オーククイーン
振り下ろされる棍棒はあとわずかで赤髪の女を捉え、地面に鮮血のシミを作り出すことを誰も疑わなかった。
倫太郎以外は。
棍棒が振り下ろされる瞬間、倫太郎は地を蹴りオークに向かって全力で駆ける。
地面スレスレを滑空するように走り抜け、マールの横を通り過ぎて一瞬にしてオークへと到達した。
その勢いを殺すことなく振り下ろされる棍棒の側面を力いっぱい蹴飛ばす。
ガゴォォン!
上から下に向かっていた棍棒が倫太郎の蹴り一発で弾けたように斜め上へと持ち上がった。
それは棍棒を振り下ろしたオークキングの隣に立って醜悪な笑みを浮かべていたオーククイーンの顔面へと突き刺さる。
グチャア!
ブッフォアアアアアア!!!
オーククイーンは跳ね上がった棍棒の勢いに押されて半回転し後頭部から地面に叩き付けられ、潰れた顔と後頭部を抑えながら地面をのたうち回る。
オークキングのほうはオロオロとオーククイーンの様子を伺っているようだ。
「リンタロー!」
オークたちの気が逸れているのを確認して倫太郎は赤髪の女の腕をとり抱き抱えて素早くマールの元へと戻った。
「マール、回復魔法使えたよな?彼女にかけてやってくれないか」
「それは構いませんが…リンタローはどうするんですか?」
倫太郎は赤髪の女をマールへ預け、首と手足を解すようにコキコキ鳴らして、いまだのたうち回るオーククイーンとそれを介抱するような仕草をするオークキングへと向き直った。
「ちょっとあのブタどもをハムにしてくる。さっき言ってたデカい音がする武器を使うから音にビビって治療をしくじらないように頼むぞ」
そう言ってゆっくりとオークたちの方へ向かっていってしまった。
ハッとしたようにオークキングが憎き相棒の仇が悠々と近寄って来ていることに気付いたようで、戦闘態勢をとり怒気の孕んだ咆哮をあげる
ブゥフォォォオオオオオオ!!!
ダメージが抜けきらずに蹲るオーククイーンを倫太郎から庇うように立ちはだかり、射殺すように倫太郎を睨み付けるオークキング。
倫太郎はオークキングの十メートル手前で立ち止まり、ドゥーロ鉱石で修理・加工したナイフと、同じく『ドゥーロ鉱石でカスタムしたM19リボルバー』を抜き出しニヤリと嗤い、構えた。
リボルバー、つまり回転式拳銃とは弾丸が装填されているシリンダーと銃身の間に僅かな隙間があるため、火薬の爆発による弾丸の推進力を得るための燃焼ガスがその僅かな隙間から逃げてしまう。
倫太郎は試行錯誤の末にその隙間をほぼゼロにして燃焼ガスの漏れを無くし、威力の向上に成功したのである。
「来いよブタ面野郎。朝メシ用に薄切りハムにしてやる」
自分より遥かに小さく、弱く脆い人間のせいで相棒が少なくないダメージを負い、今まさに小馬鹿にしたような態度を倫太郎から感じとったオークキングは濁った目を吊り上げて怒りを露に倫太郎へ真っ直ぐに突っ込んで行く。
倫太郎が身長百八十センチ弱に対し、オークキングの身の丈実に三メートル半ば。倫太郎の体重七十キロに対しオークキングは軽く見積もっても二トンは下らないだろう。
格闘技の階級ならば何階級違うのかを考えるのも馬鹿らしくなってくる絶望的な差である。
オークキングの巨体が突進してくる様は正に壁が迫っているように倫太郎は感じているはずだ。
まともに衝突すれば車に轢かれるのとさほど変わらない衝撃が襲うだろう。よくて重症、悪ければ即死は免れない。
しかし倫太郎はもうすぐそこまで迫る巨体を前にしても冷静だった。
足が竦んで動けないわけではない。来るその時を待っているのだ。
オークキングが手を伸ばせば簡単に届く距離まで迫ったとき倫太郎が動いた。
わずか一歩の助走からスライディングで突進してくるオークキングの股下を潜ることであっさり回避し、さらについでとばかりにスライディングしながらM19による早撃ちでほぼ同時にオークキングの両膝を撃ち抜いた。
ガガァン!!!
グモォアアアアアア!!!
突進の勢いのまま顔から地面にダイブし、顔を擦り付けながら地を滑っていくオークキング。
巨体を支える足を撃ち抜かれた被害は甚大、キングオークの鼓動に合わせて膝の銃創からは鮮血が吹き出す。
「おい、ブタ面。言い残すことはあるか」
オークキングの正面に立った倫太郎が問う。
脂汗を大量に浮かべたオークキングは這いつくばったまま倫太郎を見上げることしかできない。
ブ、ブゥゥゥゥゥ…
それはまるで命乞いでもしているかのような懇願の鳴き声のようにも聞こえたが倫太郎は全く空気を読む気はないようだった。
「おっ?初めてブタらしい声で鳴いたな!でも何言ってるかわかんねぇわ」
ガァン!
容赦なく射出された鉛玉は眉間のど真ん中を貫き、その巨体に見合わない小さな脳を的確に捉えて完全に破壊した。
ビクンと一度だけ痙攣したオークキングはまさに物言わぬ肉塊へと変わったのだった。
「「「鬼かよ…」」」
遠巻きに戦闘を見ていた探求者たちの心の声が完璧にハモるが、聞こえなかったことにして倫太郎は残りのオーククイーンへと歩を進めた。
片膝立ちになれるまでに顔面と後頭部のダメージが抜けたようで、オーククイーンは相方のオークキングの亡骸へと手を伸ばし悲痛な慟哭を叫ぶ。
ブッフォ…ブフォアアア!!!ブフォォオオオオ!!!
聞きようによっては「ア、アンタ…アンタァァァ!」と、夫の死を嘆く妻の悲痛な叫び声に聞こえなくもない。
そんなオーククイーンの目の前に立ち、冷めた眼で耳を塞ぎながら倫太郎は「うるせぇな…」とでも言いたそうな顔である。
「そんな悲しむな。すぐに同じとこに送ってやる」
スッとオーククイーンの額に照準を当てると躊躇なくトリガーを引き絞り、それに伴い爆音と同時に音速を越える一条の弾丸が射出された。
誰もが脳髄を撒き散らすオーククイーンの姿を幻視したが、そうはならなかった。
なんとオーククイーンは流れるような素早いスウェーで弾丸を回避したのである。
「っ!?」
さすがにこの距離で避けられるとは思っていなかった倫太郎に刹那とも言える超短時間の隙が生じた。
悲しみの瞳から復讐の怒りを灯した瞳へと変え、オーククイーンは腰に丸めてぶら下げていた鞭を取り出し、すかさず展開。僅かな隙を見せる倫太郎にスナップを効かせた鞭撃を叩き込んだ。
ハッ我に返った倫太郎は上体を逸らすように紙一重でそれを回避してすぐさま大きく後ろへ跳躍しオーククイーンから距離をとり、油断なく構えて観察する。
ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンパァン!
まるで自分の手足のように鞭を自在に操るオーククイーン。その鞭の先端はもはや倫太郎の動体視力をもってしても視認はできないほどのスピードで空を切り裂く。
どうやらオーククイーンは巨大な体躯に似合わず、生粋のスピードファイターのようだ。
ヒュンヒュンと鞭を振り回しながらジリジリとオーククイーンが倫太郎との距離を詰めてくる。
鞭は剣などとは違い、非常に軌道が読みにくい武器である。しかも達人が振るう鞭は自重の軽さからは考えられないほどの威力を誇る。遠心力が乗った一撃は人間の肉を裂き、骨を砕くことも容易いのだ。
鞭使いと対峙するのは初めての倫太郎であったが、目の前で馬鹿みたいに振り回すオーククイーンのお陰で鞭の動きの法則性を掴み始めていた。
鞭の先端は見えないものの鞭を振るうオーククイーンの手元ははっきり見える。
腕の振り方や角度、手首の返し方、オーククイーンの目線でおおよその鞭の動きは把握したのである。
ダンジョンの壁や岩を削りながらにじり寄るオーククイーンに対し、それを後退しながら観察し続ける倫太郎はいつの間にかダンジョンの壁に追い込まれてしまっていた。
ナイフと銃身で捌きながら至近距離の戦いに持ち込むか、鞭の隙間を縫って銃弾を撃ち込むか、手がないわけではないが、どうこの状況を打開しようか決めかねていたとき、一メートルほどの巨大な炎の球がクイーンオークへと飛来した。
着弾寸前で気づいたオーククイーンは鞭を振るい、削り散らすようにして炎の球をかき消してしまった。
だがそれは倫太郎にとって最大のチャンスであった。
鞭の嵐が止んだ一瞬の間に一足でオーククイーンの足元へと一歩で踏み込み跳躍、鞭を持つ手の指をナイフによる一太刀ですべて切断した。
ブゥファァァアアアア!!!
片手の指をすべて失ったオーククイーンは激痛のあまりよだれを撒き散らしながら苦痛の絶叫をあげる。
「ナイスアシストだ!マール!」
炎の球をオーククイーンへ放ったのはもちろんマールである。
赤髪の女の治療を終わらせたマールはすぐさま倫太郎の援護のため詠唱を開始していた。
それがここしかないというタイミングでオーククイーンへ飛来したというわけだ。
苦悶の表情と脂汗を浮かべたオーククイーンは溢れる血を止めようと、取り落とした鞭を拾おうともせず必死に己の指がないほうの手首を圧迫している。
「鞭の扱いは完璧だったようだが、その手じゃもう振るえないだろ。メスブタ」
悠然と歩み寄る倫太郎に対し、目一杯殺気を込めて睨み付けるオーククイーンだが、倫太郎はそんなことは意にも止めずに歩み寄る。
痛みを押し殺し、オーククイーンが立上がりボクシングの構えをとった。
軽くその場でジャンプし、リズムを作るような軽快なフットワークである。
この世界にはボクシングの概念などない。つまり徒手空拳で戦うのに最も自分にあったスタイルを追及し続けた末、ボクシングへと至ったのだろう。
その事実に倫太郎は感嘆した。
「メスブタ…お前なかなかすげぇ奴だな。相方は正直雑魚だったけど」
ブッシュワアァァァァ!!
雄叫びを上げたオーククイーン。よく見ればジャンプを繰り返すたびに足が徐々に肥大化していくのがわかる。
「スピードファイターの本領発揮ってわけか…いいぜ?来いよ。叩き潰してやる」
戦意を迸らせた倫太郎が手招きして挑発する。
次の瞬間、オーククイーンの姿がかき消えたのだった。
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