神性邂逅 004
神性邂逅004
襲撃の翌朝、おれ達は何事もなかったように平和な食卓を囲んでいた。
ハッターが用意していた第二拠点は、放棄した第一拠点に比較して少しばかり小さかった。二階に備えられた部屋数は4室しかなく、テイ・トワは厨房施設が手狭になったことに不満そうだった。
だが内装や調度品の質は、こちらの方が高いように思われた。年代は古いものの、凝った誂えのアンティークと呼ぶにふさわしい洋館である。
「ラスとは手打ちになった」
食卓の大皿にはホットトーストが山盛りになっている。
彩り豊かな野菜に、脂肪のとろけたベーコンが挟まれたBLTサンド。鮪の赤身を香辛料の効いたタルタルソースで和えたツナサンド。小麦の香り立つパンは、どれも狐色の焦げ目が美しく、朝日に照らされて時おり黄金に輝いている。付け合わせのスープは牛蒡のポタージュらしく、食卓のなかで一等手がかけられていることが一口で分かった。
ハッターはナイフとフォークで器用にトーストを切り分けては、口へと運んでいる。淀みない所作は、礼法の技能のためか、彼自身の地金の良さによるものか。
料理をこしらえたテイ・トワ自身はテーブルマナーなど気にかけることなく、手づかみでサンドを口に運び続けている。おれもまた、それに倣って大皿から直接にいただいた。
エマはすでに食事を終えて、主のために食後の紅茶を淹れる準備に取り掛かっていた。
ハッターは食事の手を止めぬままに、おれの方へと灰色の紙束を寄せて寄越した。
それは現実世界には博物館にしか所蔵されておらず、四半世紀前には日常の光景から姿を消した新聞紙だった。とはいえ、おれ自身は何度か実際に目にしたことがある。柳生の隠れ里には貯め込まれた新聞紙を種火の代にする風習があった。
さて、『桜都日報』と題された朝刊は、今朝の日付である。その一面の見出しはこうだ。
「儀礼銃の誤発砲か、市民一名死亡」
記事の内容を追えば、そこには昨日のラス・ザ・ラースの凱旋式典中に起こった「事故」の詳細が書かれていた。しかしながら、それがラス当人による技能行使によって起こったものであるということは伏せられている。
「『桜都日報』は行政府直轄の御用新聞だ。本来なら、そのような記事が掲載されるはずがない。何、簡単なことだとも。朝刊の決定稿に改竄を加えただけだ。輪転機が回りだす直前にね」
サクラメント行政府、ひいてはその首長であるラス・ザ・ラース執政官がことに気づいたのは、朝刊が市街に出回ってからだ。
「ラスは朝刊回収などという愚かな真似はしなかったとも。謹んで私の作った人形を荼毘に付し、市政府名義で葬儀を執り行ってくれたぞ。実際には存在しなかった、でっち上げのNPCだと分かっていながら!」
けらけらと嗤う男は、欺瞞の申し子と呼んで差し支えあるまい。
この詐欺師にかかれば、DOPEに存在する情報という情報は偽装され、無から有が生まれるかのように、あらゆる事象が転び出てくるのだろう。
ひとしきり狂笑したハッターは、エマの供した紅茶の香りを楽しみながら、おれの前に新たな紙片を差しだした。
それは封書だった。黒一色の不吉な装丁に、禍々しい朱蝋の封印が捺されている。差出人の署名さえ無い、特上の気味の悪さである。
「私とラスは知らぬ仲ではない。朝刊にはそれと分かる符牒で、私の仕業であると彼奴に伝えた。するとだな、面白いことに招待状が来たのだよ」
内容はすでに鑑定で確かめた、とハッターは含み笑う。
「正臣君、ラスは君をご指名だぞ。正午に聖堂へと出頭せよ、とのことだ」
おれは口に含んだ厚切りのベーコンを吐き戻しそうになり、慌てて口を覆う。今さらながら、昨日の死の予兆が再び襲い掛かり、おれの背筋に寒気が走った。
「待て、おれは殺されるのか?」
偉丈の黒騎士がおれを召喚するとは、どう考えても報復の意図しかあるまい。
ハッターは笑みを絶やさず、その隣にたたずむ護衛メイドのエマさえも悪辣に微笑んでいた。
「一度ゲヘナで修行なさった方がお早いのでは」
恰幅の良い猫人は、唯一善性を宿しているらしく、気の毒そうに合掌しておれを拝んでいる。
「今夜の膳は三人分で良さそうネ……陰膳の風習は忘れマショ」
もはやおれの死は前提として語られている。
ただハッターだけは違うらしかった。
「恋文だな、これは」
は?という素っ頓狂な声が、おれの口から漏れ出ていた。
§
サクラメント市の中央に位置する、赤銅の尖塔。天頂を貫く三本の槍の如く、あるいは市街を遍く見通す監視塔の如くでもある。それこそが、機械神マキナギアを祀る聖堂である。
不思議なことに、尖塔の足下へと至っても建物自身の影が落ちていない。一際磨き上げられた金属畳は自ら発光しているかのようだ。この聖堂がその身に集めた輝きが、周囲にも零れ落ちているのだろうか。
おれは指定された通り、正午に聖堂の正門を訪れた。そこには礼拝を目的とした参拝者達が列を成している。一様に黒のヴェールを目深にかぶった姿は見るだに陰鬱である。それとも慎ましやかな宗教者の姿とは、このようにあるべきものか。
正門には警邏の兵はいない。代わりに仕立ての良いカソックに、金羅紗のストラを肩にかけた聖職者がおれを待っていた。
「ラス卿がお待ちです。ご案内させていただきます」
慇懃な物言いをする男の顔は特徴に乏しく、のっぺらとしている。男に従って敷地内を奥へと進んでいく。やがて尖塔の生え出ずる根元、扉さえない吹きさらしの回廊の入り口に辿り着く。
カソックの男は口を閉じたまま、ひたすらに先を歩いていった。
一方で、おれは足を止めて回廊の意匠に見惚れていた。
その様式は、一見すれば宗教者が修行道場として住まう岩窟のようである。
しかし、峻厳な佇まいの至る所に優美なフォルムが垣間見える。
柱から天井に至る線はゆるやかな曲線を描いており、涙滴型のアーチが連なる回廊は柔らかな空間を象っている。それらが表現するのは裸婦の母性、あるいは自然の形質に対する讃美か。
いずれの部材にも余すところなく、細やかな装飾が手を尽くして施されていた。微細な調金細工によって形作られるのは、萌え出でる茨と昆虫のモチーフが主となっている。
そして、それらの彫刻を背景に、あるいは額縁として、壁一面に嵌め込まれた極彩色のステンドグラスが架かっていた。硝子モザイクによって表現されているのは、複雑な歯車じみた幾何学模様。それらが噛みあい、漏出した光の筋が階梯を織り刻んで、天へと昇る様が描き出されている。
「これは……サグラダファミリアか?」
眼前にある特徴的な曲線の意匠、独立した尖塔群を有する宗教施設。それらの類似は彼の歴史的宗教施設を想起させるに十分だった。
スペインが産んだ天才建築家、アントニオガウディが設計した聖家族教会は、19世紀の着工から200年後の2050年に完成した。無論、設計者であるガウディの死後の話だ。本来は300年かかるとも言われた工期は建築技術の進歩とともに劇的に短縮されたわけだが。
「よくご存じですね」
おれの呟きに対して、横から声がかかった。
その声は清澄な鈴の音のように、回廊に響き渡る。
目をやれば純白のローブに身を包んだ少女がいた。ハーフリングのおれと同じほどの背丈だ。薄く緑の色味がにじむ髪は肩で切り揃えられ、よく梳かれて清潔感のある印象を与えていた。
ローブに刻まれたドレープの泳ぎ方から、衣服の中の身体は、あまり鍛えられたものではないとすぐにわかった。おそらくはこの聖堂に勤める修道女だろうか。
「模造をご覧になって直観されたのですか?芸術に造詣が深くていらっしゃるのですね」
少女はローブの裾を床に這わせながら、静かに歩み寄ってくる。
「以前に教養科目の講義で目にしただけですよ」
おれは別段に芸術に興味があるわけではない。ただ知識として知っていたに過ぎない。
「まさかとは思いますが、現物をご覧になったことが?」
「とんでもない、電子アーカイブです」
実際にサグラダファミリアを目にしたことがある人間は存命しているかもしれない。だが若い世代の中には、まずいないだろう。
なぜなら2050年に竣工し、それを祝った落成式典の最中に、サグラダファミリアは跡形も無く破壊されたからだ。だから今日において我々が目にする電子アーカイブ上の記録は、落成式において撮影された資料をもとに再現されたものに過ぎない。
この人類史に残るべき文化遺産の破壊に対しては、すぐにゴシックカルトの流れを汲んだテロリスト集団から犯行声明が出された。そして、それを皮切りとして、ヨーロッパ中の近世以来の芸術作品が破壊されるテロ行為が頻発したのだ。
ただ本当に問題となるのはその後の流れだ。欧州全土に飛び火した既存芸術排斥の波は容易には収まらなかった。実際に民衆がそんな馬鹿げた運動を支持していたとは、おれには到底思えないのだが、すでに実質的な統治への影響力を失っていた欧州連合はこの騒動を鎮圧しきれなかったのだ。
事態はここから、さらに混沌の様相を増す。
欧州連合から脱退し幾度目かの栄光ある孤立を掲げていたブリテン王国が、ヨーロッパ本土への上陸作戦を電撃的に行ったのである。
人類の歴史的遺産の保護を名目としてパリに進駐したブリテン軍は、組織腐敗によって弱体化した欧州連合軍をぼろぼろに打ち負かし、ルーブル美術館に所蔵されたあらゆる芸術作品を王国へと持ち帰った。
ことここに至って、ヨーロッパはバイキングの時代にまで遡ったと言ってよい。22世紀の現在、ヨーロッパ本土を集権的にまとめあげる勢力は未だ台頭せず、ブリテン王国による半植民地化と、絶え間ない民族間の紛争が繰り広げられる地獄絵図となっている。
「そういえば、貴方様にはお約束が有るのではございませんか。よろしければご案内しますが」
おれは言われて、先導していた修道士がとっくにいなくなっていたことに気付いた。
「すいません。あまりに見事なものでしたから、つい呆けていたのです」
少女はふふと微笑んで、おれの先を歩き始める。
おれは彼女が曳くローブの裾を踏まぬように、数歩後ろをついて歩いた。
アーチの回廊は長く、緩やかな傾斜とともに上方へと導かれていく。螺旋状に仕組まれた道は三本にそびえていた尖塔の一つを昇っているのだ。
それに伴ってステンドグラスに描かれる内容は、徐々に変化していく。
どうやら下の階層で描かれていたのは、鑑賞するべき順序としては最後にあたるものだったらしい。彩りの乏しい、黒白の濃淡の世界が、回廊のスロープを取り囲んでいた。
闇の中にぽつりと落ちた歯車と、それを抱えて進む純白の巡礼者……やがて歯車と巡礼者は一体となって赤く燃える火の中へと身を投じていく。
「これは受難の具象ですか」
オリジナルのサグラダファミリアもまた、キリストの受難を描いていた。
少女は神学の徒らしい口調で、この聖堂の由緒を説いてくれた。
「かつて、ここより遥か北方にマキナギアは眠っていました。使徒ラス・ザ・ラースはマキナギアを見出し、己が奉じるべき神性としたのです。やがて使徒とマキナギアは神性存在の競い合う戦に身を投じ、勝利を勝ち取りました」
回廊は終端へと辿り着いた。描かれた寓話は彩を増している。
「満たされた聖杯の力を用いて、ラスはこの地に聖堂の礎を築きました」
天井は高く開け、広間には光が満ちている。その中心にあるもの。それは赤い火が燃え上がる祭壇だった。祭壇の最上段には、赤銅色の水盆が捧げられている。盆の内には粘ついた光珠が揺蕩っている。
「ようこそ、柳生正臣様」
前を行く少女が、祭壇へと至り足を止める。彼女は振り向くと、薄緑色の髪をかきあげた。絹糸ほどに繊細な毛束。その隙間から覗いた耳の先は、鋭く尖っていた。
彼女の仕草はそれまでの線の細さには無い大胆な振る舞いに思われた。
広間の両端から、黒いカソック姿の修道士達が、頭を垂れて姿を現し始める。どうやらこれまで気配を殺して潜んでいたらしい。
「おれはラス卿に面会に来たんだがな」
本来の目的を果たす前に討ち取られる、そんな展開だけは避けたいものだ。
おれの言葉に、少女は困惑した表情を浮かべる。
「騙したみたいになってしまいましたね」
白いローブの裾を翻して、彼女は右腕を高く掲げる。
「集え、黒曜鎧槍!」
掲げられた腕から、白い閃光が走る。その形象をおれは知っていた。これは放電現象だ。彼女の腕からは稲光が放たれている。
白雷が広間を走り、尖塔を駆け上る。彼女の言葉は己の使役するモノに対する呼び声だ。招請の詠唱に答えて飛来したのは、白雷を反転させたかのような漆黒だった。
おれの目にはそれが金属製の重装鎧だと見えた。高質量の物体がおれの耳もとを通過して、風切る音とともに少女の腕を貫いた。
それは──それらは腕甲だけではなかった。脚甲から胸当て、甲虫を想起させる堅牢な曲線が少女の身体を覆うたび、細く頼りなかった肉体が膨らみ上がっていく。
やがて飛び来たる漆黒は明確に鎧の外見を取り始め、少女が少女であった面影は一欠片さえ無くなってしまった。
暴威の象徴たる黒騎士が、その姿を露に駆動音を鳴らして立ち上がる。
おれを見下ろす巨躯、その手に握られているのは単眼の仮面。
黒曜石の化身の頭部にはアンバランスな少女の顔面が据えられている。
「驚きましたか」
おれは沈黙のままに首肯する。
彼女は泣き笑いのような表情を見せ、仮面を装着した。
柔らかな空気が掻き消える。
傍に控えていた修道士らは、頭を床に擦りつけて平伏の構えを示していた。
そこに立っているのはもはや先ほどまでの乙女ではない。
「我が名はラス・ザ・ラース。歓迎するぞ、柳生の氏族」
女の中に、殺戮の使徒がいた。
2017年5月11日20時の投稿分です。




