神性邂逅 014
神性邂逅014
「夜襲をかける」
天幕の内には、おれとラス・ザ・ラース、そして士官格の中でも限られた数名のNPCが集められていた。
ラースが魔導書から投射した戦術図には、敵の位置が映し出されている。
「観測技能を持った斥候による情報だ。最新のものを5分おきに提出させている」
狼髄院の軍勢は谷合の隘路を抜けて、平原のさらに北に位置する森林地帯に陣を張った。悪道を行軍してきたために伸びきった兵の線を、一旦この地で纏める腹積もりなのだろう。
「本来であれば」
ラースは嘆息交じりに戦術図の一点を指す。そこは渓谷を迂回し、開けた土地へと流れ出るための急所となる場所だった。
「連中がこの関を通過する前に仕掛けるべきであった。が、時機を逸したことを悔いても仕方あるまい」
ラースの重低な、破れた機械音のような声に、将校らは怯えているようだった。彼らは自分達が叱責を受けていると思ったらしい。
「貴官らを責めるつもりは毛頭ない。が──この程度の出来ではマキナギアの恩寵に浴することは到底叶うまい」
恩寵、という言葉と、それが得られようもないという指摘に、彼らはあからさまに落胆していた。それはヘイグイズ──おれ達を乗せて走り切った神獣(仮)の様子と、対照的でありながら、どこか似通っていた。
「相手は知恵ある獣。そなたら人の子は爪牙を欠きながら、なお愚かでさえあるとすれば淘汰されるのは必定であろう」
ラースは煽っていた。定められたステータスに縛られ、恐ろしく短いサイクルで消費されていくNPCの運命を。自由な思考を許されるだけの、比較的程度の高いAI領域を与えられた士官たちの前には、この過酷な現実(彼らにとっては正に現実だ)から、どのようにして抜け出るかという命題が横たわっている。
それは眼前の獣人の軍勢よりも、巨大にそびえる世界そのものとの戦いだ。
ラースが提示しているのは一つの「あがり」、終着点。与えられたAIの格を向上させ、昇位せよという啓示。
おれはラースの説教を眺めながら、DOPEを設計した人間は性悪な奴に違いないと確信していた。
やがて士官らは、必死の決意を固めて幕を後にしていった。中には感極めて涙をこぼす者まで出る始末だった。感情のエミュレートは安いものだ。
「30分後に出立だが、作戦内容はいいな?」
振り向いたラースの単眼が朱く光る。おれは未だ広げられた戦術図の一点、ラースが急所と指摘した隘路の出口を確認する。
「狂にして善なるラス・ザ・ラースか」
「その通りだ。純なる善の者、柳生正臣」
おれ達は互いの属性を確認し合う。
ラス・ザ・ラースは善に属している。殺戮者たるラースの基本行動原理は、己が信奉するマキナギアへの忠誠を核とする。神の御名において善たるを善とする。
しかしながらその本性では、ラースは教団の秩序を重視しない。ラス・ザ・ラースは一個にして完成された暴力装置だ。
それは正しさも狂いも容れず、ただそこに存在する偏善たるおれと近しいあり方だった。
「この地に遅れたところまで、ラースの思惑通りか?」
おれの言葉に、ラースは単眼を点滅させて喜色を示した。
「とんでもない。我にそのような智謀は到底──天の配剤、あり合わせの軍略に過ぎぬ」
敵を示す橙色の光点は、その全てが隘路を抜けた。森野の一部は既に切り開かれ、対面の我々に向けた陣地が敷かれているという。無数の光点が、その一陣に寄せ集まり蠢いていた。
「斥候から来た情報は、件のプレイヤーについてのものも含んでいた。3人とも第三階梯に留まっているところと、名前を見るに──日本人か」
斥候に預けられた装具には、鑑定技能が付与された望遠鏡があるらしかった。卓上の戦術図には、彼らの詳細な情報が添えられている。
“ゆうた”、”猫姫”、”クラウド”──おれは急激な眩暈に襲われた。前世期から続く古典的な痛ネームだ。
「正式な名前とは限らんがな。タグ付けするか」
そういうと、ラースは彼らの取得している職位に合わせて、仮の名前を付けていった。
“魔術師”、”治癒術師”、”壁”──あまりに直截的過ぎるとは思うが、何も言うまい。おれとラース、そして自軍NPCの間で、”ゆうた”だの”猫姫”だのと言った単語が飛び交うのを思うと頭痛がする。
「さて、時間だ」
「ああ」
おれ達は天幕を出る。夜気が肌を撫で、緩い風が草の匂いを運んでくる。酷く過剰な現実感だ。ハイパーリアリズムの手法は22世紀においても未だ進歩し続けている。
曳かれて来た戦車にラースが乗り込む。従者を務めるのは、相応の技能を習得したNPCだ。
おれはおれに与えられた役割を果たすべく、別に用意された駿馬へと飛び乗った。よく訓練された馬だが、ハヤテと比較して物足りなさを覚える。アルクヘイムの業者に預けてきたが、いずれは迎えに行きたいものだ。
こうして、おれ達は構築された野戦陣地から、800余の全軍を率いて出立したのだった。
§
月が雲に入り、一時の暗闇が平野に落ちた。折りしも南西の風が吹き込み、平野を覆う緑をそよがせる。柔らかに靡く草からは水気が絞られ、触れ合うたびに掠れたような音を立てていた。
北には黒々とした森が広がっている。そのいたるところに、炬火が点々としていた。
もとより、獣人は群であって軍ではない。狼髄院とは分断された部族社会の掟を、相互に確認しあうための会合を意味する言葉に過ぎなかった。それが統一された獣人世界の建設へと動く、その原動力となったのはプレイヤーの介入であった。
ラス・ザ・ラースが虜としているジヴィエフは、その中心人物であり、その不在は狼髄院にとっては過去──部族間での終わりなき牽制の歴史──への退却を余儀なくされることを意味していた。
第二次神性戦争における敗北、それによって彼らから失われたものは領地だけではない。変革の魁、その象徴となる人物を奪われたのである。
やがて草原に流れる、慎ましやかな草の音を塗りつぶして、地の底から湧き上がるような蹄の音が広がり始めた。ラス・ザ・ラースの率いる騎馬団が大地を踏みしだき、森へと迫っていたのである。
それは狼髄院にとっては予想外の進軍であったといえよう。なぜならば、人種の軍勢は堅牢な野戦陣地を敷いてこちらを待ち構えていたからだ。そもそも、その理由は彼らは寡兵であって野戦で打ち合えば結果は明らかであるから、のはずだった。
夜陰に乗じての奇襲を警戒していなかったわけではない。しかし、小勢であればこそ隘路の出口という地勢を求めず、平地に陣取ったのは不可解であった。
アルカニア軍内における指揮者の遅参と──この場合は間に合った、というべきだが──それに伴う戦略の転換を、狼髄院は把握していなかった。
畢竟、狼髄院はアルカニア軍が臆したものと見た。『エウカリスト』での圧倒的大敗、その記憶が彼らを今なお怯えさせていると。
朧な月の光が、平野をゆるやかに染め直した。黒備えの騎馬団は、真っ直ぐに森へと侵入するかに見えたが、その直前で左右に分かれて散った。
しかしながら、ただ一つの巨躯だけは違った。黒曜の騎士が乗り込んだ戦車は、木々の隙間を薙ぐように衝突していった。それこそがラス・ザ・ラースその人であった。
月影さえ忍び入らぬ、獣潜む森へと大将自らに踏み入る。合戦を軍勢のぶつかり合いと見るならば、それは愚挙といわざるを得ない行為であっただろう。しかしながら彼女──あるいは彼──は、一個の軍団と比較しても劣ることない力の持ち主であった。むしろラス・ザ・ラースがこれから行う戦に輩は余分であった。
衝撃は木々を薙いで森を揺らした。それに応じて、獣人の群れが茂みの奥からあふれ出てきた。まばらな咆哮が木霊して葉を揺らす。吠え声をあげながら、狼頭の戦士が跳躍し、ラス・ザ・ラースへと挑みかかった。
ラースの騎乗した戦車は、木の根を踏んで大きく跳ね上がる。狭まった木立の内側を駆走させるだけの技が、その操者には無かったのだろう。傾いだ車体の上、バランスを崩したラースと、槍を握った狼人とがぶつかった。
果たして戦車は横転した。それまで車を曳いて走ってきた馬体を、外れた車輪がしたたかに打った。破損した部品が飛散し、木立の幹へとぶつかって闇の中へ消えた。狼頭人身のそれは両断され、肉塊は左右に弾けた。
血飛沫に濡れ、黒曜の鎧は艶々と光っていた。魁となった戦士を破り捨てたのは、ラス・ザ・ラースが手に握った大鉈だった。骨を砥いで削りだした身は、粗いながらも細かな鋸歯を備えている。
「参られよ、狗頭の衆」
重低なラースの音声が、獣の唸りを沈黙でもって塗りつぶした。同胞の血が描いた軌跡に、獣人らは畏怖したらしい。おもむろに一声吠えた者が勇を奮って飛び掛り、たちまち先ほどの者と同じく二つに裂かれた。
ラースは血の滴る骨鋸を一度、二度と振って血を払うと、悠然と歩を進める。
「匹夫の勇とはまさにこれか」
ラースは振り返ると、戦車の下敷きから脱出した従者に、逃れるように、と手で指図した。獣人の内には、その背を追おうと気色を示したものがいたが、次の瞬間には黒杭で木の幹に縫いとめられ絶命した。
赤く明滅する単眼が、周囲を見渡す。もはや囲む者らと、囲まれる者の立場は逆転した。木立に紛れて包囲する軍勢は次第に厚みを増しているにも関わらず、この黒騎士に挑もうという者はいなかったのである。
しかし間を置かず、木立の幕より歩み出た者らがいた。彼らは皆、青い揃いの外套を身に着けている。
ラースは誰何する間もなくサーチアンカーを後方の女に向けて投射する。過たず頭部を抉るはずであったそれは、突如として出現した半透明の壁に阻まれて消滅した。
「大丈夫か、姫」
「こ、こわかったー」
「問答無用とかマジキチかよ」
ラースは事前に識別済みのプレイヤーネームを視界に捉えた。前方に向けて半球状の壁を展開した人物が”壁”、姫と呼びかけられたロングヘアの女が”治癒術師”、残された一人が”魔術師”と表示されている。
先ほどの防御壁への反応は、おそらく壁役の重装戦士自身の技量ではないとラースは看破した。防御壁の展開に、彼自身が驚いた表情を示していたのがその証左だ。あれは自動防御の技能が反応したのだろう。
「時間を稼いでくれ!クラウド!」
「いいだろう。姫、おれの後ろに」
「わかりました☆」
己の面前で交わされた会話に、ラースは侮辱されたという思いを覚えた。格下の敵──この認識をラースの驕りというわけにはいくまい。事実として彼はあらゆる面で上位者だった──そのような相手が、手の内を露に挑みかかってくる。舐められている。その態度が殺戮者の逆鱗に触れた。
あえて、ラースは手出しをせずに待った。両腕を広く構え、ゆるく大鉈を握った手を掲げる。撃ってみよ、と言外に匂わせた。
”魔術師”は長ったらしい詠唱の文句を唱えている。キャストタイムを代償として魔法の威力を上昇させる詠節を追加しているのだろう。はなはだしく漏出する生命力を、”治癒術師”が補っているのが見えた。
「……精霊よ……内なる炎よ、我が身を糧として燃え盛れ!エクステンドバーストフレイムスピアー!」
たっぷり数秒はかけられたであろう、三詠節に追加詠唱を重ねたその魔法は、極太の炎槍を顕現させた。”魔術師”の額には、大粒の汗が噴出している。間髪をいれず射出されたそれは、森を真昼の如くに照らして走り抜けた。
その先に立ちはだかったラス・ザ・ラースは姿勢を変えることなく、この炎熱の塊を受け入れた。頑健の化身ともいうべき黒曜の鎧を、炎槍はゆるやかに溶かした。しかしながら20万というライフを削りきるには至らず、黒騎士はいまだにその場に立ち続けている。
「次は、我の番だ」
斑に溶けた鎧をきしませながら、ラス・ザ・ラースが一歩を踏み出す。極大の一撃を放った”魔術師”は己の生命力の枯渇と、それだけの代償を払った結果──ラースの防御を乗り越えて数万のダメージを与えたことは賞賛に値するのだが──いまだに倒れることなく立ち続ける敵将に震えていた。
「おれの……全力だぞ…………」
ゆうたの全身から流れ出る生命力は止まることがなかった。それは長すぎる追詠の代償だった。猫姫は漏出を留めようと、回復術を絶えることなく流し続けていた。
クラウドは眼前の魔将の威容に、次の手を打てずにいた。周囲を囲む獣人の軍勢が携えた無数の炬火が、ラースの姿を照らし出す。無傷ではない。無敵ではない。だが、あまりに巨大すぎる。
その圧力に負け、怯えの感情が叫びとなってクラウドの喉から溢れ出た。
「全員だ……全員でかかれ!!」
下知の声とともに、周囲を取り巻いていた獣人達は堰を切ったように打って出た。それは蛮勇ですら無かった。目の前にそびえる脅威を排除せねば、死ぬのは自分たちだという生存本能に基づいた反射だった。
その攻勢は最悪の結果を招いた。ラス・ザ・ラースの肉体が白熱したかと思うと、周囲に強烈な雷撃が走った。クラウドは咄嗟に視界を覆ったが、腕の隙間から覗いた光景は異様だった。
飛びかかる獣人らは凄まじい勢いで炭化し、地面に灰となって崩れ落ちていくのである。彼らの身体だったものからは、赤い宝石がぼとぼとと零れ落ちていく。
「教育してやろう。頑健の高い相手にNPCを交えて戦うのは悪手だ」
ラースは腰を曲げ、地に落ちた生命石を摘み上げると、それを掌中に握り潰した。それまでじわじわと再生の様子を示していた彼の鎧が、急速に回復していく。それは時の巻き戻しを見るかのような光景だった。低位の理力術──キネシス──によって、周囲に落ちていた生命石が浮き上がり、ラースのもとへと集まっていく。
「さあ、まだ始まったばかりだぞ。抗って見せろ、英雄願望ども」
浮き上がった赤珠が破裂し、霧散した。完全な姿を取り戻した黒曜の巨人は、一歩一歩と歩を詰める。
「に、逃げろ! 姫、ゆうた!」
”壁”であるクラウドは、後ろを向いた。ゆうたは未だ歩ける様子ではない。回復を担当している猫姫の手が止まれば、彼のライフは危険域に突入するだろう。
「おれのことはいい、行くんだ。姫」
ゆうたは猫姫に、治癒を強引に中断させようとした。
「だめです! ゆうたを残して逃げるなんて!」
クラウドは二人に駆け寄ると、ゆうたの身体を担ぎ上げた。黒杭が、”壁”の腹を貫通した。容赦の無い連打が”壁”に殺到し、その身体は原型を破壊して地に叩きつけられた。クラウドは光の粒子に分解されて霧散した。
「自動防御は前方にしか発動せんぞ、肉壁」
ラースは嘆息するように呟いた。猫姫は悲鳴をあげながら、さらに恐ろしい事態に気づかされた。明るいのだ。空が夕焼けのように、橙に照らされている。火だ。燃えている。ラースの背後で火が踊っていた。森を前に散らばった騎馬兵は、吹き付ける風に応じて火を放ったのである。
「いくんだ、姫。皆を連れて逃げてくれ!」
猫姫は僅かな逡巡を見せたが、その場を走り去った。周囲を取り巻いていた獣人の軍勢はその後について引いていく。ラースはその背を追うことはしなかった。”魔術師”は虫の息であったが、手に握った焦点具をラースに向けて狙いをつけている。彼は弱々しい声で言った。
「頼みがある……あんたの全力を見せてくれよ」
ほう、とラースは愉快な気持ちになった。それもいいだろう、と思った。初め、ラースはこれらのプレイヤーを殺害してしまうつもりだった。虜にするだけの価値は無いと思われたからだ。だが、このように気概のある者であれば、責め苦にかけるのも一興である。
「殺しはせぬ。だが、その代価として味わえ」
霧の古戦場での戦いから、たっぷり一日は経過している。ラースはこの初心者のリクエストに応えてやることにした。
「神性特性、起動…………」
奇妙なことが起こった。起動しないのだ。リチャージのタイマーはとうに過ぎている。
にもかかわらず、マキナギアの神性特性は応えない。
これまでに経験の無いことだった。
ラースの脳裏に一つの結論が導かれ、そして激昂した。
「糞がっ!」
言うなり握っていた大鉈を振り下ろし、”魔術師”を磨り潰した。ゆうたは、その急変に呆然としたまま霧散した。
それまで抱いていた余裕は吹き飛んだ。
ラースは”治癒術師”が走り去った方向へ向けて全力で走り出す。
やがて森の奥、山道の隘路へとつながる虎口へと至った。すでにその地点での殺戮は終わっていた。
『迷彩Ⅰ』された無数の槍が、乱雑に地面から生えている。
それだけではない。赤い茨の柱が、至る所に屹立していた。
そのどれもに、早贄の如く獣人の死体がぶら下がっている。丁度、その一つに引っかかっていた猫姫のライフが尽き、光の粒子へと還元されていった。
「投降した者は捕縛したぞ」
柳生正臣は、隘路の入り口に伏兵を隠蔽していた。
狼髄院の退路はここしか無い。ラス・ザ・ラースは単騎でも敵を圧倒しただろう。だが敵を逃さずに仕留めるには、いささか機動性に欠ける。
故に、おれの役割は劣勢になった敵を逃さぬこと。喉輪を締め付けるように、この地点を確保するだけの簡単な仕事だ。
作戦は完璧に成功し、おれは預けられた小勢のNPCに掃討を指示していた。
「それどころではない」
ラースは余裕を失っている。
説明もないままに、ラースは帰還石を取り出し、サクラメント聖堂へと転移するようにおれに指示した。
「サクラメントが失陥する」
神性特性の不発、すなわちそれはマキナギアとの接続が断たれたことを意味していた。
つまり、聖杯の祭壇が、何者かの手によって侵されている。
ラス・ザ・ラースは掌中の蒼玉を、断ち割らんほどに強く握りしめ、聖堂への転移を実行した。
2017年5月16日20時の投稿分です。




