絶体絶命
『げぇ……リンタロー、あいつァヤベーぜェ…ノーライフキングが子犬に見えらァ…』
今まで敵を前にしても一切泣き言など言わなかった闇爪葬が刃の波紋を波打たせ、弱々しく呟いた。
(わぁってんよ、んなこたぁ…。俺だって今すぐ逃げてぇんだよ)
空間が歪んで見えるオーラを立ち上らせて視覚化できるほどの密度な風を両の掌に集め、自由自在に操るシルモイ。
球状に圧縮された風のボールを二つ携え、倫太郎たちに歩み寄る。
その球に触れればどうなるか、想像したくはないが否応なしに考えさせられる力を内包しているのは間違いない。
「マール、レディ。一斉に散らばって戦うぞ。それで隙を見て逃げる。でも無理に突っ込むなよ。一発喰らったら即死、そう念頭に置いて距離をとりながら回避重視で立ち回れ…ありゃあマトモに相手しちゃいけないヤツだ」
滝のような冷や汗を流しながら倫太郎はシルモイに悟られないよう、口元を手で覆ってコソコソとマールとレディにそんなことを言った。
いつも強気な倫太郎の口からそんな言葉が出るとは思わなかった二人は内心驚いていたが、相手を考えればしかたがない。
精霊シルモイ。気まぐれで神出鬼没、聖母のような慈悲深さと悪魔のような残虐性を併せ持つ。
ときには人や動物を愛し、恵みと慈愛を与える。だが気分によっては全てを殺し、破壊し尽くすまで暴れ続ける悪魔にもなる精霊の中でもっとも『わからない』存在である。
しかし今のシルモイの心理状況は至って単純明快だ。期待はずれなダンジョンで無駄足を踏んでイライラしており、目につくもの手当たり次第ブッ壊したい。ただそれだけだ。
そして運悪くシルモイの鬱憤が溜まっているときに倫太郎たちが出くわしてしまったのだが、精霊が成すことは自然災害と同義として捉えられている。
圧倒的な力、無限にも等しい魔素、人とは違う精霊という特殊な存在。これらの理由から人に近い姿をしていてもどの国の法にも縛られず、行動を制限されない。
しかし、精霊から危害を加えられそうならば黙って受け入れろ、というわけではない。
相手は精霊で法に縛られない者、逆に殺してしまったとしても殺人罪に問われることはない。殺すのも抵抗するのも自由だ。
…まぁ、その圧倒的過ぎる力の前にはほぼ無意味なのだが。
倫太郎はそのところの事情などは知らないし、知っていたとしても素直に己の首を差し出すほど腑抜けてはいない。
絶望的な力の差を肌で犇々(ひしひし)と感じながらも活路を見いだすべく脳をフル回転させていた。
地面、壁、天井の状況、溶岩までの距離、マールとレディの能力、闇爪葬の汎用性…総合的に考え抜いた結果、戦って勝てる可能性は一パーセント以下、逃げられる可能性ですら十パーセント程度。絶体絶命である。
倫太郎一人だけで逃げるのならば生存の可能性は一気に五割にまで跳ね上がる。が、臨時とはいえ、ここまで苦楽を共にしてきたパーティメンバーを切り捨てるなど倫太郎にはできなかった。
倫太郎は殺し屋で、ターゲットにはどこまでも冷徹になれるが、仲間を簡単に捨てるような下衆ではない。
故に最初から三人で生き残ることを大前提として思考を巡らせていた。
「っ!?散れ!」
だが打開策が思い浮かぶ前にシルモイが先に動いた。立ち止まり、風の球を持つ両手を後ろに引き、投擲の体勢に入ったのだ。
マールとレディは弾けるように左右に別れ、シルモイからは目を離さずに全力で横に走る。
そして弓のように腕を撓らせながら倫太郎に向けて風の球を投げつけた。
「!?…」
だがそれは信じられないほど遅い。ゴム風船の落下速度と同等かそれ以下の速度でフワフワとゆっくりと、しかし真っ直ぐに倫太郎へと向かって行く。
なんだコレ、これなら余裕で躱せる。そう倫太郎は思ったが、そんなはずはなかった。
放たれた二つの風の球は細胞分裂でもするかのように増えた。二から四へ、四から八へ、八から十六へ。
倫太郎の背筋に悪寒が走った。
一メートル進む度に倍々に増え続ける風の球。倫太郎とシルモイの距離は約三十メートル、黙って見ていれば倫太郎に到達する頃には一体どれだけの数になることか…。少なくとも避けたり撃ち落としたりできる数でないことは確かだ。
「マール!」
「準備できてます!」
散開すると同時にマールは密かにスタートしていた詠唱を終わらせ、待機状態でいた範囲魔法を風の球に向かって放つ。
「ロックストーム!」
ダンジョンのそこかしこに落ちている小振りな石や砂を巻き込み、一軒家を飲み込むほど大きな竜巻が現れる。
パシュン!パシュン!パシュン!…
嵐と言っても過言ではない規模の竜巻の巻き上げる無数の小石がシルモイの放った風の球を掻き消す。甲高い破裂音が響き、相殺に成功したことを知らせる。
「ナイスだ!マール」
すでに気配を殺して走り始めていた倫太郎はロックストームを迂回してシルモイの背後をとっていた。
「ッシィッ!」
低く構えた闇爪葬をシルモイの首目掛けて斬り上げる。
シルモイはいまだ気付いた様子はない。風の球が掻き消される様を何が嬉しいのかわからないがニタニタと嗤いながら眺めている。
(…殺った!)
一撃必殺を確信し、さらに深く踏み込み刃を振るう倫太郎。だが…。
ギィィィィィン!
「なっ!?」
シルモイの首筋に闇爪葬が食い込む寸前、金属音にも似た衝撃音が響き渡り失敗を告げた。
しかし倫太郎も一瞬で切り替える。一撃必殺からシフトし、連撃で押そうと強烈に弾かれる闇爪葬の柄を力任せに引き戻し、視認などできない速度で次々と斬撃を繰り出した。
「うおぉぁらぁぁああッ!」
ギィン!ギィン!ギギギギィン!ギギギィン!
見えないバリアがシルモイを包み込んでいるようで、どこにも攻撃が通らない。
倫太郎は一瞬で二十を超える斬撃を繰り出したが、その全てを弾かれてしまった。
「おや?いつの間に。素早いんだねぇ。ホラっ」
いましがた倫太郎が肉薄していることに気付いたかのように振り返り、間延びした声を出したシルモイ。倫太郎たちと対峙していることに対する緊張など皆無のようだ。
そしてゆっくりと倫太郎に向かって軽く下から上に腕を振るう。
警戒し、すぐさまバックステップで距離をとろうとしたが僅かに手遅れだったようだ。
「っ!?ぅぐっ!」
軽く腕を振るう、シルモイのただそれだけの動作によって全てを吹き飛ばすような突風が倫太郎を襲う。
なんの踏ん張りも効かず、斜め下から吹き付ける風に簡単に身体を持ち上げられ、そのまま斜め上へと一直線に吹っ飛ばされる。
「っリンタロー!!!」
吹き飛ばされ始めた倫太郎の腕を掴もうと、走り飛び出して手を伸ばすレディ。その手を掴もうと倫太郎も手を伸ばすが指同士が触れただけで掴み合うには至らず、倫太郎は錐揉みしながらダンジョンのゴツゴツした岩が張り出す天井へと叩き付けられてしまった。
「ぐぁっ!?…が…はっ…」
ゴシャアッ!と、鳴ってはいけない音が鳴り、肺の空気を一気に吐き出され、内蔵も傷付いたのか一緒に血反吐も舞わせて倫太郎は重力に引かれ落下した。
天井に叩き付けられる寸前でなんとか体勢を整えて受け身をとった倫太郎だったが、身体が受けた衝撃のほんの数パーセントを受け流せた程度、被害は甚大であった。
「リンタロー!…エアクッション!」
マールが詠唱破棄して素早く倫太郎の落下地点に空気の緩衝材を作り出す。
フゥッ。
シルモイがそれに息をかけるように一吹きした途端、エアクッションが霧散するように無効化されて消え失せた。
「!?このっ…エアクッショ…」
ドサッ!
再び同じ魔法を行使しようとするが間に合わず、倫太郎が地面に叩き付けられる。
飛びそうな意識を必死に繋ぎ止め、なんとか着地の瞬間にも受け身を入れたが、その効果は有って無いようなもの。その場から動けず、力なく横たわり微動だにしない。
「リンタロー!…このやろー!マール!リンタローをお願い!」
「待ってレディ!迂闊に近寄ってはダメです!」
想いを寄せる相手をボロ雑巾のようにされてレディがキレる。
マールに倫太郎の治療を託し、真っ赤に充血した瞳でシルモイを睨み付けて疾駆する。
風の影響を受けないよう身を低く屈めてジグザグに走り、短刀を逆手にシルモイへと迫る。
だが、勇気と無謀は似て非なるもの。感情に任せて格上に無策に突っ込めばそれ相応のしっぺ返しが来るのは当然の道理である。
「ははっ、元気な跳ねっ返り娘だねぇ!…でもそんな考えなしじゃあ百年経っても僕の皮膚にすら傷はつけられないよぉ?」
人差し指をスッと持ち上げるように上に掲げると、シルモイとレディを隔絶するように不可視の圧縮された超高密度の空気の壁が現れた。
「…レディ、勘だけはいいの」
空気の壁にぶつかり、あわや衝突するかという寸前でレディは突進の速度を落とさず直角に進路を変えた。
そして空気の壁を回り込むように避け、シルモイへと肉薄した。
「はぁあああああ!!!」
突き立てるように逆手に持った短刀をシルモイへと全体重を乗せ全力で振るう。
レディの本気の速度に付いてこられないようで、シルモイは目を剥いた。
不可視の壁を避けたことと、残像すら残すほどのスピードで駆け回るレディにシルモイをして瞠目せざるを得なかったようだ。
しかし、攻撃が通るかどうかは別問題だ。
ギィィィン!
倫太郎の斬撃をも防いだシルモイを包み込むように覆う空気の鎧がレディの短刀を止めていた。
あと数センチ、あとほんの僅かで切っ先がシルモイの肌を捉えられるところで完全に短刀は停止してしまった。
「っ、このっ!ぐぅぅっ!」
どうにか突き立ててやろうと必死に押し込もうと力を込めるが、レディの刃は全く前進しない。
「…はぁ、こんなもんかぁ。まぁ、最初から大して期待はしてなかったんだけどねぇ」
パチンッ!
シルモイが指を鳴らすと同時に、レディの目の前で空気の爆弾が破裂したように弾けた。
「キャアっ!」
大きく上体を仰け反らせ、クルクルと宙を舞って倫太郎を治療するマールの近くへと地面を二回三回とバウンドしながら吹っ飛ばされ戻るレディ。
額からは夥しい血が流れピクリとも動かない。胸は動いていて呼吸はしているようだが完全に気絶しているようだ。
倫太郎は虫の息、レディは沈黙。残ったのはマールだけになってしまった。
「あと一人かぁ。どうせ君も大したことないんでしょ?でも一応抵抗してみる?それとも諦めて素直に大人しく死んどく?選ばせてあげるよぉ?」
薄ら笑いを湛えたまま無防備に歩み寄るシルモイ。
倫太郎の治療はまだ途中で肋骨は復数本骨折、裂傷は塞がることなく鮮血を流し続けている。シルモイに接近されながらも必死に回復魔法を続けるが、まだしばらく時間がかかりそうな状況だ。
「…マール……逃げ…ろ…。俺は…大丈…夫…だ…」
蚊の飛ぶような声で倫太郎がマールに逃走するよう、シルモイに聞こえないように囁いた。
激痛で気を失うことすらできずに苦悶の表情で大量の脂汗を浮かべながら歯を食い縛り「大丈夫」などと言われてもなんの説得力もない。
それに優しさともとれる倫太郎の言葉にマールは沸々と沸き上がってくる怒りを感じていた。
それはなぜか。
お前じゃシルモイに勝てないと言われているからか、違う。
気休めの「大丈夫」などという言葉で自分が安心するアホだと思われたからか、そうじゃない。
仲間を切り捨てて逃げろ、そう言われている気がして無性に腹が立ったのだ。
倫太郎とレディは付き合いは短く、所詮は臨時パーティのメンバーだが、何度も死線を切り抜けてきた仲間だとマールは思っている。
それを勝てないから、死ぬかもしれないからと簡単に切って捨てられるほど薄情ではない。
それにマール自身、倫太郎に仲間以上の感情を持ち始めていることも自覚している。
仮にマール一人で逃げて助かったとしても、生真面目なマールは一生悔やみながら生きる人生が待っているだろう。
だから倫太郎の提案には乗れない。
「ふざけないでください。私は見捨てない。死ぬかもしれないからと一人で逃げるなんて私が私を許せません。見損なわないでください!私は逃げません!活路は私が切り開きます!」
どこか自分に言い聞かせるように、己を鼓舞するように叫び、マールはシルモイの前に立ちはだかった。
相変わらずニヤニヤと嫌な笑みを浮かべるシルモイ。
射殺すようにシルモイを睨み付け、魔素の循環を加速させて魔法を構築するマール。
戦いになるかどうかすら怪しい実力差があるのは明白、勝ち目などほぼ無い。
だがここで逃げて生き延びたとして、母にどんな顔をして会えばいいのか。明日からの自分に誇りをもって生きていけるのか。
この戦いはマールの尊厳をかけた戦いになるだろう。勝算は薄いが全く策がないわけではない。綱渡りのようなギリギリの作戦ではあるが、上手くハマれば倒せなくても撤退に追い込むくらいはできるかもしれない。
今まで培ってきた魔法の知識と技術を総動員して、シルモイを強く睨み付ける。
今マールの戦いが始まろうとしていた。
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