数人、薄暗い中で膝を抱えてしゃがみこんで主の帰りを待っているようだった。
「…こいつは奴隷紋を刻んじゃいるが、奴隷じゃなく俺の仲間だ。身なりも小綺麗にしてるし他の客となにも変わらねぇはずだ」
「そう言われましても…。決まりなもので…」
男はチラチラと倫太郎とレディの対となる奴隷紋を交互に見て困ったように眉尻を下げた。
別に彼に悪気があるわけではないということは倫太郎も理解している。この世界のこの国のこの店ではこれが普通なのだと。
地球でもドレスコードのある店などザラにある。半袖短パンでは入店不可、その半袖と短パンが一流のブランド品であろうと半袖短パンという事実に変わりはないのだ。
「…いいよ。リンタロー、レディここで待ってるから」
なんでもないようにレディがはにかみながら言う。
レディも奴隷の扱いなどこんなものだと理解している。こういう扱いをされることもあるというのは承知の上で、想い人との繋がりを優先して奴隷として生きていこうと決めて今に至っているわけだから…本当は悲しくても悲しい素振りなど、おくびにも出してはいけないと気丈に振る舞う。が、レディの心中など倫太郎には筒抜けだ。
「ダメだ。あんなみすぼらしい小屋で仲間を待たせておいて俺だけ旨いメシを食えってか?お前のことが気掛かり過ぎて料理の味もわからなくなるわ。ヤメだ、ヤメ。エリーゼには悪ぃが今日の会食はナシにしてもらおう」
「リンタロー…」
倫太郎の優しさと、自分がちゃんと仲間と認識されているという事実、約束を反故にさせてしまうことのエリーゼに対する申し訳なさが一気に押し寄せて、レディは溢れてくる暖かい気持ちと涙を堪えることができなかった。
その時、一台の馬車が『騎士の円卓』の店先に付けられ、中から見知った顔の人物が降りてきた。
「おや、約束の時間にはまだ余裕があると思っていたのだが…リンタローと、レディ…と言ったか。待たせたな。…って、どうした?揉め事か?」
馬車から降りてきたのはトルスリック騎士団団長のエリーゼ・フォグリスである。
エリーゼは公務中のいつもの厳ついフルプレートメイルではなく、煌びやかで上等な仕立ての踝までの長さの鮮やかな群青色のタイトなドレスを身に纏い、優雅に降車した。だが、場の雰囲気を敏感に感じとり、その表情を険しくする。
「ああ、実はな…」
今しがた起こったことの一部始終をエリーゼに伝えると、エリーゼは次第に申し訳なさそうに肩を落としていった。
「…すまん…。私の配慮不足だ。リンタローとレディが主従関係を結んでいるのは把握していたはずなのに、ここの店が従者の立ち入りを制限していることがすっかり頭から抜け落ちていた…。申し訳ない」
「いや、いいんだ。けどレディが入れねぇなら俺も入らねぇ。だから店を変えるってのはどうだ?別にこの店じゃなくてもメシ食って酒飲んで喋ることくらいできんだろ?」
倫太郎のそんな提案にエリーゼは逡巡するが、すぐに結論を出したようで倫太郎に向き直った。
「そうだな。別にこの店じゃなくても食べて呑んで会話を楽しめれば私はそれで構わない。…ボーイ君、私はエリーゼ・フォグリスという者だが、今日の予約をキャンセルしてもらいたい。キャンセル料はフォグリス家につけておいてくれ」
エリーゼの名とフォグリスの家名を出した途端、店員の男の顔が引き吊り青ざめる。
「エ、エリーゼ・フォグリス様っ!?しょっ、少々お待ちください!」
そのまま彼は血相を変えて店内に走って行ってしまった。
「「?」」
倫太郎とレディは店員の男の慌てふためき方に首をかしげながらも待つこと数十秒、走り去った勢いもそのままに肩で息をしながら今度は彼は店内から飛び出してきた。
「大っ変お待たせしましたっ!お連れの従者様も御一緒で結構ですのでお入りください!ご案内します、どうぞこちらへ!」
フォグリス家と言えば、王都グランベルベに居を構える貴族の中でも有数の権力と資産を持つと言われる名家である。
そしてその潤沢な資産の多くは現当主であるエリーゼの父、レンダー・フォグリスによって高い志しを持った若者の独立起業のための資金として無期限且つ超低金利で融資されている。
グランベルベで若くして成功を収めている起業家の九割以上がフォグリス家の融資によって成り上がった、と言っても過言ではない。
この高級レストラン『騎士の円卓』もその例に漏れずフォグリス家から莫大な融資を受けて成功した店なのだ。
店側としては、その大恩あるフォグリス家の令嬢とその友人のためならば店の決まり事の一つや二つはねじ曲げてでも融通する。という誠意の表れなのだろう。
「おお、そうかそうか。じゃあ予定通りここで食事しようじゃないか。リンタローもレディもそれで構わないかな?」
「あ、ああ。そうだな。レディが一緒に入れるなら問題ない」
なにがなんだかよくわからないまま、店員の男の後ろについて歩きつつも倫太郎はチラリとエリーゼを覗き見ると、エリーゼの顔には「計算通り。…クックックックック」とでも言いそうなダークな笑みを湛えていることに気づいた。
「…エリーゼ。お前…なかなかヤルな」
「んん~?なんのことかよくわからんなぁ」
完全に確信犯のエリーゼだが、倫太郎は深く追及することはせずにその後は黙って店員の男について歩いた。
「こちらでございます」
案内された先は『騎士の円卓』の最奥に位置する個室で、いかにも特別な部屋といった上等な内装であった。部屋の中央には一本の巨木から削り出した円卓が置いてあり、周りを三脚の椅子が等間隔に配置されている。派手な装飾は皆無だが職人が丹誠込めて作り出したであろう逸品ということは見た瞬間に倫太郎は理解した。この上で食事を摂るというのも気が引けてくる出来である。
「まぁ掛けてくれ。リンタロー、レディ」
促されるまま席につき、店員の男が一礼して出ていくと同時にエリーゼがジッと倫太郎を見つめる。
その瞬間からすでにエリーゼはトルスリック騎士団長のエリーゼではなく、素の少女エリーゼへとシフトしている。
「なんだ?」
「なんだ?じゃないよ。私に何か言うことないの?」
「え?…あぁ、さっきは助かった。ありがとな」
礼を言ってほしいのかと思った倫太郎はエリーゼに感謝を伝えるが、エリーゼの返答は深い溜め息だった。まるで「ちがう、そうじゃない」とでも言いたそうな呆れ顔だ。
「…今日の私の格好を見て感想の一言もないのかってこと!もう!普通、イの一番に言わなきゃいけないとこでしょ!?」
美しい群青色のドレスの裾を摘まんでクルリと回るエリーゼ。
似合うか似合わないかで言えば、誰が見ても抜群に似合っているし、元々持つエリーゼの美しさが引き立てられる最高のドレスの色とシルエットだ。
「…格好……んん…」
女性のおめかしを褒めることなどにはまったく慣れていない倫太郎は気の効いた台詞など咄嗟に出てくるはずもなく押し黙った。
「…レディが新しい服を着たときもこれと言った誉め言葉はなかった。リンタローは意外とニブチン」
「ぐぅっ!?」
「はぁ、ちょっと気合い入れてお洒落してきたっていうのに…騎士団のお堅い制服で来てもよかったわね」
「………」
戦闘においては現実離れした鋭敏なセンサーで敵を察知するという超能力じみた能力を発揮する倫太郎であるが、女性の扱いとなるとレディに手厳しくこき下ろされる程度の実力のようだ。
ここまで言われて黙ってなどいられない。生来負けず嫌いの倫太郎は普段使わない部分の脳をフル回転させて女性を褒めちぎる文句を捻り出す。
「……金色の綺麗な髪と深い青の色合いがよく合っていて、目鼻立ちのはっきりとした美人のエリーゼのためにあるドレスのようだ。タイトなシルエットの作りだがボディラインが綺麗なエリーゼだからこそ着こなせるんだろう。甲冑姿のエリーゼも凛としていて素敵だが女性らしいドレス姿もまた素晴らしく…」
最初は「やればできるじゃん!」と上から目線で聞いていたが、延々と歯の浮くような賛辞を垂れ流す機械と化した倫太郎に誉められているエリーゼのほうが段々恥ずかしくなってきて、今は真っ赤な顔を必死で隠している。
しかし倫太郎の口擊は止まる気配はない。
「そして何より普通の女性にはない剣を振るうために鍛えられたしなやかな筋肉が身体全体を黄金比とも言えるバランスで整えていて、それがさらにドレスとの相性を深める決め手になっているのが俺にはわかる。エリーゼ、今夜の君はこの王都の中で誰よりも美しく輝いている。夜の太陽と言っても過言ではないほどの存在感で眩しいほどだ。誰もが羨む淑女…いや、この雑多な王都に咲く一輪の花のように美しく気高い存在で、さらに…」
「まだ続くの!?」
円卓に顔を突っ伏して「もうやめてぇぇぇ!」と羞恥に身悶えるエリーゼを見て、倫太郎が満足そうにほくそ笑んだ。それは勝利の笑みというには少々黒い笑みである。
「ふん。俺に仕掛けたことを後悔するんだな」
いつの間にか趣旨が変わっていることに呆れるレディだった。
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