冒険にでれば06
カダベル・ルーデレ──彼がこの世界に降り立ったのは、DOPE onlineがグローバルサーバー化を開始した時期だった。
当初、ロシア国内での先行サービスが二週間実施され、その後にDOPEはヨーロッパ、アメリカへと提供範囲を広げた。
その三か月後、日本でのサービスインが開始されることになり、DOPEは今もなお、外縁へと急速に膨張し続けている。
そして、彼の物語はまだ、DOPEの世界が今よりもずっと狭かった頃の話だ。
カダベルは錬金術師だった。広大な世界を散策し、見たこともない植生を探し求め、生命の理を探求する。それは職位としての選択によるだけのものではなかった。彼がDOPEに求めていた楽しみが、錬金術師としての生き方と見事に合致していたのだ。
当時のDOPEはまだどのプレイヤーも手探りで、システムの情報を知人同士で共有しては一喜一憂していた。
そしてアルクヘイムのメインストリートに店を構える、そんなプレイヤーがちらほらと出始めていた。
カダベルはそんなトッププレイヤーの内の一人だった。
彼はいち早く、DOPEでは消耗品が非常に重要で、その柔軟性の高さとコストパフォーマンスの良さに気づいていた。
職位に頼ることなく、様々な技能と同様の効果を得ることができるアイテム群。それを生産することのできる錬金術師。
カダベルはアルクヘイムの一等地に店を構え、高級な機材を買いそろえ、新たな素材が発見されるたびに、そこから有益なアイテムを精製した。
そうやって彼が順調にプレイをしていたある日──ふと、彼は気づいた。
彼の店先にいつもいたNPCが、それまでと違うNPCに変わっていたことに。その異変を、彼は気のせいだと切り捨てた。そのNPCの商人は初心者向けの装備品を売っていて、新たなNPCに変わっても、品ぞろえも価格も変化無かったからだ。
一か月後、カダベルは異変が気のせいではなかったことを知った。
カダベルには、お気に入りの女性NPCがいて、昼食をいつもそのカフェで食べていた。カダベルには、いつも挨拶してくれる少年NPCがいて、彼から新聞記事を買っていた。カダベルには店の貸主である老婆NPCがいて、家賃の支払いに行くと気難しく小言を聞かされた。
皆、入れ替わった。
何か特別なことがあったわけではない。だが、ある日突然違う人物に変わったのだ。NPCの機能は何も変化せず、その外見が変わっただけだった。ただ、それだけだった。
そして、その男が現れた。
「いいお店だ。流石はアルクヘイム一番の錬金術師だ」
若い男だった。癖っ毛の上に、軽い髪質なのか、男の金髪は波打って跳ねている。小さな丸眼鏡の向こうには、そばかすと狐のような目があった。男はシルクハットにタキシードという、場違いなほどの正装だった。
カダベルは男に用件を尋ねた。何をお探しですか、と。男は簡潔に答えた。
「カネだよ、カネ。カネの成る木を作って欲しいのさ。できるだろう──錬金術師なのだから」
男の笑みは狂気に満ちていた。カダベルは冗談だろうと受け流したが、男は店の外を指さして笑みを深める。
「見ていたまえ」
男が指を弾くと、外にいたNPC商人が消えた。また弾くと、向かいのカフェでサンドウィッチを売っていた女中が消えた。そして三度目に指を弾けば、消えたはずのNPCが再び現れたのだ。
「私は作ったぞ?錬金術師様──では君はどうかね」
カダベルには何が起こったのか全くわからなかった。だが、カダベルの感じていた異変を引き起こしたのが、目の前の男であるということは、はっきりしていた。
彼の名はM・M・ハッター──茶会派と呼ばれるシンジケートを作り上げた怪物だった。
§
おれはカダベルの昔語りを聞いて、問いかける。
「その、アルクヘイム内で技能によってNPCを害することはできませんよね?」
中核都市の中ではPKフラグがOFFになっている。それはプレイヤーであれ、NPCであれ、敵対的な技能の対象にすることはできないことを意味していた。
では、どうやってハッターという人物は、NPCを消して見せたのだろう。
「タネを明かせば簡単なことだ。ハッターはNPCを自分の所有物にしたのだ。彼はアルクヘイム内のNPCの設置位置を自由に設定することができる」
カダベルの説明に、おれは更に意味がわからなくなった。
「困惑するのも無理はない。僕自身、今でも信じられない。だがアルクヘイムの商業に関わるNPCは現在では全てハッターの所有物だ」
シャオは考え込みながら、一つの仮説をぶつける。
「NPCと契約を交わした?」
その答えに対して、カダベルは満足そうな笑みを浮かべる。
「あなたは聡い。だが、事態はもっと悪かった。ハッターは既存のNPCを全て破産させた上で、自分が飼っているNPCにその事業権利を引き渡させたのだ」
DOPEのNPCは、その全てが本物の人間のような振る舞いが行えるわけではない。ゲームへの関与の度合いによって、割かれるリソースに差があり、AIの等級が異なるのだ。
ダルタニャンや、アハトのような高度な柔軟性を持った管理AIが最上とすれば、末端の名前も与えられていない作業に従事するNPCは、本当に単純な労働の繰り返しにしか耐えない。
アルクヘイムに設置されていたNPCは、その意味では比較的高度な部類に属していた。
「彼らを騙すのは極めて難しい。単純な詐欺取引や贋金では騙し切れない──はずだった。だが、ハッターは彼らのアルゴリズムを分析し、攻略した。NPC商人達がどのように経済活動に関与しているのかを明らかにし、どういった思考で取引の意思決定を行うのかを完璧に暴き上げたのだ。そして取引仲介所において、特定の商品に多量の注文と取り消しを繰り返すことで、NPC商人達が相場に対して誤認を引き起こすことを見抜いた」
あとは全てが加速度的に進んでいった。ハッターはNPC商人達の財布から、莫大なLCを吐きださせ、それを元手にさらに新たな分野のNPC達を破産に追い込み──なにより既に金融関係の投資家役のNPCがハッターの手に落ちていたために、彼は破産者にとって最大の債権者となっていた。
「古典的な見せ玉の手法ね。100年以上前からあるやり方じゃない──そんなのに引っかかるアルゴリズムが悪い」
シャオはカダベルの説明を一蹴した。
「そうだな、確かにそうかもしれん。だが結果としてアルクヘイムのNPCは全て、たった一人のプレイヤーが支配している。彼らの財布に入ったLCは、全てハッターのものになる」
そして彼が中心となり、アルクヘイムの経済を支配する派閥を茶会派と呼ぶのだそうだ。アルクヘイムのメインストリートで店を構えようと思えば、茶会派に属する必要がある。なぜならテナントの地権者である貸主がハッターの息のかかったNPCなのだから。
「おそらくだが、そのゲンジ君といったか?彼らの騎士団はアルクヘイムの慣習を破った。茶会派からの接触を無視したのかもしれない。結果として監視の対象とされ、団員であった二名が制裁を受けているというわけだ」
おれは話を戻す。聞かなければならない。
「カダベルさん、あなたは?それで、あなたは──茶会派なのではありませんか」
一瞬の沈黙の後、カダベルは重い口を開く。
「過去にはそうだった。だが、僕はすでにハッターとは袂を分けた。結果としてアルクヘイムの店は失ったがね。今はそれで良かったと思っている」
カダベルは手元のティーカップを震える手で持ち上げた。薬湯を飲み干すと、カダベルは寂し気に微笑んだ。そしてアドバイスだ、と断って結論を告げた。
「茶会派は敵に回すべきではない。彼らは商人だ。利を提示すれば、それによって動く。もし良ければ、騎士団の方々にも伝えてくれ。アルクヘイムで活動するなら、挨拶に行くべきだと」
その口調は厳しかった。他に選択肢は無いと、言外に言い含める調子だった。
§
アルクヘイムの市場通り──様々な珍味、食材が並ぶこの町の胃袋というべき場所だ。その市場通りに店を構える高級中華飯店「天龍房」。
五階建ての高層建築は、外観こそ雑居ビルのようなたたずまいだが、その内装は大理石に朱の漆塗り、金箔を惜しむことなく用いた豪奢な造りである。
その最上階。屋号を冠した「天龍の間」──そこもまた単なる宴会会場ではない。何重にも防諜機能が施された機密会議に最適の場所である。
広間の中央には非常に巨大な円卓が置かれている。まるで現実の国際会議で用いられるような。そして、そこに備えられた椅子は31脚──その椅子に腰かける者達もまた31人。その中には「天龍房」のオーナーシェフであるテイ・トワ、そしてカフェ「アムール・ド・ラメール」の女主人エミリーの姿も見える。
円卓には、明確な序列は無い。だが、その場にいる者達が、自分たちの盟主と仰ぐ人物はただ一人。
癖のかかった金髪に、金縁の丸眼鏡。男は頭に乗せていたシルクハットを、くるくると弄ぶとストレージの内に消してみせる。
茶会派の首魁──Mad・Mad・ハッターは供された茶器から立ち昇る、芳しいジャスミンの香りを楽しむと、にこやかに宣言する。
「さて、いつもながら儲け話でもしようじゃないか──このお茶によく合いそうなのを選んでくれたまえよ。ああそうだ、そうだった。今日は、お客様をお招きしているのだった」
ハッターが演技がかった口調で、円卓の末席を指さした。楽しんでいってくれたまえよ──ハッターが声をかけた先には、禿髪の幼女。
ゲンジの姿があった。




