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神性邂逅 エピローグ

 神性邂逅 エピローグ



 病院付きの司祭様が、埋葬式のための小部屋を出て行かれた。

 壁に据えられた寝台の上には、白布で巻かれた棒切れのような遺骸があった。

 それは私の父──DOPE内での名を、M・M・ハッターといった──だったものだ。


 やがて施設職員がやって来て、彼の亡骸をストレッチャーに乗せ直した。

 彼はこれから祭礼室のとなりにある処理室に移され、適当な保存処理を施される。

 そして生前からの契約通りに、この医療施設に献体されるのだ。


 一連の出来事を、私は車椅子の上から眺めていた。

 最新式のそれはチューブで私とつながり、私自身の生命を維持する装置を兼ねていた。

 卵形の深い椅子に腰かけて、私は眼を閉じた。


 父は晩年に重度の解離性障害を患っていた。

 同時に仮想現実バーチャルリアリティに対する中毒症状も重篤だった。

 彼は若い頃に数年プロゲーマーとして活躍していたが、緑内障を患って引退し、それ以来現実よりも仮想世界に耽溺するようになったらしい。


 私にとって母、と呼べる人物は身近にはいなかった。

 そもそも、そのような人物がいたのか。

 それが父にとって、どのような存在だったのかを、彼に問うことはなかった。


 いずれにしても、父は私を一人で育てた。

 彼は常に小金には困っていなかった。

 いつもどこかへ、ふらりと出かけてはマネークリップをパンパンに張らした札束を、スーツのポケットに詰めて帰ってきていた。


 一度だけ父に連れられてマカオという土地のカジノに連れて行ってもらったことがあった。

 普段はへらへらと笑っている父が、そのときだけは無表情だった。

 彼は賭博師でもあったのだ。


 世界中にあるカジノから小額ずつ引き出しては、また別のカジノへと移っていく。

 時には名前を変えて、あるいは顔を変えて、出入り禁止の賭場にさえ立ち入ったりもしながら。


 そんな父が狂ったのは20年ほど前のことだったと思う。


 ある晩、彼は酷く酔っていた。

 そして「エマ」という名を呼びながら私の寝室に立ち入ってきた。

 父は私を誰かと間違えたまま、私の首に手をかけ、ゆっくりと力を込めた。


 薄れる意識のなかで、私は父の顔を見た。

 彼は笑っていた。それは私が初めて見る、童子のような笑みだった。

 何度も何度も「エマ」という人物の名を呼びながら、私の首を絞め続け、力尽きたように眠った。


 その際に残った障害によって、私は半身不随となった。

 だが、自分のことよりも父の姿が悲しかった。

 哀れなハッター。


 あの夜から、私は自分が何者だったのかを努めて忘れることにした。

 私は「エマ」という名前で私自身を染め直した。

 夜が明けて、朝になっても、父が正気に返ることはなかった。

 私もまた一夜のうちに「エマ」であることを受け入れていた。


 だが、今になって思い返せば、時折父には正気の色が浮かんでいたこともあった。

 もしかすると父もまた「エマ」を演じる私のために、狂気を装っていたのかもしれない。


 歩けなくなった私を、父は長年に連れ添った恋人として扱い、片時もそばを離れようとはしなかった。それは無くしていた心の欠片を埋めるように、あるいは、あらかじめ一つの生命として──それはひずみから生じた妄想に過ぎなかったが──そこに存在していたように。


 そんな放蕩の日々が長くは続くはずはなかった。

 父は急速に老い、病を患い、病棟から出ることの適わぬ身の上となった。


 父が残していた貯蓄は普通に生活していくためには十分にあったが、それでも彼の晩年を安楽に過ごさせる額には届かなかった。

 高度末期医療にかかる費用は桁違いに高額だったためだ。


 やがて──父はDOPEのベータテスターに志願し──私は彼の最期を見届けた。



 §



 そして私は今、砂漠を渡っている。

 父を滅ぼした柳生正臣とともに、DOPE世界の東西を渡る大行商の旅に出たのだ。


 きっかけとなったのは、シャオ・ルゥという美女。

 プレイヤーとしての立場を離れ、管理AIとなった女だった。


 DOPEに再度ログインした際に、私はアバターとなる肉体を失っていた。

 私自身の上級技能である『完美人体パーフェクトドール』によって、私は自分自身の肉体を持たない存在だった。

 父の造りだした美しい理想の「エマ」こそが、私の肉体だったのだ。

 

 だが、その所有名義はあくまでハッターのものであり、彼が消去(BAN)された際に私が宿るべき肉体の全てもまた消失していた。


「オアシスだ。一度ここで休息を取ろう。NPCがいれば、仕入れもしたい」


 正臣が騎乗するのはディエルエクゥースという生物のなかでも、高い性能を与えられたエリートだ。

 ハヤテと名づけられた鹿頭のその生物は、暑さ除けの付与エンチャントを施された覆面をかけられていた。


 先頭を行く正臣の後ろを、巨大な百足のような生き物が砂を掻いて走っていく。

 長く伸びた背には、荷台が綿々と伸び続いており、東からの仕入れ荷が所狭しと載せられていた。


 その百足の頭部には太った猫人が白い前掛け一つで騎乗していた。

 テイ・トワは父との契約が失効した後、自分から進んで正臣の旅に同行することを選んだらしい。


 私は、シャオ・ルゥからの救済措置という名目でスペアの肉体を与えられた。

 以前よりも背丈が縮み、胸や臀部を薄くされたように思うが、これは最低限のリソースで作成したためだ、と説明を受けた。

 つまらない女の嫉妬だと私は思っている。


 ラクダじみた生き物の背にまたがり、天頂からの日差しと、熱砂から反射してくる暑さに耐える旅は、想像以上に過酷だった。

 以前のアバターは完璧で、私は暑さや寒さから守られていた。

 だが父の所有物ではない視点から見たとき、これまでとは違うDOPEの美しさに触れた気がした。



 父が所有していた資産──DOPE世界に流通していた89%の富──は、一瞬の内に消し飛んだ。

 それはゲーム内に存在する現金に限らず、マーケットで扱われる資源、それらを生産流通させる使役NPC、及び借款契約に縛られた人材、地権を含めたあらゆる経済基盤の消失を意味していた。

 なかでも根本的な転換をもたらしたのは、帰還石ポータルストーンの消失だった。


 ハッターは帰還石を、DOPE世界の最も重要な資源と認識していた。

 そこで彼は世界中の帰還石の原本オリジンを蒐集し、その複製を濫造することで独自の流通網を築いていたのだ。

 どの町にもハッターの用意した商館があり、そこに荷物を預ければNPCが送り届けてくれる。

 主要な中核都市コアシティのみならず、ダンジョンの脇にある小さな町でさえ、荷物は受け取ることができた。


 この流通網が一夜にして途絶した。

 それまで主要な都市に配置されていた配送サービス──多くのプレイヤーが、これをNPCによる公的なものと誤認していたが──ハッターの私有資産であったこのインフラが消し飛んだのだ。


 世界中に広がっていた商業ネットワークは寸断され──無論、プレイヤー達の中には手元に残った帰還石から、改めてネットワークの再興を企図する者たちもいたが、多くは頓挫した──商人たちは自力でもう一度シルクロードを開拓する旅を余儀なくされた。


 通貨と資源の枯渇、及び流通網の消失は、全世界にDOPE始まって以来の未曾有の経済的混乱を招いた。

 だが、それは同時に巨大な商機の到来を意味していた。



 柳生正臣とハッターの間に結ばれていた借款契約もまた破却された。

 彼がすでに消費したLCに関しては巻き戻ることはなかったが、手元に残していたものについては消失した。

 ゆえに、彼には第五階梯に昇位するためのLCを稼ぎなおす必要が生じていたのだ。


 私こと、エマは──私は今もエマであり続けている──シャオ・ルゥから管理AIの職権の一部を寄越された。

 いわばボランティア・スタッフ的な位置づけというのだろうか。


 それは剥き出しのimAIである私ならば、いずれは下位の管理AI存在へとアカウントの切り替えができるだろうと見越してのことらしい。

 彼女は、ダルタニャンから簒奪した職権の遂行に、多くの時間リソースを割かねばならない状況から、手駒を欲していた。


「旧アグニカ領まで、あと1週間の位置まで来たネ」


 頭からオアシスの水を浴びながら、テイ・トワは旅程を確認していた。


 テイ・トワが所属していた狼髄院は、サクラメントとの間に講和を結んだ。

 同時にサクラメント市も獣人に対して融和政策を打ち出す運びになっていた。

 その契機となったのは、聖杯戦争の手前一ヶ月に産み落とされた大量の混血児だった。

 本来ならば生贄とされるはずだった彼らは、ラス・ザ・ラースによって融和の象徴として扱われていた。


 一方でテイ・トワとともに狼髄院の中心プレイヤーであったジヴィエフ・ボルスカヤは、神性戦争終結後、その姿を消した。

 噂ではゲヘナからの帰還後、地下に潜伏し、講和後の体制を破壊するためのテロリスト集団を組織しているそうだ。

 テイはその誘いには、乗らなかった。


 そして、私たちの旅は聖堂都市サクラメントから出立して、西方アグニカと呼ばれる地の更に先を目指すものだった。


 西の新興地であった炎神アグニを奉じる商工都市アグニカは、第三次聖杯戦争において敗北していた。

 聖杯の中身は遺棄され、その恩寵にあったアグニカもまた領土主張の根拠を無くして滅亡した。

 そしてそれより更に西方に、簒奪された聖杯を礎とした新たな都市が築かれているらしかった。


 私にシャオから課された試練ミッションは、ラス・ザ・ラースとハッター以外の残り3人のベータテスターの捕捉だ。

 名簿に登載されない彼らの動向はこれまで問題とされてこなかったが、ハッター亡き後の空白に蠢動する気配が感知されたのだった。

 そしてそれは西方にあった。


 シャオは彼らを即時に排除(BAN)するつもりはないようだった。

 まずは接触を図ることを優先したい、と。



 テイ・トワが手早くシェイクした金属筒から、氷菓スムージーが溢れてくる。

 橙のそれは硝子器に盛られて、見るからに涼しげだった。


 差し出された椀を受け取り、私は礼を言う。

 何もない砂漠の真ん中に、浮島のようにぽつんとあるオアシスには、多くの人種が集まってくる。

 行き交う人々を眺めつつ、私は氷菓を口に含む。


 口いっぱいに広がった果実の甘みを味わいながら、青く澄んだ空へと目をやった。


「こういうのも、悪くはないですね」

「そりゃ良かったネ」


 テイ・トワは目を細めて嬉しげに耳を躍らせた。


「おれにも貰えるか」


 NPCとの交渉を終えて戻ってきた正臣が、私たちと並んで湖の縁に腰を下ろした。

 テイ・トワから器を受け取り、氷菓を舐め始める。


 父の仇、という思いは無かった。

 むしろ、この悪意の無い純粋な男の手で討たれたことは──結果的にはシャオ・ルゥの手によってであったが──父にとっても悪いことではなかったはずだ。


「ハッターには世話になったよ」


 彼は私の眼を見て言った。

 黄金に輝く『武神の眼(オーディンズアイ)』と通じれば、魅入られるような感覚に支配される。

 私は眼を逸らして、再び空を見上げた。

 彼は、私と父との関係を知らないはずだ。


「当然です、私のマスターですから」



 §



 今もなお、柳生正臣はシャオ・ルゥの現世への帰還を願っていた。

 シャオ・ルゥはすでに肉体の楔から解かれた、新たなる存在へと進んでいた。

 故に、今はまだ、彼はシャオ・ルゥの思いに沿うことを選んだ。


 どこまでも続く大地と、見極められぬほどに高い蒼穹の果てで、神性は孵化のときを待つ。

 ただ今は、この平面世界(DOPE)に遍く広がる人心の海に揺籃されながら。










DOPE online


第三部 神性邂逅 完




2017年5月19日22時の投稿分です。


以上で、DOPE第三部は完結です。

拙作にお付き合いくださり、ありがとうございました。

第四部は現在執筆中です。更新時期は未定です。

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