敢闘と生存
下から立ち上る溶岩の熱気と極度の緊張、遥か格上の存在であるシルモイと対峙するプレッシャーでマールの全身からは冷や汗なのか脂汗なのかよくわからない汗が大量に流れている。
表情は険しく、一瞬の油断も許されない緊迫した状況はマールの精神をゴリゴリと削るように磨り減らしていた。
相対するシルモイは終始余裕が感じられる涼しい表情だ。一言で言い表すなら完全にマールをナメているのだ。
実際、シルモイからしてみればマールなど指の一振り、吐息の一吹きでいつでも倒せる相手でしかない。
今、シルモイがマールに期待していることは、逃げずに立ち向かってくるのか、立ち向かってくるならどんな風に抵抗してくるのか、その程度だ。
間違っても自分には傷の一つも付けられないとタカをくくっている。
シルモイのその強者の余裕、言い換えるならば油断につけ込む隙があるのではないかとマールは思っているのだ。
「どうしたのぉ?来ないのかい?先手は譲るよぉ。どこからでも来なよ。僕はここから動かないから遠距離魔法でも範囲型殲滅魔法でもなんでも撃ってきなよぉ」
「………」
ニタニタといやらしい笑みを絶やさず、手招きするように挑発する。
そんな安い挑発にリアクションを返す余裕もないほどマールの脳内では目まぐるしく戦闘のシュミレーションが何十通りも行われていた。
倫太郎とレディを赤子の手を捻るように無力化した規格外の火力と魔法発動速度や、シルモイ自身の性格、嗜好性を加味して戦術を組み立てていくうちにマールは一筋の勝ち筋を見いだした。
勝ち筋と言っても成功するにはピアノ線で綱渡りするような、分の悪いギャンブルにも等しい賭けのような、か細い糸を手繰り寄せる神経質な作戦だ。
「身体強化!」
まずは身体能力の底上げだ。シルモイは風魔法特化で、息をするようにタイムラグ無しでバンバン高威力の魔法を連発するため、マールの魔法障壁の展開速度では全く間に合わない。
回避重視で立ち回るには身体強化無しでは話にならない。
「おや?接近戦をご所望かなぁ?ま、僕はなんっだって構わないけどね」
マールは強化した脚力で駆ける。倒れた倫太郎とレディに魔法の射線が被らないよう、シルモイと一対一になるように移動した。
そして走りながらも素早く詠唱破棄した魔法を放つ。
「アイスニードル!」
通常、アイスニードルとは一発の鋭く尖った氷塊を撃ち出す魔法であるが、マールの卓越した魔法センスは通常や平凡という言葉からはかけ離れた結果を生み出した。
マールが作り出した氷塊は八。それも普通の魔法使いが作るアイスニードルより二回りは巨大なそれはシルモイ目掛けて襲いかかる。
成人男性の腕より太く長い八本のアイスニードルは弧を描いてシルモイを貫かんと上空より飛来する。
「…はぁ、まさか初級魔法とはね。数撃てば当たるとでも思ってるのかなぁ。しかも命中精度もお粗末だし」
八本中、シルモイに正確に向かったのは二本。残りの六本はシルモイの周辺へ突き刺さった。シルモイはガッカリしたようにパチンッ!と指を鳴らすとレディを吹き飛ばした空気の爆弾がシルモイの目の前に現れ、爆ぜた。
マールのアイスニードルは木っ端微塵に破壊され、微細な氷の結晶となりキラキラと宙を舞う。平時ならば幻想的で美しいと思える光景だが、今は生きるか死ぬかの勝負の真っ只中であり、そんなことを気にしている余裕などマールにはない。
「ほら、もっとじゃんじゃん攻めてきなよ。体内の魔素が枯渇するまで撃ってさぁ、僕を楽しませてみせてよ」
「………」
貼り付けたような笑顔でマールを煽るシルモイだが、マールはキッとシルモイを睨むだけで反応はしない。
「天よ!彼の者に断罪を与えたまえ!サンジャッジメント!」
本来、フルで詠唱すれば一分以上かかる上級魔法、光属性という特殊で扱いの難しい魔法を詠唱短縮し一言まで縮めて放つ。
上空に擬似的な太陽を作り出し、光を集束させ超高温の断罪の光を降らせる魔法だ。
凡人であれば不発に終わるか極々小威力の発動で終わるが、マールに限ってはその心配は無用。
ゆうに直径五メートルを超える人口太陽を作り出したマールは指をタクトに見立てて振り下ろした。
カッ!と目も眩む眩い光を放ち、人口太陽の真下で物珍しそうに太陽を見上げながら佇むシルモイ目掛けて鉄をも溶かす集束された裁きの光がまさに光速で降り注ぐ。そして直撃。地に突き立ったアイスニードルも一瞬の内に蒸発、気化し宙に還った。
発動した後からでは回避することは不可能。まともに喰らえば生物であるならば、この世に影すら残らず蒸発する威力を秘めた魔法だ。
しかしシルモイも世界中に強者として名を馳せた存在である。マール自身もこの程度で終わるはずがないと確信して裁きの光を見つめた。
だが手応えはあった。もしかしたら浅くはない手傷を与えられるかもしれない、そう期待して光が消えるのを待っていた。
けっして油断していたわけではない。敵の状況を把握するために警戒しながらサンジャッジメントの光が止むのを待っていたマールだったが足を止めたのが災いした。
不可視の斬撃が光の中から飛来し、マールの腹部を切り裂いた。
ズパンッ!
「……え?…っ!?…」
鋭利な風の刃によって横一文字にマールの腹部が裂け、鮮血が飛び散った。パニックになりかけるが、膝をつきながらも咄嗟に無詠唱で回復魔法を宿した掌で腹部を覆い止血を開始する。
痛みは魔法の発動を阻害する。それはそれなりに魔法を使える者ならば誰に教わらなくとも知っているほど当たり前のことだ。
体内の魔素を意識的に循環させ、魔法を構築するというのは繊細且つ緻密な作業である。
熟練と言われる魔法使いでも指に刺さった一本のトゲの痛みだけで魔法効率が半減してしまうこともある。
腹を裂かれ、傷は内臓にまで達していているにも関わらず、冷静に素早く回復魔法を行使できるマールは熟達した魔法使いの中でも上位に食い込む存在だろう。
しかし、シルモイを相手取るにはまだ足らない。
「う~ん、今のはまあまあかなぁ。すっごい眩しかったし、ちょっと熱かったかなぁ」
降り注ぐ断罪の光の中から何事もなかったかのように歩いて姿を現す。よく見ればシルモイの毛先は少し焦げているようだった。
「髪の毛先がちょっと燃えちゃったよ。君、なかなかやるねぇ。障壁張らなかったら火傷してたかも」
シルモイのすぐ真上には空気を圧縮して作った紙のように薄い障壁が展開してある。
見た目ペラペラのシルモイの障壁は見かけとは裏腹に超高密度の空気で構成されているようで、マールのサンジャッジメントを防ぎきってなおヒビの一つも入っていない。
その事実にマールは腹部の治療をしながらも小さく舌打ちした。
もしかしたらこれで押し切れるかもしれないと一瞬でも思った己を張り倒したい気持ちになりながらも治療を急ぐ。
「ねえ、次は?そんなかすり傷の治療なんていいからさぁ、早く次の魔法を撃ってきなよぉ」
魔素切れまで魔法を撃たせ、すべてを防ぎ切ってみせて絶望する表情が見たい。シルモイの顔にそう書いてあるようにマールには見えた。
「…では遠慮なく、最後に二つだけ…とっておきの魔法をご覧に入れましょう」
まだ傷口は完璧には塞がっておらず、マールの足元にタツタツと血が滴り落ちて地面に血溜まりを作るがマールは唇を食いしばり、痛みを推して立ち上がった。
「んん?二つだけぇ?ははっ、君はまだまだ魔素が残ってるじゃないか。全部使いきるつもりでかかって来ないと僕には傷一つ付けられやしないよぉ?」
小バカにするようにシルモイが笑う。
どんな魔法が飛んでこようが完璧に対応できるとでも言いたそうな顔だ。
「グラビティドーム!」
マールはシルモイを囲うように半球状の重力場を展開した。
ドーム内の重力を三倍程に引き上げる筋トレ専用の魔法だが、これをマールが全力で発動すれば内部の重力は五十倍までに跳ね上がる。
「おっ?おお~。体が重いねぇ。でもこの程度なら風を纏えばなんてことないよ…まさかこれがとっておきの魔法かい?ガッカリだよ」
「いえ、本番はこれからです」
下準備はこれですべて整った。あとは仕上げだ。
マールは未だに流れ続ける腹部の血を指に付け、空中に素早く文字を書いてゆく。それはこの世界で一般的に認知されている文字とまるで違う。古代文字のようだ。
「万物を司る理よ!我が血と魔素を対価としてここに希う事象を顕せ!我は望む!彼の者を打ち滅ぼす現象を!呪!」
マールの腹部から流れていた血が消えてゆく。治療のために押さえていて掌に付いた血も、服に付いたものも、地面に滴り落ちた血さえ消えてなくなった。マールの顔色も端から見てわかるほど青くなってゆく。まるで無理矢理血液を抜かれているかのように。
グラビティドームの真上にいつの間にか黒い火の玉が浮いていることに倫太郎は気づいた。
激痛の走る身体をなんとか起こして成り行きを見守ろうとマールとシルモイを交互に見やる。
マールはあのとき怒っていた。何に対しての怒りなのか倫太郎はよくわからなかったが、倫太郎との会話の最中に怒り出したのだ。自分の言葉選びが原因だということは間違いないと倫太郎も自覚していた。
黒い炎がスッとグラビティドームを透過してシルモイの頭上まで降りてきて霧散するように消えた。次の瞬間。
「っ!?…ガっ!?……っ!………っ!」
急に首を抑えて苦しみだしたシルモイ。ガクガクと痙攣するように膝も笑い出し、ついには立っていられなくなったようでその場に崩れ落ちる。
泡を口の端に作り、顔色もみるみる悪くなっていく。
声を出そうと必死にパクパクと口を動かすが全く音が出ない。
どうやらグラビティドームの内側は真空状態になり、風魔法はおろか呼吸もできなくなっているようだ。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…」
マールも荒い息づかいで膝を折ってその場にへたり込む。大量の魔素と血を失い、意識を保っているのでやっとの様子である。
マールが最後に行使した魔法は禁術『呪』。
指定した対象の最も不得手とする『状況』を『死ぬまで』作り出す禁術にあたる魔法だ。
非人道的な効果を発揮する術であると共に行使の難しさと膨大な魔素の消費量、加えて術者の身体の一部という大きな対価が必要であるが故に表の魔法史から姿を消した魔法である。
風魔法特化のシルモイの場合、真空空間が何よりも苦手な状況のようなので目に見える残虐性は薄いが、相手によっては灼熱の業火が身を焼き尽くすまで延々と燃え盛ったり、まるでブラックホールに放り込まれたかのように全方位から超圧力をかけられ原子レベルまで圧縮されるまで押し潰されたりもする。
理に干渉、操作し、相手に合わせて最も不得手な状況を作り出す魔法。行使の代償は大きいが使いどころを見極めればシルモイをも追い詰める強力な魔法だ。
実は呪はマールの潤沢な魔素の量をもってしても下準備なしでは十全に扱うことができないほど消費が激しい。
だが事実、マールは見事に呪を発動させている。そのカラクリはマールとシルモイの先の戦闘にある。
まず自分の魔素から作り上げたアイスニードルでシルモイを囲むように放ち、呪の発動範囲を指定するように楔を打つ。サンジャッジメントの熱で溶かして蒸発したアイスニードルから解放されたマールの魔素で周囲を満たし、グラビティドームでシルモイごと閉じ込める。
発動範囲をアイスニードルでつけた楔の中に限定し、その中をマールの魔素で満たすことでなんとか魔法の発動にこぎ着けた、というわけだ。
アイスニードルを外したのはわざとで、グラビティドームはシルモイではなく己の魔素を閉じ込めるためであったのだ。
シルモイの動きが完全に停止した。真空状態のため、得意の風魔法は封印されて抵抗もできずに倒れ伏している。
呪は未だ持続しているので死んではいないようだが、先程までのシルモイから放たれる死のプレッシャーは全くない。どうやら気絶させ無力化することには成功したようだ。
この魔法が解除されるのは対象が死ぬか、内側から解呪、または無理矢理破壊されるまで永遠に持続する。
しかし化け物じみたシルモイのことだ、このまま幕引きにはならないだろう。
「…マール、やったのか?」
脇腹を抑えて苦悶の表情を湛えたまま這々の体でマールのもとへやって来た倫太郎。油断なく地に伏せるシルモイを睨み、警戒しながらマールへと話しかけた。
「…呪が持続しているということはまだ死んではいません。おそらく気を失っているだけかと…」
「…強いな」
「ええ、強敵です。呪自体も不完全なのでいつまで持つかわかりません。シルモイが意識を取り戻す前に行きましょう」
マールも血と魔素を大量に失いフラフラだった。辛うじて立ち上がることはできたが足下が覚束無い。
よろけて倒れそうになったマールを倫太郎が支えるように肩を抱いた。
「いや、強いのはマール、お前だ。正直勝てないと思ってたけど結果を見れば完封だったじゃねぇか。俺はマールとレディどっちも逃がしてからどうにか逃げようと思ってたけど…。この怪我じゃ無理だったろうな。やるじゃねぇかマール」
「いえ、あの、私もいっぱいいっぱいで…。無我夢中で戦ったらどうにかなったと言いますか…え?あれっ?」
戦闘の最中は生存を勝ち取ることで頭がいっぱいだったが、一段落ついてみれば遅れて恐怖と安堵がマールを襲った。
小刻みに無意識に身体が震え、泣くつもりなどなかったが涙がポロポロと溢れる。何度も袖で拭うが、どうやっても止まりそうにない。
「すいません…泣くつもりなんて…ふっ…うぅ…ううっ…」
自分の身体を抱いて再度へたり込むマール。呪が発動しているうちに逃げなければいけないのは重々承知しているが、震えで体が言うことを聞いてくれそうにない。
「ありがとう、マール。マジで全滅するかと思ったけど俺とレディが今生きてんのはマールのお陰だな」
倫太郎は二度三度マールの頭をポンポンと優しく撫でて労い、自分の全身の痛みを押し殺して精一杯の笑顔でマールの戦いを讃えたのだった。
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