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金髪碧眼の新鋭四段

更新頻度は遅め。

将棋要素は決して多くなく、むしろ学園ラブコメに比重を置いた作品です。

それでもOKという方は、本編にお進みください。

 その夜、一人のシンデレラボーイのニュースがインターネットの海を駆け巡った。

 見出しは様々。『金髪碧眼の天才棋士誕生!』『渡会名人以来、史上五人目の中学生プロ!』『鬼才の弟子は天才ポーランド人棋士だった!』などなど。これらは全て一人の少年について書かれたものである。

 プロを目指すものはまず新鋭棋士奨励会――通称奨励会に入会する。その後、例会と呼ばれる対局日が設定され、そこで規定以上の成績を収めると昇級、昇段していく。そして四段以上のものが晴れてプロ棋士となる。

 東京都渋谷区千駄ヶ谷には百人を超える報道陣が詰めかけた。二十年ほど前の天生七冠誕生以来となる大ニュースに日本将棋連盟は色めき立つ。

 渦中の人である少年はまだ十五歳。七冠誕生の時、生まれてすらいない。

 最初は対応に困り、籠城戦を決め込んでいた将棋連盟だったが、夜十時を過ぎてもマスコミに引き下がる気配がないと見るや否や、金髪のカツラを被ったスケープゴートを立てている間に、裏口から軽自動車に乗り込ませて少年を脱出させた。

 車のドアが閉まったところで、全員がホッと一息。

 運転手役である彼の兄弟子は呆れたかのように呟いた。


「……しかしスゲー数のマスコミだな。明日っから有名人だぜ、シモン?」


 冗談めかした言葉ながらも、おそらくそれは現実になるだろう。渦中の天才は苦笑を浮かべた。


「他人事じゃないですよ、江尻さん! プロ棋士になったからって、俺まだ高校生にもなってないんですからね」

「アッハッハ。目立ってるうちが華ってもんよ。升永先生もきっと大喜びだろうぜ」


 対照的に大笑いの兄弟子、江尻は少年に断りもなくタバコに火をつけた。

 ライターの灯りで僅かに室内が照らし出された。

 運転席に座るのは刈り込まれた短髪に切れ長の目、不恰好な無精ひげが特徴的な、野武士のような男だった。

 江尻鷹人。職業はプロの将棋棋士。年齢は三十八。段位は九段。風貌に違わぬ切れ味鋭い将棋を指すことから、『居合流』、または『侍』の異名で知られている。

 一方、後部座席に座る少年は、すらっと伸びた手足を姿を隠すように屈めていた。細長く白い指で困ったように整った顔を掻く。

 少年はシモン・スピルマン。生粋のポーランド人であり、史上初の外国籍でのプロの将棋棋士になった男。そして史上五人目となる中学生でプロとなった、紛うことなき天才棋士である。

 そんな彼も騒ぎを抜け出した直後とあって、疲弊した様子である。更に言えばプロになれるかどうかの大勝負を終えた直後でもある。疲れを見せて当然だった。


「喜びすぎて、たぶん夜通しで宴会ですよ? そうなったら江尻さんも帰れないですね」


 将棋界においてシモンや江尻の師匠である、升永永世棋叡の豪傑さを知らぬ者などいない。

 こと、升永の酒と女のエピソードはキリがないほど存在する。それこそひとつひとつの真偽を確かめようものなら一日くらい易々と潰れてしまうであろう。いかに非生産的かを升永の弟子たちは熟知している。

 もっと言えば、常識という物差しで升永を量れないことも弟子たちはよくわかっていた。

 なんなら今夜、シモンの昇段を祝う宴会が行われようなものなら、升永は中学生であるシモンのために女体盛りくらい用意してもおかしくない。それ程までに狂った感性の持ち主が、彼らの師匠である升永雄三という大棋士だった。


「そういやそうだな……。なんなら今晩うちに泊まっていくか?」


 小学生の時から将棋を指すために来日して以来、シモンは師匠である升永の内弟子として、住み込みで修業に明け暮れてきた。

 豪快を絵に描いたような升永の家だ。帰りたくない日など、思い返せばいくらでもあるし、今もどちらかといえば帰らない方が賢い選択かもしれない。

 江尻の申し出は正直なところ、シモンにとっては有難いものだった。


「うーん、それも候補手ですね。江尻さんのゴミ屋敷でも今は楽園かもしれません」

「男の部屋ってのはどいつもこいつもあんなもんだっつうの。お前のオタク部屋よかマシだろ」

「俺のコレクションが江尻さんの生活ゴミと同等に扱われるのは心外です」


 若手俳優のように引き締まった異邦人の顔に怒りの色が浮かぶ。

 自室に陳列されたアニメのフィギュアやポスター、漫画といったコレクションは、故郷を離れ、単身で日本に来た彼の寂しさを埋めてくれた掛け替えのないものばかりだ。

 思い返せば将棋のルールを覚えたのも漫画がきっかけだった。

 そんな宝物のコレクションを、独り身の江尻が食い散らかしたコンビニ弁当の残骸たちと同等に扱われれば、苛立ちを覚えるのは自然の摂理である。


「ハッ。お前も言うようになったな。ポーランドからこっちに来た時は、こんにちはもまともに言えなかったのによ」

「悪い先輩たちに色々教えられましたからね」


 ミラー越しに江尻の顔を見つめるシモン。


「あ、そこ左でお願いします」


 弟弟子の指示通りにハンドルを切る。

 ひとつひとつの意図がわからない江尻でもない。しかし百戦錬磨の居合流だ。盤上盤外問わず、駆け引きに明け暮れたトップ棋士は何事もなかったかのように軽口を叩く。


「俺はタクシーの運ちゃんじゃねえぞ。てか、マジで帰んのか?」

「困った時は女将さんがなんとかしてくれますんで」

「あー、それが正解だわ」

「伊達に師匠の弟子はやってませんから」

「ああ。違えねえ」


 それっきり二人の会話が途切れた。

 タバコの煙を逃がすために、僅かに開いた窓の隙間から三月の冷たい夜風が車内に吹き込んだ。

 普通なら寒いだけのそれすらもシモンにとっては心地が良かった。なにせ朝から晩まで脳味噌が溶けそうなほど熟考を重ねて将棋を指し、終わった後にはマスコミに追い回されたのだから仕方がない。

 疲れて眠ってしまえれば楽なのに、妙に冴えてしまって微睡みに落ち着くことさえままならない。

 言葉にできない浮遊感の中で、どれだけの時間が流れたのだろうか。ふと江尻の車が住宅地で停まった。


「着いたぜ」


 都内でも有数の高級住宅地の一角。古民家が並ぶ一帯において、一際目を引く土塀と門には、升永の表札が下げられている。由緒正しい寺社を彷彿させる構えの豪邸が升永永世棋叡の自宅である。

 後部座席から車外に出ながらシモンは、


「江尻さんはどうしますか?」

「俺は帰るよ。どうせ先に宴会しちまってるだろうし、今日は車だからな。まあ、先生にはよろしく言っといてくれ」

「わかりました。江尻さんは慌てて逃げていったと伝えておきます」

「おいおい……」


 江尻が悪態をついたところで、閑静な住宅街に翁の叫びが木霊する。


「オーイ! 帰ったのか、シモン!?」


 しゃがれた男の声は間違いなく升永のものである。

 既に現役を退き、御年七十になる升永だが、未だに老け込んでおらず、耳も健在らしい。さすがは抜群の洞察力で幾多の名勝負を繰り広げていた往年の名棋士、升永雄三といったところか。

 しかし深夜であることを無視した、近所迷惑な声量。相変わらずの奔放さに、二人そろって苦笑した。


「ハハハ……。それじゃ俺は慌てて逃げていくかな」

「それが最善ですね……」

「おう。それじゃあな」

「はい、おやすみなさい」


 車に備え付けられたデジタル時計を見れば、もうすぐ日付が変わる頃合いだ。

 疲れて蕩けた眼差しでシモンは江尻を見送る。

 日本将棋連盟四段、シモン・スピルマン。四月から高校生になる少年の特別な一日はこうして終わりを告げた。

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