三つ+一つのオブジェ
ガンゾウの工房からの帰り際、ガンゾウから根を詰めすぎるなと忠告された倫太郎であるが、今日で倫太郎は渡り鳥の巣の自室に引き籠もり既に四日が経過しようとしていた。
「リンタローさん、お食事をお持ちしました。ここに置いておきますね」
倫太郎に夕飯を持ってきた給仕の女性は返事のない部屋の前にトレイに乗った料理に布を被せて戻っていった。
あの夜から倫太郎は既に三日寝ておらず、食事も部屋の前まで持ってくるように頼んである夕食を一食だけしか摂らずに錬金魔法に没頭した。
「……違う、もっと薄く、滑らかに………よし、いいぞ、…あぁ、くそ、失敗だ…。次こそ……」
「………もっと早く…正確に…丸く…あれ?、……いや、違う。…そうだ。この反応だ……サイズは…このくらいか……」
そんな独り言を呟きながらトイレと食事を取りに立つとき以外は部屋の備え付けのテーブルにかじりついて動かなかった。
吸音材などの概念がないこの世界の建築物は当然のように部屋と部屋の間はただの空洞で倫太郎の独り言が夜中だろうと明け方だろうと隣室に聞こえて不気味がられていた。
「あの部屋のお客さんどうだった?部屋から出てきた?」
「ん~ん。ガサゴソ音がするから部屋の中にはいるみたいだけど食事お持ちしましたよって言っても返事もしないよ。一体なにしてんだろうね」
渡り鳥の巣の従業員の間でも「あの部屋の客はなんだか変な奴だ」という認識が広まりつつある。
「こら、お客様のことをあれこれ詮索してるんじゃないよ。宿の評判に関わるじゃないか。それよりあんたたち暇でしょ?配膳の作業がまだ進んでないから手伝っておいで」
従業員達の後ろから現れた恰幅のいい女性、女将のボニアが二人の従業員を軽く叱責して新しい仕事を振る。
びくっと肩を跳ねさせた従業員たちは「は、はぁ~い…」とバツの悪そうな顔をしてそそくさとキッチンへと小走りで向かって行った。
「…悪い人には見えなかったから変なことはしちゃいないと思うけど…ホントに一体なにしてんだろうねぇ…」
そんなボニアの小さな独り言は誰にも聞かれることなく消えていったのだった。
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倫太郎が部屋に籠ってから一週間目の朝、今まで渡り鳥の巣の従業員の間で『開かずの部屋』と陰ながら呼ばれていた倫太郎の部屋のドアが開いた。中から現れたのはもちろん倫太郎である。
ちょうど近くの通路の掃除をしていた従業員が中から出てきた倫太郎を見ると、短く「ひっ!」と小さく悲鳴を漏らし逃げて行った。
「…なんだ?」
自分の顔になにか付いているのかと一度部屋に戻り洗面台にある鏡で自分の顔を確認した倫太郎だったが、
「あぁ、こりゃひでぇな…」
いつもは髪を軽く後ろに流し、キレのいい目元に髭は毎日剃って清潔感のある見た目であった倫太郎だが、今は見る影もなかった。
ヨレヨレの服、髭は伸び放題、頬は窶れて、ボサボサの髪はだらしなく垂れ下がっている。極めつけは完全に寝不足だとわかる濃い隈と今にも塞がりそうな重そうな瞼で浮浪者よろしく清潔感の欠片もないような格好であった。
さすがにこの様相で人前に出ることは憚られた倫太郎は備え付けの風呂に熱いお湯を張り身を清めることから始めるのだった。
風呂から出た倫太郎は一週間まともに寝ていないことを思いだし、ガンゾウとの約束までまだたっぷり時間があるのを確認して食堂まで行き、手早く作れるものなら何でもいいと注文してホッドドックのようなものを腹に詰め込んですぐ自室へ戻り、ベッドに身を投げ出し、すぐ深い眠りについたのだった。
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夜、ガンゾウの工房では真剣な眼差しで鉱物のインゴットと向き合う彼の姿があった。
手慣れたようにインゴットを手に取るとすぐさまインゴットは淡い光に包まれ形を変えていく。
四角柱のインゴットだった元の形が一瞬で綺麗な丸になり、平たく薄く伸びて行って皿の姿へと変わった。
指を這わせることで優美な模様を形成する。工ガンゾウそしてはそれに芸品というより芸術品と言った方がしっくりくるほどに完成した皿は美しく、本来の食べ物をのせるという使い方をしたくなくなるほど優美で壮大で細かい『彫り込み』と呼ばれる細工がなされていた。
『皿工房ガンゾウ』と言えば王都グランベルベの上流階級の人間ならば知らぬ者などいないほどの超有名店である。
ガンゾウの作る皿一枚で荷馬車一台と交換できるほど高価な値段で取引される。
まぁガンゾウとしてはその事実を面白くなく思っているのだが。
コンコン、と工房のドアがノックされるがガンゾウは向き合っている皿から目を一瞬たりとも離さずぶっきらぼうに「入れ」と一言発し、また黙って作業に戻った。
「お邪魔します。ガンゾウさん、一週間ぶりだな」
「おう、リンタローか。ちょっと待ってろ、これの作業が終わったらおめぇの特訓の成果を厳しく見てやっからよ」
そして静かに待つ倫太郎を放置し、皿と向き合い始めるガンゾウだった。
十数分後、皿を作業台に置き「待たせたな」と倫太郎と向かい合うように座って顎をしゃくり、言外に「見せてみな」と倫太郎に促した。
倫太郎は麻の手さげ袋から布で巻いた重量を感じる子供の頭ほどの大きさのものを三つ取り出し、そのうちの一つをガンゾウに手渡した。
「どうせ大したことねぇもんの割には厳重に包んできたじゃねぇか。まさか錬金魔法を始めて一週間そこらのおめぇが『大事な作品』とか思い上がってんじゃねぇだろうなぁ?」
鋭い目で倫太郎を睨み付けるガンゾウは錬金魔法をナメるなとでも言いたそうなほどの怒気を放っていた。
そんな目で見られた倫太郎は軽く「ああ、違う違う」と手を振った。
「持ち運ぶとガチャガチャうるさかったからな。急遽あんたにもらった布で適当に巻いてきただけだよ」
「ふん、どうだか」と言いつつ布を解いていく。
その布の中から現れたのはロックドラゴンだった。いや、ロックドラゴンを模した鉄製のオブジェであった。
その出来にガンゾウは目を見開き瞠目する。
「こいつぁ…おいリンタロー、これをどこで手に入れた?」
「ああん?何言ってんだ?なんでそこらで買ったもんをあんたに見せなきゃなんねぇんだよ?俺が作ったに決まってるじゃねぇか」
「こいつを…おめぇが?」
そのロックドラゴンのオブジェは精巧などという言葉すら陳腐に思えるほど精巧な造りだった。
雄大に翼を広げ、極太の首をもたげて今にも獲物に襲いかかろうとしている構図で造られている。ロックドラゴンの特徴でもあるゴツゴツとした表皮の一つ一つまで正確に再現されており「襲いかかるロックドラゴンを魔法で鉄にして小さくした」と言われても納得できそうなほどの出来である。
「……ほかの二つも見せてみろ」
ギロリと射殺すような鋭い目で倫太郎を睨み、手を出して催促するガンゾウに「ん」と二つ目の布に巻かれた工作物を渡した。
ガンゾウは焦るように布を取り払う。そこから出てきたものは身を低く構え、毛を逆立てて威嚇するキングウルフだった。
剥き出した犬歯と獰猛な目、爪の一つをとっても本物と見粉う仕上がりだ。
そして何と言っても注目すべきはその毛並みだった。
「…おい、リンタロー。このキングウルフの毛は一体どうなってやがんだ…」
そう言ってガンゾウはキングウルフのオブジェを触り倒していた。
「ああ、その毛並みを再現するのは骨が折れたよ。『毛並み』なのに触ってゴツゴツするのは違うと思ってな。鉄を髪の毛よりも遥かに細くすることでなんとか素材が鉄でもフサフサ感を出せたんだ」
そう。倫太郎はキングウルフのオブジェを鉄で作るにあたって体毛の一本一本をナノレベルまで細くすることで実物に近い触り心地を再現したのだった。
「……………次の見せろ」
だんだん言葉数が少なくなっていくガンゾウに「ほい」とすでに布を取り払われた三つ目のオブジェを手渡した。
それは美しくも蠱惑的な美女のオブジェであった。
艶かしく挑発的に頬笑む表情と番台で足を組み開けた着物から伸びる扇動的な足、サラシで巻いてなお主張する大きな胸はオブジェと言えども生唾ものだ。
このオブジェの見所は着物の素材にあった。
「これは知り合いの女なんだけど派手な着物だったんでな。鉄一色で再現するのもつまらなかったから色の綺麗なインゴットを選んで合成してみたんだ」
もうわかっていると思うがそのオブジェのモデルはレガリア屋のザリアネである。その着物は鉄のシルバーをベースに赤、緑、青、黄など色とりどりの優雅な色彩で表現されていた。
「………………」
ガンゾウは黙って三つのオブジェを並べて口を一文字に結び難しい顔でそれぞれ見ながら喋ろうともしない。
ダメ出しを待つ倫太郎は膝に手を置いて師匠からの言葉を待つ、ひたすら待つ。三十分待つ。一時間待…てなかった。
「いや、なんか言えや!」
ビックゥッとガンゾウの体か跳ね上がった。椅子から転げ落ちそうになるのを手をバタバタとさせてなんとか踏ん張り持ち直す。
「バッカ野郎!いきなりでっけぇ声出すんじゃねぇって言ってんだろーが!!!」
心臓もバックバクに跳ね上がっているであろうガンゾウは手で胸を押さえてゼェゼェと荒い呼吸だ。
「あ、わりぃ。んで、どうなんだ?ここがダメだとかアレはこうしたほうがいいとか、そういう助言的なのはなんかないのか?」
ガンゾウはハッとした様子で二度ゲフンゲフンと咳払いをして「お、おう、そうだな…」と目を泳がせる。
「…その前に、こいつでここでなんでもいいから造って見せろ」
そう言いながら雑に棚からインゴットを一本倫太郎へ投げてよこした。
それをキャッチして訝しげな目で倫太郎はガンゾウを見る。
「ああん?なんでだよ?その三つじゃ評価も意見も出来ねぇのか?」
「いいからやれ」
ぶっきらぼうに言い放ち、それ以降は椅子に座り腕を組んで黙ってしまった。
「なんだってんだよ…」
倫太郎は渋々インゴットに集中する。
次の瞬間、赤黒い光が爆ぜた。
「おあぁ!?」
今度こそ椅子から転げ落ちたガンゾウは目を白黒させながらなんとか立ち上り倫太郎を見ると、インゴットを持っていたはずの手には複雑な形のオブジェが握られていた。
「み、見せてみろ」
倫太郎から引ったくるようにオブジェを奪い、鋭い目で睨むようにそのオブジェを観察するガンゾウ。
ふて腐れた倫太郎はドカッと椅子に腰掛け、膝に肘を付いて頬杖しながらガンゾウの言葉を待った。
倫太郎が今ほど造ったのは細身の剣を構え、敵を貫かんとする女性のオブジェだった。
それはトルスリック騎士団正式装備の甲冑を纏い、美しくも勇ましい躍動感すら感じさせるオブジェだ。
握られている剣は本当に斬れるのではないかと言うほど薄く鋭い。
女性の瞳には生気を感じる輝きを持ち、今にも動き出しそうな出来であった。
「………………」
「まぁたダンマリかよ…」
女性のオブジェを様々な角度から凝視する六十路の男は端から見たらかなりヤバい構図だがあえてそれは言うまい。
意見を言うでもなくダメ出しするわけでもなく自分の工作物をガン見し続けるガンゾウに業を煮やし声をかけようとしたとき、ついにガンゾウ自ら口を開いた。
「リンタロー」
「おう」
「これ売ってくれ。言い値で払う」
「あ゛あ゛あ゛ん!?!??」
ガンゾウの口から出たのは意見でもダメ出しでもアドバイスでもなく売買交渉の一言だった。
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