愛すること
倫太郎の一言で今まで聞こえていた啜り泣く音がピタッと止んだ。
「ほんとかい!?」
バッと振り返りサササッと倫太郎へとすり寄る。変わり身の早さに倫太郎も「お、おぅ」となんとも言えない返事しかできなかった。
「アタシにもワンチャンあるってことかい!?サキュバスでも忌み子でもいいのかい!?ねぇ!リンタロー!」
ついさっきまでしおらしくシクシクと泣いていたとは思えないほど希望に満ちた瞳でグイグイくるザリアネに押されて倫太郎は店の壁に背を付けてしまった。
倫太郎はこれほど真っ直ぐな好意向けられたのは初めてだった。こそばゆいような、暖かいような、不思議な感覚であった。
だから倫太郎は考える。どういう返答が正しいのか、自分はザリアネとどういう関係でいたいのか、人を好きになるということはどういうことなのか、自分に人を愛せるのか、自分などが人を愛してもいいのか、自分が…人に愛される資格などあるのか。
そこまで考えたときにスッと冷静になった。「なにを俺は人並みの幸せを欲しがっているのか」と。
「お前は確かにいい女だと思う。だが俺には誰かを愛する資格も愛される資格もない。だからザリアネの気持ちには応えられない。これからも俺は一人で生きる」
突き放す訳ではないが、強い意思を込めた目でザリアネを見つめた。
生きるためとはいえ自分は人を殺めすぎた。血にまみれた両手で一体どんな顔をして愛する人を抱き締めろというのか、できるはずがない。
「…どうしてもかい?アタシはリンタローの過去なんて気にしないよ?」
「どうしてもだ」
ザリアネは再び大粒の涙を両目に溜めて今にも泣き出しそうな顔で倫太郎を見つめる。
しかし倫太郎の意思も固く、曲げることはないだろとザリアネにも理解できた。
「……わかった」
「…すまないな」
俯き、消え入りそうに呟くザリアネに本当に申し訳なさそうに謝る倫太郎はどこかやりきれなそうだった。
ポロポロとザリアネの頬を伝い落ちて地面の染みへと変わる涙を拭ってやることもできずに彼女が泣き終わるのを待つことなく帰ろうとしたとき、ザリアネはごしごしと袖口で涙を拭くと顔を上げる。それは何かを決めた表情であった。
「わかった。わかったけど絶対に諦めてやらんよ!リンタロー、覚悟しな!サキュバスは狙った獲物は逃さないんよ。どこまでもしつこく追って行って最後には必ず私のモノにしてみせるからね」
泣き腫らして充血した目で必死に笑顔を作り笑う彼女は強かでとても純粋だと思えた。こんな真っ直ぐな女と一緒になれたら幸せなのかもしれない。そう心から思えた。
「それはそうと迷惑をかけたお詫びをしないとねぇ。なにか目当てのレガリアでもあるのかい?一つ二つならプレゼントさせてもらうよ」
無理に明るく振る舞う姿が痛々しいが、それについて触れるのも野暮だろう。
「いいのか?レガリアなんて貴重でかなり高価なもんなんだろ?」
「いいさいいさ、女に二言はないよ。こんな効力のものが欲しいとかなんかないのかい?ここに陳列されてるレガリアがうちのすべてじゃないからね。在庫にあれば引っ張り出してくるよ」
ザリアネはそう言って番台の下を指差す。どうやら地下があり、そこが倉庫になっているようだった。
好意でくれるというものを頑なに固辞するのも相手に失礼だと思った倫太郎はありがたくその好意に甘えることにした。
「じゃあ…文字が読み書き出来るようになるレガリアなんてあるか?」
ザリアネはきょとんとして倫太郎を見る。やはりそんな都合のいいレガリアなんてあるはずないかと言った後で後悔した。
識字率の高い王都では文字の読み書きができないという者はほとんどいないらしい。だから需要の少ない物など在庫してない、もしくは存在してないのかもしれない。
「あんた、文字がわからないのかい?」
「ああ、さっきも言ったが俺は僻地で生活してたもんだからな。本もなけりゃ教えてくれる人もいなかったんだ。でも王都に出てきたら読み書き出来ませんじゃ話になんねぇからさ。まぁなければ別のでもいいさ」
正直そんな都合のいいものがあるわけがないとわかりながらも倫太郎は言うだけタダだと思い言ったが、ザリアネの返答はまさかのものたった。
「あるよ」
「…あんのかよ」
ザリアネは番台から降り、床の一部を持ち上げて固定した。倫太郎が番台の裏へと回り込むと床の下には奥が見えないほどの長い下り階段が続いていた。
壁は煉瓦のようなもので作られ、等間隔に灯りが設置されていて歩くのには困らなそうだ。
「付いてきておくれ。ホントは部外者立ち入り禁止なんだけどね」
「いいのか?なんならここで待ってるぞ?」
「いいんだよ。そもそもこの売り場はアタシがいなくなると防犯装置が働く仕組みになっててね。扉はロックされるしトラップ床も発動するようになってるからここで待ってるなら一歩も動けなくなるよ」
「…よし、行こうか」
店の外で待っているという選択肢もあるにはあるが人がすれ違うのがやっとの狭い道で待ち惚けるのも嫌だった倫太郎は素直にザリアネの後ろに付いて階段を下りる。
階段を降り始めてすぐにザリアネが店内にいないことを関知したのか出入り口からカチャっと鍵がかかる音が響き、階段の降り口になっている床も静かに閉まっていった。
どういう仕掛けかわからないが、ザリアネが特に何かを操作したという素振りはなかったのでおそらくこれもなにしらのレガリアが作動したのだろう。
薄暗いと思っていた階段にも徐々に目が慣れ、危なげなくザリアネの後に続く。
倫太郎の体感的に既に下へ二十メートルは降りているだろう。
どこまでも続くかと錯覚しそうな階段は重厚そうな両開きの鉄製の扉が出迎えることにより終わる。
ザリアネが紐でくくられたペンダントを豊満な胸元から引っ張りだすと扉の目線の高さに付いている宝石のような物にそれを翳すとゴゴゴゴといかにも重そうな音をたてながら左右に開いていく。
「さあ、ここがアタシ自慢のレガリア倉庫だよ」
薄暗かった階段とはうってかわって倉庫は真っ白な床と天井に純白の照明が反射して一瞬目が眩むほど明るい。天井は高く目測で十メートルはあるだろう。
入り口付近から奥まで等間隔に天井付近まで高く棚が設置され、店内と同じくガラス張りのショーケースのようになっている。
こっちだよ、と倫太郎の腕を引きザリアネは入り口すぐの棚へと向かう。
先程のペンダントをショーケースに翳すとガラスが音もなく消えた。一体どういう原理なのかと首をかしげる倫太郎をよそに、ザリアネはショーケースの中から燻し銀に鈍く輝き、小さい黒い石が埋め込まれた指輪を一つ取り出し倫太郎へと差し出した。
「これは知理の指輪って言ってね、文字の読み書きが出来るようになる指輪だよ。本来は古代言語を読み解くために使われていたものなんだけど現代文にも対応できる優れものさ」
倫太郎は差し出された指輪を受け取りまじまじと観察する。どこからどう見ても普通の指輪だ。
「ちなみにサイズ自動調整機能もついてんのさ!おすすめは左手の薬指だよ!」
自慢気に補足し、意味のわからないおすすめをするザリアネを一瞥して右手の小指へはめてみるとブカブカだったが音もなく縮んでピタリとフィットした。
「おお~、すげぇ!どうなんてんだこれ?」
新しいおもちゃを与えられた子供のように嬉しそうに指輪を眺める倫太郎を口を尖らせて膨れながら「さすがに手強いねぇ」とぼやく。
するとザリアネはまた胸元からペンと紙を取り出しサラサラと何かを書き始めた。
どれだけの物があの深い谷間に入っているのだろうか。
「ほら、倫太郎。知理の指輪の試運転だよ。これを読んでみな!」
ザリアネは書き終わると同時に紙を倫太郎へと向ける。そこにはやはり今まで見たことのない文字が羅列しているが…読める。
「…『リ、ンタロー…愛、してる。』か。おぉ~、見たことのない文字が読めるってなんだか不思議な感じだな。…つーかコレかなり高いんじゃないのか?買うといくらすんだコレ…。ホントにもらってもいいのか?」
ザリアネの顔に「ス、スルーだと…?」と書いてあるが倫太郎は気付いていない体で話を別方向に振った。
「う、うむ。まともに買うとまぁ大体二百万ベルほどだろうねぇ。アタシがあげると言ったものはあげるよ。持っていっとくれ」
日本円でざっくり二千万円前後といったところか。
見たこともない文字が読めて書けて二千万円程度ならば日本の考古学者の間でオークションにかければ軽く億は突破しそうである。値段の割には破格の性能のだと倫太郎は思えた。
「ふーん。まぁ予想通り高ぇが、買ってでも欲しい性能だな。一から勉強しなくてすんだから助かるよ。ありがとう、ザリアネ」
ありがとう、ザリアネ。ありがとう、ザリアネ。ありがとう、ザリアネ…。ザリアネの脳内で倫太郎の言葉が反芻する。
今思えば倫太郎がザリアネの名前を呼んだのはこれが初めてであった。
ザリアネがみるみる赤くなり湯気でも出そうなほど朱に染まっていく。そして改竄される事実。
ありがとう、ザリアネ。ありが…、ザリアネ。あ……、ザリアネ。あいし…、ザリアネ。愛してるよ、ザリアネ。
ついにザリアネはその場にヘタりこんで両手で顔を覆ってしまった。
「お…おい…、大丈夫か…?」
急に顔を赤くしたと思ったらその場に崩れ落ちるザリアネを心配して倫太郎が覗きこむと「なんでもない、なんでもないよ」とザリアネが顔を背け手で制止する。
「よ…よぅし、では戻るとしようかねぇ」
ガバッと急に立ち上がったザリアネが倫太郎にいまだに赤らんだ頬を見られないように出口へと向かった。
腑に落ちない倫太郎も「元気そうだしまぁいいか」とザリアネに続いて薄暗い階段を登って行くのだった。
なんだかだんだんラブコメチックになっていく…。方向修正します。
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