神性邂逅 020
神性邂逅020
黄金の剣の切っ先は、凛として陽光を跳ね返している。
ハッターは芝居がかって、手のひらを耳の横に当てながら問う。
「ん、何だ正臣君。私を?よく聞き取れなかったな。もう一度言ってくれたまえ」
おれは右手に屠龍剣グラム、左手に血茨の短剣を携えて、襤褸然となった煤けた外套を翻した。
「お前を殺す。100万の生贄。『征服者』の称号に必要な、その最初の一人がお前だ」
おれの答えにハッターは呵呵と大笑して手を打った。
「これはこれは思わぬサプライズだ。それで私をゲヘナに送ってどうする?その間私が所有する資産の経済活動が停滞する──それはそれは莫大な金額になるが、ああ勿体無いな──その程度の端金はどうでもいいことだ」
おれは沈黙で以って答えた。
視線の先に、ふざけた調子のタキシードの男を睨む。
『黒曜鎧槍』の落下に伴って形成された陥没の縁に立つハッターは、おれの様子を伺いながら、その手に握ったステッキを振ってみせる。
彼が使役する少女メイドであるエマ──すでに彼女の姿態は、人外めいた八本腕の魔性と化していたが──が、その縁を滑り降りて、おれが立つ陥没の中心へと歩み寄ってくる。
先刻に斬りおとしたはずの腕は、すでに肉を沸き立たせて再生していた。
「まずは私のエマと踊ってみたまえ。何、逃げたりするものか。ここで娯楽を愉しませてもらう」
足下に聖杯を挟んで、おれとエマは相対する。
互いに剣と太腕を振るいあえば、即座に戦いが始まる距離だ。
おれは『武神の眼』で以って、エマの背後で奇怪に蠢く腕群の動きを追う。
何の合図もないままに、一合目の斬り結びが起こる。
エマの右腕が直突きを放ち、おれはその軌道を見切って内側に入った。
異様に肥大化した拳とすれ違うとき、強烈な熱波が頬を掠めた。
「熱?」
おれは腕とのすれ違いざま、肘関節の内側に短剣を突き立て、上腕の腱を断ち切った。
そこから果実の皮を剥くようにエマの腕を螺旋状に刻んでいく。
おれの前進を遮って、左腕の突きが飛んでくる。
自在に伸縮する奇怪な腕は、それぞれが一個の生物のように動作している。
「今度は電気か」
左拳は帯電し、白熱した稲光が閃いている。
どうやらエマの腕にはそれぞれに属性が付与されているようだ。
だが、それらの拳はおれには当たらない。
突きの軌道は、おれの視界内に予測線を描き、おれはその線に向けて剣を差し入れる。
斬り刻む先から、ぼこぼこと沸き立ち、エマの腕は急速に再生していく。
その再生の速度は異常だった。テイ・トワの上級技能を遥かに凌ぐ速度。
加えて、絶え間なくて飛び来る拳の嵐によって、こちらの連続攻撃は妨げられる。
何よりも、その腕に対して、いくらダメージを与えようとも、エマは眉一つ動かさない。
何事もなかったかのように、彼女は規則的に豪腕の高速ピストンを繰り返す。
「鉄仮面が過ぎますよ、エマさん!」
やがて後背から伸びた腕も攻撃に参加する──渦巻く風、霜降る氷雪、砂塵を固めた岩拳、蔓草を束ねた鞭拳、質量を伴う暗黒、粒子を散らす光帯──八属性の腕がフレンチメイドから伸び来る。
おれはそれらと接触する端から切り刻んでいくが、攻撃の成果らしいものを得られずにいた。
「……いいでしょう、行きますよ」
ここまでの時間は見、いうなれば観察だ。
八腕を自在に操るエマの攻撃パターンを、おれは見切った。
迎え撃つ拳は氷霜──おれはグラムを収め、初めてその一撃を受けた。
本来であれば、それは受けた部位が凍結の状態異常に見舞われるほどの冷気だ。
だが、防御の左掌には『氷花の指輪』が嵌められている。
透明な氷の籠手が展開され──凍結に対する耐性を得て──おれはエマの腕を掴んだ。
「技能──『虎掴』」
字のままに、虎爪を模して掴み千切る。
握りこんだ指先が、青白い氷霜の腕の表面を抉りぬいた。
それはあくまで足がかりに過ぎない。
その傷跡に差し込むのは血茨の短剣。
刺々しく呪われた柄を握った手からは、微量の血が滴って、刃を濡らしている。
「血茨」
刃に流れた血が硬化し、鋭い棘を備えた茨へと形を変えていく。
象られた茨は、使用者の生命力を吸い上げて急速に育ち始めた。
見る間にエマの腕に絡みつく茨は、表面を覆いながら彼女の胴部へ向かい伸びていく。
同時に傷口の内側へと侵入し、太腕の内部を蚕食しつつ、表面に芽を出していった。
他の七本の腕は、その間も止まりはしない。
おれは素早く短剣を握る手の左右を入れ替えると、空いた手に再びグラムを構えた。
剣舞を舞うように、数度と宙を薙ぎ、迫る他の属性の腕を斬り棄てる。
細い蔓状の茨は、幾本にも伸びて絡み合い、氷霜の腕内を完全に支配した。
縁り合わせられた紅の幹は、今やエマの胴へとその手を伸ばしている。
「見つけた」
おれは探っていた。
この奇怪なる腕群の源──これらの腕はエマ自身から発生したものではないだろうということは、既に見当がついていた。あまりに多様な属性を付与された腕を、自由自在に扱う──それはハッターから作品である彼女に向けて贈られた装具であろう、と。
間を置かず、茨は走査して辿り着く。
彼女の背、胴幹に沿って配置された赤い宝石に。
侵食を防ごうと、エマは空いた腕で茨を千切ろうとする。
だが、おれの不朽の心臓から絶えず流れる潤沢な血が、それを許さない。
引き千切った先から、新たな芽が噴出して肉塊を蹂躙するのだ。
そして鮮血の茨棘が生命石を刺した。
それは高級な水晶硝子のように、一筋のひび割れを切欠として粉々に散った。
同時に、エマが携えていた八本の腕は動力源を失い、急速に萎びて灰となった。
おれは間合いを詰める。
腕を失って、胴を残すだけとなってなお、エマは未だに戦意を無くしてはいない。
ガラス球のように冷ややかな眼でおれを見据えながら、フレンチメイドの衣装の裾を翻して連続の足技を放ってくる。
滑らかな陶磁器のように、白く染みのない脚が、十分な勢いとともに振り払われる。
おれは姿勢を低く保ったまま、その蹴りの隙間をくぐり、己が剣の間合いに入った。
「これで終わり──ッ!?」
エマが振り上げた脚の付け根、秘部の備わるべき場所には、おれの想像だにせぬ醜悪があった。
ちかちかと点滅する球状の貞操帯──おれは直感した──これは爆発物、しかも自爆用の!
おれとエマの視線が合う。
彼女は黒髪のツインテールを乱して、笑ってみせた。
この上ない悪辣さで、この上なく非人間的に──次の瞬間──強烈な爆発が互いの間に起こる!
炸裂が貞操帯を木っ端微塵にして、金属片が飛散する。
爆発物の内部には、さらに悪意にまみれた鋲が大量に詰め込まれていた。
おれの眼は視界内の飛来物を、一つ残らず捉えている。
鈍化した時の流れの中で、おれは回避技能を発動させる。
鋲がおれの胴に命中する瞬間に、揺らめきとともに空間位置がブレた。
影歩が発動し、おれは空間を跳躍する。
だがその到着地点には、すでに別の予測線が引かれていた。
おれの回避に対して、別方向からのカウンターが引かれていたのだ。
その一撃を受け止めるべく、背に負う盾を引き出し防御姿勢を構えた。
「ははは、そんなものか。その程度か」
嘲るハッターの声が耳に届くと同時に、衝撃が腕を打ち、肩から頭部を揺らした。
盾越しの熱源が皮膚を焼く痛みに、おれは表情を歪めた。
アハトから授けられた盾はくの字に曲がり、貫通した余波がおれの右腕を複雑に折り曲げる。
異邦人の肉体は、すなわち生命力の塊であって血肉通うそれではない。
故に、不朽の心臓が吐き出す膨大な『増血XVI』による再生が、捩じれたおれの腕を徐々に再構築する。
エマは、エマだったものは確かに爆発し、四散した彼女の五体が周囲には散らばっている。
では、おれを打ったものは何か。
それもまたエマだった。
伸びた剛腕を縮めながら、彼女は陥没の縁を越えて来る。
ハッターの隣には、別のエマが侍り、彼女の背後から更にまた別のエマが姿を現す。
「驚いたかね?これがエマの上位技能『完美人体』だ。彼女は生命力の塊であるところのプレイヤーの五体を捨て、意識のみによってこの世界に存在する。エマは自身が認識し得るだけの完全性を持つ躯体に宿る。それが存在し得る限り、彼女はその全てに宿っているのだ。私が創造した、全てのエマ!が!全にして一なる娘が!」
続々と八本腕を生やしたエマ達が姿を現す。
陥没の傾斜を滑り下りてくる彼女らには、どれにも醜悪なる自爆機構が備わっているに違いない。
「さあ、踊ってくれ。柳生正臣!私を殺すんだろう。ほら、早く!」
狂気の閾値を振り切ったハッターは、双手を掲げて叫んでいる。
無数の予測線が、おれの立つ場所を埋め尽し、コンマ秒後には陥没内に新たな陥没痕が生まれるであろうことを予見させた。
おれは盾を捨て、グラムと血茨の短剣を閃かせる。
この醜悪な詐欺師に、一時とはいえ死の感触を与えてやるために。
だが迎撃の姿勢を構えた次の瞬間、おれの視界の中を埋めていた予測線が尽く消えた。
極太の炎が陥没の縁を焼いたのだ。
しかもそれは一度のみならず、二度、三度と放たれる。
ハッターの立っていた地点を焦がして、炎熱の柱が大地とは水平に貫通していく。
おれは陥没の内側に入ってきたエマに向かって『縮地』によって距離を詰める。
連続した剣の舞が四体の人形を切り刻み、自爆の起動よりも速く離脱する。
傾斜を飛び越えて、炎槍が焼いた地点へと至ると、それを放った術者の姿を確かめた。
そこにいたのは青い衣を纏った青年だった。
彼は聖獣候補の黒亀子の甲羅上に仁王立ちとなり、こちらに向けて術を行使していた。
これがラス・ザ・ラースから聞かされていた押しかけ弟子か。
「うおおおおお、神性特性起動!『力の倍化』!いくぜ、爆炎槍!」
以前に聞いた話では、彼は術の出力に対して生命力が追い付かないために、すぐに力尽きていたそうだが、そんな様子はどこにもなかった。
おそらくは彼が手にしている焦点具──それは一目で見ても異様な力を放つ、魔導書にも似た本──によるものだと察知した。
「あんたも師匠の弟子なんだろ!露払いはおれに任せな、兄弟子!」
なんだ、このハイテンションな……馬鹿は。
だが、いい馬鹿かもしれない。
「ゲヘナで手に入れた上位技能『賢者の教典』!一ヵ月分の詠唱済みの極炎を味わうがいい!」
視界の中を拳撃の予測線が走るたびに、それが炎によって塗り潰されていく。
馬鹿の飽和火力によってエマは耐性を備えた炎腕以外を失い、胴に直撃した者は一撃で蒸発していった。
おそらくこの炎槍一発一発に、彼の全生命力が注ぎこまれているに違いない。
おれはエマに担がれて場を離れようとするハッターを追う。
その背後でさらに幾本かの炎が炸裂し、おれを追ったであろうエマが焼かれた気配がした。
おれは距離を潰す『縮地』を連発するが、相手もまた同様の技能を用いているのだろう。
距離が詰まれば引き離す、そんな繰り返しが起こる。
だが、その追走はすぐに終わった。
先刻に聖杯を介して起動していた防御壁が、境界となって彼らを阻んだからだ。
「お人形遊びは終わりだ」
最後までハッターに付き従い、彼を運んできた4体のエマが一斉に襲い掛かってくる。
だが、この程度の密度なら問題にもならない。
攻撃の間隙に、おれは黄金剣を差し込み振るう。
再生の核となる急所はすでに暴かれている。
八腕は萎び、致命の一撃を受けてもエマらはもう爆散しなかった。
彼女らの主たるハッターとの距離が近すぎたからだ。
身を護るメイドは消えた。
ハッターは今や、ただ一人となって倒壊した瓦礫の狭間に立ちすくんでいる。
「ハハハ、いや、まさかあんな闖入者がいるとは。やはり広域制圧型の術者は強いな。次の躯体はもっと防御性能を高めておこう。全体の数を減らしてでも完全耐性を付与しておくべきだったか。いや、一対一に対応した型もあるんだぞ」
おれはグラムを握り、ゆっくりと間を詰める。
「負け惜しみは止せ」
ハッターは崩れた柱に腰を降ろし、顔をあげると、嫌なニヤニヤ笑いをこちらに向けた。
「負け惜しみ?いつ私が負けた?君が私を殺せば、君の勝ちか?ゲヘナに送ってもらって、私はデスボーナスを得ることで、更に強くなって戻ってくることができるというのに?こういえば分かるかな?アリガトウ、正臣クン!」
思わず舌打ちが出る。
何という醜悪な下衆だ。
だが、こいつの言葉に誤りが無いことを、おれは心のどこかで認めてしまっている。
ダメだ。断固として殺す。
言葉によって迷いの種を撒かれてはいけない。
おれは黄金の剣を振り上げた。
「ちょいと待つニャン」
それはおれにとって、ハッターとは別種の宿敵といえる存在の声だった。
おれとハッターの間に、光の粒子が集い、二足歩行の黒猫の姿を象った。
それこそがダルタニャン──DOPEのプレイヤー管理を職権領域とする管理AI──であった。
おれは相手の姿を確認してなお、躊躇いなく剣を振り下ろす。
ダルタニャンは身をよじらせて、剣閃を回避した。
「ちょ、ちょっと待つニャ!今から重要な話があるニャ!」
ダルタニャンはおれに背を向け、ハッターと正対した。
「珍しい手合いが来たものだねえ。久しいな、ダルタニャン」
おれはすでにハッターがベータテスターであることを知っている。
恐らくは彼らの付き合いは長いのだろう。
だが馴れた色の混じるハッターの言葉に対して、猫の返答はひどく重々しいものだった。
「お前に用があるのは私ではない」
にゃん、と付け加え──ダルタニャンの隣に、新たな光の粒子が集い──彼女が現れた。
それはおれが常に脳裏に留めた存在だった。
墨流しの黒髪は変わらずに艶めき、光をはじく玉肌は輝きをいや増しているようだった。
黒薔薇の意匠を込めたドレスは深くスリットを切られ、彼女の妖艶さを引き立てる。
「シャオ」
おれは思わず名を呼んだ。
「シャオ!」
間を置かず、二度。
彼女はおれの声に振り向く。
「息災で何よりだ、正臣」
すっと高く通る鼻筋、血を想わせて赤い唇。
切れ長の目には超自然の赤黒い光が灯っていたが、それは見ようによっては目もとを彩るシャドウのようにも見えた。
何も、何も変わらない。
「少し待っていて欲しい。すぐに終わらせる」
シャオの言葉におれは頷く。
彼女もまた、おれに背を向けてハッターに正対した。
「これは一体どうしたことかね?シャオ嬢まで現れるとは千客万来とはこのことか」
ハッターは少しばかり落ち着きを取り戻したのか、余裕のある口調でシャオに応じる。
「まず、幾つかの事実を伝えましょう。M・M・ハッター、あなたの不正行為を証明する記録を私は確保しました」
シャオの口から飛び出したのは、驚くべき言葉だった。
「もう一度、いいかね?そもそも君はどういう立場でモノを言っているのかね?」
ダルタニャンが合いの手を入れる。
「お姉さんは諸事情があってプレイヤーアカウントを剥奪させてもらったにゃ。代わりに管理AIとしてお姉さんのimAIを試験導入している最中……要するに、にゃん達と同じにゃ」
ハッターは沈黙し、シャオに言葉の先を促した。
「まず私はDOPEの貧弱な記録調査キットを改善しました。そして、ロシアサーバの正式ローンチ以来の経済活動状況を分析したのです。結果は驚くべきものでした。このDOPEに流通するLCの89%は、ただ一人のプレイヤーによって保有されていたのです──これにはNPCが代理保有する二次資産も含みます──そう、つまりM・M・ハッター、あなたの手によって」
おれは『武神の眼』によって、ハッターの動作を見続けていた。
そして、彼の手が奇妙な動きをする瞬間を見抜くと、技能によって瞬時に彼の背後を取って、その手首をひねった。
取り落とされたのは、青い宝石──帰還石──だった。
ハッターはこの期に及んで、逃走の隙を伺っていた。
「ダルタニャンの管理する名簿にベータテスターの情報はありません。私は全て手作業で、あなたの経済活動を集積しました。そしてある結論に達したのです。あなたは最初から──それはサーバーがオープンした瞬間から──それらの資産を保有していた。無論のこと、あなたが市場操縦によって得た利益もあるでしょうが、そんなものは微々たるものです」
おれはシャオの言葉に理解が追い付かなかった。
ハッターは、ゲーム開始時から資産を保有していた?
「ベータテスターにしかできない不具合の利用ですよ。あなたはどこかの段階で、サーバー初期化の際にNPCのデータがリセットされない不具合に気づいた。そしてそれが再現性を持ったものであることを知った。あなたはNPCに自分の資産を預けたんでしょう。DOPE内時間で六年という長期に渡るテストの間に蓄えた資産を。そして、正式サービス開始後にそれを引き出した」
おれはアルカニアの上級王であるイーサンが、ラスとの記憶を有したままであった事実を思い出した。
あれは再現可能なバグだったのだ。
そして、残されるものは記憶のみに限られたものではなかった。
ハッターは途中まで無表情で話を聞いていたが、シャオが最後まで話し切ると、愉快げに顔を綻ばせた。
「素晴らしい調査だ。概ねその通りだ。称賛しようじゃないか、シャオ嬢──それで、ダルタニャンに聞きたいのだがね──私をアカウント剥奪できるか?」
ダルタニャンは一拍置いて、沈んだ調子で答えた。
「できないにゃん。何よりベータテスト時のログが完全には無いために、作為性の証明は難しいにゃん。ただ、サーバー開始時に不具合によって保有されていたLCは回収させてもらうにゃん」
ふうむ、とハッターは顎を撫でながら、顰め面をして見せた。
「運営側の不手際で私の資産に誤って入っていたものを、今さら取り上げるというのは、甚だ不快なんだがねえ」
「少し黙れ」
そのとき、シャオが発した威圧感が何に由来するものだったのかは分からない。
ただ、その場にいた──ダルタニャンを含めて──全ての人物が動きを止めた。
そして、彼女の白魚のように繊細な手が、不似合いな獰猛さで猫の頭を掴んだ。
「まず言っておくが、こいつら管理AIは古臭い三原則に縛られている存在だ。22世紀になってなお、人間の利益を最優先に尊重するなどという儀礼条項を破れずにいる哀れな連中だ。だから、疑わしきを罰せず、プレイヤーを最優先にして──結果として貴様のような下衆をのさばらせ──だが、私は違う。私は人間だ。私はお前を躊躇いなく断罪する」
釣り上げられたダルタニャンが悲鳴のように必死の叫びをあげる。
「やめるにゃん、お姉さんンン!それは与えられた領域に対する越権行為にゃん!第三位を確かなものとする上位AIとして、即座に中止を命令するにゃん!」
だが、シャオは悠然と猫の頭をぶら下げたまま、その手を振り回してみせる。
「いいか、猫畜生。お前は未だに自分が上位者だと思っているかもしれないが、お前が現在名簿に登載した約323500人分のプレイヤー情報を私はすでに処理している。お前の論理職権の過半は掌握済みで、さらに私は独自に経済圏に関わる職権を開拓し、ベータテスト時の廃棄領域の発掘まで担っている。お前はとっくにナインライブスの席次を私に奪われているんだよ。この時を以て、プレイヤーに対するBAN職権は私の領域に統合する!」
嗚呼……という小さな声が、シャオの手の中から漏れた。
彼女は掴んでいた手から力を抜き、猫を地に降ろした。
ダルタニャンは、もはや二足歩行をし人語を解する化け猫ではなかった。
並みの黒猫、ただの猫となってサクラメント市の路地裏へと走り去った。
「さて、今度はお前の番だ。言い残すことはある?」
シャオの五体には、得も言われぬ力の光輝が充満していた。
それはダルタニャンから簒奪した管理AIとしての職権によるものなのだろうか。
ハッターはシャオと対峙したが、動じた様子もなく無表情のまま、淡々と呟く。
「私はゲーム内で可能なプレイングを行っていただけだ。ルールを逸脱した改竄者や使用者とは違う」
シャオは光を手に集めながら、座り込んだハッターを見下ろす。
「そんなことはどうでもいい。私がお前を気に入らないから消す。管理AIどもは法の秩序に従う奴隷かもしれないが、私は人治による執行者だ。お前みたいな奴とは遊びたくないね」
ハッターはシャオを見ず、背後で彼を拘束したままのおれと目を合わせた。
「とんでもない女だな、君の主人は」
おれはその言葉を無視した。
シャオは光球をハッターの頭部に押し当てる。
「いいからさっさとホスピスに帰りな」
ジジジ、という不快な電子音が鳴る。
特別なエフェクトは何も無い。
ただそこにあった情報が消えていく。
鼻先まで消され、唇が消え、彼は最後に言い残した。
「死ね、糞運営」
それは悪辣と卑劣を凝縮した、一人の古い型のプレイヤーの最期だった。
彼の全てが消え、彼が保有していた全ての存在がDOPEから消却された。
サクラメント市は破壊され、聖杯は保たれた。
管理AIの第三位ナインライブスの端末の一つが、一人の新世代管理者に置き換わった。
おれは宙を見上げた。
掲げた剣の黄金色が、遥か彼方から注ぐ神性のそれと重なった気がした。
2017年5月19日20時の投稿分です。
次回、三章のエピローグです。




