冒険にでれば09
アルクヘイム最高級中華飯店「天龍房」五階、VIPルームともいうべき「天龍の間」には、おれが見知った顔がいくつもあった。
普段から行きつけにしていたカフェ「アムール・ド・ラメール」のオーナーであるエミリーさん、おれに『食肉大全』を売ってくれた料理人であり、この「天龍房」の総料理長であるテイ・トワ。その他の面々も、アルクヘイムの一等地に店を構える大店の商人達。
この顔ぶれを見るだけでも、茶会派がアルクヘイムの経済を牛耳る存在であることがはっきりと分かる。
だが、おれはその中に一人だけ、一度も見たことの無い男がいることに気付く。その男こそ、派閥の領袖であるM・M・ハッターその人だった。
円卓を挟んで視線をかわす、カダベルとハッターは、先ほどから無言である。やがてハッターは手を振って、自らの護衛である少女メイド、エマを下がらせた。
おれは未だ警戒を解かず、いつでもダイナマイトに着火できる体制を崩さない。
「全く剣呑なことだよ。君、無粋なモノは仕舞ってくれるかね。私は君のことも知っているのだ──柳生正臣君」
ハッターは椅子に腰かけたまま、丸眼鏡を外すと、タキシードに挿していたポケットチーフを抜いてその表面を拭き始めた。
「もちろんそちらの美しい方も存じ上げているとも、シャオ・ルゥさん」
シャオは自らの名を呼ばれると、嫌らしい物でも見たように顔をしかめる。ハッターは、嫌われたものだな、と苦笑しながら、カダベルに向き直った。
「商談と言ったか、カダベル。なに、君が持ち込むであろうカードは想像がつく。だがこれは私と君の商談であって、他のメンバーは帰しても構うまいね?」
カダベルは首を振って否を示した。
「ダメだ、皆には証人になってもらう──この部屋のなかでは記録、録音、通信の類が妨害されることは知っている。誓書を書いてもらうこともできないからな。それに、彼らが出たあとで応援を呼ばれでもしたらたまらない」
ハッターは分かり切った答えであるというように、芝居めいて顔をしかめた。おれはハッターの背後で、今もダイナマイトを突き付けている。にも関わらず、ハッターはすでにおれに対して注意を払っていないかのように振る舞っていた。
カダベルは証人といったが、何もそれだけではない。
未だかつて茶会派の集会が襲撃されたことはなかった。それは会場が中核都市内の安全地帯であって、攻撃することが実質的には不可能だと考えられていたからだ。
だが、もしもそれに成功したら?その手段が街全体──茶会派に関わりの無い人々まで巻き込む無差別攻撃の色彩を帯びたものだったとしても──その影響は計り知れない。
30人、たった30人の商人がアルクヘイムのメインストリートの貸店を独占的に支配している。茶会派に属さない者には、賃貸契約のチャンスすら無いのだ。それほどに彼らの存在感と影響力は大きい。
もしもその30人が、たった一日──いや、一時間でもいい。全員が一斉にゲヘナに堕ちたとしたら?彼らがゲヘナにいる間、雇用するNPCは一時的に稼働を止める。
昼夜を問わず、喧騒に溢れるアルクヘイム1chが静止する。それはDOPEをプレイする者にとって劇的な出来事に違いない。表立って活動を表明はせず、隠然と存在を噂されてきたシンジケートが、目に見える形で暴き出されるのだ。しかも、彼らの敗北を象徴するゲヘナ堕ちの知らせとともに。
ハッターもその意味はわかっているはずだ──で、あるにも関わらずこの男には、そんなことなどどうでもいいというような余裕が漂っている。
「いいだろう、カダベル。さあ、君のカードを切って見せろ。この商談は君が始めたのだから先手は君にくれてやろうじゃないか」
カダベルは深く息をつくと、意を決したように切り出した。
「まずゲンジ君たちへの賠償と、君がポータルで飛ばした騎士団員の送還だ」
ハッターは何の躊躇もなく答える。
「いいとも。すぐに手配しよう」
先ほどまで仲間の行き先など知らないとしらを切っていた男は、事もなげに言い捨てた。ゲンジはその展開に、怒りを通り越して呆れたような顔つきだ。
「今後、ゲンジ君たちに不利益を与えるな」
カダベルの二言目に、ハッターは一拍置いた。
「不利益の意味合いにもよるが、おそらく合意できる。アルクヘイムにおける彼らの活動に対して便宜を図るが、彼らの意思に反した行動を強要したりはしない。これでいいかね?」
今度はカダベルが一拍置いて頷く。
「君の便宜、という言葉は怪しいものだが──まあいいだろう。害することなかれ。さて、ここからが本題だ」
ハッターもまた、椅子から身を乗り出して頷く。
「ああ、前座のお嬢ちゃんはどうやら必要なかったようだ。ハハハ、最初から君に頼めば良かったとは。お二人をお連れしてくれて、どうもありがとう──我が友よ!」
カダベルはその呼びかけに心底嫌そうな表情をのぞかせ、すぐに平静を取り戻した。
「お前の本当の目的は、正臣とシャオの二人なのだろう。だから──二人の共通の友人であるゲンジ君を茶会派に引き込もうとした。今後の布石、いやはっきり言ってやる。人質にしようとしたのだろう」
ゲンジはこの会場に訪れる前から、この真相について聞かされていた。ゲンジと仲間たちが狙われたのは、彼ら自身のためではない。おれとシャオの二人が持つ──あるモノのためだ。
「その口ぶりだと、お二人はすでに君から細部まで聞かされているのかね?私が改めてご説明を差し上げる必要はなさそうだな?」
カダベルは頷く。そこにシャオが口を開いた。
「だが、私は協力しないぞ。実際に会ってわかったことがある。お前の顔が気にくわない」
ハッターは己の額を手のひらで打って、苦笑する。
「なら、こーんな顔なら良かったかね?」
それは先ほどカダベルが、老人コーエンに化けたときのような現象だった。彼の顔面の肉は飴細工のように融け、ハッターが指先でいじるたびに顔相が入れ替わっていく。癖のある髪の毛は滑らかに、痩せた頬はふっくらとして、目は憂いの色合いを秘めて怪しく光る。
それは「アムール・ド・ラメール」の店主であるエミリーの顔だった。
「ハハハ、あの薬品は私の技能を見て思いついたんだったな。カダベルよ。実に懐かしいじゃないか。君とこうしてまた話せて私は大満足だ。ああ、うん。冗談だ。協力してもらえないのは──実に残念だが──君はどうかね?」
ハッターはエミリーの顔相を崩し、捩じれた顔面のままでおれを振り返る。そして、更にその上から一撫ですれば、完璧な美とはかくやという顔が現れる。よりにもよって、ハッターはシャオの顔を真似ておれに向き合った。
「私のために働いてくれないかしら?」
その声は完璧にシャオそのものだった。その向こうでは、本物のシャオが激しく怒り狂い、口汚くハッターを罵る声が聞こえてくる。もちろん、おれの答えは決まっていた。
「勘違いするな──貴様のためじゃない。だが、答えは」
柳生正臣は、静かに首を縦に振る。シャオ・ルゥはそれを信じられないモノを見てしまったと、固まった。
「うん、そうだろうな」
ハッターは満足げに頷いた。
「だが、これで終わりじゃないだろう?カダベル。これなら私の筋書き通りだ」
カダベルもまた頷いた。
「お前が欲しいのは『世界共通市場』のシステム追加だろう。だが、それは許容できない。そんなものはDOPEの世界を過剰に加速させ、終焉へと導くだけだ。この世界を縮ませて、お前の手のひらに収まるサイズになどさせはしない」
ハッターはその言葉に上機嫌だ。
「いいとも。そんなことは些細なことだ。どんな世界を描くかは、これから私とお前と正臣君の三人で決めていけばいい。茶会派は本日をもって解散だ。エマ、火をつけて差し上げろ」
ハッターの命令と同時に、動きを止めていたメイドが超高速でおれの手からダイナマイトを奪い取った。そして指先から光線を発射し、導火線に着火した。
「正臣!何を勝手なことをしている!お前──お前が正臣に何か吹き込んだか!」
シャオは狂乱のまま、カダベルの襟首を締め上げて殴りつけていた。だが安全地域であるアルクヘイムの内部では、攻撃に判定は発生しない。カダベルはつらそうに眉をしかめて言う。
「正臣君の決めたことだ。彼は──純粋なる善。君のためなら、あらゆる行いを為すだろう」
エマの手から放たれたダイナマイトが円卓の中央へ向かって飛んで行く。茶会の参加者は悲鳴をあげて席を立ちあがり、部屋の隅へと向けて走り出した。
ダイナマイト自体に攻撃の判定は無い。ただ閃光が視界を白く染めるだけだ。カダベルもまたシャオの打撃を意に介さず、ストレージの内部に仕舞っていたダイナマイトをありったけ卓に向けて放り込んだ。
閃光、轟音、衝撃──耳鳴りは演出程度に緩和され、本来なら頭を揺らすはずの爆発も来ない。可愛らしいクラッカーのようなものだ。だがそれが引き起こした事態は深刻だった。爆発と同時に、エマが抜き出した極太の金棒が卓を打ちぬいたのだ。爆発によって生じた床材の破片が、まるで手りゅう弾の内部から飛び出た金属片のように、逃げ惑う人々に突き刺さった。
事前に成り行きを知っていた者達は霊体化薬を再び飲み、この惨事を回避した。床が抜け、部屋の扉が吹き飛んで、建屋の窓を破裂させた。降り注ぐガラス片が市場通りを歩く人々の頭上に降り注ぐ。
事前に仕掛けられていた火薬は振動を検知して着火される。5階から下階に向けて順番に、窓から熱風と火の舌が吹き出てくる。
おれは霊体化した状態で、シャオと向き合っていた。
「なぜだ、正臣。私が拒否すれば、お前も拒否してくれるものだとばかり思いこんでいたが。お前は私の──私の──」
薄く透けた霊体を、火の暴風が吹き抜けていく。シャオの嗚咽が響き渡る。
「シャオ──おれ、ログアウトしたんだ。三日前に」
その言葉に、シャオは我に返ったように顔をあげた。繰り返される爆発と、降り注ぐ巨大な天井、柱。そのなかで浮遊するおれとシャオの姿は、まさしく幽鬼のようだっただろう。
「そうか。知ってしまったのか。なら、爺どもにも逢ったな?」
シャオの頬には、赤い血涙の筋が流れている。
「ああ。おれが──」
一際巨大な爆発が起こり、おれの言葉は掻き消えた。シャオは納得したように、おれの幽体にしがみつく。おれ達は互いにしか聞き取れない会話のなかで、初めて口づけをした。
§
第六階梯。
DOPEのレベルデザインは、階梯によって階層化されている。
第一階梯、第二階梯は、基礎的な職位の取得によってプレイスタイルの方向性を定める。
第三階梯は別名で神性階梯とも呼ばれ、DOPEにおける御柱、神々に関わる職位を定める。
第四階梯、第五階梯は上位職位と呼ばれるプレイヤー個々に特化した職位が用意される。
そして第六階梯。現在30万人超のプレイヤーが存在するDOPE内において、第五階梯をカンストしたレベル700のプレイヤーは1.2%──約3600人。それに対して第六階梯に至ったプレイヤーはわずか300人しかいなかった。
第六階梯に至ったプレイヤーへの恩典は二つ。
一つは特異職位の取得──プレイヤーは8つ目の職位として己の名を冠した職位を得ることができる。
そして二つ目はレベル上限の撤廃──プレイヤーは己のレベルをどこまでも上昇させることができるようになる。
問題はその方法だった。
第一階梯から第五階梯まではLCの支払いと、階梯毎の試練のクリアーが条件だった。極端に言えばカネさえ支払って、ヘルプを得ることができればカンストするのだ。
だが、第六階梯からはゲームの性質が一変する。レベルアップにはアチーブメントの達成が必要となる。
踏破距離、上級ダンジョンの攻略、アイテムの収集など、様々な困難な試練を一つ乗り越えるごとに【称号】が与えられる。このアチーブメント一つにつき、レベルが1上昇する。
そして──DOPEの世界で最もレベルの高いプレイヤーは704レベル。最高レベルのプレイヤーですら、【称号】を四つ有しているに過ぎない。それほどにアチーブメントの達成は困難な条件を課されるのだ。
【称号】『恐るべき初心者』は、その中でも取得の困難なものだった。ダルタニャンが立ちはだかる裏・チュートリアルを攻略し、この称号を得た者は現在までに33名。
30名の団体でプレイする一団、孤高のソロプレイヤー、そして──正臣とシャオ。
こと正臣に至っては、【称号】『ボディーガード』を取得済みであり、すでに二つの称号を持っていた。第二階梯にあって、そのようなプレイヤーは他に存在しない。
DOPEにおいて──705レベルに到達したものは未だ一人もいない。そしてハッターはそのとき何が起こるかを知っていた。
特異職位。己の名を冠した職位において、手に入る技能とは、任意のシステムの追加──自身のインフォモーフAIが管理AIとなって運営するコンテンツの追加こそが705レベルに待ち受けているものだった。
12月25日21時より、エピローグ「冒険の先へ」が投稿されます。本日は二本投稿です。




