スピリットゴースト
「…リンタロー、お願いですから自分の趣味に走るのは控えてくださいね…」
かつてないほどのジト目のマールは完全に倫太郎が女を転ばせてもがく姿を見るのが好きな変態だと思っている目である。
「…マール、この戦いに決着がついたらじっくり話し合いをしようか。君はなにか大きな誤解をしているようだ」
倫太郎もさすがにそんなマニアックな変態の認定を受けることには寛容になれないようだ。
「さて、奴さんも待ちきれなくて白目剥いてることだし、さっさと終わらせようか」
「えっ?…ひぇっ…」
魔法使いの女は幅の広い涎の滝をダラダラ垂らして犬歯を剥き出しにして赤く血走った白目を剥いてシューシューと荒い呼吸で倫太郎たちを睨み付けている。
どう見てもエクソシストの出番である。
「り、リンタロー…すぐ準備しますから手早く転がして拘束してください…」
「…おう」
顔面凶器と化した魔法使いの女にマールもドン引きだ。
ぶっちゃけ倫太郎も気持ち悪いと思っていたのでマールの気持ちはよくわかる。
「ヒステリックおもらし悪魔女、すぐ楽にしてやる。かかってこい」
とうとう魔法使いの要素が皆無になってしまった。
緩急をつけた特殊な歩法で距離感を掴ませずらくしつつ、ジグザグに魔法使いの女へと歩いていく倫太郎。
魔法の飛来を警戒してそんな接近のしかたをしていたが、魔法使いの女は地を蹴飛ばし倫太郎へと走り寄る。
涎を撒き散らし獣のように背を丸めて四足歩行に近い走り方だ。その絵面に倫太郎も眉をひそめる。
「…うわぁ、気持ちわりぃ…あっちから近づいてくれるのは願ったり叶ったりだけど…夢に出てきそうだ…」
掴みかかってくる手をはたき落とし、力に逆らわずに手首をとって捻り重心をずらして腰で払って投げる。
魔法使いの女は地面を二度三度転がり、クルッと体勢を整え着地した。
「マジかよ…魔法使いの要素なんてもうねぇじゃねーか…」
「グルルルルルルル、ウゥ~、がぁっ!」
唸りながら倫太郎へと走り、大きく口を開いて犬歯を剥いて噛み付きにくる魔法使いの女。
本当に人間かもあやしいレベルで野生に還っているように見える。
迫り来る大きく開いた口を顎への掌底で無理矢理閉じる。
その一撃は脳まで響き魔法使いの女はフラフラとタタラを踏むようによろけている。
その隙を突いて後ろへと回り込んで腰から両手を伸ばしヘソの辺りでガッチリと手をロックした。そのままジャーマン・スープレックスへ移行する。
投げっぱなしの技ではないので受け身を取られることもないだろう。
「行くぞオラァァァ!!!…ぐぅっ!?」
これをキメれば終わりというところで魔法使いの女からホールドを解いて解放してしまったのだ。
不思議そうにマールは倫太郎を見ていたがハッとあることに思いあたったようだ。
そう、魔法使いの女には、彼女の背中と髪には、粗相の証がジットリと染み込んでいるのだ。
「うっわ最悪!…スンスン、くっさ!小便くせぇ!」
自分の服に付いた臭いを嗅いでゲンナリした倫太郎のヤル気ゲージは一瞬でダダ下がりしてしまった。
だが考えてもみてほしい。
彼女が粗相したのも、彼女の背中にその液体が染み込むことになったのも、倫太郎の服にそれが伝播することになったのも、すべて倫太郎の行動が原因なのだ。
これが因果応報というやつなのか。
「…リンタロー、あとで浄化魔法かけてあげるので今は我慢してください」
「…もう殺しちゃおうぜ?」
「ダメです!お願いですから!」
「…わかってるよ。…冗談だよ」
ホントにぃ?というマールの視線が倫太郎に刺さるが気にせず改めて魔法使いの女と向き合う。
なんとか脳のダメージは抜けたようだが、まだ足取りは覚束無い。攻めるなら今だろう。
そこで倫太郎は王都の道具屋であらかじめ購入しておいたあるものが役に立つのではと思い、腰にくくりつけておいたそれを取り出した。
シュルシュルと解いていく、それは一本の長いロープであった。
ダンジョンや切り立った崖を通るときの必須アイテムだ。
倫太郎は素早くロープの先に輪を作り、頭上に掲げて振り回し始めた。
「あとでキレイにするとは言ってももうさすがに触りたくねぇからこれで行かせてもらうぜ」
そしてまるで投擲でもするかのように輪を魔法使いの女へと投げつける。
だが横に飛ばれて回避されてしまった。そんなことは想定済みだと言わんばかりに倫太郎がロープを持つ手首をクイッと捻ると、ロープの輪がまるで生き物のように魔法使いの女へ向かって方向を変え、足に絡み付いた。
思い切り持っている側を引っ張ると魔法使いの女がうつ伏せに引っくり返る。
「ッがぁっ!」
転ばせた瞬間走り始めていた倫太郎はもう魔法使いの女へと肉薄していた。
ロープを巧みに扱い後ろ手に縛り上げ、さらに両足も一緒に縛る。
まるで亀のように腹這い状態から抜け出せずに唸る魔法使いの女。
「グルルルルルルル!がぁ!ぐぉあ!がぁ!」
「うるせぇな、獣かよ。ちょっと黙ってろ」
余ったロープを猿轡のように口に噛ませ、それを足の結び目に追加で縛り付けた。和名、亀甲縛りである。
倫太郎は「ふうっ!」と、一仕事終えたようなとても清清しい表情であった。
「マール!準備できたぞ!始めてくれ!…マール?」
反応のないマールは、口に手をあてて信じられないものを見る目で倫太郎を見ていた。
「…やっぱり…あんなに洗練された縄捌き…絶対ノーマルじゃない…猿轡まで……。リンタロー、あなた…」
壮大な誤解がマールのなかで膨れ上がっていく。もう倫太郎をかなりハードな変態にしか見ることができなくなっているようだ。
「あん?…っ!?いやっ、違う!これはアレだ、そう!暴れる相手を捕まえるための拘束術だ!歴とした捕縛術だ!だからそんな目で俺を見るな!俺は変態じゃねぇ!」
縛り上げた女に片足をのせ、満足そうに額の汗を拭う倫太郎はどう見ても熟練の変態である。
言い訳すればするほど疑いは加速していく。もうマールは「いいの、すべてわかってます。世の中いろんな人がいるものです」とでも言いたそうな優しい顔である。
「だから違っ…この話はあとでいいから、まず先にコイツをどうにかしてくれ…」
「そうですね」とマールも同意し、魔法使いの女の傍まできて手を翳して瞳を閉じてブツブツと詠唱を開始した。
次第にマールの掌から光の粒がこぼれ始める。
キラキラと瞬く光の粒は徐々にその光度を増していき、直視できないほどの溢れる輝きへと変わる。
「ホーリーディスペル!」
マールの掌から聖なる光の粒が溢れだして魔法使いの女の背中へと染み込むように消えていく。
そして代わりに背中から大量の仄暗い霧が、霧自体が断末魔の絶叫をあげて噴き出してきたのだった。
オオオオオォォオォオオォォ!!!!!
朦々とたちこめる黒い霧。それが意思を持っているかのように一ヶ所に集約される。
そしてそれが徐々に魔物の姿へと変化していった。
実体はなく霧のように揺らめいているが、まるでウニのように全身を長いトゲで覆われ、蛇のように長い体、猛禽類のような殺意の満ちた鋭い目で倫太郎とマールを睨むが…。
「なんだこいつ?もう死にかけじゃねぇか」
「はい、これがスピリットゴーストです。さっきのホーリーディスペルで死にはしないもののほぼ瀕死の状態ですね。ですが物理攻撃は効かないので私がとどめを刺します…セイントスピア!」
無数の光の槍が展開され、スピリットゴーストへと突き刺さる。
ズドドドドドドドォ!
地面に磔にされ、呻き声をわずかに漏らしてスピリットゴーストは霧散してしまった。
「はぁ~、終わったな。さすがにちょっと疲れちまった。少し休憩してかないか?」
いまだに気絶している剣士と魔法使いを引きずって適当なところにまとめて転がしておき、座るのにちょうどいい岩が三つ並んでいたので倫太郎とマールとレディはそこに腰を落として一息ついたのだった。
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