夜
長い長い階段を上る。地上へと続くこの階段は行きのときと変わらず陰鬱としていて気が滅入りそうなほどの代わり映えの無さだが、倫太郎たちにはゴールへ向かうウイニングロードに見えているに違いない。
僅か二日のダンジョン探索であったが、実に濃密な時間と体験だった。
通常の、なんの異常もない夢幻の回廊の六階層までの道程であれば日帰りのちょっとした冒険というだけの難易度だったのだが、此度の夢幻の回廊の難易度は過去の最高到達階層以上の難関だっただろう。
仲間に恵まれ、闇爪葬を得なかったら倫太郎と言えども死んでいた可能性は非常に高い。幸運がいくつも重なったからこそ生還できたと言っても過言ではない。
「たった二日ダンジョンに潜っていただけなのに何ヵ月も陽の光を見てないような気がします…」
やや疲れた表情でマールがそんなことを溢した。今まで死と隣り合わせだったため無意識に気を張っていたが今は出口は目前、緊張の糸が途切れて疲れが押し寄せてきたのかどこか気だるげだ。
「そうだな。俺もなんだかもっと長いこと戦ってた気がするよ」
石造りの階段を上りきると重厚な分厚い鋼鉄の扉が現れる。それは無機質で倫太郎たちの帰還を阻むようにすら感じる冷たさであったが、その冷たさすらも懐かしいと感じてしまうのもしょうがないと思える強烈な経験だった。
カンカンカン!
ダンジョンに入るときとは逆の扉のノッカーをマールが叩く。少し待っていると、ギギギギギギィと、懐かしさすら感じる油の切れたドアが軋んで鳴る音が響き、出口専用の扉がゆっくりと開き始めた。
差し込む外の光には茜色が僅かに混じり、今が夕刻前の時間帯だと知らせてくる。
「すぅ…はぁ~、外の空気おいしい」
肺に目一杯外の新鮮な空気を取り込み、レディは伸びをした。レディの真っ赤な髪が夕刻前の陽射しに照らされサラサラと風に靡いている。
「すぅぅ…はぁ~。ホントですね。ダンジョンのどこかこもった空気とは全然違います。なんだか…こう、生きた空気、って言うかなんと言うか…。さて、私は帰還手続きをしてきます。少し待っててください」
帰還手続きのため簡易カウンターへと向かうマールの青白い艶やかな髪の毛も朱の混じった陽に照らされ、ほんのり赤みのある色へ変わる。
そんな光景をぼんやりと見ながら倫太郎は生きて帰ってこれたことに感慨深いものを感じていた。
初めに聞いていた六階層までの難易度とはかけ離れたハードなダンジョン探索ではあったが、無事生還できたことに安堵感を覚える。一安心すると、今度は今まで全く気にならなかったところが気になってくるものだ。
「…よく見たら俺たち泥だらけの埃だらけだな。身なりに気を使う余裕なんてなかったから気づかなかったけど、こりゃひでぇな。汚ねぇし、疲れたし腹も減った、早いとこ宿屋に言って休もうぜ?」
確かに三人は至るところに汚れが付いていてみすぼらしい。奴隷のテンプレ衣装である貫頭衣のレディなどなおさら見られない格好である。
ダンジョンの扉脇に設置してある簡易カウンターでマールが帰還手続きを済ませて合流し、宿屋へと向かい歩き始めたのだった。
「……レディ、宿に行く前にまずお前の服を買いに行くぞ。さすがにそりゃマズい」
下着など履いておらず、麻袋に頭と腕を出す穴を開け、腰回りを麻の紐で縛っただけの粗末な服と呼べるかも微妙な代物だ。
「コレはコレで動きやすくて実は気に入ってる」
貫頭衣の裾を持ち上げクルクルと回って見せるレディ。見えてはいけない秘密の園が露になりそうである。
「やめなさい。はしたない」
それを母親のように倫太郎が制止する。これも主人の勤めなのかは疑問が残るところだ。
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この夢幻の回廊街には探求者が欲するような物は大体揃っている。
その中にはもちろん下着、歯磨き粉などの日用品も入っているが、『お洒落な服』というと話は変わってくる。
探求者が求めるような物は揃っているが、求めない物はあまり品数は充実していないのだ。
宿屋へ向かう道中、服屋を探しながら歩いていると大通りの建物の壁に申し訳なさげに小さく“この先、衣料品店有ります”と、路地へ誘導する看板を見つけ、道なりに進むと服屋があった。あったのだが…。
「これは…なかなか奇抜なデザインの服ばかりの衣料品店ですね…」
その服屋は「こんな服を着て歩いてたら悪い意味で注目の的じゃない?」と思わずにはいられないハイセンスな品揃えの店だった。
熊のフードがついたパーカー、肩パットもりもりのジャケット、ダメージジーンズなど鼻で笑えるくらいボロボロのパンツ。まともに着て歩ける服を探すほうが困難ということは容易に想像できる軒先のディスプレイが倫太郎たちを出迎える。
「…なぁ、マール。この街には服屋ってここしかねぇのか?」
「…はい、残念なことにここ以外見たことありません。むしろこの街に服屋なんてあったんですね。…ここ服屋ですよね?」
日本ならばコスプレ専門店で通りそうな品揃えに開いた口が塞がらない倫太郎とマールに対して目を輝かせるレディがいた。
「スゴい…。カワイイ服がいっぱい…」
「「カワイイ!?」」
鬼人族は独特のセンスを持っているのかと戦く倫太郎とマールを他所にフラフラと誘われるように入店するレディを追いかけ、二人もやむを得なく暖簾を潜ったのだった。
「いらっしゃい…」
来客を知らせるベルの音とともに蚊の鳴くような声がどこからともなく聞こえる。倫太郎とマールはキョロキョロと見渡すが声の主は見あたらない。
「あのぅ…ここですぅ…」
声の主は…商品の服と一緒にハンガーに吊るされた状態だった。
「おわっ!」
「キャア!」
だからお化け屋敷で通路から飛び出してきた幽霊を見たときと同じ驚きかたをしてしまうのも仕方のないことだろう。
ハンガーを外して現れたのは、いかにも幸の薄そうな顔面蒼白で顔色の悪い四十路ほどの女性店員だった。
「すいません…。あんまり暇だったものでつい魔が差してしまって…」
どんな魔が差したらそうなるのか問い質したい気持ちでいっぱいの倫太郎だが、深く関わりたくない気持ちのほうが僅差で勝ち、冷静を取り繕って接する。
「…ツレの服を何着か欲しいんだ。店内をキョロキョロ見て回ってるあの赤髪の奴だ。あまり奇抜なのは避けてくれ。…マール、悪いが一緒に選んでやってくれないか?せめて隣を歩いても恥ずかしくないくらいのデザインでまとめてやって欲しい」
「…善処します」
ウロウロと店内をさ迷うレディをマールが捕まえ、下着から厳選し始める。それをなぜか涙を滲ませながら見つめる店員がいた。
「一年ぶりのお客様……尊い…」
「一年ぶり!?よく潰れなかったな…。まぁこの店構えじゃ客も近寄りがたいわな」
よく見てみれば店の出入口付近は常軌を逸したセンスのデザイナーが作ったと思われる、とっ散らかった狂気のデザインの服で埋め尽くされているが奥の方には比較的?まともな?服が陳列されていた。
出入口付近のブッ飛んだ見た目の服のほうにフラフラと吸い寄せられるように近づいていくレディをマールが捕まえ、ズルズルと奥の方へと引っ張って消えていった。
そして待つこと二十分。
「こんな感じでどうでしょうか?」
暇を持て余した倫太郎が壁に寄りかかりながら大きな欠伸をして待ち惚けているところにマールに連れられたレディが現れる。
眠たげだった倫太郎の目が見開き、レディを瞠目した。
レディの赤髪が栄える純白のチュニックのようなゆったりしたシャツに、黒いシンプルなホットパンツ、動きやすさと見映えを両立したオールドブラウンの膝丈の編み込みブーツ、首にはタイトな革ベルトのチョーカーが巻かれている。
「やるじゃないか、マール。センスいいな」
「あ、ありがとうございます。感性を褒められるのはうれしいですね」
「ありがとうリンタロー。この服も動きやすくてすごくカワイイ。大切にする」
嬉しかったのはセンスを褒められたからか、倫太郎に褒められたからか、その両方なのかはわからないがマールは股下で手を擦り合わせながらテレテレとはにかんだ。
「…どう?リンタロー、惚れそう?もう惚れた?」
「お、おう、似合ってると思うぞ。惚れてねぇけど。さて、じゃああとは必要そうな下着なんかを買って出ようか」
「…むぅ、さすがに手強い」
むくれるレディをサクッとスルーしてマールには引き続きレディの服や下着を見繕ってもらい、倫太郎は手拭いなどを物色し始める。
結局レディの下着や服、手拭いやタオルを必要分だけ買い込み店を後にしたのだった。
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「私まで買ってもらってよかったんですか?…なにげに一番高かったですし…」
そう言って少し申し訳なさそうにするマールの手首には夕日の光が反射してキラキラとオレンジに輝くシルバーのブレスレットが巻かれている。
「ああ、もちろん。レディの服をセンスよくまとめてくれた礼だ。コーディネート料だと思って受け取っておいてくれ」
あのブッ飛んだ見た目の商品の数々で店の陳列棚を埋め尽くしていた中からまともな服を探すだけでも相当骨が折れたことだろう。その労力には相応の対価が必要と倫太郎は考えたのだ。
夢幻の回廊街はダンジョンの出入口を中心に放射状に広がるようにして街を形成しているのだが、宿屋が密集する区画はダンジョンから一番離れた外側にある。
もうすぐ夜の帳が降りようとしているにも関わらず人ごみと言っていいほどメインストリートは混雑していた。そんな雑踏の中をスルスルと避けながら一行が宿屋の前に到着したのは太陽が沈むか沈まないかの時間だった。
そこはメインストリートから外れ、細い路地を数回曲がった先にあった。レンガと木材を半々に使ったモダンな外観の宿だ。
「ここが私が泊まっている宿です。設備も整っている割に安くて美味しい料理も出してくれる穴場なんですよ。立地だけがネックですけど…あっ、各部屋にお風呂もありますよ」
お風呂のワードに倫太郎が鋭く反応する。
「行こう。すぐ行こう」
先陣を切って暖簾をくぐった倫太郎であった。
「いらっしゃいませ!夜空の揺り籠へようこそ!本日は…」
「風呂だ。可及的速やかに大至急で風呂を頼む」
「ちょっ…リンタロー…」
この宿は夜空の揺り籠というらしい。受付の女性が元気に対応するが、その話をブッた切って風呂を要求する倫太郎。ダンジョン探索で二日以上もの間湯船に浸かれていない。休憩毎に手拭いで身体を拭いてなるべく清潔にしていたつもりであったが、それだけでは満たされないのは日本人の性だろうか。
今まで意識しないようにしてきたが、意識しだすと体のあちこちが痒いような気がしてくるのは仕方ないだろう。
「えっ、あっ、はい。ではお泊まりですね。ありがとうございます!」
口を開けば「風呂!」しか言えなくなった倫太郎を脇へずらし、代わりにマールがチェックインを済ませて、一行はそれぞれの部屋へと向かったのだった。
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「ふぅ、異世界でもやっぱ風呂は最高だな。…ところでお前は俺の部屋でいったい何してんだ?」
「見ればわかる。夜這い」
部屋へ着くなり倫太郎は着ているものすべてを脱ぎ捨てて風呂へと直行し、二日分の垢を落として出てみれば、倫太郎の部屋のベッドに裸でシーツを羽織って大事なところは隠しているものの、惜しげもなく扇動的な長い足を晒したレディがどこかで見た裸婦画のモデルのような体勢で横たわっていた。
マールほどではないもののよく発育して形のよさそうな二つの双丘、キメ細やかな柔肌、くびれたウエストは無駄な肉など皆無、スラリと伸びた足はファッションモデルもかくいうレベルだ。レディも風呂上がりらしく、湿った髪と、うっすら桃色に火照った頬が男の劣情を掻き立てるスパイスになっている。
普通の男ならば即行でル○ンダイブを決めるであろう蠱惑的な魅力を放つレディだが、倫太郎は至って冷静であった。
「…俺に色仕掛けの類いは効かねぇ。諦めて部屋に戻れ。折角一人一部屋とったんだ、無駄になるだろ」
濡れた頭を拭きながらレディの身体になど目もくれずに言い放つ倫太郎だがレディの意思も固く、引く気配かない。
「抱いて。抱いてくれたら部屋へ戻る。初めてだからよくわからないけどレディ頑張るから…」
懇願するような、捨てられた仔犬のような瞳で見上げるレディはどこか焦燥感に駆られているように倫太郎には見えた。
「…なぁレディ。なにをそんなに焦ってんだ?これから俺と一緒に行動するんだろ?時間はたっぷりあるはずだ。俺を惚れさせてみせるって息巻いてたあの決意はどこへ行ったんだよ」
倫太郎の当然の正論にレディの表情が曇る。きゅっとシーツの端を握り締めて目を伏せた。
「断言する。これから先、リンタローには大勢の女がよってくる。そしたらレディなんて相手にされなくなるかもしれない。レディを置いて何処かへ行っちゃうかもしれない。その前に既成事実を作りたかった。レディはリンタローのモノなんだっていう印……レディにリンタローを刻んで欲しかった」
ただの勘なのか、なにかしらの根拠があってのことなのかはわからないが、こんな大胆な行動をするレディには確信に近いものがあったのだろう。
レディの瞳にはそれ相応の覚悟が伺えた。
「…眼を閉じろ」
その覚悟に応えるかのように倫太郎はレディへと歩み寄る。レディの心拍数が一瞬にして跳ね上がった。
まともに取り合ってもらえるとは思っておらず、半ばダメ元で来たのだが、まさか応じてもらえるとは。きつく瞳を閉じて身体を強張らせる。少し身体が震えている。これは期待の表れからくるものか、恐怖や緊張からくるものなのかはレディ本人もよくわからない。
一歩、また一歩と倫太郎が近づく度に己の心音が馬鹿みたいに大きくなっていくのがわかる。
倫太郎はそんな秘め事に不慣れなレディのガチガチに緊張した肩をそっと抱いて湿った髪をゆっくりとかき上げる。レディの胸の高鳴りは限界で、今にも破裂しそうなほどだった。
倫太郎の吐息が、体温が、匂いが、密着状態でないとわからない情報が肌を通して伝わってくる。ただでさえきつく瞑った眼をさらに強く閉じてその時を待つ。あと少しで倫太郎のモノになれると確信してその時を待った。
そして倫太郎は優しく額に口づけをした。
「……んん???」
肩透かし。圧倒的肩透かし。
唇を奪われるつもりで小さく口を突き出していたレディだったが、感じたのは額への柔らかい感触のみ。…ではなく、バチンッという音付きの痛みもその直後に襲ってきた。
「あだっ!?」
眼を開けたとき、デコピンを喰らったと初めて理解したのだった。
「見損なうな。俺は誰のモノにもならねぇし、誰かを俺のモノにしようとも思わねぇ。たしかにこの世界に来てから女性から好意を寄せられることが多くなったけど、だからと言って女を侍らせてふんぞり返る気もねぇ。…そんなに焦るなレディ。俺はお前を置いて何処にも行かねぇから」
努めて優しくレディの髪を撫でながら諭すように言い聞かせる倫太郎の言葉にレディは言い様のない安心感に包まれる気がしていた。
倫太郎のように人の嘘を見抜く特殊能力などは持ってないが、嘘偽りない言葉だと思えたのだ。
「まだ休むには早いが今日はもう寝とけ、ちゃんと髪乾かしてから寝ろよ?髪が痛むと勿体ない」
未だ湿気を多量に含むレディの赤髪をわしゃわしゃと撫でた。
「…リンタローはレディの髪の毛、好き?」
「ん?ああ、宝石みたいで綺麗だと思うぞ」
たとえ髪という身体の一部分だけであっても倫太郎から、自分の想い人から誉められてレディは少し満たされる。そして冷静さを取り戻し考えた。
確かに倫太郎の言う通り、自分は少しつっ走り気味だったのかもしれない。時間とチャンスはたっぷりあるし、これじゃあ尻軽女みたいで恥ずかしい、と。
「ありがとう。じゃあ今日はもう寝る。正直疲れてた。おやすみ、リンタロー。また明日」
「おう、おやすみ。マールも早めに寝ろよ?」
倫太郎の部屋の前で聞き耳を立てていたマールの肩が盛大に跳ねる。盗み聞きしていたわけではないが、明日の予定について倫太郎と話をしに倫太郎の部屋を訪れようとしていたのだが、中から倫太郎とレディの話し声が聞こえたので入室を躊躇っていたのだった。
…と言うのは建前で、羽織ったカーディガンの下に着込んだ気合いの入ったきわどいランジェリーとネグリジェ、どう見ても考えていることはレディと同じなのは言い訳のしようもない。
「あはっ、あははは…おやすみなさ~い」
パタパタと自室へ戻るマールの足音を聞きながらレディもモソモソと服を着終えて再度「おやすみ」と、小さく告げてから倫太郎の部屋を後にしたのだった。
レディを見送り、一息ついて窓から外を眺めると夕焼けの時間帯はとうに過ぎ去り、世界は夜が支配していた。だが夜の中だからこそ映える幾千もの星が夜空に煌めいている。
月らしきものは見当たらない。故にこの世界の夜は地球よりも深く暗い。だからこそ一つ一つの星の主張は地球の夜空の星より遥かに強く見える。
のんびり夜空を見上げるのなどいつぶりのことだろうか。地球にいた頃は忙殺される日々で夜など仕事をするか寝るかの二択だった。
天体の神秘などは興味ない倫太郎だったが、こんな夜も悪くない、そう思いながら湿気った最後の一本の煙草に火を点けた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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