霊鉄のヴァリアント
太古から現代に時空転移してきたネフェリィは始の友達と旅行へ行くことに―――――文化の違いからトラブルを引き起こし、なかなか皆と馴染むことが出来ないで居るネフェリィを始めは必死に気遣うが‥‥‥‥
3
次の日の朝、僕と彼女は朝食を摂りおえるとアパートの近くの海岸に向かった。
「なんて大きな水たまりだ………ハジメと会った時もそうだが、あそこ以上に大きい。見ろ、対岸が見えない」と彼女は驚いた。
「恐らくネフェリィの居た世界には海はもちろん小さな池だって無かったんじゃないか………多分、大量の水が無かったんだ」
「なぜ分かった? 確かに昨日見たくらいの水たまりさえ私は見たことがない。水は朝露か井戸でしか見たことがないんだ」
「昨日、君が寝た後で少しだけ聖書の世界を調べてみたんだ。ネフェリィの居た世界は聖書が書き始められた時よりずっと前の世界なんだ。創世記が書き記されたのはモーセの時代、モーセによって書かれている。それから考えると数千年はさかのぼる。
ノアの箱舟のときの大洪水以前の世界だ。その時の環境は地球の外側は水の層、若しくは大きな水蒸気の層で覆われていて、どこに居ても温度は極端に違わなかった。この世界のように大量の二酸化炭素を排出している訳じゃないから大気温度の上昇は無かった………世界が現在のようになったのは地球を覆っていた水の層に何かの原因で穴が開いて地表の大気圧が減圧―――結果、巨大な水の壁が地表に落ちて来て海が出来た………あくまでも僕の推論だけどね」
「ハジメの言うそれが、このひろい水たまり………『海』って言うんだな」
「ネフェリィの事で聞きたいことが―――」僕が話そうとした時、携帯が鳴った。
「はい、独です―――麻里衣先輩? 何か………メンツが足りない? ハァ、明日の朝………分かりました、後で連絡します」僕は携帯を畳むと額に当てた。
「さっきから何で独り言を言っているのだ。神妙にしていたが悩みでもあるのか?」
「ネフェリィなら察してくれているんだろう―――理由までは分からんか…」
僕は携帯を彼女に渡して触らせてみた。彼女はそれが珍しいのか携帯のフリップを開いたり閉じたりしていた。
僕は昨日の質問を彼女に言った。彼女は手を止め携帯を僕に返すと次のように答えた。
「ネフェリィはどうやってここに来たの?」
「私の持つこの剣は空気を切り裂く、その時に大きな裂け目が出来るんだ。アベルたちも数は少ないがこれと同じ剣を持つ者がいる………その時の戦闘で私は不覚にもその裂け目に落ちてしまったんだ」
「そこに落ちた人は何処へ―――戻ってきたの?」
「いや………戻って来たのを…見たことがない。裂け目は時間がたつと消えてしまうんだ」
僕が長野の湖で見たオーロラの様なものが恐らく彼女の言う空気の裂け目なのだろうと確信した。彼女の話しからすると、もうそれは消えているに違いなかった。
「アパートへ戻ろう、ネフェリィ」
そう言うと僕は彼女の手を取ってアパートへ戻った。僕は最初に彼女と出会った時の恐怖を忘れていた。そう感じるには其れなりの理由があるという事を僕はネフェリィの容姿ばかりに目が行き本質が見えなくなっていた。
部屋へ戻った僕は彼女を座らせ自分も座って向き合った。僕は彼女に気を許していたのかもしれない。僕が喋ろうとする前に彼女が口を開いた。それは刃物で胸をえぐられる、というのが妥当かもしれない。
「お前は最低な奴だ! 私の体ばかりに気が行っているな………ハジメ、私が欲しいのかっ⁈ お前の目的は最初からそれかっ」
ネフェリィは僕の前に詰め寄ると僕の喉を掴んでグイッと引っ張った。
僕は必至で抵抗した。最初ほどではなかったが、それでも強い圧迫感と恐怖を感じた。
「君は容姿が綺麗だ。そこに目が行ったからって何が最低なんだよ! 男なら普通だ。ネフェリィは向うの世界で彼氏は居なかったのかよォ………ゲヘンッ、ゲホッ―――グゥゥ―――」
「教えてやろうかっ――――私がそんなものさえ許されない人間だという事を………どのような事をしてきたか!」
僕の喉を掴んでいる彼女の手から何か異様な感覚が伝わり、それは僕の中に入って来た。
それは耐え難い鉄と血と汚泥にまみれていた。もがく様な苦しみと絶叫、呻きと怨嗟の声…………。
今まで感じたことのない恐怖がイメージを伴って頭の中を侵食しようとしたとき僕の中の安全装置が働いた―――僕は気絶した。
僕が次に目を覚ましたのは夕方、着ている服が汗? でグッショリ濡れており、履いていたズボンも濡れていたがそれは水を掛けられたような酷い濡れ方だった。僕は異様に感じたが半身を起こしたとき、臭いで自分が失禁しているのが分かった。
僕は反射的に周りを見回した。ネフェリィは僕の直ぐ後ろで両膝を抱えてうずくまっていた。
僕は起き上がると風呂場へ駆け込み濡れた衣類をバスタブの中に脱ぎ捨てシャワーを浴びた。風呂場から出た僕は腰にバスタオルを巻くと部屋の電灯を点け自分が失禁したところを雑巾でふいた。その間、僕はうずくまっているネフェリィを見ていた。
僕は台所へ行き深呼吸をした。吐き気と目眩の様な嫌な感じがまだ残っていたがこれは現実ではない事を自分に何度も言い聞かせた。
僕は服を着替えると彼女にコーヒーを淹れて持って行った。これだけ恐ろしい目に遭わされながら何故彼女に関わりを持とうとするのか自分でも理由が分からなかった。普通なら逃げ出すと思う…………
僕は彼女の横に並んで腰を降ろし「喉、乾いてるだろう」と、そう言って彼女の足元にコーヒーを置いた。
「ネフェリィは自分が ”許されない人間 “って言ったけど僕が君を許すって言ったら――――君は僕の隣にいる、僕も君の横だ。」
ネフェリィは両膝に顔を埋めたまま小さな声で呟いた。
「私は何故ここにいる…………何故、お前なんだ。」
彼女の呟きに対し僕は少し強気で吹いてみた。
「全ては神の申し合せだ。きっと何か理由がある、やらなければならない事が君にはあるんだ。ここに居る僕にも――――」
ネフェリィは顔をあげると足元に置いたコーヒーカップを取りこう言った。
「頂くぞ、ハジメ」
そう言い、コーヒーに口をつけるとネフェリィは僕の方を向いて言った。
「あまり美味しくはないな…すまなかった―――暫く世話になりたい」
「最初からそのつもりだよ」と、僕は笑って答えた。
彼女が落ち着いた頃、呼鈴が鳴った。ドアを開けると友人の下衆勝と春日井良子が来ていた。
「何だ、ゲスとカスか。どうした?」
「お前、その言い方やめろよな………麻里衣先輩がキャプテンから連絡が無いっつうから見に来たんだよ。上がるぞ――――」そう言うと勝は良子と部屋へ入った。
部屋に入った二人はネフェリィに気が付き直ぐ僕の顔を見た。
「キャプテンが彼女をなぁ~、マジかぁ。しかも外人を………」と勝がニヤけた。
「キャプテンも隅に置けないわね、どこからさらってきたの?」と良子が言った。
僕は厳重に口止めをした上で事の経緯を説明した。それを聞いた二人は少し真面目な顔をして次のように勧めた。
「彼女………ネフェリィさん、だったかな。ここに居ても構わないけど住所不定と渡航証明書が無いのはマズいな。彼女は容姿が綺麗だから目立つ…………オレの知り合いにその辺に詳しい奴がいるから造らせよう」
「勝、偽造するのか? それマズいだろ」
「人聞きの悪いことを―――彼女がこの世界の人じゃないのなら偽造とは言わないだろ。偽造ってのは最初から所在がはっきりしている奴のを変えることだから」
「一応、理屈だな………で、知ってる奴ってクズのことか?」
「また言うか………察しの通り葛間栄一郎だ。彼の親父は入国管理局に努めているからな。その辺のシステムにも詳しい。証明書の方は御宅に作ってもらおう」
「オタクの御宅博か、確かあいつの家は大手の印刷会社………勝の人脈は底が広いな」
「まあ、名字の通り下衆だからな」
良子がネフェリィに近づいて言った。
「私は春日井良子、私の家は個人病院なの。もし体の調子が悪くなったら言ってね、大きな病院より身元が怪しまれないから………内のパパには友達だって言うから」
「ありがとう。リョウコ、だったかな…………人に親切にされたなんて向うでは無かった」と、ネフェリィは少し俯いてこたえた。
「お礼ならキャプテンに言ってね。拾ってくれたんだから」
「キャプテン? それはハジメの名前なのか…………」
聞いていた勝は彼女の前に来て座り僕のニックネームの説明を始めた。勝は僕の手を引っ張って横に座らせるとこう言った。
「こいつは何をやるにしても独りでやりたがるんだ。基本は面倒なことが大嫌いなんだ。だから大勢で動くときは先頭に立って皆を仕切りたがる。早く仕事を終わらせたいんだな………でもこいつは人が良いから文句を言わずに皆が助けてくれる。まあ――――人望があるのかな、それで皆は始のことをキャプテンって呼んでるんだ。
そんな奴がオレの友人に一人くらい居てもいいかな、と思って仲間に入れてやってる」
「勝―――お前、調子乗り過ぎ。だからゲスって皆から言われるんだ」
「まあ、それは置いといて………明日の旅行の件を伝えておきたい。麻里衣先輩から頼まれてる、メンツは先輩、オレと良子、お前だけど来れるか?」
「ネフェリィの事、放っておけないからなぁ………行先はどこだ?」
「聞いて喜べ。お前ん家、お前の実家に泊まるって。麻里衣先輩は日本最古の道後の湯に浸って普段の疲れを癒したいそうだ」
僕は小さなため息をつくと勝にこう答えた。
「ウソだ。あの人はお兄ちゃん子で彼氏を探し損ねているから向うで兄ちゃんに似た彼氏でも探すんだろう。僕らはそのダシ、口実ってことだ。僕の実家ってのも旅行代を浮かしたいからだろう」
「で、行くんだな?」と、勝は答えをはぐらかして詰め寄った。
「行こうよ、キャプテンなんだから」と、もたげるように良子も勧めた。
僕はネフェリィの方を向いて様子を伺ったが旅行の意味が理解できない様なので簡単に彼女が理解できる言い方、彼女が居た世界でよく使われたと思われる言葉で説明した。
「明日、宿営地を移動する。ネフェリィは来るか?」
「この取巻きのチーフテン(族長)はハジメのようだからお前に従おう」
「よしっ、決まりだな。麻里衣先輩にはオレが伝えておくから………明日、中央駅のリニア線2番ホーム改札口前、時間は9時発だから少し早目に来てくれ」 そう言うと勝は腰を上げ良子と一緒に部屋を出ようとした。部屋を出る前に勝は背中越しに振り返るとネフェリィにブイサインを出してウインクでアイコンタクトを取った。
「楽しみにしてるよ、ネフェリィ。また明日―――」
二人が去った後、彼女はポカンとしていた。
「何でマサルは片目を閉じたんだ………」
「君に気があるってことだろう………ゲスがあんな事をするの初めて見たな。何か変なものを見た感じだ、オゲェ…」