再び王都へ
宿屋、夜空の揺り籠には広くはないが軽く運動する程度には困らない中庭が設けられている。まだ辺りは暗く、陽はまだ顔も出していない時間帯。
深夜と明け方の間の時間、普段ならば一人っ子一人いないはずの場所だが、今ここには倫太郎が一人で佇んでいた。
ジャケットとシャツを脱ぎ、眼を閉じ、直立不動で立ち尽くす。微動だにしないで佇んでいるにも関わらず、倫太郎の身体からは真っ白な湯気が立ち上っている。
「すぅ……しゅー。すぅ、ふぅー」
独特な呼吸法を繰り返す度に身体から噴き出す湯気は濃くなってゆく。玉の汗を浮かべながら丹田と心臓を意識した呼吸法で全身の細胞をくまなく活性化させる。これはシルモイ戦で見せた自己の能力を限界を超えて引き出す技…の二歩ほど手前の状態である。
あの時、シルモイを倒すためには限界以上の力を発揮しなければならなかったが、今は身体に適度な負荷をかけて鍛練の密度を上げることが目的であるため、命を削るような強化は必要ない。
最後に大きく息を吸い込み、呼吸を止める。訪れる静寂、極々弱い風に靡く草花の擦れる音だけが五月蝿く聞こえるほどの静けさだ。
ゆっくり瞳を開けると同時に倫太郎の姿がかき消える。現れたのは遥か上空だ。最高到達点に達すると、一瞬にして闇爪葬を大太刀の形状で呼び出す。すかさず空をも断ち斬るような鋭い斬擊を繰り出した。
空中の足場のない不安定な状況下ではあるが、倫太郎の鍛え抜かれた強靭な体幹にブレや揺れは皆無。幾重にも折り重なるようにも見える連擊を放つ土台となっている。それはまるで空中で乱舞しているようにも見える。
武を極めると舞に至る。かつて高名な格闘家はそう云っていたという。それを倫太郎は体現してみせる。力みや淀みなどは一切なく、角のない流れるような動きは『空の舞踊』と言われても納得してしまうだろう。
着地するまでの数秒足らずで百を越える剣閃を煌めかせたと思えば即座に闇爪葬を霧散させ、一呼吸も置かずに拳打と脚擊を放ち始める。長い手足を活かして遠心力と体重の乗った鋭くも重い打撃を無呼吸で連発するが、倫太郎の表情には疲労の色は一切ない。そしてその動きには敵と対峙している想定をしているとわかる動きが随所に見てとれる。
ボクサーはシャドーボクシングという仮想の敵をなるべく鮮明にイメージしながら拳を放つ訓練を行うが、倫太郎のそれはさらに一つ上の次元で行われる。あまりにもリアルにイメージを練り固めた仮想敵は倫太郎の瞳には実際にそこに居るかのように映っていた。
想定しているのは倫太郎より一回り高い身長と重い体重、さらに倫太郎よりも速く巧い技を使う大柄な達人だ。
倫太郎の膨大な実戦経験と知識から導き出した『自分より強い奴』というコンセプトで作り出した幻影の敵は完全無欠と言ってもいいほどの凶悪な実力だった。なによりもそれはどこまでも無慈悲で冷酷である。
目潰し、金的、喉への指突、噛みつき、相手を殺すためならば何でもやる。そんな敵をリアルに作り出しているのだ。
一息つく隙すらない絶え間ない仮想敵の鋭い攻撃を躱し、いなし、受け流す。防戦一方の戦いを強いられているようだ。だがそれは序盤のみ。徐々に倫太郎が押し返し始める。
正確無比に意識の外からヌルリと倫太郎の急所に打ち込まれる攻撃を鋭敏なセンサーで感じとり、その攻撃に合わせて逆に仮想敵の急所にカウンターを繰り出す。
仮想敵は人間、人間である以上絶対に避けられないタイミングや攻撃の角度がある。近接戦闘において、格上の敵を倒すには不意打ちができる場合以外は“後の先”をとることが最も重要である。そのためには思考を止めないのは当然だが、大事なのは思考を加速させて先を読むことだ。
今、倫太郎の脳内では仮想敵のリアルな動きを維持するための思考と、その仮想敵を倒すための演算がマルチタスクで行われていた。
猛攻を掻い潜り、今、倫太郎のカウンターが仮想敵の右目を抉った。怯んだところを一気に畳み掛ける。
視界の潰れた右側を狙った素早い首への抜き手…と見せかけて踵での足の甲を踏み抜き機動力を奪う。すかさず鼻、顎、喉仏、鳩尾への人体中心線への連擊を見舞い、仮想敵を地に沈めたところで日課の鍛練を終わらせた。
「はぁ、はぁ、はぁ、…ふぅー」
噴き出す汗を拭い、辺りを見渡すと薄暗かった空が白んできていて、もうじき夜が明ける時間帯だ。
訓練を始める前は身震いするほどの寒さだった明け方特有の冷たく澄んだ空気も、今の熱く火照った倫太郎には丁度いい温度だった。
部屋へ戻り、朝風呂で汗を流して宿の食堂へ行くとマールとレディは既にテーブルに着いて倫太郎を待っていた。
二人ともダンジョン探索の疲労から起床は遅くなると思っていた倫太郎だったが、どうやら無駄に早起きしたわけではないようだ。
「おはよう、二人とも。意外と早起きなんだな」
「おはよ、リンタロー」
「おはようございます、リンタロー。話があります。朝食を摂りながらでいいので聞いてください」
倫太郎たちのテーブルに朝食か運ばれてくる。パンから香る麦の芳ばしい匂いと、瑞々しい葉野菜の色合い、焼きたてのベーコンから立ち昇る湯気、シンプルではあるが食欲のそそるメニューだ。
「私は朝食後、すぐに里へ戻ります。治癒の実を早く母に届けてあげたいんです」
もともとマールは母親の目の病を治すため、治癒の実を手に入れるべく夢幻の回廊へ挑戦していた。目的の物を入手した今、母親のもとへ一刻も早く駆けつけたいのだろう。
「そうか…。ん?ちょっと待て。ゴリ雄からもらったアマギ石の換金はどうすんだよ?」
「はい、なのでまた戻ってきます。私が戻ってきたら私のツテで換金の手続きをしましょう。リンタローはまだ王都に滞在する予定ですか?」
「ああ、もうしばらくは王都にいるつもりだ。召還魔法の研究が盛んだっていうエルドミニアって国にも行こうかと思ってるけど準備だってあるし、休養がてら錬金魔法の研鑽もしときてぇからな」
倫太郎は、通常の火薬より遥かに爆発力の高い爆煉石と錬金魔法の融合に大きな可能性を感じていた。
直近までの課題であった火力の低さは闇爪葬のガンソード化で解決した。だがすぐに次の課題が頭を過っていたのだ。
それは単純に戦闘における『手数』である。
ライフルの銃弾をも遥かに凌ぐ火力を誇る闇爪葬のガンブレードだが、もし大勢の強敵に囲まれることを想定したときどう考えても手数が足りない。
その不安を取り除くべく、王都の渡り鳥の巣に戻り次第また部屋に籠り錬金魔法と爆煉石で新たな兵器を作ろうと考えていた。
「そうですか。よかったです。リンタローに生活魔法を教える約束もあることですし、必ず戻ってきます!待っててくださいね!」
「あ~、そんな約束もしてたな」
マールと臨時パーティを組むにあたって自分で出した条件だが、爆煉石が最大の目的だった倫太郎はそんなことは完全に忘却の彼方だった。
「ご馳走様でした。…さて、では私は行きます。リンタロー、レディ、本当にありがとうございました。必ずまた会いましょう」
「ああ、母ちゃんの目を治して戻ってこい。待ってるからな」
「レディは他の女が倫太郎に寄り付かないように見張ってる。マールが早く戻ってきてくれたら心強い。…お母さん良くなるといいね」
マールが右手を差し出す。倫太郎とレディはそれぞれ固く握手をして再会を約束したのだった。
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王都グランベルベはまだ早朝と言っても過言ではない時間であるにも関わらず相も変わらず耳鳴りのするような喧騒で溢れている。
荷馬車や行商人が忙しなく行き交い、とても真っ直ぐには歩けないほどの人口密集率だ。
「レディ、俺から離れんなよ。この人ごみだ、すぐ迷子になっちまうぞ」
「うん」
スルスルと人と人の間をすり抜けて進む倫太郎の真後ろを倫太郎の背中から目を離さないようにしなから付いていくレディ。マールと別れた二人は今、王都に戻り、倫太郎の拠点である渡り鳥の巣へと向かっていた。
渡り鳥の巣がある西側の区画へと進むにつれて人垣も薄くなってまともに歩ける程度には人が少なくなる。ホッとしているレディを他所に倫太郎は迷いなく歩を進める。
右へ左へと路地を曲がり、お目当ての建物が見えてきた。王都での倫太郎の拠点である渡り鳥の巣だ。
暖簾をくぐると女将のボニアが満面の笑みで出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ~!ってリンタローさんじゃないですか~。お帰りなさいませ。…おや?そちらのお嬢さんは?」
「ただいま。こいつぁ俺のツレだ。部屋をもう一室借りたいんだが…空いてるか?」
資金はまだまだ潤沢にある。ゴリ雄から報酬としてもらったアマギ石もマールが言うにはかなりの金額になるという話だ。ケチケチしても仕方ない、必要経費だと割り切り追加で部屋を借りようと思ったのだ。
「ええ、空いてますよ。丁度リンタローさんの隣の部屋に空きがあります。そこでいいですか?」
「ああ、じゃあそこで頼む」
追加の料金を払い、部屋の鍵を受け取りレディに渡すと、どこか不満そうな顔のレディがいた。
「…別にレディはリンタローと同じ部屋でもよかった」
「寝込みを襲われるってわかってんのに相部屋なんかにするわけねぇだろ…。あ、そうだ。レディ、これ持っとけ」
倫太郎は思い出したようにポケットから取り出してレディに渡したのは布製の財布だった。
紙幣の概念が存在しないこの世界の通貨は全て硬貨、または名刺サイズの貴金属製の板だ。適当に詰めたが恐らく十万ベル程度、日本円換算で百万円以上もの大金だ。当然財布もずっしりとした重さになるのは当然のことだ。
それをポンと渡され余りの重さに中身を確認したレディは目を白黒させ、財布と倫太郎を交互に見ながら口を鯉のようにパクパクさせている。
「えっ、リンタロー…えっ?なにこれ?」
「なにって…カネだろ。どう見ても」
言葉が出てこないが、レディの顔には「ちがう、そうじゃない」と書いてある。
なぜこんな大金入りの財布をこのタイミングで自分に渡すのか。倫太郎は“仲間”と言うが、お互いの手の甲にある対となる奴隷紋がある限り倫太郎とレディの関係は奴隷と主人だ。この世界では奴隷にそんな大金を渡す主人などいない。
それが常識として刷り込まれているレディには一体どういう意図があるのか理解できなかった。
「なにかと入り用だろ?女は男にはわからねぇとこにカネがかかるもんだ。必要な物があるならソレで買え。足らなかったら言ってくれりゃ追加で渡す。無駄遣いすんなよ」
生理用品を買うのにいちいち「買って欲しい」などと毎度言われるより、ある程度の資金をあらかじめ渡しておけば手間も面倒も少なくなるだろうという倫太郎の考えだった。
まだまだ付き合いは短いが、レディとは共に死線をくぐった仲であり、ほんの一部分とはいえ、自分のカネを預けるくらいには信用しているというレディに対する信頼の証でもある。
以上のことを端折りながら説明すると、レディは素直に財布を大事そうにポーチに入れた。
「これはリンタローがレディを信用してくれたから預けてくれたってことだから大切に使うことにする。ありがとう、リンタロー」
レディの礼に、背を向けた倫太郎はどこか気恥ずかしそうに手をヒラヒラと振って応えたのたった。
二人はそれぞれの部屋にかさ張るような荷物を置いて、再び渡り鳥の巣のロビー前にいた。
「んじゃ行くか」
「…レディとのデートへ?」
「違ぇ。さっき言っただろ。欲しいもんがあんだよ」
レディのボケを切り捨てる。今から向かうのは王都の東側、武具やマジックアイテムなどをメインに扱う店が軒を連ねるエリアだ。
錬金魔法で武器も防具も既製品を遥かに凌駕する質で作れる倫太郎がわざわざ足を運ぶと言うことは自分では作れない特殊な製品がお目当てということだ。
「リンタローさーん!待ってくださーい!」
さて、行こうか。というところで女将のボニアが慌てて飛び出し、倫太郎たちを引き留めた。
「リンタローさんが留守の間にリンタローさんにお客様がいらしてたことをお伝えするのを忘れてました!申し訳ありません」
「客?…誰だ?」
「それが……名前を聞いて答えてくださいませんでしたし、深くフードを被っていて顔も見えませんでしたが…女性の方でした。夢幻の回廊に行ったと話したらガッカリしたようで肩を落として帰られましたよ」
“女性”のワードにレディの耳がピクリと反応する。目付きを鋭く尖らせ倫太郎を見つめていた。
「あぁん?…女?……俺がここに泊まってることを知ってる女……あ~、わかった。アイツだな。ちょうど今からそいつのとこに行くとこだったんだ」
一人だけ心当たりのある人物の顔が思い浮かべる倫太郎。それを注意深く観察しているレディ。
倫太郎の表情から倫太郎がその女に気があるのかを読み取ろうとしているようだが、生憎レディにそんな特殊技術はない。
歩き出した倫太郎に駆け寄りつつも注視をやめようとしないレディに倫太郎が深い溜め息を溢した。
「…なんか勘ぐってるみたいだが…お前が思ってるような関係じゃねぇぞ?」
「リンタローにその気はなくてもアッチはどう思っているかは別。その女は絶対リンタローに気があるはず。レディの勘はよく当たる」
レディの半ば確信があるような言い方に倫太郎は内心ドキッとしたが、持ち前のポーカーフェイススキルを遺憾なく発揮して何事もないかのように取り繕った。だが本心では「なんでわかるんだ?」と冷や汗をかいていたのだった。
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