マールの痴態と決心
遅れて込み上げてきた恐怖と、死を回避した安堵感が同時に押し寄せて泣き出し、その場にへたり込んだマール。
しかし倫太郎もまさに満身創痍というに相応しい怪我だ。休憩と応急措置がてら功労者のマールをゆっくり労いたいのは山々だがマールも言う通り呪は不完全で、いつ効果が切れるかわからない。
早急にこの場を立ち去る必要があるのだ。のんびりはしていられない。
「マール、お疲れのとこわりぃが早く移動しよう。ここから離れて安全地帯を見つけてそこで休憩しないか?」
泣き崩れたマールに努めて優しく倫太郎が提案する。
倫太郎に言われずとも重々現状を理解しているマールも「そうですね」と立ち上がろうとするが、どうやら緊張の糸が切れたようで足腰に力がうまく入らないようだ。
「んっ!…あれ?んっ!………すいません。腰が抜けたみたいで…立てません…」
「…あとでセクハラだとか言わないでくれよ?」
倫太郎はマールの腕を自分の肩に回して腰に自分の手を添え、全身の痛みを堪えて力任せに立ち上がった。
体中からミシミシビキビキと筋肉と骨が軋む音が強烈な痛みと共に鳴るが、構わずマールを担ぐようにして歩きだす。
「んぎっ!ぐぅぅ!」
「っ!?ちょっ!…リンタロー!無茶しないでください!」
マールは倫太郎の身を案じて自分の足で立とうとするがやはり力が入らない。生まれたての小鹿のように足がガクガクに震えて、まともに歩けるようになるまでしばらく時間がかかるのは明らかだ。
怪我の度合いで言えば倫太郎の方が遥かに重症なのはわかりきっている。
怪我人に担いでもらうなど申し訳ないどころの話ではないのだが、密かに想いを寄せる倫太郎と密着しているこの体勢は嬉しくもありマールは複雑な気分であった。
「…なに、これしき。マールの労力に比べれば蚊に刺されたようなもんだ。それに以外と軽いから大丈夫だぞ?」
強がりなのか本音なのかはわからないが、倫太郎はニカッとマールを安心させるように笑った。
倫太郎は正確にマールの心理状況と、そこから影響する身体への負担を理解しているのだろう。
「…以外とは余計です…」
倫太郎の顔が近く、早まる心臓の鼓動の音さえ聞かれそうな気がしてマールは下を向いた。
今、きっと自分の顔は周りの溶岩や暑さのせいにできないくらい赤面していると自覚し、顔を上げられないでいた。
「…マールと臨時パーティを組んでホントに良かったと思う。俺一人なら多分死んでた。…改めてありがとう、マール。さすが俺の相棒だな」
夢幻の回廊に入ったばかりのときダークエルフとはどういう存在かという会話をしたときも倫太郎はマールに『相棒』という言葉を使っていた。
そう呼ばれることがマールはなぜか堪らなく嬉しかった。
強者である倫太郎と肩を並べるに足る対等な関係と言われているような気がしたからかもしれない。
そう言われて嬉しくなり、マールはチラリと見上げた先にある間近の倫太郎の痛みに耐えながらも凛々しい横顔を見たとき、心臓が一際大きく跳ねた。
やはり自分は倫太郎が好きだと改めて認識したそのとき、
マールの中で何かのタガが外れた。
あのとき、なぜ急にそんなことをしたのかと後から聞いてもマール自身も説明できない。突然の衝動に抗えなかった…。と恥ずかしそうに俯くばかりであった。
倫太郎に担がれてていないほうの空いている手で倫太郎の顔を強引に引き寄せ、マールは倫太郎の唇に自分の唇を重ねた。
「んぐっ!?!??!」
両腕を倫太郎の首へと回し、絶対に逃がしてやらないと言わんばかりにがっちりと倫太郎の首に固定して倫太郎の唇を貪る。
マールの目はハッキリわかるほど蕩けていて普段の知的な雰囲気はない。雌の色香を撒き散らしながら倫太郎を堪能していた。
「ぷはっ!おい、マール!いったいなんの…マール?」
堪能され続けることしばし、半ば無理矢理にマールをひっぺがして問い詰めようとした倫太郎もマールの様子に戸惑う。
荒い息づかいと火照って潤んだ瞳でぼーっと倫太郎を見ていたマール。訝しむ倫太郎だったが、徐々にマールの眼に知性の光が戻っていく。
そして訪れる沈黙。
「…………………え?…あれ?…私…今、なにを…?」
「………」
サァッと青ざめるマールは恐怖や安堵とは違う理由でカタカタと震え始めた。
数秒前の出来事の記憶が霞が晴れるように鮮明になっていく。
そしてマールは自分の痴態を自覚し、叫んだ。
「い、イヤぁーーーーーっ!!!すっ、すいません!すいません!ああ…私は…なんてはしたないことを…」
再度蹲り、頭を両手で覆って亀のように動かなくなってしまった。
「…つ、疲れてんだな。うん、きっとそうだ。…まぁアレだ。…俺は気にしねぇから、マールも気にすんな。さぁ、行こうぜ」
醜態をさらして蹲るマールに手を差し伸べて気にするなと慰める倫太郎だったが、そのときマールは羞恥に悶えながらも「これはチャンスなんじゃ…」と考えた。
衝動的に倫太郎に唇を重ねてしまったが、そこまでしたなら自分の胸の内に秘めた想いを吐き出したところで今さら恥も何もないのでは?と。
「好きです!貴方が!」
ガバッと起き上がり泣きそうな瞳で倫太郎を見つめて叫んだ。
だが倫太郎はなんと返答するかマールは知っている。知っているからこそ、その一言を言うには並々ならぬ覚悟が必要だと思い、胸の内に秘めておこうともしたのだが…こんな状況になったのだ。今伝えなければ一生言えないで後悔すると思い至り、勢いに任せることにしたのだった。
「…マール、俺は…」
「わかっています。貴方が誰とも深い関係にならないと決めていることは…。でも…私があなたに想いを寄せるのは自由じゃないですか。…たまにエッチで私の胸をチラチラ見したりしますけど、強くて仲間思いなところや以外と情に厚いところに引かれたんです」
「………」
一度止まったはずの涙がポロポロと再び瞳から溢れるが、マールは必死に笑顔を作ろうとしている。
それが痛々しくて倫太郎はマールの顔を真っ直ぐに見ることができなかった。
「…困らせてごめんなさい…。でも今伝えなかったら、後悔する気がして…。でも私もレディと同じです」
「同じ?」
「はい。…絶っっっっっ対に諦めません!いつか必ず貴方のほうから好きだと言わせてみせます!これから先、四六時中あなたと一緒にいるレディの方が有利ですけど…私もいつか必ず振り向かせてみせますから。覚悟してくださいね」
涙はまだ止めどなく溢れているが、マールの表情はどこか晴れやかだ。告白の羞恥や後悔など一切感じない清々しい笑顔だった。
「………」
健気に想いを独白するマールに応えられないことにチクリと倫太郎の胸が痛む。
マールだけでなくザリアネのときも、レディのときもそうであった。
人の好意を断るときは人を殺すときよりも罪悪感が強く心を締め付ける。
人に好意を寄せられることなど地球にいた頃は考えられない生活をしていた倫太郎は誰かの好意を断る度、まるで人の『心』を殺しているような、踏みにじっているような、そんな感覚に陥っていた。
「…すまん…」
俯いてそう言う以外に倫太郎は気の効いた言葉を選ぶスキルもなく、かと言っておいそれと想いを受け入れるには自分のしてきたことはあまりに業が深すぎる。
「…さすがマール。レディが気絶してる間にスルリとリンタローとの距離を縮めてくる。でもまさか力ずくでリンタローの唇をかっさらうなんて…。これはレディもうかうかしてられない」
倫太郎が苦悩していると気絶していたはずのレディがいつの間にか横になりながら倫太郎とマールのやり取りを見ていた。
まるでテレビで昼ドラを観る主婦のように横になりながら頬杖をついて二人を観察している。
「レッ、レディ!?いつから見てたんですか!?
」
「ん~、マールがシルモイをグラビティドームに閉じ込めたあたりから?」
「…つまり最初からってことですね…」
また顔を上気させ、ゆで上がるのではと思うほど真っ赤にしてマールは顔を覆った。
「ま、まぁとりあえずここを離れよう。マールのあの魔法もいつまで持つかわからないって話だしな。奴が復活する可能性があるなら落ち着いて休める場所を探そうぜ。レディは歩けそうか?」
「…問題ない」
収集がつかなくなる前に倫太郎がそう切り出し、マールを再度担ぎ直し歩き出す。
複数本折れた骨の鈍い痛みとギシギシと軋む身体中の痛みにはもう慣れたようだ。
倫太郎も色々考えたいことがあるが今はこの場を去るのが最優先である。シルモイが目覚めてしまっては折角マールの奮闘で繋いだ命を無駄にしてしまうかもしれない。
シルモイが倒れているグラビティドームを迂回して一行は六階層の奥へ移動し始めたのだった。
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「レディ、怪我は大丈夫か?」
「大丈夫。血はもう止まってる。頭だから出血は派手だったけどそこまで深い傷じゃないみたい」
倫太郎たちは今、爆煉石があるという六階層最奥の手前にいた。
そこは身を屈めて通るのがやっとの天井の低い通路を這うように進んで来たところにある六畳ほどの広さの空間だ。溶岩地帯からだいぶ離れたようで、肌を焼くような熱気はもうない。
ここならばシルモイをやり過ごせる可能性が高いだろう。
壁からは都合よく湧き水が染み出していて窪んだ地面に綺麗な水が溜まっている。三人はその水でカラカラに乾いた喉を潤し、転げ回って身体中についた砂埃を濡らした布切れで拭いていた。
「っくぅっ!…はぁ、はぁ…ふぅ。痛みには強いつもりだったが…ここまで何本もバキバキに折られるとさすがにしんどいな」
壁にもたれ掛かり、倫太郎は苦悶の表情を隠せず荒い息を吐いた。
ここに避難するために倫太郎に担がれて移動しているとき、マールはマナポーションをありったけ飲み干した。だが効果が出るまでまだ時間がかかるようで倫太郎の治療はおろか、自分の腹部の傷も癒すことができない現状だった。
「大怪我してるのにここまで連れてきてもらってすいません。まだ魔素が戻るまでしばらくかかりそうです。少しの間我慢しててください」
申し訳なさそうにマールが眉尻を下げて謝るが、倫太郎は「気にすんな」と軽くマールに返した。
「それより爆煉石はこの先にあるんだろ?」
倫太郎は自分の折れた骨や、いまだに血の滲む切創よりも爆煉石が気になって仕方がないようだ。
「はい、ここから五分も歩くと開けた空間に出ます。そこが六階層の火気厳禁区域、爆煉石の出土エリアです」
溶岩が流れ、高温低湿のエリアにそんな爆発物がゴロゴロ転がっているのは大丈夫なのか?とも思う倫太郎だったが、欲して止まなかった目的の物まであとわずかという事実が先行して些細なことだと切り捨てた。
「そうか…。じゃあ少し休もう。それでマールが治癒魔法を使えるまで回復して、全員の怪我を治したら進もう」
「はい、そうですね…。私も暑さとシルモイのせいでクタクタだったのでちょっとだけ眠ります」
「レディは頭を少し切ったくらいで疲れてないから見張りしてる」
夢幻の回廊に潜ってからはトラブルだらけの道程だった。この世界を倫太郎が倫太郎らしく生き抜くため、銃の火薬は必須。その代用品になりえるかもしれない爆煉石まであと僅かというところまで来た。
手持ちのM19を改良して火力を上げようか、使えるようになった錬金魔法で新たな銃を作ろうか、そんなことを考えながら倫太郎は眠りに落ちていった。
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