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朝6時ちょうど。
私は今日も、眠気とは無縁の起床をする。
だけど今日は、ちょっと憂鬱だ。
いつものようにパンをトースターにセットして、顔を洗う。サッパリするけれど、その程度では私の気持は軽くならない。
7月1日。
今日は体育祭だ。
体育祭であろうがなかろうが、私の日課は変わらない。
髪の毛も綺麗に梳かしつけた。いつもはこのままだが、体育祭なので、長い髪を一つにまとめた。
登校はいつも通り。校則で、登校は制服でと決められているから、体育祭でも団のTシャツで登校というわけには行かない。
うちの学校の体育祭は4つの色団で戦う。
一学年が8クラスで、2クラスずつ色団に振り分けられる。
なので、一つの色には、1年生2クラス、2年生2クラス、3年生2クラスから成り立っている。
計6クラスが一つの色団に所属するわけだが、人数が膨大だ。
普通に1クラス一色、計八色で競えばいいじゃないか、と思うが、それは大人の事情か何かだろうか。
このシステムのおかげで、同じ学年の違うクラスの人と交流が持てる、というのは利点かもしれないが、今のところ私には関係ない。
1年B組は青団だ。
団ごとに、3年生がデザインしたオリジナルTシャツが配られる。
体育祭では、体操服のかわりにこれを着なければいけないのだ。
余談だが、このTシャツは文化祭でも使用するらしい。
通学かばんはいつもより軽い。団のTシャツ、通称団Tと、体操ズボン、あとはお昼ご飯とお茶とタオルと、といった具合である。
私は最後に持ち物を確認して、家を出た。7時25分。
学校に着いたのは、いつも通りの7時45分。
いつも通りの人気のない校舎に、ほっとする自分がいる。
渡瀬くんは、今日も一番乗りなんだろうな。
窓辺で初夏の風に吹かれる渡瀬くんを想像して、渡瀬くん(私の妄想)に似合うなあとしみじみした。
しかし予想外のことに、教室の前の廊下に、その当の渡瀬くんがいた。
驚いて、つい「渡瀬くん」と声をかけてしまった。
「仁川さん。おはよう」
先に話しかけたのは私の方だ。「おはよう」と挨拶して、
「どうして廊下にいるの?」
「中に入ってみればわかるよ」
渡瀬くんはちょっと肩をすくめた。
何があるのだろう。
おそるおそる、教室の扉を開ける。
ガラリと音を立てて、扉から頭だけ覗き込むようにすると、
「ん、仁川さんだ。おはよー」
「おはよー」
中にいたクラスメイトの女子数人が一斉に私を振り向いた。
「お、おはよう」
ぎょっとした。
入学してから今日で三カ月、クラスメイトに挨拶されたことなんて、数えられるほどしかない。
それに、どうしてみんなこんな朝早くに? いつもは渡瀬くんしかいないのに。
時計が壊れたのかと思って、教室にかけられた時計を見ても、7時50分を指している。
カーテンはすべて閉められており、みんな団Tを着ている。下着姿の女子もいたので、入ってきた扉を閉めた。
渡瀬くんが廊下にいたのは、この女子たちに追い出されたせいらしい。
とりあえず自分の席にかばんを置いてみたが、することがない。いつも通りのはずだが、周りにこれだけ人がいる中で一人ぽつんとしているのは寂しく、恥ずかしい。
私もここで着替えてしまうべきだろうか。
それにしても、女子たちはなんだか忙しそうだ。
「痛い、ピン刺さった!」
そう言って騒ぐ女子の方を見ると、髪の毛をいじっているらしい。
体育祭だから、気合を入れているのだろうか。
中には、ギャルかキャバ嬢みたいなくるくるパーマをアップスタイルにした女子も数人。
そこまで派手ではないが、他の子もみんな何かしら手を加えている。
これでは逆に、まっすぐなポニーテールをしている私のほうが目立ちそうだ。
「レイナちゃん」
上半身団T、下半身はスカートという、着替え真っ最中な私に声をかけたのは、
「ハルちゃん」
春野美嘉だった。
みなさん覚えているだろうか。彼女が、私が唯一まともにしゃべったことのある女子だ。私の左隣の席の女の子。右隣の私より、左隣の子と仲良くしているのを見て、私から話しかけるのをやめてしまった女子。
私が話しかけるのをやめたから何かを察したのか、単に右隣の私の相手をするのが面倒だったのかは分からないが、ハルちゃんも私に話しかけることはなくなっていったのだ。
そうなる前に、「レイナちゃんって呼んでいい? あたしはハルって呼ばれてるの」「いいよ。じゃあハルちゃんって呼ぶね」というやり取りがあったので、今では友達未満の相手でも、ハルちゃんと呼んでも許されるだろう。
さすがに、友達でない人(クラスメイト全員だが)のことを、いきなりあだ名で呼ぶような行動力はない。
「レイナちゃんの髪の毛も、やってあげようか?」
「え?」
ハルちゃんの手には、細い黒のゴムとアメリカピン。クラスの女子たちに、ヘアアレンジをして回っているらしい。
「私もやってもらったんだよ!」
話に入ってきたのは山田さんだった。
これが、ハルちゃんの左隣の子。
私がハルちゃんから手を引いたおかげか、ハルちゃんと山田さんはいつも二人で行動している。
「うーん」
提案がいきなりすぎて、すぐに決断を下せない。
確かに、この髪形をどうにかするべきかと思っていたところだけど。
時間稼ぎもかねて、渋る様子を見せる私に、
「せっかくの体育祭なんだから、やっちゃお!」
どちらかというと、やりたいのはハルちゃんの方なのだろう。
「でも悪いよ」
友達でもないのにヘアアレンジしてもらうなんて、気が引ける。
「大変でしょ? このままでいいよ」
「とか言っちゃって! いいのいいの、あたしの趣味みたいなものなんだから! というか、お願い、やらせて!」
やっぱりそうか……。
用意が終わって暇になった他の女子たちも私たちに注目し始め、あちこちから声がかかる。
「やってもらいなよ」
「ハルちゃん上手だよ」
ヘアアレンジは好評なようで、それを聞いてハルちゃんは笑顔だった。
私はまだ迷っていた。
いつもクラスで一人ぽつんとしている私が、こんな女子たちの輪に入っていいのか、と。
でも、体育祭ムードなのか、髪の毛を三つ編みなりカールなり、可愛くしてにこにこしている女子たちを見ていると、私も彼女たちの高揚を共有したくなった。
「じゃあ、やってもらおうかな」
「よし来た!」
興味がないわけではないのだ。
ヘアアレンジなんてやったことがないので、自分じゃできないし。
せっかくの体育祭だし、偶然でもハルちゃんが声をかけてくれたんだし。
みんなに「おはよう」と言ってもらえたのも大きかったと思う。
私、ちゃんとクラスメイトとして認識されてるんだ……。
「レイナちゃん、可愛いからやりがいあるわ~」
「可愛くなんてないよ」
「もー、謙遜しちゃって!」
すごく女子高生の会話っぽい。
山田さんは、そんな私たちを楽しそうに見ている。
ハルちゃんが嬉々として私の髪をほどいて、櫛を通す。
「うわ、サラサラ!」
毎日のトリートメントの成果だ。
私は自分のこだわりが認められたような気がして、ちょっと嬉しくなった。
「あたしの好きなようにやっていい? こんな風にしてほしい、とかある?」
「ないよ」
周りの子の髪形を見ても、どうやってそんな髪形になっているのか分からないし。
「了解!」
弾んだ声で返事して、私の髪をいくつかの束にして分けていく。
私の背後でやっているので、鏡もないし、どういう作業がされているのか分からない。
たまに引っ張られたり、頭皮にピンが刺さることもあったが、最終的に、ゴムでまとめられ、ギュッギュッと髪の毛がどこかに押し込まれて、「完成!」した。
近くにいる女子が、「おー」と感嘆の声を上げ、「可愛い!」と手を叩いて喜ぶ子もいる。
「はい、鏡」
山田さんが渡してくれた鏡の中には、
「えっ、ちょっ、」
私は目を剥いた。
「さすがレイナちゃん、さすが私! 可愛い!」
私の頭頂部に、髪の毛でできた大きなリボンができていた。
「リボン……」
まさか私の髪の毛も、リボンをつけられるならともかく、自分がリボンになるなどとは思いもしなかっただろう。
これは目立ちすぎる……。
いつもは髪でおおわれている首筋があらわになって、スース―してなんだか落ち着かない。
でもこのリボンに抵抗があるのは私だけなようで、みんなはハルちゃんを「スゴーい!」と褒めている。
「変じゃないかな?」
本音を言うと、もっと地味なのがよかった。
髪の毛が全部頭の上にあるので、顔が全然隠れない。横顔もばっちりだ。
顔が全開になってると、隠れる場所がない感じがして、そわそわする。
「全然! すごく似合ってるよ!」
そんなに自信満々に言われては、私も引き下がるしかない。
「ハルちゃん、ありがとう……でもなんか、恥ずかしいよ」
「大丈夫、大丈夫!」
入学してすぐの、私の記憶の中より元気なハルちゃんは、「ハル、私もやって!」と他の子に呼ばれ、駆けていった。
頭にリボンを乗せたまま、私は体操ズボンを穿いた。
目立ちませんように……。
まあでも、みんな気合入ってるし、誰も私なんて気にしないよね?