拠点と老婆
憲兵本部長ロイ・エルガンは執務室の机で頭を抱え唸っていた。
つい先程部下が挙げた報告で三等探求者のソンとデコタの両名が商業区の路地裏で死体となって発見されたとのことだった。
この治安のいいグランベルベで殺人事件が起きるなど実に数年ぶりのことである。
しかも殺されたのはあの屈強な探求者、三等の階級を持つ彼らはベテランとも言えるキャリアを持つ兵である。
ソンは顔面を壁に打ち付けられた後、首骨をへし折られ絶命。デコタは地面に顔を叩き付けられたようで頭蓋骨陥没が死因と見られている。
この二人はベテラン探求者という肩書きを持つが、素行が悪く憲兵の留置場にも度々泊まることがあったと報告を受けている。
金絡み、女絡み、傷害等、腕っぷしはたつが決して優良な探求者とはお世辞にも言えない札付きであった。
それでもタカりやユスり程度の悪事を働いて満足している小悪党である彼らが、なぜ自身の死亡という結末を迎えるようなことになったのか。
いや、まず優先すべきは『彼らを殺したのはどんな化け物か』という謎を追及することだろう。
ロイが把握している限り、このグランベルベに三等探求者二人を同時に相手取り、組伏せてしまう強者など数えるほどしかいない。
と言うことはその線から捜査していけばもしかしたら存外早く犯人へたどり着けるかもしれない。
そこまで考えを整理し、ロイは椅子の背凭れに身を預け大きく息を吐いた。
最近、巷で話題になっていた死んだと思われていたトルスリック騎士団エリーゼ団長、ならびにグーフィ副団長の帰還の報せを受け、祝賀ムードだった憲兵本部も今ではしばらくぶりの殺人事件で一般憲兵から役職付きまで全員ピリピリしているのだ。
既に探求者が殺されたことが市井にも伝わり始めていることは把握している。
第一目撃者、及び通報者には箝口令を敷いたがその他にも現場に居合わせた人間も複数いたはずだ。
人の口に戸は建てられぬとはよく言ったもので、凶悪犯罪の少ない王都ではこの手の話題は娯楽にも似たいい噂の種なのだろう。
そしてここからが問題である。
平和な王都で突如起こった殺人事件、早急に犯人を検挙することができなければ「やはり王都の平和ボケした憲兵は無能の集まりだ」、「コネで憲兵になったようなボンボンに殺人事件は荷が勝ちすぎている」など囁かれ、憲兵の威信は地に落ちること受け合いだ。それだけは是が非でも回避しなければならない。
ロイは二十代の終わりの年に王都憲兵団長、及び憲兵室長に抜擢された文武両道を地で行く真面目な男である。
男爵家の小倅として生まれた彼は領地を継げないため、領地に残り次期領主である兄の補佐に回るか、領地を出て行くかの二択を兄に迫られ後者を選択したのが十八のときであった。
領地を離れ単身で王都へ出てきたロイは迷うことなく憲兵へ志願する。
晴れて憲兵になった彼は最初こそ各地の地方へとたらい回しのように異動を何度もさせられたが、実直なロイは異動先で実績を積み上げ続けた。それが上役の目に留まり二十代という若さで平憲兵から管理職へ異例の抜擢となったのだ。
慣れない管理者としての業務に孤軍奮闘し続け早三年。漸く卒がなく業務をこなせるようになってきた矢先の事件であった。
ロイは今一度自身の頬を張り「よしっ」と気合いを入れ直し捜査報告書とのにらめっこを再開したのだった。
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二人の自称三等探求者を始末し、しばらく宿屋街をうろついて通りがかりの商人や付近の住人に宿屋の評判のリサーチをかけ、十人中七人が勧めてきた『渡り鳥の巣』という宿へと向かって歩いていた。
聞いた話によれば他の宿より少しお高めな値段設定ではあるものの、出される料理も部屋の清潔感や広さも申し分なく、防犯意識の高い設備が導入されているらしい。なにより各部屋に風呂が設置されているというのが倫太郎の琴線に触れたようで『渡り鳥の巣』に決めたようだった。
教えてもらった道を行くと、宿の入り口の真上に青い鳥が模された看板が目に入った。これが『渡り鳥の巣』の目印だという。
早速宿の暖簾をくぐり、カウンターの呼び鈴を鳴らす。チリンと美しい音が宿のホールに響くと、奥から前掛けを掛けた四十代後半ほどの恰幅のいい女性が小走りで現れた。
「いらっしゃいませ!渡り鳥の巣へようこそ。女将を務めておりますボニアと申します。本日はお泊まりでしょうか?お食事でしょうか?」
「泊まりで頼む。できれば連泊したいんだが、可能か?」
にこにこと愛想よく振る舞うボニアはカウンターの下から料金表らしき紙を取り出し広げた。
「はい、可能です!一泊二食付きで千二百ベルになります。何泊をご希望でしょうか?」
そういって取り出した料金表らしきものを指差しながら女性は言うが、その紙には見たこともない文字が綴られており全く読めなかった。
「とりあえず三十日は泊まりたいな。あと食事は朝だけでいい。せっかくの王都だからいろいろな店を食べ歩きしたいんだ」
倫太郎は文字の読み書きの習得を優先事項の一つにすることを決めて、今は普通に字を読める体で話を進める。
この国の識字率がどの程度かはわからないがプライドが邪魔して素直に字が読めないとカミングアウトするのは憚られた。
「かしこまりました!それでしたら一泊一食のプランとさせていただきますので一泊千ベルで宿泊可能です!ですので三万ベルいただきます。」
ああ、それでいい。と倫太郎は懐から金のコインを一枚取り出し渡す。
「はい、十万ベルからお預かりします。七万ベルのお返しです」
渡されたお釣りは七枚の銀色のコインだった。このコインが一万ベルという硬貨らしい。
従業員の後ろを歩き部屋へ案内される。宿の通路や造りを観察してみると木造の建物でそこそこ年季は入っているが、よく掃除されていてチリの一つも落ちてないのは好印象である。
通された部屋は見晴らしのよい窓から光がよく入る位置に面しており、他の区より少し高い位置にある宿屋街の中でも『渡り鳥の巣』は王城よりの立地にあって王城と貴族街が見渡せる。
その窓から見た光景は美術や芸術などはに興味のない倫太郎でも名のある画家が描いた絵画の一部分を切り取ったかのような美しい光景だと思えた。
へぇ、と感心して呆けてしまったがこの宿を拠点として選んだ一番の理由を思い出してはっとする。
客室に備え付けてあるという風呂だ。浴室を覗くと簡素ではあるが大人二人が入れそうな浴槽を備え、水垢の一つもないよく手入れされたタイルと、浴槽も特に豪華な作りではないが、よく磨き上げられているのがわかる。
たった一日だが寝る前に風呂に入れないのはどうにも落ち着かない性分の倫太郎は浴槽にお湯を張り終えたのを確認すると即座に服を脱ぎ捨て、一日ぶりに汗を流すのであった。
倫太郎の体は主に殺し屋としての修行時代から駆け出し時代にかけて出来た大小様々な傷痕が痛々しいまでに刻まれている。
擦り傷や切傷、銃創や刺し傷、浅く抉れて陥没している箇所まである。未熟な時分に受けた洗礼のようなもので、倫太郎はそれを恥ずべき傷痕として人目に晒さないよう人前で肌は極力露出しないよう心掛けていた。それは腕や足にも同様にあるので夏場も肌が露出しない服を選んで着ている。
風呂から上がると渡り鳥の巣までの道すがら適当な店で予め購入しておいた服を着て部屋を出て、脱いだスーツ一式を宿の従業員に洗濯を頼んで商業区へと向かった。
拠点が決まったとなれば次は商業区の東側、幅広い武具を取り扱う区画で今後のメインとなる武器を調達しようと思ったのだ。
それとキングウルフとの一戦でナイフを使ったが、そのときキングウルフの硬さに刃先が負けてしまい欠けてしまっていたのだ。長年付き添った相棒のようなナイフで捨てるには忍びないので修繕できればしたいところだが、ナイフ自体の素材も製造方法もこの世界のものとは違うという理由で修復不可となった場合はやむを得なく買い換えるつもりでいる。
そんなわけで倫太郎は武器屋を何軒か回るため街の東側へ向かい歩いていた。
宿の従業員に聞いたところ、西側にある宿屋街から東側のへと抜けるには、王城を目印に進み貴族街を迂回しながら北側を抜けるのが一番の近道だと教えられた。
簡易地図の注意書で見た通り貴族街へ通じる道は関所が設置されており、剣を携えた警備員が直立不動で立っている。
正直、関所を突破して貴族街を突っ切るのが一番早いのでは、と思わなくもないが無理矢理押し通って犯罪者として手配されるデメリットを考えると別に急いでいるわけでもないので散策がてら回り道してもいいと結論付け、ゆるりと歩くことにしたのだった。
倫太郎が歩く武具屋が建ち並ぶ大通りには日本人として養われた感性で見ればコスプレにしか見えないような格好の通行人で溢れていた。
筋骨隆々で額当てでプレートメイルを装備した男、漫画やアニメでしか見たことがないいかにも魔法使いのような膝下までのローブを纏った女性。
探求者ギルドにいたウザミミと同じく、犬の耳が頭から生え、カーゴパンツに開いた穴からフッサフサの尻尾を垂らして闊歩する獣人の男は長い槍を背負い、鎖帷子を着込んでいた。
倫太郎は自分がファンタジー世界に来てしまったことを改めて強く認識する。
そしてさっきから大通りを歩きながら道路沿いに立ち並ぶ軒先の看板を見ながら移動しているのだが、倫太郎は久しぶりに困惑していた。
剣とハンマーが交差している絵が描かれた看板を見つけ、武器屋だろうとアタリをつけてその店に入ろうとして違和感を感じ立ち止まる。
その違和感とは『剣とハンマーが交差した看板だらけ』なのだ。
一軒隣に剣とハンマー、二軒並んで剣とハンマー。ざっくりと数えて見れば大通りだけで五十程の武器屋が乱立していた。
「なんだこれ…武器屋だらけじゃねぇか…日本のコンビニや歯医者以上の密集率だろ…」
どの店がどんな特色で、商品の品質の良し悪し、倫太郎に合った武器がある店、そんなことがわかるはずもなく右往左往してるうちに二キロほどの大通りの道を一往復してしまった。
一軒ずつ虱潰しに入って話を聞いて品定めして…そんなことをしていたらそれだけで数日消費してしまうのは容易に想像できた。
「コレ、そこの御仁。なんぞお困りかな?」
後ろから聞こえた声に振り返ると、道の隅で床几に似た椅子に座りこぶし大の水晶玉を台に乗せて厚手のローブに身を包んだ小さな老婆がいた。
「俺か?悪いが占いには興味ないんだ。他を当たってくれ」
乱立する武器屋の多さにイライラしていた倫太郎は突き放すように言うが、小さな老婆は笑いながら否定する。
「イィ~ッヒッヒッヒッ、占いなど陳腐なものと一緒くたにされるのは心外だねぇ。まぁ老いぼれの独り言と思って聞くがいいさ」
付き合ってられるかと踵を返す倫太郎の背中に小さな老婆の声が投げ掛けられた。
「御仁、あんたこの世の者じゃないね?」と。
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