神性邂逅 005
ブックマーク・評価ありがとうございます。
DOPE第三章はここから更に加速するので、最後までお付き合いください。
神性邂逅005
見上げる先には、単眼の黒騎士が立っていた。
「何、驚くほどのこともあるまい。現実には中年男性が、ゲーム内では若い女の姿でちやほやされるというのは、お前の国ではよくあることなのだろう?」
仮面に浮かぶ赤い筋が、ラス・ザ・ラースの感情を代弁するように点滅する。どうやら感情的には愉快であるらしい。
「手の込んだ戯れだな。ハッターといい勝負だ。」
おれはハッターの名を持ち出して、それとなくラスの反応を探る。彼らは互いに旧知の間柄であるらしいが、その内実がどういったものかは知れていない。
だが、ラスはハッターという言葉を聞いた途端、仮面の点滅を止めてしまった。
「あの下衆と同じに扱われるのは我慢ならんな、撤回しろ」
赤みを増した単眼が不快感を露わにして、ラスの巨体から圧力が放たれる。
おれはどうやら触れてはいけない部分にまで踏み込んだらしい。
「あれには、幾度か会ったが毎度のように下らぬ手妻を弄されている。不愉快だ」
挑発的な言葉は逆効果だった。黒騎士は、今にもおれの首根っこを掴んで放り投げそうな勢いだ。おれは素直にラスの言葉に従うことにした。
「撤回する、悪かったよ」
謝罪を耳にしてか、ラスから暴威の気配が消え去った。
ラスはマキナギアの聖杯が捧げられた祭壇の下に腰を下ろすと、手招きして隣に座るように示した。
示された位置はどうにも距離が近い。無防備に近付いて良いものか。
「お前を害するつもりはない。ラスが悲しむ」
ラス・ザ・ラースの一人称は奇妙にも己の名だった。まるで年若い女子にありがちな傾向だが、悲しむとはどういうことだろう。まるで他人事のような言い方だ。
おれはラスの招きに従って、彼の隣に腰を下ろした。
「我が秘密をお前に打ち明けたのは、ラスがそう望んだからだ」
我が秘密、それは即ち黒騎士の中身が、純白の少女だということか?
「さっきからの貴方の口ぶりは、どうにも不思議なのだが──」
おれは違和感を問い質す。
「我が名はラス・ザ・ラース。ラスの怒りの具象にして暴力を嫌う彼女の代行者」
代行者?つまりラスとは少女のことであり、ラス・ザ・ラースとは別の人物か。
「貴方方は、別人格ということか?」
「然り」
ラス・ザ・ラースは、自身とラスの関係性について語りだした。
「ラスは幼少時、父にあたる人物から殺人を教唆されていた。よって彼奴を我が殺した。以来、我はラスのための一個の暴力として存在してる」
その表現におれは既視感を抱いた。
それはまるで、シャオとともにある、おれ自身の在り方。
「我らは似ているだろう、柳生の氏族よ。お前を呼んだのはラスではない。我だ」
ラス・ザ・ラースの掌が、おれの背を掴む。黒鉄の冷やかさが、衣服ごしに伝わって来た。だがそこにおれを害する意図は感じられない。無骨な掌には、むしろ親愛の情感さえ感じられる。
「知っているぞ。お前を扱うべき女は、すでに去ったのだろう。主を喪った哀れな剣」
背にまわった掌に、次第に力が込められてくる。おれはようやく、なぜこの場におれが呼びだされたのかを悟ることになった。
ハッターがこぼした『恋文』という言葉の意味も。
「ラスに仕えよ。否とは言わせぬ」
黒騎士の一つ目はおれを見ていない。真っすぐに聖堂の天頂へと向けられている。
確かにシャオはおれのもとを去った。
だが、おれが刃としてあるべき場所は──おれを納めるただ一つの鞘は──すでに定まっている。
「それはできない」
答えは決まっている。おれがこうしてDOPEの中にいる理由はただ一つだからだ。
「そうか」
おれの背にまわった手が解かれた。交渉の決裂は死を意味すると覚悟していたのだが。
「容易く主を変える不忠の士であれば、背骨を抜いて永劫聖堂の壁に磔にしてやったものを」
ラス・ザ・ラースの視線の先、彼が眺めていたの天頂の壁には、干からびた人体が太い黒杭で打ち付けられている。
「殺しはせぬ、ああして終わらぬ責め苦を与えているのだ」
おれの背筋に寒気が走る。あれはプレイヤーなのか?ゲヘナへ堕ちることを許されず、この聖堂に取り込められているのか?
「だが、ラスはお前を気に入っている。今一時で良い。ラスに仕え、来たるべき第三次神性戦争においてマキナギアの使徒として戦え」
そのための力はくれてやる。
黒騎士は言い捨てると腰を上げ、掌を聖堂の屋根に向けて構えた。
「永劫の苦悶を」
磔にされた剥きだしの骨肉が、びちびちと痙攣し始める。それは苦悶の頌歌、聖堂に響きわたる拷問吏が指揮する讃美歌。
人らしい声音はなく、壁に自らの骨を打ち付けて、脊髄の柱は苦痛を訴え続けている。
表情の読めぬ仮面の中、淡々と処理していくラス・ザ・ラースに、おれは恐れを抱いた。
「今日のところは帰してやる。明朝までに支度して、もう一度ここに出頭しろ」
黒騎士はそう言い残し、祭壇の間を後にした。
いつの間にか周囲にひれ伏していたはずの修道士達の姿も消えていた。
聖杯はその内側から赤銅に輝き、おれは独り取り残される。
しばしの間を置いて、影から歩み出てきた一人の修道士が、震えながらおれを帰路へと案内してくれた。
どのようにして辿り着いたかも曖昧なまま、おれは聖堂の正門へと至った。
振り向けば、空は曇天へと変わっていた。
天を貫く三本の尖塔から、ラス・ザ・ラースがおれを見つめているような気がした。
§
曇天の下、おれは宿に戻った。本来なら夕刻の石畳は、橙の陽に照らされているはずだった。しかし、陰鬱な灰の空を支える街並みは薄暗い。
古びた拵えのドアノブを回し、屋敷の中に入ると、出かけたときとは内装の具合が変わっていた。
新たに設置されたカウンターが間仕切りとなって、宿屋のフロントらしい区画を作りだしている。その内側ではNPCの老人が、仕立ての良いグレースーツに身を包んで帳面を繰っていた。
「お帰りなさいませ。オーナーが二階でお待ちです」
おれの姿を認めると、老人は業務の一環であるというような堅い口調で伝えてきた。おそらく彼に許されたAIの度数は、この宿のフロント係の域を出ることはないのだろう。
おれもまた形式だけの礼を返すと、ハッターが待つという二階へと進む。
二階には4室の客室以外に、支配人のための執務室があった。本来ならスイートルームにあたるであろう、最も調度の質が高く広い部屋だ。
おれが執務室の扉を開けると、幅広の机の向こうに背の高い椅子が見えた。
「戻ったかね」
声の主は、椅子の陰に姿を隠したままだ。
「おれを売っただろう」
おれはハッターに問う。それは答えを求めてのことではない。
ラス・ザ・ラースはおれの名を知っていた。それ自体は不自然なことではない。サクラメントを掌握する立場にあれば、そういったことも可能だろう。
柳生という名から、おれの出自が日本にあり、柳生の血脈に属することを指摘されたのも納得できる。
だが奴は、すでにおれとシャオの事情に通じている口ぶりだった。
「お前が、ラス・ザ・ラースにおれとシャオの情報を教えた」
ハッターは立ち上がり、椅子の陰から姿を現した。
「直接ではない。彼は私を嫌っているから。だが、予想外の展開だったろう」
そこには聖堂の入り口からおれを案内した、カソック装束の修道士がいた。
のっぺらとした特徴らしい特徴の無い、改めて正対しなければ記憶から消えていたであろう男の顔があった。
「ふざけるな。おれの目的はシャオの復活だ。見ず知らずの聖女様に供物に差し出されることじゃない」
からからと嗤う男の姿には、ハッターの人相は一片も見いだせない。
だが、独特の粘つくような気味の悪さは間違いなく詐欺師のそれだ。
「いいかね、これが最短だ。君はラスに取り入り力を得る。次の神性戦争に仲間として参戦し、蹂躙の限りを尽くして称号を得る。正臣君、君が言ったのだ!最短で行く、と」
おれは不意打ちや裏切り、決して言葉にするには憚られるであろう策略に手を染めることは腹積もりしていた。していたつもりだった。策を尽くして強大な敵を討つ、そんな神話伝承に語られる勇壮な道を期待していたわけではない。
だが、ハッターがおれに向けて差し出した「悪」のベクトルは、おれの予想とは真逆を行った。
「さあ、柳生正臣よ。彼の聖女を篭絡し、無双の騎士に阿って、神の使徒を偽称したまえ。それが君のために私が敷いた邪道だ。最愛のシャオ嬢のために、可憐な少女の恋心を弄んで来るがいい」
おれはその言葉に沈黙する。噛んだ唇からは、血の味がした。
「おや、どうした。その程度の覚悟だったのかね?それとも最短にして最『善』の道でも用意されていると思っていたか?」
男の顔は溶けていた。金の癖毛に、痩せぎすの頬。丸眼鏡の向こうに狐のような細目が愉悦に歪んでいる。
「いいや、その通りだ」
おれは自らを殺して、言葉を搾る。眼前の男には、その強がりさえも見透かされているだろう。稚拙にして、ささやかな抵抗だ。
「ハハハ、純善のハーフリングとは思えない言葉だな。そんな俗な選択をしていると属性が濁ってくるぞ」
嗤うがいい。お前は狂にして悪たる欺瞞の者に相応しい取引を申し出た。
今は嗤わせておいてやる。
「だが、お前の思い通りにはならない」
ハッターは溶けた己の顔の皮を、指先で弄びながら、行っても良い、とおれに指図した。
「君宛てに10億LC送金しておいた。レベルを上げるのに使いたまえ。次に会うのは神性戦争の会場ということになるかもしれんな。もっとも、疲れたらいつでも帰って来て構わんぞ」
投げつけられた魔導書の紙片には、送金の明細が記されていた。
おれは頭を下げる。この男にとって、おれは所詮玩具に過ぎない。しかし甘んじて受け入れねばならない。
今は金が要る。力が要る。確かにハッターは筋道を敷いてくれた。
「狙う称号は、征服者でいいんだな」
扉を出る直前、おれは念のために確認した。
「一先ずは、それを狙いたまえ」
称号『征服者』──神性戦争において100万人の殺害を達成した者に与えられる称号を得るため、おれは女衒以下の狗に成り下がる覚悟をした。
2017年5月11日22時の投稿分です。




