人間嫌い少女と妖精嫌い領主
ケルティストーア地方では近年、妖精にまつわる問題や事件が頻繁に起きていた。だが古来から妖精と人の諍いは絶えず、日常茶飯事といっても過言ではない、この地域。言わば妖精は人と近しい存在であった。そのためすぐに事態は収拾され るだろうと思われていたが、予想に反して民の声は日を追うごとに大きくなっていくばかり。 流石にこのままではいけない、とケルティストーア地方の各国政府は重い腰を上げた。調査を行って判明したのは、人口が増えるのに比例して妖精の数も増えていっていることであった。どうやら、人間世界と妖精世界を繋ぐ『道』が徐々に拡がっているというのだ。原因はいまだ分かっていない。
焦りを覚えた各国の代表者たちは一同集って、会議を開いて今後について意見を出し合ったが、事は重大であるため議論は平行線を辿り、一朝一夕では終わらない。妖精に造詣が深い者たちからの助言を受け、どうにか終わりを迎えた議論の結果。妖精世界に帰ることが可能な妖精には帰還してもらい、訳あって妖精の世界には帰れず、人間の世界に留まることしかできない妖精たちにはケルティストーア地方で一番巨大な『道』を囲むようにして特区である『妖精領』を設けることとなった。妖精と人間は『約束』を取り交わし、領内では全ての妖精の自由は保障され快適に暮らすことができるよう可能な限り取り計らわれる。これで、問題は解決するかと言うとそうではない。住み分けを行ったまでは良かったものの、実のところ“妖精”という自分たちとは異なる存在を完全に扱いあぐねていた。
流れる雲のように自然に身を任せる存在である妖精に政を任せてもいいのだろうか。
そもそも人間と同質に扱っていいのだろうか。
各国の代表者たちは考えに考え抜いた末、自国内で妖精について詳しい知識を持っている者たちに『妖精領』の領主を数年ごとに交代して務めさせることにしたのだった。
「はあ、なんで俺が……」
それでも一応、無難な選択だったとは言え、実質丸投げである。今代領主であるギルバート・フォーサイスは鬱々とした気分で溜息を吐いた後、テーブルに置かれたカップに入ったいれたての紅茶を口にする。現在、彼は領主が住まう屋敷ではなく、少しばかりの休憩として街のベーカリーの敷地内にあるテラスで一息ついている最中であった。ギルバートの夜のような黒い髪はきっちりと整えられてはいるが、翠と金の左右色彩が異なる双眸には少なくはない疲れを見せていた。元々、ギルバートの家系は騎士の家系であり、経営や勘定と言ったものはあまり得意とは言えない。だが、頼みの綱となる文官たちのほとんどは自分の領地維持に必要不可欠であるため、残しておいてきた。よって、『妖精領』に連れてきたのは数名ばかりの身近な家臣たちだけであるが、だからと言って人手が足りないわけではない。国から補助の人員を借りていたりするのだが、何よりその国からの半ば強制力を伴う正式な頼みごとであるため、例え嫌でも苦手であってもギルバート自身が仕事をこなさなければならないのが現在の状況なのだ。
いまだに完全には終わっていない仕事の引き継ぎや自分が着任した後に発生した新たな問題や課題など……考えるだけで億劫になる。
「知りませんよ。あなたが妖精について深い見識があると判断されたからでしょう? 妖精が嫌いなのに。自業自得です」
ギルバートの発した愚痴混じりの言葉に対し、にべもなく返すしたのは妖精の少女シャルロッテだ。種族はローレライであり、ギルバートが着任するひと月ほど前、つまり前任の領主が治めていた頃から、『妖精領』で暮らしていた。その姿は人とまったく変わらないが、腰まで届きそうな向日葵色の髪が太陽に照らされてきらめき、澄んだ清流のような水色の瞳と思わず息を飲むような美貌は、一目で人では有り得ないと分かるほどの存在感である。そんなシャルロッテは現在、領内にある唯一のベーカリーであるここ、『フェアリー・フェアリー』で接客や雑用をこなす、お手伝いとして働いている。
「嫌いな相手を知っておくのは当然のことだ。相手を理解せずに嫌うのは逃げていると同じことだよ。俺はそんな愚かな真似をするつもりはない。嫌うなら相手を理解してから嫌ってやる。何より、弱みを握れるからな」
「あなた、性格最悪ですね」
「これでも人としては良い方だよ」
思わず、と言うように肩を竦めるギルバート。
それに対してシャルロッテは眉を顰める。
「私、人間の中でも男と言う生き物が大嫌いなんです」
「ほう、これは奇遇だ。俺も妖精の中で悪い妖精は大嫌いだね」
バチバチと二人の視線に火花が散る。
「その割には屋敷に訪ねてきた妖精には笑顔で応対なさったそうじゃないですか。メローのララリスさんとデュラハンのエンフィルさんが絶賛しているのを聞いて思わず二人の正気を疑いましたよ」
「仕事なのだから愛想よくするのは当然だろう。公私混同はしない主義なんでね。それを言うのなら、今どうして君は嫌いな人間と話をしている?」
「もちろん仕事ですので、お客さま」
二人はいっそ清々しいまでの作り物の笑顔を浮かべ、向かい合っていた。邪険な空気が流れる。
二人の言葉の応酬はもうしばらく続くかと思われたが、しかし、
「ねぇ~、シャルロッテちゃんぅ~」
間延びしたというか、変にしなを作ったというか、かなり独特のイントネーションを持つ声が二人の間を割って入るかのように、飛んできた。そしてその後すぐに店の中から顔を出したのは一体のドワーフである。小柄だが、その身体付きは華奢とは程遠く、身体を動かすたびに逞しく隆起する筋肉から性別は男性だと判断できるのだが、しかし、しかしだ。驚くべきことにその彼は先ほど野太くまるで地響きに似たその身の毛もよだつような声で女言葉を使っていた。そしてあろうことかドワーフ特有の褐色の肌を覆い隠すほどの純白の化粧を顔全体に施しているのだ。だが、化粧は顔だけであって、他の部位には施していない。顔面だけ真っ白。それが、このベーカリー『フェアリー・フェアリー』の店主ロジャーズである。
ロジャーズの姿を見た途端、シャルロッテはまるで石になったかのように固まった。ゆっくりとした動作でロジャーズの方へと顔を向けるが、その動きはどこかぎこちない。ギギギと聞こえないはずの音が聞こえてきそうなほどだった。
「あ、あの……ろ、ロジャーズさん。こ、これは──」
「──頼んだ仕事はぁ~?」
必死に言葉を喉から絞りだそうとしていたシャルロッテにロジャーズは一言そういった。その表情は途轍もなくにこやかだが、何故だか物凄く恐い。いや、恐い理由は既に分かっている。
「さっき頼んだ仕事よぉ~、死ぃ 、期ぉ 、屠ぅ。働き者のブラウニーちゃんにはぁご飯をあげたのぉ~?」
「え、えっと……」
「――おしおきぃ、しちゃう?」
「すみませんっ、今すぐいってきます!!」
瞬間、シャルロッテは駆け出した。自らの使命を全うするために。迫る恐怖から逃れるために。
「部屋の隅に御飯を置くのよぉ~。あからさまなのバレバレな感じで置いちゃったらぁ、ブラウニーちゃん怒っちゃうからねぇ~」
店内に消えていくその背中に、そう声をかけるロジャーズ。シャルロッテがその場を去った後、ギルバートへと向き直る。
「領主様もあんまりぃ、ちょっかいかけちゃダメダメよぉ~」
「……そうですね申し訳ありません、店主殿」
頭を下げるギルバート。そしてその言葉に玉子のような顔で頷くロジャーズ。
余談だが、ロジャーズに向かって「その顔につけてる化粧って何ですか?」と訊いた者がいたらしい。
勇気と無謀は別物だと言うことをその者はよく理解していなかったのだ。だが予想に反して、ロジャーズは快く答えたと言う。「うぅん、これぇ? 小麦粉よぉ~」と。本人曰く、ケーキ然りパン然り。作られる側の気持ちになって考えてみると、自然と美味しいものが出来上がるのだそうだ。それを聞いた誰もが、「作られる側って物の方? 人じゃなくて?」と思った。ギルバートも思った。
そんなことを考えていると、
「それじゃぁ、領主としての仕事頑張って下さいねぇ。山のよぉうに沢山あるんでしょう~?」
──その瞬間、ギルバートは現実に引き戻された。
♢
後日。
「私、あなたのような人間、嫌いです」
「俺も君のような妖精は嫌いだね」
いつものように顔を合わせるたび、お互い売り言葉に買い言葉。そしてしばしの間、お互い顔を見合わせて睨みを利かせていたが、前の時のように騒いでいるところをロジャーズに見咎められては堪らない。それに労力と時間の浪費だ。そう判断し、一時中断する。
「……なぜあなたは、ほぼ毎日ここに通っているんですか? 妖精が嫌いなら屋敷に籠っていればいいじゃないですか。それと、お菓子は人間の貴族の女性が好むものだと聞きましたけど」
「屋敷の中ばかりでは息が詰まるし、糖分は身体の疲れをとってくれるから重宝している。それにここには客として来ているし、何か問題はあるか?」
確かにそうであるので素気ない口調で、いえ別に、とシャルロッテは答える。
ギルバートが、この店に常連になってからもう三週間が過ぎた。
貴族としての嗜みか、意外と品のある所作で紅茶を口に運び、彼にとっておそらく至福のひと時であるアフタヌーンティーを優雅に過ごしている。
約三週間前、新しい領主がやってくると聞いたとき、領内で暮らす妖精たちは不安で一杯だった。前任の領主が仕事に忙殺され、屋敷に籠ったまま安否不明になったことが幾度となくあったためだ。
今度の領主は大丈夫なのか、と。
そんな中、シャルロッテが『妖精領』で暮らすようになって早一か月。親しくなった妖精のために弱気にならずに元気を出して欲しい、と歌を歌った。ローレライの歌声は聴いた者の魂を迷わせ、破滅へと誘うと言われるが、別に声に魔力を込めなければ良いだけの話であるため、シャルロッテは魔力を込めずに、代わりに心を込めてひとり歌った。すると、そこに偶然通りかかったのが、着任したばかりのギルバートであった。
初対面であるシャルロッテにギルバートは尊大な態度でこう言った。
『おい、そこの妖精。ご近所に迷惑だぞ、自粛しろ』、と。
現在こうしてくつろいでいる領主の姿を見れて、妖精たちの心配は杞憂で終わっている。おそらく任された仕事の大半が毎日、綱渡りの繰り返しなのだろうが、街に繰り出して顔を見せてくれればそれで満足だと妖精たちは思っていた。
そしてシャルロッテとギルバートの二人の最悪な印象の出会いから始まり、今に至る現在では、必ずと言っていいほど毎日顔を合わせる日々が続いている。
出会った当初を考えるとまさかこんな頻度で関わり合いになるとは全く思ってなかった、とシャルロッテはしみじみ思う。
「あ、これ、良ければどうぞ。ロジャーズさんが作った新作の菓子パンです」
「相変わらず、凝った造詣だな。流石ドワーフの店主だ。絶対、装飾品や銀細工を作った方が儲かると思うんだが……」
「本当、器用ですよね。ロジャーズさん、固い物より柔らかい物の方が性に合っているとか言ってましたけど、これだけ凄いのなら別に固い物でも出来ると思うんですよね」
「今度聞いてみてくれないか……?」
「無理です」
シャルロッテは人間のことが本当に嫌いだ。この『妖精領』内で暮らす人は少ないけれど、それでも街角でばったり遭ってしまったら、思わず敵意をむき出しにしてしまう。領内で妖精は人間に危害を加えることを『約束』で禁じられている。もし禁じられていなかったら、どうなっていたかわからないほどに、シャルロッテは人間が大嫌いだ。
だけど、どうしてだろうか。
不思議なことに初めは彼に覚えていたはずの敵意が日が経つにつれ、どんどんと薄まっていった。
今では人間に対して抱くはずの敵意が彼に対してだけまったく抱くことはない。
代わりにこの胸に抱くは敵意とはかけ離れた異なる感情。
あんなにも口なんて一度も利きたくないと思っていた自分がいたのに、今では彼と言葉を交わすことを心地良く感じている別の自分がいる。
何だろう、この感じ。
何だろう、この気持ち。
生まれて初めて。
分からない、解からない。
そう言えば彼も自分が人間を嫌うのと同じように妖精が嫌いだと言う。
それなのに、彼は自分と時間を共に過ごすことが多い。
──もしかして彼も私と同じ気持ちを感じているのかな?
「おい、どうかしたか?」
「いえ、何でもないです。今晩の夕飯は何にしようか悩んでいただけですよ」
……別に今はこの気持ちを理解出来なくていい。
きっといつかこの感情が何なのか知ることが出来る日がやってくるだろう。
その時が来るのを待てばいい。
「そうか。ならいいが、食いすぎて太るなよ。豚になるぞ」
「なりませんよ! 失礼な!」
今はこの生活が楽しい。
それだけでいい。
シャルロッテは思う。
「店主の茶菓子は美味だったが紅茶の味は微妙だったな。一体誰がいれたのやら。──ともあれまた来る」
「一昨日なら来て下さっても構いませんよ──では」
もし願ってもいいのなら、この幸せな日々がずっとこのまま続けばいいのにな──と。
「またのお越しをお待ちしております」
──『妖精領』の一日は今日も平和に過ぎてゆく。