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神性邂逅 003

 神性邂逅003



 聖堂都市サクラメント。

 それは商業孤島アルクヘイムから、東海を越えた対岸に位置する都市国家である。


 サクラメントの都市圏は長大な防壁によって護られている。高さ10メートルは越えようかという石造りの胸壁が延び、都市の周囲を囲っている。

 一方でサクラメントは海岸線に沿っても版図を有している。打ち寄せる波によって削られた岩肌は、絶壁を晒して海からの招かれざる侵入者を拒んでいた。

 円周状の都市圏から、放射状に敷かれた幹線道路沿いには、衛星集落が点在し、王侯貴族による封建支配が確立されている。

 サクラメントは優れた地勢の護りと、安定的な支配体制の確立された都市国家だった。


 胸壁の内側、サクラメント市内へのアクセスには限られた箇所にしかない関門を通過せねばならない。その際には納税と忠誠の誓約を果たした市民であることを示す、通行証が必要だ。


「もちろん持っているとも」


 M・M・ハッターは当然のようにサクラメント市街への通行証を取り出した。

 それは樹脂でコーティングされた鉄板のようで、おれには読み取れない文字が金属板を抉る形で刻まれている。


 彼の丸眼鏡の奥には、特徴的な細目がいやらしく輝いている。

 大仰な仕草で、ハッターはその手もとを隠してみせた。すると不思議なことに、指の隙間から見えていた一枚の通行証が、一瞬その像をブレさせた。陽炎の如く、鉄板の虚像が揺らめくたび、通行証が彼の手の中で二枚、四枚と増えていく。

 いつの間にか、虚像に過ぎなかったはずのそれらは、実体を持って男の手の中で弄ばれていた。


「手妻か?」


 その奇怪な業を見て、おれはハッターに問う。

 おれ、ハッター、彼の護衛メイドであるエマ、そして料理人のテイ・トワの四人分の通行証が瞬く間に現れた。最初から用意していたものを、それらしく器用に取り出して見せただけかもしれない。

 ハッターは答えることなく、胡乱な笑みを浮かべるばかりだ。


 おれ達が乗ったクルーザーは3日の船旅を終えて、サクラメントの港へと入っていく。

 潮流に沿って削られた岸辺は、乱杭歯のような凹凸の表情をそなえている。上方に目を向ければ、高くそびえる岸壁が陽光を遮って、凪ぎの海に影を投げていた。


 切り立った岸壁の所々には、ほの暗い岩窟が口を開けていた。幾つもある洞穴の先を見通すことは叶わない。

 それらの狭間の一つから、灯台めいて光線が投げかけられている。

 その灯りを頼りとして、船は吸い込まれるように侵入していった。天井の高い岩窟へとクルーザーは流れ込み、動力を停止して、潮流の為すがままに奥へと誘われる。


 やがて洞穴を抜けると、少しばかり開けた入り江が現れた。

 波の入らぬ入り江は港として整備されているらしい。

 港は思いのほか広く、幾本もの桟橋が並んでいる。

 その桟橋のたもとには、黒鎧を身にまとった衛兵が忙しく行き交っている。彼らは港湾を訪れる船舶を検査しているNPCだ。


「何を聞かれても答えないようにしたまえ、全て私が対応する」


 ハッターの指図に従って、衛兵らによる船内への臨検を受ける。

 衛兵らは浅黒い肌に、揃いの黒鎧を身に纏っている。手際よく検査を進めていく様子からも訓練を受けていることは見てとれた。


 ハッターが代表として全員分の通行証を提示する。衛兵は提示された通行証を、機械端末のスリットを通して読み込んでいる。


「奉納の照会が取れました。外縁への精勤、ご苦労様です」


 ハッターは鷹揚に頷いて、臨検は滞りなく終わった。エマもテイ・トワも特段に不審を指摘することなく、自然なことと受け止めて船を降りる準備をし始めていた。


「なんだ、今のやり取りは」


 おれは声を抑えてハッターに問う。聞き間違えでなければ衛兵は精勤、と口にしていた。まるでハッターが彼らの仲間であるように。


「私はサクラメントの諜報部に属している」


 通行証を掌中でくるくると弄びながら、ハッターは事もなげに言い放った。


「そういう設定だ」


 彼は言うなり、くしゃり、と手の内の通行証を握り潰してしまった。おれは自分が驚いた表情を浮かべてしまったことを後悔する。握りつぶした手の内には、何事もなかったかのように無事な通行証が存在したからだ。


 そしてハッターは通行証とは別の魔導書グリモアの紙片をおれに向かって滑り寄越した。

 名刺大のそれには、ハッターの基本的な情報ステータスが記載されていた。


【真名】M・M・ハッター

【種族】人間

【階梯】第六階梯(レベル701)

【属性】狂にして悪

【信奉】クリエティオ

【基礎職位】彫刻家、詐欺師、魂術士、複製師

【神性職位】創造の使徒

【上位職位】無貌フェイスレス魂を刻む者(ソウルスカルプチュア)

【称号】アルクヘイムの支配者(カウント外)、ボディーガード


 彼の職位クラスの欄には燦然と輝く『詐欺師』の文字。これほどハッターの振る舞いに相応しい職位もあるまい。

 他の職位も見慣れぬが、『複製師』という職位は何を扱うのか。先ほどの通行証を殖やしてみせた手妻は、この職位によった技能か。

 とはいえ、おれには投げ与えられた情報の真偽を確かめる手段もない。己で詐欺師を名乗る相手に、実を語れと要求するのも不毛だろう。


 おれは黙って紙片を受け止めると、自分の魔導書を呼び出して収納した。


「さっきの臨検も、詐術で閲覧できる情報を改竄したというわけか」


 ハッターは笑って、それ以上語らなかった。


 すでにエマとテイ・トワは船から降ろした荷をワゴン付きの台車に詰め込んで移動し始めていた。

 細身の体つきからは想像できない剛力を発揮するエマが、太った猫人ごと台車に載せて押しているというのが正確なところだ。


「はぐれないようにしたまえよ。私がいなければ君は不法入都で逮捕拘留、その後に厳しい責めを受けることになるだろうから」


 その言葉には、それまでにない一筋の真剣味が感じられた。

 逮捕されるのはわかるが、不法に入場しただけで厳しい責め?

 聖堂都市とは、それほどに厳格にして不寛容なる都市なのであろうか。


 波止場から進めば、静かに打ち寄せる波の音に混じり、金属質の鈍い雑音が鳴り響いてくる。

 それは初めこそ耳障りであったものの、耳慣れれば意識されることはなくなった。

 寸分の狂いなき規則正しさで律動を刻む、その正体は波止場の奥に据えられた機械式のエレベーター群だ。

 巌ほどに巨大なものから、指先ほどの繊細なものまで、無数の歯車が組み合わさり、噛み合いながら動力を伝達する。

 岸壁に奥まった入り江、日の差し入らぬ港から、地上の都へと物資を引き上げる、巨大な機械機構が何台も並べられている。


「サクラメントはワタシの故郷ネ」


 轟轟と唸る、騒々しいエレベーターに揺られながら、テイ・トワが誰ともなしに呟いた。

 猫人の種族のスタート地点は東方であったらしい。


「でも今はスタート地点はもっと遠いトコロになったヨ」


 テイ・トワは肩を落として残念そうに語った。

 詳細を聞こうと思い、話の続きを促そうとしたとき、エレベーターが停止した。

 どうやら地上についたらしい。


「積もる話は私たちの宿についてからにしたまえ、今後の方策もそこで語ろうではないか」


 一歩踏み出せば、金属音が跳ね返って来た。

 跳ね返る陽光に、おれの視界は焼かれた。

 銅板じみた金属によって均された街路は、ぎらぎらと輝いていた。


 そのように舗装された歩道を外れれば、石畳が敷き詰められ、その上を線路が無数に延びている。それらは不規則に交差し、見える範囲にもいくつかの切り替えスイッチが設置されていた。


 港から上がった地点であるここは、駅前のようなものなのだろう。人通りも多く、その種類も雑多で、プレイヤーかNPCかさえ見当がつかない。

 ロータリー然とした線路上を交錯しているのは箱形の電車ではない。小型の風防を備えた車である。それらは軽快な走りで、地面を舐めるように滑っていく。二人乗りから四人乗りまで、多様な車が目の前を横切っていく。


「あれはNPCが運転する路線車ラインカートだ。我々は自前のがある。エマ、用意しろ」


 エレベーターの停留所から幾らもしない地点に、エマは六人は乗れるであろう大きさの車を置いた。おそらくストレージから取り出したのであろう。黒塗りの車体は、一目見て高級であると察せられる。

 だが、車の置かれた地点にはまだ線路が無い。


 おれは半信半疑で天蓋風防のついた車に乗り込む。


「発車いたします」


 全員が乗り込み、荷物の台車を連結させるとエマは無機質に宣言した。

 路線車カートの脚がカラカラと回転すると、鞭のように金属製の触手を地に這わせ、仮設の線路レイルが敷設されていくではないか。

 それらがすでに敷かれている市街の線路と連結すると、エマは運転席のレバーを数度引いて車を発進させた。


「これの動力源はどうなっているんだ」


 がりがりと音をさせて走りだした車は、やがてスムーズに線路上を流れ始めた。滑るように走っていく車内は揺れもなく、思いのほか快適である。


「線路には理力術フォースが付与されている。前進せよ、という命令を車輪から受け取っているのだ」


 アルクヘイムの街並みに比べて背丈の低い、二階建て程度に抑えられた建造物が並んでいる。

 そのどれもが屋根には橙の煉瓦を葺かれて、統一感のある色合いに整えられていた。


「あれが聖堂か?」


 線路は街並みを巡り、外壁の流れに沿って敷かれている。円状に流れ走っていく車中から、建物の屋根越しに一際巨大な三本の尖塔がそびえているのが見えている。


 市街に降り注ぐ陽光を、尖塔は他の何よりも高い位置で受け止めている。それは天頂を貫く槍の如き鋭さで屹立し、胸壁に囲われた都市全体を監視するかのようであった。


 おれの問いに、テイ・トワは不快そうに顔をそむけた。


「そうだ、あれがこのサクラメントを支配する機械神マキナギアを祀る聖堂だ」


 言葉を継いでハッターが答えた。


 やがて車は市の中央に近い街区に止まり、おれ達は降車した。

 そこは波止場周りよりも、いくらか瀟洒な雰囲気を漂わせる区画だった。金属質の舗装も、艶消しをされたように落ち着いた色合いになっている。


「ここが、今日から我々の宿だ」


 おれ達の目の前には二階建ての立派な屋敷がある。無機質な物質で形作られた街並みにあって、この屋敷の扉が質の良さそうな木材であることが、おれの気分を落ち着かせた。

 開かれた扉をくぐると、真昼だというのに薄暗かった。


「誰もいないのか?」


 おれは本来ならホテルのフロントとなるべきカウンターへと近づいて、中の様子を伺う。


「当然だろう」


 ハッターは調度品に動力を通して、灯りを付けて回っていた。エマはすでに荷物を運び入れ、二階の様子を確認しているらしく、テイ・トワも同様に己の領分である調理場を確かめていた。


「何が当然なんだ?」

「言っただろう、我々の宿だ、と」


 おれはハッターの意図を汲みきれず、再度、何を言っているのか、と尋ねた。


「このホテルは、私が購入したのだ。我々の宿というのは、そういう意味だ」


 おれはやはりハッターの言っている意味がよくわからなかった。

 どうやらこの富豪には宿の部屋を借りるという発想が無いらしい。


「金を払って泊まるくらいなら、自分で経営した方が良いではないかね?」


 冗談抜きで言っているらしく、ハッターは真顔でおれに答えている。明日には子飼いのNPCを配置してエマとテイ・トワを中心に営業を始めるというのだから、手際の良さには驚かされる。


 おれは手を振って話を打ち切ると、二階の様子を確かめるために階段を上がっていった。

 どうやら物件自体は新しいらしく、汚れもほとんどなく調度品の類もそのまま置かれている。その品質の良し悪しはおれにはわかりかねたが、それなりに趣味が良く、ほどほどのぜいを感じさせる。


 二階の廊下には左右に分かれて室が備えられている。

 おれは、特段選ぶこともなく、そのうちの一室に入り、薄暗い部屋の窓を大きく開け放った。

 

 道路に面した建物であるために、眼下には洒落た街並みが広がっていた。

 線路の敷設された広い道路に、背丈のそろった商店が並んでいる。

 区画整理が行き届きすぎて、若干面白みのない街並みかもしれないが、機能性を優先した都市計画なのだろう。


 さて、不思議なことだが、先ほどから何ともなく街路に人が増えてきたように思われる。彼らは何をするでもなく、そこにたむろして、何かを待っているかのようであった。


 やがて道路に伸びる線路を、一台の路線車カートがゆっくりとやってきた。

 その車には屋根が無く、吹きさらしのオープンカーだ。運転席さえ無い一人乗りの車は、半球に割れた卵のようでもある。


 その台車に立つ男は、黒染めの儀礼服を纏っていた。肩にかかる糸房が豪奢な様を演出していた。男が、その手に握っていた喇叭ラッパを数度吹き鳴らすと、その背後から勇壮な凱歌が響き渡ってきた。

 

 路線車は一機だけではなかった。

 後続には楽隊を乗せた連結車が百足のように流れてくる。


「ラス・ザ・ラース執政官の御帰還!北伐東征の勇者の御帰還である!」


 先頭の卵車には何らかの音響装具が備えられているのだろう。楽隊の演奏に負けない音声おんじょうで、この車列が何の意図を持つものか喧伝された。


 やがて楽隊に続いて現れたのは路線車ではない。

 四列横隊の騎兵群である。黒地に赤く正円の染め抜かれた御印が、騎兵の背には翻っていた。

 騎馬は引き締まり、質の良い駿馬がそろっていると一目でわかる。それらを駆る騎士もまた、黒塗りの装具に身を包み、各々が勇者たる威風を漂わせていた。

 彼らもまたNPCなのだろうか。港で臨検を行っていた兵らとは、体格からして大きく差がある。騎士甲冑の上からでも、筋骨の隆々たる様が伝わってくるほどだ。


 だが、そのように精強な兵どもでさえ、群衆が待ちわびる者ではなかった。

 四列横隊の馬列が曳く、山車のような戦車が走ってきた。

 その姿に歓声が一際高まり、戦車に向けて花束が幾本も投げ込まれるのが見えた。車列に子女が群がり、男どもが羨望の眼差しを向けるのが、ホテルの室から見て取れる。


 いつの間にかおれの隣にはハッターが現れていた。


「ううん、このタイミングで御帰還とは参ったねえ」

「知っているのか?」


 おれはラス・ザ・ラースなる人物についてハッターに尋ねる。


「最強──このDOPEにおいて、現在の戦闘力だけでいえば──最強のプレイヤーの一人だと言って間違いない」


 重々しい口調は、彼には不似合いな印象だった。それはこの街を訪れてから、何度目かの違和感だ。

 おれは戦車の上に設えられた舞台上に、仁王立ちで構える人物に目を向けた。


 そこには漆黒の塊が立っていた。2メートルを超える長身に、広い肩幅。天稟に恵まれ、健やかに長じたことを証し立てる体躯である。


 しかしそこに肌の色は無い。彼の体躯は黒曜石を思わせる、黒光りした全身鎧によって、頭頂から爪先にいたるまでを包まれているからだ。

 その相貌さえも黒き面頬によって覆われていた。彼の表情を隠す仮面には、単眼の意匠が施され、非人間的な不気味さを湛えている。


 おれは突如として現れた「最強」と称されたプレイヤーに強い興味を覚えた。そんなおれに対して、ハッターは声を抑えて言う。


「あまり顔を出さない方がいい」


 ハッターの忠告はおれの耳には届いていなかった。

 おれはただ、このラスと呼ばれた黒騎士の風貌に目を奪われていた。


 規格外に強い。一瞥してすぐにおれには理解できた。ハッターをして最強と呼びならわすだけのことはある。

 屋敷の窓は開け放たれている。おれはラスの乗る戦車を注視した。眼下を通過するラスの姿。剣を腰に佩き、微動だにせぬ姿勢には隙と呼べるものがない。


「正臣君」


 戦車は今まさに、ホテルの前を通過していった。おれの視線は彼の黒騎士に張り付いたままだ。心中に武を試したいという野卑な思いが、一瞬よぎった。

 それは殺意というにはあまりに弱い。ただ挑戦してみたいと思う悪戯心のようなものだった。


 だが視線の先にあった黒兜はその稚気を見逃すことなく反応した。ラスの頭部がぐるりと反転する。非人間──否、非生物と言ってよい。180度の角度を瞬時に入れ替えて、首が廻った。

 回転した頭部には、単眼の仮面。その意匠が朱く明滅する。それは明確な敵意であり、己に害意を向けた対象を殲滅せんとする報復の色を示していた。


 おれはすでに、自分が興味を示した対象が、特別に危険な人物であると悟っていた。おれは殺気など放っていない。ただ「観察」していたに過ぎないはずだ。にも関わらず、おれの視界の内で、ラスの単眼が殺意に輝いている。


(まずい)


 瞬時に、おれは死を思った。おれの技能『直観Ⅰ』が、己の対応しきれぬ規模の一撃を予期したためだ。それは不可視の一撃である。それは超高速で飛来する。それはおれの頭部を貫通し、即死させる。

 ラスの仮面に、呪術的意匠を思わせる朱い線が浮き上がる。すでに一撃は放たれた後だ。おれの視界は暗転し、何物かが眼前の空を裂いた感覚だけが残った。


 だが、おれは死亡せず、ゲヘナへと転落することはなかった。

 おれの視界を遮っていたのはハッターの掌だった。窓はいつの間にか閉められ、室の内には昼の光が漏れいるばかりで薄暗い。


 室の暗さに慣れるまで、少しばかりの時が要った。おれはハッターの掌を見た。そこには黒い杭のようなものが突き刺さっている。太い杭は彼の掌を食い破って大穴を開けていた。それは手首から先が、未だ千切れ落ちていないのが不思議なほどの痛手だった。


「サーチアンカーだ。攻勢鑑定に対する位置情報を偽装することには成功した。すぐにこの屋敷を出なければ」


 ハッターは何事も無かったかのように言い捨てると、自らの手首から先を引きちぎり、その場に捨てた。

 おれは異様に呆然としていた。何らかの攻撃が飛来し、ハッターがおれをかばったのだということは理解できた。だが、この先に何が起こるのか。


「私は被害者役の人形を造る仕事がある。エマはすでに事情を把握して動いている。彼女について脱出したまえ。すぐに憲兵が送り込まれてくるぞ」


 ハッターは捨てた手首を粘土の如く捏ね始めた。彼の手首には、新たな掌がいつの間にかついている。捏ねられた肉は見る間に量を増し、人型の何かを象り始めていた。


 未だおれは呆然と彼の作業を眺めていた。それほどにも迅速に襲撃とは始まるものか。おれは武に入る者にあるまじき、平和惚けをしているのか。


 だが、おれが逡巡する時間など与えられなかった。

 ハッターの指摘した通り、憲兵らしき誰何すいかの声が窓の外から聞こえてきた。すぐに扉が蹴り破られ、幾つもの靴音が階段を駆け上がってくる。彼らの装甲が擦れ合う音が響いている。

 そして、おれとハッターのいる部屋の扉が開いた。


 だが、やってきたのはエマだった。彼女は無言でおれに近づくと、戸惑うおれの腹を殴りつけた。目にも止まらぬ鮮やかな一撃は、おれの鳩尾を正確に撃ち抜いた。


「マスター、隣家に侵入されました。誘導には成功しています。ミニオンがこちらに到着するまで120秒はあるかと」


 エマの剛力によって食らわされた一撃に、おれは体を()の字に曲げた。彼女は容赦なくおれを肩に担ぐと、己の主に向けて従者らしい一礼とともに部屋を辞した。すでにおれは荷物と同じだ。彼女は廊下を走りだすと、突き当たりの窓に向かっておれを投げ捨てた。

 二階から裏路地に向けて落下する。落ちた先は思いのほか柔らかかった。テイ・トワの太った腹の上に、おれは受け止められたらしい。


「走れますか。それとも投げましょうか」


 エマはおれを投げ捨てた窓から跳躍し、路地の石畳に軽やかな着地を決めた。彼女の剣呑な問いにおれは走る意思を見せる。結構、とエマは言い捨ててテイ・トワの載った台車ごと片手で持ち上げた。


「あなたが乗ってくださった方が速いかもしれませんが」

「ワタシは楽させてもらうネ」


 猫人は慣れた様子で少女メイドの上でくつろいでいる。

 走り出したエマは、おれの全力疾走よりも遥かに速く、何よりも静かだった。時折、担ぎ上げた台車を、ラグビーのフォワードパスのように投げては受け止める離れ業を見せている。


 彼女の動きは、今のおれには決して真似できない。石畳の路地を高速で機動しながらも、物音一つ立てない高い隠密性を保っている。

 それはハッターやテイ・トワのような生産・商業に向けて成長したプレイヤーには無いものだった。身体性能に能力を割り振った、戦闘系プレイヤーの実力の一端をおれは目の当たりにしていた。


 喧騒は背後に留まり、おれ達を追ってくることは無かった。都市区画を1ブロック離れて、エマはある屋敷の前で足を止める。扉の鍵を検めると、彼女は慎重に家内へと入って行った。


「問題ありません。バックアップは機能しました」


 おれとテイ・トワから、少し離れた位置で彼女がそう呟くのが聞こえた。おそらくそれはハッターへの報告だったのだろう。

 バックアップ。つまりハッターは最初から、このサクラメントに複数の物件を所有していたということか。このような襲撃を予見して。


「マスターは無事偽装に成功し、こちらに向かっているそうです」


 エマが事態の進捗を、おれたちにも教えてくれる。その内容におれはひとまず安堵した。だが、エマの視線は厳しいままだ。


「弱い上に不注意とは」


 おれは彼女に反論する言葉を持たなかった。


「面目無い」


 力ない謝罪が、おれの口から零れ落ちた。シャオとは方向性の違う辛辣さだ。


「まあ、そういじめるものでないよ。相手はあのラス・ザ・ラースだ」


 いつの間にか、ハッターは室の内側にいた。壁際の影に溶け込むように、彼は立っていた。扉が開けられた気配を、おれが察知することはできなかった。


「とはいえ、これでここが、どういう場所か分かってもらえたかな?」


 否応ないハッターの言葉に、おれは頷いた。

 新たな街、聖堂都市サクラメントには魔性が蠢いている。


2017年5月10日22時の投稿分です。

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