ダークエルフとは
『夢幻の回廊』内部は洞窟のような作りであるが、壁や床が仄かに発光しているようで不便なほどの暗さは感じない。
ダンジョンに入ってすぐに下りの階段があり、それを降り始めてからすでに十分以上経っている。
「一体どこまで続くんだ、この階段は」
うんざりしたように倫太郎がぼやく。
「もうすぐフロアに出ます。一階層のメインの魔物はゴブリンとスライムです。単体ではたいした敵ではないですが囲まれると厄介なので気をつけてください」
「了解」
ゴブリンもスライムも魔物界では雑魚の王道的なポジションだ。
だがゴブリンは繁殖能力が高く数が多い。スライムも細胞のように分裂して数を増やすため、戦闘中に分裂し始めると手がつけられない魔物である。
この世界に来てロックドラゴンとキングウルフなどという本来ならば物語の中盤から終盤にかけて立ちはだかるような魔物しか相手にしていない倫太郎は雑魚モンスターと言われてもピンとこなかった。
階段が終わり、二人はついに一階層へ到着した。
事前の話し合いで四階層までは最短ルートで突っ切るという方向で決まっていたので、マールを先頭にサクサク進む予定だ。
一階層は階段の延長線上に、奥行きのある通路が伸びている。道幅は広く、十人横一列に並んで歩いてもまだ余裕があるだろう。
壁は剥き出しの岩肌で広い洞窟を歩いているような気分になってくる。
右へ左へと通路を曲がりながら歩くと進路の先で生き物の気配がすることをいち早く倫太郎が察知した。
「マール、この先になにかいるぞ。数はおそらく八体。足音の大きさからして子供みたいな背格好の奴らだ」
「えっ!?私はなにも聞こえませんけど…」
「俺は人より耳がいいんだ。ここからだと死角になってて見えないが、間違いなくいる」
五十メートルほど先の右への曲がり角付近で数体の子供のような背格好の気配となるとほぼ間違いなくゴブリンの群れである。
倫太郎は自分の気配を殺す。足音、服の擦れる音、呼吸を極限まで抑え、空気と同化した。
「っ!?」
その技術にマールは眼を剥く。
それは倫太郎の存在そのものを希薄に思わせるほどの効果をもたらした。倫太郎のすぐ近くを歩くマールでさえいつの間にか見失いそうな存在感の薄さであった。
「…俺が行く」
そうボソッと呟くとスーッとマールから先行し、ゴブリンと思われる気配の元まで倫太郎が向かう。
武器も持たず、幽鬼のように足音もなく移動する倫太郎の姿にマールは背筋に冷たいものを感じた。
倫太郎が気配の元までたどり着き、今一度様子を伺うと、やはりゴブリンと呼ばれる魔物が八体たむろしている。
容姿はくすんだ緑色の肌に醜悪な顔立ち、手足は痩せ細っているがドス黒い爪は鋭利である。ぼろ切れを身に纏い、手にはこん棒や錆びだらけのナイフが握られていた。
マールが追い付きその様子を覗く。
「…やはりゴブリンですね。どうしますか?」
「…俺が殺る、見ててくれ」
そういうと倫太郎は洞窟の身を隠せそうな張り出した岩影を伝うようにゴブリンたちの方へと向かっていく。
「グゲゲッ!ギャッギャギャッ」
「ギャッギャギャギャゲゲゴゲ」
耳にまとわり付くような不快な鳴き声を聞きながらゴブリン達の後ろをとった倫太郎は岩陰から様子を伺いながらナイフを取り出した。
そのナイフは以前キングウルフ戦で刃先がかけていたものと同一だが、錬金魔法を習得してすぐに修理しておいたのだ。
王都で手に入れられる鉱物で最も頑強だとされているドゥーロ鉱石を素材に使い、鍛造錬金で硬度を上げて改良した逸品である。刃渡りの長さや重さも倫太郎好みにカスタマイズされている。
切れ味にいたっては木材を豆腐を切る感覚で両断できるほどだ。
倫太郎が気配を消したままゴブリンたちの後ろから忍び寄り、あと一歩で触れられるところまで来た瞬間、倫太郎の体がブレて消える。
一拍して同時にすべてのゴブリンの首から血が噴出し倫太郎の存在に気付くこともできずに意識を闇の底へと落としたのだった。
倫太郎がやったことは至極単純、ゴブリンたちの間を素早く駆け抜け、すれ違いざまにゴブリンたちが倫太郎に気付く前に喉笛をかき斬る、ただそれだけだ。
だがそれは人外とも言える超高速で行われた。
離れた岩陰から一部始終を見ていたマールは絶句していた。
倫太郎が身体強化の類いの魔法を使った様子はない。つまり素の身体能力のみであの強さということだ。
倫太郎の体がブレて消えたと思ったらいっせいにゴブリンたちの首から血が吹き出し、返り血の浴びない離れた場所に倫太郎が現れた。そういうふうにしか見えなかったのだ。
何事もないように倫太郎がマールのもとへと戻ってくる。
マールはいまだに開いた口が塞がっていない状態だ。
「一応俺ができることはこんな感じだ。あとは奥の手…ってわけじゃないけどもう一つ攻撃手段を持ってるけど音がデカいから敵に気づかれちまうから気づかれずに倒せるなら今みたいにナイフで片付けたほうがいいかもな…って、どうした?」
ポカンと口を開けたまま閉じようとしないマール。ハッとしたように脳ミソが活動を再開して倫太郎の帰還に今さら気付いたようだ。
「リ、リンタロー!今のはなんですか!?あんな速く動く人なんて見たことないですよ!あと気配の消しかたも尋常じゃないです!目の前にいるのに見失いかけるなんて人生で初めての経験でした!めちゃくちゃ強いんですね!」
マールはフリーズしていたかと思えばすぐさま興奮状態に突入し、倫太郎へ詰め寄る。
「おっ、おう…。まぁ、アレだ。死ぬ気で特訓した成果だ。やろうと思えば誰でもできる」
「いや、できませんよ!?」
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興奮冷めやらぬマールをなんとかなだめ、二人はダンジョンの更に奥を目指す。
マールがいうにはもう三十分もしないうちに二階層へ続く階段へ着くらしい。
今まで通りマールを先行させ、すぐ後ろを倫太郎が歩くように進んでいく。
「あの、リンタローはダークエルフに偏見とかないんですか?」
唐突にそんなことを言われ、なんのことかわからずに首をかしげる。
倫太郎の中でのダークエルフとは色白のエルフの色違いバージョン程度の認識であるため偏見など持てるはずもない。
「ダークエルフだとなにか偏見持たれたり差別されたりするのか?初めて会ったときも言ったけど、俺は人里離れたとこで長いこと一人でいたもんだから世間の常識なんてまるで知らないんだわ。マールが構わないなら教えてくれないか?」
マールは言いにくいのか一度下を向いて僅かに考える素振りを見せたが倫太郎を見つめ静かに語り始めた。
「……女神イェニス様は世界を造り、人や亜人を造り、木々や水などの自然を造り、動物を造り、それが上手く循環するために生と死を創造されたと言われています」
「あぁ~ハイハイ、そのテの話ね」と言いたそうに若干うんざり顔の倫太郎であるが、自分から話してくれと頼んだ手前「やっぱその話しなくていいや」とは言えず最後まで黙って聞くことにした。
「女神イェニス様は善良なる者だけを造り世界を見守られていたのですが、あるとき違和感を覚えたそうです。善良なる愛すべき子らで彩られた世界は美しく、なにも不満はないはずでしたが『善』の対になる存在がいないことに気付かれました。そこで造られたのが瘴気、魔物、悪魔、魔族、そして…」
「ダークエルフを造った…ってことか」
最後を言いにくそうにしていたマールの次の句を倫太郎が代弁した。
眼を伏せて話の続きをマールが語る。やるせないような、悲観したような、そんな切なそうな面持ちだった。
「…そうです。私たちダークエルフは『善良なるエルフ』の対になる存在として生み出された『邪悪なるダークエルフ』と言われています。長い年月をかけ、先人たちがそんな悪いイメージを払拭するため尽力してきましたがその根は深く、敬虔なイェニス教信者からはいまだに忌避の目で見られます」
「………」
悲しそうに語ったマールは倫太郎に嫌われたとしても、なにも知らないのをいいことに倫太郎と普通に接している自分が許せなかったようだ。
付き合いは短いが今までのマールとのやり取りから彼女の性格を考えるとおそらくそう考えてこの話をしたのだと倫太郎も思い至った。
だから倫太郎はマールに言わなければ気がすまないことがあった。
「…嫌いだわぁ~」
「…っ!?」
倫太郎の口から出てきた否定的な言葉にマールは肩をビクリと跳ねさせた。
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