仕事を探そう01
大きいことはいいことだ、サイズは重要だ。かつてそう語った偉人がいたことをおれは知っている。
おれ、柳生正臣が見ているのはモデリングされた仮想現実上のデータに過ぎない。そう言い聞かせてみるが、やはり出てくる感想は──でかい。その一言に尽きる。
無論、この表現上の一切にやましさがないことは、現実世界に存在するおれの体内ナノマシンが絶えず思考情報をトラッキングしていることから証明可能だ。
「どこ見てんのよ。」
シャオ──おれをこのDOPE onlineに誘い込んだ張本人であるXiao Looが顔を覗き込んでくる。彼女はチュートリアルで破損したアオザイに代わって、NPCから購入して新調した黒のドレスを身に纏っている。
胸元から後背にかけて、ざっくりと切り取られた煽情的な意匠でありながら、上品な花模様のレースが縁どることで愛らしさを添えている。防具としての性能はほとんど無い外見を飾るための装備らしい。ファッションに疎いおれにも、センスの良さが伝わる品だ。
だが中身が随分その、なんだ。豊かなためにおれは目のやり場に困っていた。
その谷間に流れ込む黒髪は墨を流したようにしっとりとしている。内側から輝くように艶めく黒髪は、彼女のほっそりとした腰元にまで及ぶ。大陸系の血筋を引く彼女の顔は、くっきりとした目鼻立ちでありながら主張し過ぎない、楚々とした雰囲気を漂わせる。
美しい──そして、見た目に反して傲慢だ。
「いや、でけえな。」
おれは改めて視線をテラスの向こうへとやる。
蒼く深く、どこまでも続くかのような海は太陽の光を乱反射させて輝いていた。他のプレイヤーが経営するらしいカフェのテラスから、おれとシャオはその海を眺めている。正確には、その沖合にそびえる無数の塔を。
天に連なる群塔は海の色と対比的にグロテスクな朱色に染まっていた。日本人的感性で評するならば、それは頂上の見えない鳥居の柱だけが地に突き刺さり、乱立しているようにも見えた。
後から知ったことだが、その塔に見えたものは珊瑚であり、異常性を秘めた深海からの侵攻者が湧き出る噴出孔で──つまり、ダンジョンだった。
時折塔から紐無しバンジーでも楽しむように人が飛び降りていたのは、精神異常のバッドステータスによって恐慌状態に陥ったプレイヤーだったのだ。
それでも、そのときのおれ達にそんな知識は無かった。ただ目の前の自然と超常の構造物、そして自分達が位置する陸に広がる瀟洒な街並みを楽しんでいた。
おれ達はDOPE世界で最も発展した都市の一つであるアルクヘイムを訪れていた。水運と工業の街、アルクヘイムはDOPEに存在する三大エンドコンテンツの一つ──『星屑の海』に面している。
ここは、おれ達がチュートリアルを行ったスタート地点から八万キロ。地球二周分という遠大な距離を離れた位置に存在している。現在も外縁部に対して拡張し続けるDOPE世界に存在する初期マップ、『星屑の海』に浮かぶ島に存在するただ一つの都市だ。
なぜおれ達がそんな場所にいるかと言えば、チュートリアルで攻略した『神鏡の墳墓』に存在したポータルが、アルクヘイムへとつながっていたからだ。
「で、どうする。職位。」
おれはシャオに話の水を向ける。
【職位】──DOPEもまた一般的なMMO RPGの例に漏れずクラス制を採用していた。プレイヤーは最初に3つの職位を選択することができる。そして、それらの職位のレベルを向上させることで、追加の職位を得る権利がアンロックされていく。この職位の組み合わせこそが、DOPEにおけるプレイスタイルを決定する肝となるらしかった。
具体的に言えば、第一階梯と呼ばれる段階では3つの職位とレベル20のレベル上限が設定される。そして職位の合計レベルが50を超えた段階で第二階梯に到達する。すると4つ目の職位がアンロックされ、レベル40までレベル上限が解除されるのだ。これを繰り返すことで第五階梯──7つの職位と各100レベルの上限に達したのが現在のDOPEにおけるトッププレイヤー層だ。
【技能】を習得する条件は一定のアチーヴメントの達成だけではなく、【職位】のレベルを向上させることでも習得できる。むしろ、こちらの方が一般的だという。要するに複数の職位にまたがってシナジーを得ることで、クラスビルドが構築される。
シャオは魔導書とは違う、分厚い本の頁を高速でめくりつづけている。
「だいたい決まったよ。一つは確定。」
彼女が調べていたのは職位の情報を一覧化したものだ。アルクヘイムに存在する職業斡旋所で無料で配布されていた。
アルクヘイムのような中核都市が、DOPEには複数存在する。それらの都市には取引仲介所、職業斡旋所、訓練施設といった設備が整っている。
逆に言えば、チュートリアルを終えるまでは職位を得ることは難しいのだ。最初期のプレイヤーの中には、ポータルを介さずに徒歩で中核都市に辿り着いた者もいたようなのだが、現在ではマップの拡大とともに不可能なアチーヴメントになりつつある。
おれ達は今、アルクヘイムの主要な施設を巡り得た情報をもとに、今後の行動指針を整理しているところだった。
「そういう正臣は?カネは私が用意できるだろうから、好きなのとっていいよ。」
シャオはすでにプレイ方針を明確に描いているらしい。藪から棒にカネの話が出たのは不思議なことではなかった。
生命通貨──DOPE世界における共通通貨であり、時を巻き戻すように負傷を癒す生命石の原料であり、そして職位のレベルを向上させるための経験値へと変換される万能の資源。この生命通貨の万能性がDOPEのゲーム性を象徴していた。
「資本主義万歳だよねー、カネを稼いでカネで回復してカネでレベルを上げるんだから。」
おれは大げさに肩をすくめてみせる。その言葉が共産主義の盟主であるロシア連邦で開発されたゲームに対する壮大な皮肉のように思えたからだ。
おれ達が今飲んでいるカフェオレのような飲料、この価格が10LCだ。現実の都市部の一等地にある洒落た喫茶店が出す珈琲の価格だと想定するなら、1LC=100円くらいだと見積もってもいいだろうか。
ボーンスネークが落とした中くらいの生命石を通貨に変換すれば、ちょうど10LC程度になっていたらしい。この点でいえば、おれ達は圧倒的なアドバンテージを持ってゲームをスタートしている。
ダルタニャンからの試練ともいうべき、裏チュートリアルをクリアした際の報酬──25000LCだ。二人合わせて500万円。大金だ。
だが実際にはこの程度のカネは湯水の如く消えていくことがわかった。カフェのテーブルには、職業斡旋所で収集した情報をもとにシャオが算出したデータが並んでいる。職位のレベルアップに要求される経験値の点数に関するものだ。
指数関数的に上昇していく必要点数は、レベル1から2に上がるために100LCを要求するが、レベル19からレベル20に上がるには4000LCが必要だ。レベル1から20までの累計点数は163500LCに達している。
そしてそれが3職分──第一階梯のレベル上限に至るまでには490500LCという気の遠くなるような点数が要求されるのだ。
だがシャオには目論見があるらしく嬉々として数字と格闘し、自らが修める残り二つの職位を検討している。彼女のカネをあてにするつもりは全くないのだが、実際問題として突きつけられた数字の巨大さに、おれは屈服した。
「おれはホームポイントに適したビルドにするかな。」
ホーム──実際にはまだ何もないただの丘陵に過ぎないのだが──それはおれたちが持っているポータルストーンの転送先である『神鏡の墳墓』のことだ。崩落した墳墓はチュートリアル往時のまま、入り口は埋没してしまっている。ポータルの転送先は丘の頂上に設定されていた。
アルクヘイムが周囲をエンドコンテンツダンジョンである『星屑の海』に囲まれた島である以上、おれ達は活動の拠点を『神鏡の墳墓』とせざるを得ない。アルクヘイムにおいて情報を収集し、当面の活動に必要となるであろう資材を調達することが、おれ達の目的の一つであった。
墳墓の周囲には草原が広がり、北には広大な森林がある。丘陵には深い堀が張り巡らされており、新たに柵や防壁を用意する必要性も薄そうに思えた。拠点とするには申し分ない立地に思える。
おれは草原を疾走していた鹿のような生物のことを思い出していた。東の村で見た巨体の亜人が大猪に騎乗していたのだから、おれも【技能】を得ることができれば、あれらの動物を馴致して騎乗できるかもしれない。
そして北に広がる森林だ。おれ達はチュートリアルの際には北への探索を大猪に追われて中断している。地図によれば森林はまだまだ続いていることが確認されていた。
おれは【職位】の一覧表をめくり、二つの職位に目をつけた。『騎乗兵』と『探索者』だ。弓を扱うことができる『狩人』も候補としてあがってきたが、おれには一応剣と盾がある。草原と森林に適応したビルドとするならば、これは一つの解答だろう。何よりDOPEの世界は広大だ。徒歩での移動だけでは、探索できる範囲が制限されてしまうだろうから。
「おれも方向性は決まったが、あと一つ悩むな。」
算段がついたのか、シャオは机上の資料をまとめると魔導書に挟み仕舞い込んだ。やはり情報端末として非常に便利なアイテムだ。
おれ達はカフェから出て、大路を歩く。アルクヘイムのメインストリートには賃貸契約を結んだプレイヤーによる店舗が並んでいる。だが店内にいるのは雇用されたNPCがほとんどだ。実際にプレイヤーが接客している例は無かった。そうやって不労所得を確保しているのだろう。
自然な所作で定められた業務に従事するNPCは、一見プレイヤーと見分けがつかない。だが、長時間見ているとどこか不気味の谷に落ち込んでいるような雰囲気がある。ダルタニャンやアハトのような柔軟な対応と、実際に生きているような人間味を兼ね備えた高度なAIは数少ないらしい。
「まずは私もNPCを雇う。」
シャオは地図を横目に確認しながら、大路の一角にある店舗へと入っていく。公共機関のような清潔さのある店舗だった。カウンターには制服を着た女性が座っている。シャオはとんとんと話をまとめて、三人の男性NPCを雇用した。特別な技能を持たない一般的なNPCだ。
「それでは雇用期間は3時間でよろしいですか?」
シャオは受付嬢に対して首肯する。契約条件はかなり緩やかだ。森林での採集業務。ただし危険に巻き込まれた場合の保護義務はない。NPCは戦闘に巻き込まれそうであれば自己判断で帰宅してもよい。無理な命令をすれば、彼らは帰ってしまうだろう。
「彼らが万が一に死亡した場合の保証金の類は無いのか?」
シャオの問いに受付嬢は笑顔のまま答える。
「今回のご契約の場合には極めて短時間ですし、発生いたしません。三名は命じられた作業に従事しますが、危険度に応じて自己判断で契約を放棄して帰宅します。その場合にも申し訳ございませんがご返金などには応じかねます。」
分かった、とシャオは頷く。一時間当たりの雇用費用が20LCだ。シャオは前金で180LCの支払いを済ませると、男性NPCを連れて店を出た。
「帰ろう。」
おれとシャオの歩く後ろを、粗末な布服をまとった男たちがついてくる。ハーフリングであるおれからすれば長身だが、お世辞にも体格がいいとは言えない。見るからに戦闘などはできそうにないだろう。
おれ達はストレージから手のひら大のポータルストーンを取り出す。チュートリアル報酬で手に入れたこの機能は、『ストレージⅡ』であれば20種類のアイテムを、大きさ、個数に関係なく収納することができる。
蒼く輝く宝石のようなポータルストーンを使用すれば、瞬時におれ達は『神鏡の墳墓』へと転移していた。三名のNPCも同行している。恐らくだが、雇用状態にあるためにシャオの所有物のように扱われたのだろう。
草原のただなかにそびえる丘陵、その頂上には穏やかな風が吹いている。陽光は燦々と降り注ぎ、草の香りが心地良い。シャオは三名の男を北の森へと派遣した。固まることなく、ばらばらに、薬草となりそうなものを採取するようにと。
男たちが丘を降り、森林へと歩いていくのを眺めながら、おれはシャオに問う。
「これに何の意味があるんだ?」
彼らを見送るシャオの表情には油断が無い。それはまだ成功を確信してはいないという表情だった。
「さて──実験を始めようじゃない。」
男たちが森に入り、その姿が見えなくなる。
シャオとおれもまた、彼らの跡を追って、森へと入っていく。
2016年12月6日より「仕事を探そう」の全6話のエピソードを投稿します。
一日一話、21時投稿の予定です。よろしくお願いします。