解呪の義
「それでは祭壇の女神イェニス様の像の前で跪き祈りを捧げてください」
さも当然のようにロゼッタは倫太郎を女神イェニス様とやらの像の前に移動させ、跪き祈れと言う。それに対して倫太郎は、
「え?やだけど」
まさか断られるとは思ってなかったのかロゼッタの思考は停止する。言ってることは分かるが意味がわからないようだ。
「…えぇ?…解呪しないんですか?」
「逆になんで跪いて祈ることが解呪に必要なんだ?いや、どうしても必要な過程だと言うなら格好だけでもいいならやるけど」
この世界のおよそ八割強の人間は女神イェニスを信仰している。
熱狂的、盲目的に信仰し女神イェニスをディスろうものなら本人はもちろん親兄弟、二親等まで処刑しなければ気がすまないような狂信者もいれば、実家がイェニス教だからという理由で育った環境に流されるままイェニス教を一応信仰しているライトな信者まで様々いるのだ。
倫太郎の目の前のロゼッタは人を殺すほど狂った信者ではないが、イェニス教のシスターになる程度の信仰深さはあるようだった。
「リンタローさんはイェニス教の信者ではないのですか?」
そう聞かれて倫太郎は頭をガシガシ掻きながら何と答えれば正解なのかを考えていた。
国や時代によっては宗教が人を殺すことなど珍しくもないが、異世界であるこの時代のこの国が宗教絡みでどんな面倒事に発展するか測りかねているのだ。
倫太郎のポリシーの中に『死んでも神には祈らないし縋らない』というものがあり、これはどうしても曲げたくなかったのである。
死にそうなときも苦しいときも神は絶対に助けてなどくれない。殺し屋の過酷な仕事の中で何度も思ったことだ。
危機を乗り越えるのはいつだって己の知恵と経験と強靭な身体だと、嫌になるくらい知っているから倫太郎は祈らない。もし神が実在していたとしても困ったとき助けてくれない神などいないも同然だから。
「んん~、家庭の事情で無宗教でね。だから安易に神には祈りたくないんだ。さっきも言ったがどうしても必要ならポーズくらいならしてもいいが」
ロゼッタは腕組みして「ん~…」と唸ってなにかを決めかねている様子であった。
「宗教の信仰は個人の自由ですからね。信仰するもしないも本人次第。いつの間にかまわりがすべてイェニス教の信者だと勘違いしていました。ではお祈りは省きましょう」
いや、やらなくてもいいんかい!と突っ込みたい気持ちをぐっと抑える。
そんなロゼッタに促され、倫太郎は祭壇の前に立ち目を瞑る。ロゼッタは祭壇の上に置かれた水の注がれた杯を持ち倫太郎の背後に回った。
「それでは解呪の義を執り行います」
ロゼッタは杯の水を指に付け、ゆっくりと倫太郎の周りを歩きながら指の水を倫太郎の身体へと振り掛ける。その間目を閉じて呪文のようなものを唱えていた。
旋律を持ったその呪文はまるで聖歌のように聖堂に響き渡り、オーケストラのように幾重もの声になって倫太郎の耳に届く。
「…彼の者を縛る鎖を立ち切り自由と力を与えたまえ…序の解!」
倫太郎が言葉として聞き取れたのは最後のワードだけだった。
しんと聖堂が静寂に包まれる。倫太郎の体に特に変わった様子はなく、急に魔素に目覚めたという実感はなく立ち尽くしていた。
これで終わりか?と問おうとロゼッタの方へ振り返ろうとしたとき、倫太郎の心臓付近に強烈な痛みと凄絶な熱が襲いかかった。
「がっ!?…ぐぁあああああっ!!!」
立っていられず崩れ落ち、地面をのたうち回る。まるで心臓が数倍に膨れたようにどくんどくんと脈打つ音だけしか聞こえない。
鼓動するたびに言葉にならない痛みと熱が全身を駆け巡りだんだんと視界が霞んでくる。
ここで人生の終わりを迎えるのではないかと思うほどの灼熱の痛みに奥歯が軋むほど強くくいしばり身体を丸めて耐えた。
こんな激痛が伴うなんて聞いてねぇと抗議しようとロゼッタを見ると痛みでのたうち回る倫太郎の目の前で両ひざを床につき胸の前で両手を組んでぼそぼそと呪文を唱えていた。
既に倫太郎には大音量の耳鳴り以外の音は聞こえずロゼッタがなんと言ってるかなど聞こえないようだった。
「…心に安寧を、魂に試練を与えたまえ…破の解!」
詠唱が節目を迎え、頬を伝う汗も気にせず両手を倫太郎に翳すと淡い光が倫太郎の身体を包み込み、今までの痛みや熱さが嘘のように引いていった。
「はぁっ!はぁっ!はぁっ!はぁっ!はぁっ…」
気が触れそうなほどの激痛は収まったが息が上がり抗議どころではない倫太郎は呼吸を整えるので精一杯であった。
ロゼッタは一番最初に序の解と言っていた。その後熱と激痛に襲われ、次に破の解と言ったことからまた倫太郎は何かしらの苦痛に見舞われることを覚悟し歯を食い縛る。
直後、身体の芯が冷たくなっていくのを感じた。そしてセットのように一緒に襲ってくる激しい痛み。
「ぎっ!…ぐぅっ!」
心の準備と覚悟を決めて挑んだため、最初のような醜態は晒さずにすんだが、痛みはさっきと同じような強さで倫太郎を襲うが、今度は凍えるほどの寒さが心臓付近を起点に全身に広がる。
極寒の地に裸で投げ出されたかのような寒さは身体の感覚を奪い、思考さえも止まる。
肌を刺すような、まるで全身の生皮を剥かれた幻覚が見えそうなほど身体中を針で貫かれているかのような鋭い痛みが波状に迫りくる。
それでも倫太郎は寒さ、熱さ、痛みには訓練で免疫があり既にこの苦痛にはもう慣れ始めていた。
なんだ、この程度かと思ったとき、ロゼッタの詠唱が佳境を迎える。
「…女神イェニスの名のもとに彼の者に加護と祝福を授けん…急の解!」
痛みも寒さもすぅっと引いていく。身体中の気だるさは残るが立っていられないこともないくらいだ。
身体を覆う仄かな光は徐々に倫太郎の身体へ染み込むように収束してゆく。
掌を開閉して体調の確認をしてみるが疲労感以外はいつも通り。苦痛による後遺症もなく調子は悪くないようだ。
それと、身体の中心を意識すると儀式前にはなかった丸い球体の形をした未知の力が存在することに気付いた。これが魔素というものだろうか。
球体の形を保ってはいるが渦を巻き荒れ狂う海をぎゅっと丸めたようなイメージだと倫太郎は感じた。
「はい!お疲れ様でした!これで解呪の義は完了となりま…あだだだっ!」
ニコニコと儀式の終了を宣言しようとするロゼッタの脳天に倫太郎の殺人チョップ(弱)×三連がめり込む。
「この行き倒れダメシスターが、俺の言いたいことがわかるか?」
蹲り、涙目で倫太郎を見上げるロゼッタは気まずそうに目を逸らした。
「いやぁ~、だってせっかくのお客さんに、死にはしないものの死にたくなるくらいの激痛は覚悟してくださいね~なんて言うと尻込みして逃げちゃうかと思ったんです、あはははは…あだぁっ!」
さらにロゼッタの頭頂部に不可視の殺人チョップ(弱)が刺さる。そろそろハゲるのではないだろうか。
「ほう、俺がそんなヤワに見えたと、そう言いたいわけだな?行き倒れダメシスター」
「いやぁ、そういうわけでは…ははは」
冷たい目で睨む倫太郎から顔ごと背けて笑ってゴマかそうと必死なロゼッタ。
はあ。一息つき頭をガシガシ掻いてまた身体の中の新たな力と向き合ってみる。
意識的に動かそうとするとグニグニとまるで柔らかいゴムのように形が変わる感覚だった。だがこれをどうすれば魔法を使えるのかまるでわからなかった。
「もういい、それよりこの魔素?ってのか?どうすれば魔法を使えんだ?形は変わるようだが魔法なんて使える気はしねぇぞ」
ロゼッタはほっとした表情で立ち上がり満面の笑みで自信満々に言い放った。
「全っ然わかりません!」
静かに倫太郎は手をチョップの形にして振り上げたのだった。
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