オークと三人の探求者
倫太郎が放心状態から意識が戻ってくるまでにあれから数分を要した。
ここは二階層。
一階層とは見える景色はさほど変わらないものの出現する敵が違ってくる。
二階層では豚面巨体のオークと、トルスリック騎士団との夜営のときにお世話になったアサシンウルフの亜種が出現する。
二階層に降りて早速出てきたアサシンウルフの群れを片手間に喉を裂いて倒しながら、いまだ倫太郎のマールの魔法を見たことによるテンションはマックス付近を維持しながらマールに称賛を贈っていた。
「いや~、マジですげぇよマール。あんな派手で超威力の魔法なんて初めて見たぞ。さすが魔法が得意って言えるだけのことはあるなぁ」
俊敏に駆けて喉元に噛みついてくるアサシンウルフを半歩ズレて避け、すれ違いざまに頭にナイフを一突き。
「もうアレだな、魔法を教える個人教室とか開いちゃえば相当稼げるんじゃないか?そしたらこんなとこで命張ってレガリア探すよりきっと安定した収入源になるぜ?」
フォーメーションを組んで四方向から襲い来るアサシンウルフを避け、いなし、蹴り上げ、薙ぎ倒し、一瞬の隙をついてナイフによる致命傷を与える。
「雷魔法の他にもいろんな種類の属性の魔法使えるってんだからすげぇよなぁ。俺なんか適正皆無で錬金魔法が関の山だぜ?いやぁ~マジですげぇわ」
残りのアサシンウルフ全頭が倫太郎へと波状攻撃を仕掛ける。
倫太郎は第一波を高く跳ぶことで躱し、落下の勢いをつけた蹴りで第二波のアサシンウルフの脳天を砕く。
慌てて止まろうとした第三波のアサシンウルフは倫太郎の蹴り上げの後、心臓を串刺しにされて意識を深い闇に落とした。
第一波と第四波以降のアサシンウルフたちはもうヤケクソで全頭一斉に全方位から飛びかかるが、倫太郎の視認不可の後ろ回し蹴りにより一撃で吹き飛ばされ、ダンジョンの壁へと激突して即死、または瀕死に追い込まれる。
「ああっ!でも俺も錬金魔法なら結構いい線いってんだよ。一応王都のガンゾウさんって皿職人に認めてもらうくらいには上達したんだ」
マールのほうを向きながらそんなことを話す倫太郎をよそに、最後の一頭となったアサシンウルフが恐怖にかられ背を向け逃走するが、倫太郎はそれを見もせずに山なりにナイフを投擲した。
それは狙い違わず逃走したアサシンウルフの首へと突き刺さり、二階層初戦闘に幕が引かれたのだった。
辺り一面には夥しいまでのアサシンウルフの死体で埋め尽くされていた。
ざっと数えても三十頭は下らないだろう。だが倫太郎の衣服には返り血の一滴も付いていないという異常性をマールは口には出さないが感じていた。
「さっきから黙りこくってどうした?」
倫太郎が投げたナイフを回収し、マールへと歩み寄るがマールは呆れ顔で倫太郎を見て深いため息を吐いた。
「もう戦闘力がデタラメ過ぎて突っ込む気にもなれません」
本来、群れで現れるウルフ系の魔物でも率いているボスがいなければ多くても四~六頭ほどで、今回のように三十頭以上のアサシンウルフのみで構成されている群れは稀中の稀だ。
これを殲滅するには騎士団ならば十二~十五人ほどの小隊で挑まなければならない数である。
二階層に降りてすぐこの群れと遭遇したとき、マールは背筋に冷たいものを感じて即座に退避しようと倫太郎へと声をかけようとしたのだが、倫太郎はさっきの調子のまま散歩でも行くかのようにアサシンウルフへと歩いて行ってしまったのだ。
もうやるしかないと腹を決めたマールは倫太郎が敵の気を引いているうちに広範囲の殲滅魔法を準備し始めたが、あっという間に倫太郎が一人でアサシンウルフの数をガンガン減らし始め、詠唱が半ばにも差し掛からないうちにその数は十にも満たないほどしかいなくなってしまったのでマールは「…もういいや」と詠唱を止めて倫太郎の一方的蹂躙劇とも言える戦闘を呆れた目で眺めているだけだった。
「そうか?世界は広いんだ。俺くらいの奴なんて世の中ゴロゴロいるだろ。そんな奴が魔法ブッ放しながら戦ったらめちゃくちゃ強いんじゃないか?」
「断言してもいいですが、そんな人は絶対にいません。リンタロークラスがゴロゴロとか…五人いたら小国なら落とせるんじゃないですか?」
そんな大袈裟な、と倫太郎は笑うがマールの目は笑っていなかった。
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二階層も最短ルートで素通りの予定なので道を知っているマールを先頭に突き進む。
アサシンウルフとの戦いのあとは平和なもので、倫太郎の超聴覚による外敵センサーにも反応はなく二人は順調に道程を進んでいた。
「リンタローはそれほどの強さをどうやって手に入れたんですか?魔法も使わず縮地のような移動術を使ったり、透明人間みたいに気配を消したり…死ぬ気で特訓したと言ってましたけど死ぬ気で特訓しても普通はここまでには至れませんよ」
マールが不思議でしょうがないというのを隠そうともせず、倫太郎の強さの秘密へと迫る。
「ん~、いや、別にこれと言って秘訣とか特別な特訓方法ってのはないんだけどなぁ。死にそうな状況に陥って、死にたくないから死ぬ気で打開して、ってのを何千回と繰り返してたらいつの間にか力が付いたって感じなんだよなぁ」
「死にそうな状況を何千回…」
そりゃこれだけ強くなるわけだ、と妙に納得できたマールだった。
歩くことしばし、倫太郎の耳が数百メートルほど先で誰かが戦っている音を拾った。
剣戟の甲高い音と叫び声や怒鳴り声が絶え間なく聞こえていた。
「マール、この先で誰かが戦っている音が聞こえる。なんだか劣勢みたいだ。どうする?」
どうする?とは、助太刀に行くか行かないかを問われているのだろうが、曲がり角のない一本道の通路なので、遅かれ早かれかち合ってしまう。だからマールは迷わず答えた。
「すぐ行きましょう!」
ダンジョン内でのルール、とまでは言わないもののマナーのようなものが暗黙の了解としていくつか存在する。
その中の一つに「探求者同士、困っていたら助け合う」というものがある。
実はマールの探求者歴はもう五年以上。等級も三等探求者であり、探求者としては駆け出しもいいとこの倫太郎にとっては大先輩にあたるのだ。
なので探求者としてのルールやマナー、暗黙の了解などの事情はあらかた把握しているのである。
「わかった。急ごう」
「はい!身体強化!」
二人同時に走り出しても倫太郎と並走することは困難、というか絶対無理だと重々理解しているマールは迷わず自らに魔法でバフをかけて身体能力を底上げした。
ドガンッ!!!
倫太郎は地面が陥没したかと思うほど強烈に地を蹴り、一瞬にしてトップスピードに到達した。
負けじとマールも走り始めたが…走れば走るほど差は広がっていく一方だった。
「はぁっ、はぁっ、…信じられない…ここまでだなんて…」
二人が走り出してからまだ五秒ほど、すでにマールの視界には倫太郎の背中すら見えなくなっていた。
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マールより一足先に現場に着き適当な岩陰に身を潜め、倫太郎はすぐに状況分析を始める。
魔物は豚面の巨大なオークが二体、探求者側は三人で、剣士らしき若い男が一人、魔法使い然とした格好の女が一人、ここまではわかる。だがもう一人が異様な格好であった。
太く厳つい首輪をはめ、ボロボロの黄ばんだ貫頭衣で靴も履いていない。手に持っている武器は刃こぼれだらけの粗末なナイフだけの薄汚れた赤髪の女だった。
「おら!鬼人!さっさとコイツらをどうにかしろ!グズめ!」
「そうよ!高いお金払って買ってやったのになんでオークの二体も倒せないのよ、使えないわね!」
剣士と魔法使いが鬼人と呼ばれた赤髪の女へキツい言葉を浴びせる。
オークに手こずっているのはわかるが、倫太郎には赤髪の女一人に戦闘を丸投げしているようにしか見えなかった。
鬼人の女は息も絶え絶え、フラフラの体で武器を握って立っているのもやっと、という状態だ。
「ヤジ飛ばしてる余裕があるなら加勢しろよ」と倫太郎は顔を顰めた。
そんなとき、やっとマールが倫太郎の元へとたどり着いたのだった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、は、速すぎですよ…リンタロー…はぁっ、はぁっ、はぁっ」
鬼人の女と同じくらい息を上がらせたマールが倫太郎を恨みがましく睨む。
「なぁマール。なんか状況がおかしいんだ。アレ。どう見る?」
おかしいのはお前の身体能力だと言いたいところではあったが、マールは倫太郎が指差す方へと目を向け、愕然とした。
「っ!?あれはっ…!?まさかオークキングとオーククイーンの番!?なんでこんなところに…!?マズイですよ!リンタロー!早く助けに行かないと!彼ら殺されちゃいます!」
奮闘するも赤髪の女はオークたちの猛攻を凌ぐので精一杯のようで、押しきられるのも時間の問題のようだ。
切羽詰まったように焦るマールに対して倫太郎は「う~ん、そうなんだ、どうしようかな」と乗り気ではないような返事で、彼らの為に動く気がないようにマールは感じた。
「っ私が行きます!」
業を煮やし岩陰から飛び出したマールはすぐに詠唱を唱え始めた。
短めの詠唱で自身の周りに人の頭ほどの大きさの火の玉を十個作り出した。
「ファイアバレット!」
火の玉は弾かれたように二体のオークへと向かって高速で飛んで行き、オークの背中へと吸い込まれるように全弾着弾して爆音を響かせた。
グモォオオオゥ!
いきなりの背後からの急襲に対応できずにオークたちは前のめりに倒れ膝を付いた。
「加勢します!挟み撃ちにしましょう!」
マールがオークに襲われている三人の探求者らに提案するが、剣士と魔法使いの探求者の反応は芳しくなかった。
「ありがたいけどダメだ!オレの剣は折れちまったし、こっちの魔法使いは魔素切れだ!今俺たちの奴隷がなんとか凌いでいるがこのままだともう持たない。俺たちが逃げる隙を作ってくれ!」
そう言われ、よく見てみれば剣士の男の剣は根本からポッキリ折れ、魔法使いの女の顔は血色が悪く具合が悪そうだ。
「わかりました!」
マールは素早く詠唱を開始した。
卓越した魔法のセンスを持つ彼女だからできる高速かつ短縮された詠唱で本来のフル詠唱したときの魔法と寸分違わぬ威力と精度で魔法を構築する。
「アイスグランド!」
地に手を付いて練った魔素を解き放つとマールからオーク二体に向かって地面が真っ直ぐに凍結し始めた。
ビシィッと軋む音が響くとオークたちの足が地面と一緒に氷付けにされる。
「今です!走ってください!」
オークたちはマールの魔法で足が固定され、身動きできなくなったと確認した剣士と魔法使いはヨタヨタとお互いを支え合うように走り始めた。
それに続いて赤髪の女もヘロヘロの体に鞭打ってオークを迂回するようにマールのほうへとズルズルと片足を引きずるように走る。だが…
ブフォオオオオオオオオオ!
不意打ちで背中から攻撃され、足を凍らせられたオークが激怒し、足の氷を解こうと力いっぱい暴れる。どうやら凍っているのは足の表面だけのようで、オークにとっては壊れやすい冷たい足枷程度の障害にしかなっていない。
ビキビキと氷が徐々にひび割れ、オークの巨体が解き放たれるのは時間の問題なのは明白であった。
「ヒィッ!」
「いやぁ!」
オークたちの鬼の形相を目の当たりにして剣士と魔法使いは腰が抜ける寸前だ。
「早く!急いでください!もう持ちません!」
そんなマールの焦る声も虚しくバリンッと音をたてて足の氷が砕け散った。
ブフォオオオオオオオオオ!!!
二体のオークは手に持ったトゲ付きの棍棒をブンブンと振り回し、怒りを主張するように手近にいる三人の探求者へと怒り肩で歩み寄る。
「いやぁ!来ないでぇ!」
「うああぁぁ!…こうなったら…!」
剣士の男が赤髪の女の背をドンと押し、オークの足元に前のめりに倒れさせた。
赤髪の女はもう自分で立ち上がる体力も残されていないようで腕を這わせてなんとか逃げようともがくが、ほとんど前には進んでいない。
「おい、鬼人!今をもってお前を俺たちの奴隷から解放してやる!そいつを引き付けるのがお前の最後の仕事だ。せいぜい数秒は持ってくれよ!」
「いいわねそれ!なんとか私たちが逃げる時間を稼ぎなさい!最後の命令よ!」
なんと剣士と魔法使いは赤髪の女を囮にして逃げることを選んだようだ。
「そ…そんな…」
マールの悲痛な呟きが誰に聞かれることもなく空に溶けて消えた。
赤髪の女は絶望に染まった顔で二人の探求者へと手を伸ばすが、すでに彼らはマールの元へと到着していた。
オークが死を運ぶ巨大な棍棒を振り上げ、赤髪の女を潰さんと迫る。
オークの歩幅ならあと一歩で棍棒の間合いだろう。
マールは慌てて詠唱を始めるが全く間に合っていない。
そしてオークは無情にも振り上げた獲物を力の限り目一杯赤髪の女へと振り下ろし、惨劇から目を逸らすようにマールは固く目を瞑った。
その瞬間、マールのすぐ真横を黒い影が視認もできない速度で通り抜け、マールの長く白い髪が乱れるほどの突風が巻き起こったのだった。
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