DOPEちゅーとりある05
一夜明けて、おれとシャオは芋を磨り潰した粥のようなものを啜っていた。昨夜寝泊まりした廃屋には、食器類やら、脱穀済みの米らしいものまで残されていたのだ。
「なんかあれだな?昨日の芋だけを食ったときより、調子がいいというか、体が軽いというか。」
──【『調理Ⅰ≪スープ≫』を習得しました。】
魔導書からの通知が視界に流れる。【UI設定】に新たに追加されていた機能だ。新しい要素が増えるたびに設定欄を開いて確認するのは、若干わずらわしいな。
──【自動通知のONをデフォルトに設定しました。】
──【食事効果Ⅰを獲得。効果時間14400秒。】
魔導書が、おれの思考に答えるようになっていた。このAIも成長しているということか。
そして『食事効果Ⅰ』。HPの上限が10増えている。昨日、芋をそのまま食べただけでは得られなかった制限時間付きの強化だ。4時間持続してくれるなら、実用性が高い。
「正臣、おかわり。」
寝起きのシャオは芋粥を飲み干すと、木碗をこちらに差しだす。視線を向ければシャオには『食事効果Ⅱ』の強化が付与されている。HP上限の増加量は20だ。おれとの差は、彼女だけが得ている『栄養摂取Ⅰ』の効果だろうか。有用そうなので、後でおれもよく噛んで食べよう。
「シャオ、クラッシュの習得やるか?」
シャオは真剣な面持ちで否定した。シャオの寄越した魔導書の頁は、パーティの参加者の一覧だ。そこにはおれ、柳生正臣とXiaoの文字が並んでいる。
「私と正臣はすでにパーティと認識されてる。それでもダメージを受けるから、お互いに全力での衝突を食らわせあうのは危険じゃないかな。なんかこう、柔らかい衝撃を吸収できるようなものを用意したい。」
結局、スキルの習得は棚上げにして南へと向かうことになった。本当なら資材を持ち歩きたいところだが、鞄の類は見当たらなかったために廃屋に残していく。
「今夜も、ここに帰ってくることになるのかな。」
シャオは思ったより、この廃屋が気に入ったらしい。おれは硬い板の間で寝るのが苦痛だったので、さっさと文化的な生活水準に辿り着きたいと願っている。
二人とも、一応の武装として棍棒と言うか、角材を手に入れた。ただ猪を殴ったら一発で折れてしまいそうなひ弱さだ。
魔導書の示す地図を頼りに、未踏地域を南下する。幾度か、鳥やすばしっこい小動物の姿は見かけたが、大猪は現れず、棍棒はさっそく歩行補助のための杖として役に立っていた。
「近くに特別なものがあるなら教えてくれ。」
おれは魔導書に要求したが、返ってきた答えは『探索術』の【技能】に関する頁だった。これは逆に言えば『探索術』を習得すれば魔導書が教えてくれるようになるのかもしれないな。
代わり映えのしない森林──清澄な朝の空気と、木漏れ日の美しさは、いくら味わっても飽きないが、そろそろ何かあってもらいたい。
スタート地点から南に30分は歩いた頃、おれ達は森の境界に行き当たった。木々の並びが唐突に終わり、森の下草よりも背の高い、新緑の草原が広がっている。
ハーフリングであるおれの背丈と同じくらいの高さだ。シャオとおれはお互いに見失わないように、マーカーをつけあった。パーティ内の人物同士は視線を合わせれば、頭上に円形の光点が表示される設定ができた。
「あれ、なんだ?」
草原のなかに、丘のようなものが見える。周囲にはそのほかに何も無い。遠目に馬と鹿を混ぜたような生き物が群れで走っていたが、それ以外には生き物もいなかった。おれたちは丘へと向かっていく。
近づいてみれば、丘は想像以上に巨大だった。何より周囲には人工の濠が張り巡らされている。石垣を組んだ濠は涸れており、水は既に流れていない。高さは4メートル、幅は30メートルはゆうにあり、飛び越えることは難しいだろう。
「なんか、見たことない?」
シャオは記憶のなかに引っかかるものがあるらしい。言われてみれば、おれもそうだ。この緩やかな丘状の建造物に、おれは見覚えがある。
「向こう岸に渡れる場所を探そう。橋とか。」
おれとシャオは互いに反対周りに濠の外周を調べていく。半周して合流し、おれ達は互いに見たものを確認した。
「古墳だ。これ。」
魔導書の地図には、見覚えのある前方後円墳が描かれていた。航空写真によって撮影されたものと、よく似ている。これを設計したAIは世界の建造物をモデルにした可能性があるということか?
予想通り、一か所だけ橋があった。ちょうど森とは正反対、おれ達が合流した場所だ。意を決して、石造りの橋を渡っていく。人が三人は通れる幅の、堅牢な造りだ。
「プレイヤーが造ったものじゃないだろうけどさ、これ何なんだろうね。」
対岸には緑の蔦が垂れ下がる墳墓への入り口が口を開けていた。不気味というより、清浄・神聖・荘厳、そんな表現が当てはまる趣だ。
「さて、入っていいものかね。」
おれはおもむろに合掌し、枢をくぐっていく。シャオは一瞬迷ったような様子を見せたが、おれの真似をするように手を合わせた。彼女は日本文化を好んでいる。
「本来であれば──これのモデルになった古墳であれば、だけど。侵入は重罪なんだよな。2000年代から学術調査の申請がたびたびあったけど、許可が下りないままだったはず。不敬の誹りを受けるかもしれんがね、どきどきするよ。」
シャオは珍しく神妙にしている。内部はまっすぐな廊下が続いており、石組の上から漆喰で白く塗り固められているらしかった。不思議なことに、いくら進んでも明るいままだ。何らかの発光体があるわけでもない。
「罠や装置の類は無いか。そうだよな。本来なら、絶えず衛士が護るべき墳墓だ。」
おれ達は真っすぐに廊下を抜けていく。おれは誰に向けてでもない独白を続けた。
「うちの──柳生の古文書に、宮家に仕えた者が遺した記録があってな。いや、何も特別なことは書いてない。ただ侵すべからず、とな。」
廊下を抜けきった先、そこには祭壇があった。石組みの祭壇には、眩く輝く銅鏡が、八方から差し込む日光を一身に集めていた。
おれも、シャオも、その光景に見惚れていた。非現実の中でも一際非現実な──過剰なまでの神性の塊がそこには鎮座していた。
魔導書が光る。
──【ポータルの記憶を得ました。】
──【ストレージⅠを開放。】
──【ポータルストーン≪神鏡の墳墓≫を獲得。】
──【警告】──【間もなく≪神鏡の墳墓≫は崩壊します。】
惚けていたおれ達は、魔導書の最後の警告に我に返った。
「な、なんでだ。おれ何もしてねえぞ!」
折角、素晴らしい遺構に出会えたというのに、この感動が間もなく崩壊する?どうしてそんな無慈悲な!というより、これはもう世界遺産として登録保護するべきでしょうよ!
間もなく強烈な横揺れがおれ達を襲った。膝をつき、おれは未だに銅鏡から目を離せずにいた。だめだ、せめてこの鏡だけでも──衝動的におれは鏡に向けて手を伸ばす。まるで何かに突き動かされるかのように。
「いいから逃げるわよ!」
シャオがおれの首根っこを掴む。おれはシャオの背丈の半分しかない。矮躯は為す術なく引きずられた。シャオに引っ張られながら、おれは見た。銅鏡の背後の石組が崩れ落ち、そこから無数の人骨が波を打って溢れ出るのを。その怨念を鏡が吸い込み、瞬く間に石室が汚されていく様を!
「おれの、おれの鏡!!」
シャオは、半狂乱で叫び続けるおれを米俵のように抱えると、全力で走り出した。それに反応したかのように、骨の渦が螺旋を描いて追撃してくるではないか。外へと続く一本道の廊下──その床、壁、天井を無数の骨片が白蛇の如く這いずり回る。
「正臣、正気に戻りな!!」
おれは外へ向けて思いっきり投げ飛ばされた。石の床に打ち付けられた痛みが、肩から骨の髄に向けて流れて来る。HPの通知が45/60と負傷を告げる。
──【『痛覚遮断Ⅰ』を習得しました。】
無性に惹かれるんだ、なんだこの感覚は。おれの属性に合致するような──属性?おれは今、何か考えたか。何か閃きのような。
──【『直観Ⅰ』を習得しました。】
シャオは倒れていたおれの尻を蹴り上げると、さっさと走れと一喝した。彼女は持っていた角材を投げ飛ばし、追ってくる敵を牽制していた。
すでに廊下は半ばまで崩れ落ちた。骨の蛇はしぶとく追いすがっている。そのとき、おれはふと気づいた。おれの先へと走り出したシャオの頭上──天井の石が抜け落ち、彼女の頭に直撃する。
そう直観した。急に思考がクリアになった。おれは床を蹴るとシャオの背中に向けて全力で突撃する。
──【≪魅了≫への抵抗に成功。】
──【『精神抵抗Ⅰ』を習得しました。】
──【称号『ボディーガード』を獲得しました。】
おれとシャオは団子のようになりながら、勢いよく外へと飛び出た。止まることなく石橋を駆け渡る。シャオは足首を負傷したらしい。今度はおれが肩を貸す番だった。こんなことなら、体格のでかいキャラクターにすればよかった!
鳴りやまない地響きが背後から聞こえてくる。墳墓の枢からは、入る前の神聖さが失われている。だが終わってはいなかった。崩壊とともに吹き出てきた土煙の向こうから、骨の蛇が頭を出して、おれの背中に喰らいつこうとし──。
「技能──『スナップショット』。」
シャオの右手が、鋭い弧を描いてバックフリップで振り抜かれる。その手に握られていたのは崩れ落ちた天井の欠片──発射された石礫は一閃、蛇の頭を撃ち抜いた。陽光に晒された骨片は、蒸気を上げて霧散していく。
聖陵の丘は崩壊し、橋の半ばには、朱く輝く宝石が落ちていた。おれは立ち上がり、それを拾うと、シャオに手渡した。
──【チュートリアル終了。ホームゲートに転送します。】
魔導書が告げる。チュートリアルの終わり。
おれ達はまだDOPEの始まりに至ったに過ぎない。