DOPE中とリアル
首を断たれたダルタニャンは光の粒子に分解され、数秒後に再生した。もはや手には剣はなく、羽帽子も外套も帯びていない。二足歩行の愛嬌ある黒猫に戻っていた。猫は先ほどまでの血生臭い戦いのことなど忘れたように喋っている。
「いやー、驚いたにゃん。ゲヘナから帰ってくるスピードが半端ないにゃん。」
おれのことではない。おれの背後、光の粒子が像を結び、シャオが復活した。シャオが一度死んでから、何分経過していたのだろうか。5分とかかっていないことは確かだ。
「見てたよ正臣。」
シャオはおれに向けて微笑みかける。その姿には一見して何も変化がないように見えた。だが、その瞳の奥に赤黒い光が灯っていた。それに気づいたダルタニャンは、うんざりしたような表情を作った。
「アニマの奴もやりすぎにゃ……最初の【デスボーナス】で魔眼を与えるとか……。」
アニマ?アハトではない、他にもレムナントが存在するのか。シャオはつかつかとダルタニャンに向かって歩み寄ると、その首根っこを掴み上げた。黒猫は飼い主に罰を受けるように、宙づりで伸びきっている。
「で、この落とし前はつけてくれるんだろうね?」
シャオは強請りにかかっている。もしおれとダルタニャンの戦いが長引くようであったなら、当然自分がお前を殺していたのだ、と冷ややかに言い放つ。
「もちろんにゃー。裏チュートリアルをクリアしたプレイヤーは現在までに33名しかいないにゃ。その内の30名は一回の参加者だから、君たちは3番目の裏チュートリアルのクリア者にゃ。それに相応しいアチーヴメントが用意されているにゃ。」
──【25000生命通貨を獲得しました。】
──【ストレージⅡを獲得しました。】
──【称号『恐るべき初心者』を獲得しました。】
──【任意の技能を一つ獲得する権利を得ました。】
おれとシャオに通知されたのは、破格と言っていい報酬だった。本来のチュートリアルで評価Aに対する報酬が生命通貨250というのだから、その100倍だ。
「足りないな、どうせ25000なんて数字はすぐに稼げるようになるんだろう。」
シャオはダルタニャンをゆっさゆっさと宙づりで振り回している。その姿は、振ればカネが落ちて来るのではないかと難癖付けて、悪漢が強請っているようにしか見えない。
シャオの強欲に対してダルタニャンは辟易したように問いかける。
「なんにゃー、お姉さんは何が欲しいのにゃ。」
シャオは知識を要求した。一つだけ、質問に答えるように、と。黒猫は答えられる範囲なら、と断ってそれを許した。
「悪いが、これは正臣に聞かれたくない質問だ。」
そういうと、シャオは猫をぶら下げたままステージの端っこへと移動して、何やらごにょごにょと聞きだして、また猫をぶら下げて帰って来た。
ダルタニャンは何故か機嫌よくなっている。
「マサオミにも質問する権利をあげるにゃ!」
おれは何を問うか考えていなかったため、思い浮かんだことをそのままに聞いた。
「シャオの質問の内容はなんだ?」
無論、おれの顎を彼女のハイキックが打ち抜き、一撃で昏倒させられたことは言うまでも無い。なぜかシャオは顔を紅潮させていた。おれは随分とデリカシーのないことを聞いてしまったのかもしれない。
§
「今さら何だが、ログアウトしなくていいのか?」
おれはシャオに問う。ログインしたのが昨日の午後四時、それから既に一昼夜、時間にして30時間はゆうに越えてログインしているはずだ。現実世界の肉体の状態も気になる。
その問いに、シャオはとぼけたような顔をした。
「言ってなかったっけ?DOPEにはログアウトの概念が無いこと。」
おれの頭上にはクエスチョンマークが点灯していただろう。
「DOPEは常時ログイン式のインフォモーフAI利用型ゲームなの──言ってなかったっけ??」
おれは聞いてない。それにしてもインフォモーフとは随分Sci-Fiな概念が出てきたな。日本語訳としては精神転送だとか、そういった内容が当てはまる奴だ。
ダルタニャンが言葉を継いで説明してくれた。
「DOPE onlineはプレイヤーの入力したパーソナリティ情報、ゲーム内での思考行動パターン及び大脳皮質記憶野へとアクセスすることで過去の情報を参照して、プレイヤー自身のインフォモーフAIを作成するにゃ。プレイヤーがゲーム内で活動しない場合にはこのインフォモーフが代替してプレイし、またログイン中にはナノマシンを経由してインフォモーフAIが実体としての肉体を管制しているにゃ。」
情報量に対して理解が追い付かないが、つまり現実世界のおれはAIによって動かされているということか?
「待て、それ不味いことが起こるんじゃないのか?」
何が不味いと言えないが、全部不味い気がしてならない。おれの漠然とした不安に対して、ダルタニャンはあっけらかんとした調子で答える。
「もともとDOPEはパーソナリティ障害の治療のために作られたシステムを基礎としているにゃ。インフォモーフAIと本人の人格が相互に作用することで、より優れた治療効果及び人格陶冶が見込めるにゃ。これはロシア連邦科学アカデミーによる研究で実証されており、すでに世界中の臨床医療の現場で実用化されているにゃん。」
◆インフォモーフAIはあくまで本人の人格を模倣した存在である。
◆DOPEのサービス開始から三か月間ログインしっぱなしのプレイヤーもいるが、健康上の問題を引き起こしたプレイヤーは一人もいない。
◆プレイヤーの98%が現実での社会的地位を維持している。
◆DOPEで成功を収めたプレイヤーは現実での社会的地位を向上させる傾向にある。
空中にいくつものスライドが浮かび、様々な統計と科学的データの裏付けが説明される。おれにはそれらの真偽が確かめられないが、WHO所属の研究機関による電子署名が付与されていることから、信頼性の高い情報なのだろう。
「というわけでDOPEは極めて安全性の高いサービスにゃん!実際、明日から日本でもサービスインするわけにゃけど、全国のドラッグストアで購入でき、保険適用されて若年者の場合は2割負担の38000円で購入できるにゃん。これには一年間のゲームプレイ権利が付属しているにゃん。」
実際安い。
ダルタニャンはいつの間にかハッピに鉢巻きを締めて、営業スタイルで力説していた。まるで前世紀の量販店店員のようだ。どこから仕入れて来るんだ、この情報。
「まあ、心配だからおれはいったんログアウトする。特に問題なさそうなら、戻ってくるよ。」
シャオは心配性め、と皮肉を言いながらも、すぐに戻ってこいと言い添えた。おれがログアウトすることを希望すると、魔導書が閉じ、視界がひび割れ、そしてその向こう側に現実の世界が広がりを見せ始める。
月日は百代の過客にして行かふ年もまた旅人なり──春の陽ざしが、ガラス張りの洒落た大窓を抜けて、おれの座席に陽だまりを作っていた。漆黒の宇宙と対比的な、温かなぬくもりが手足を伝っていく。おれは手元の授業用タブレットが振動し、加点を意味するアラートが点灯していることに気付く。
自然に、極めて自然に──それはDOPEの世界が過剰であったことに対して、現実の世界がいかに淡い感覚で描かれているのかを実感させ──おれはこの17時間の間に起った出来事を一瞬の内に知覚していた。
おれは頭を振る。確かにおれは現実で生活していた。シャオと一緒に食事を取り、自宅へ帰った後は道場で鍛錬を受け、学校の課題を終わらせて就寝し、朝は定時に起床して日課のランニングを終えて登校──現在午前9時、おれは古典文学の授業を受講して課題を発表し、加点を受けた。
それと同時にDOPEのなかで過ごした経験が紛れもない事実であるという錯覚──そう、錯覚なのだ。DOPEはVRゲームに過ぎないのだから。だがおれはその錯覚と、おれが過ごしている現実の境界が消失しつつあることに気付いた。
どちらも、現実だ。
振り向けば、ゲンジがいる。シャオがいる。飛んできたメッセージを開けば、ゲンジからは「明日、朝一でDOPEを購入するつもりだ」という興奮気味の内容が書かれていた。
そして、シャオからも。
「さっさと戻れ、つまんないから。」
これを書いたのはインフォモーフAIなのか?
おれは何か狐狸に騙されているのではないかと思いながら、再びDOPEした。
これにてプロローグ終了です。次回からは第一章に入ります。第一章の投稿時期は未定です。