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ep08 「きゅうすじゃないよ、ティーポットだよ」

いま考えてみると、この女Aとの遭遇が、きっかけだったのかもしれない。


## 2070年 10月 12日、日曜日。晴れ。汗ばむくらいの陽気。弱い風。


俺は学校からヘリを持って帰り、自宅付近の公園で飛ばすことにした。

西公園。広々としている。野球場では老人チームが対戦している。芝生の広場には、犬を散歩させる老人や、ソフトサルのボールを蹴る老人がいる。

## ソフトサル = ソフト・フットサル。高齢者向けに工夫されたサッカー。柔らかいボールを使う。


俺は片隅のベンチに座る。バッグからヘリとキーボードを取り出す。

設定ファイルを電子メガネに表示する。キーボードを膝に乗せ、設定を編集する。設定をヘリに転送する。

ヘリを飛ばす。

ヘリからの画像がメガネ内に表示される。公園を上空から見る。人々や植木が やけに小さく見える。鳥の視点。あるいは、座っている自分の姿を上空から見ているので、幽体離脱というのか。


テスト飛行とパラメータ調整を繰り返す。

10分ほどそれを続けると、酔った。


挿絵(By みてみん)


座ったまま目を閉じて、酔いが消えるのを待っていると、手首の電話が振動した。メッセージだ。

女1【なにしてる?】

俺【ヘリを飛ばしてる。西公園で。】

女1【ヘリ!? …ああ、ロボットか。ログに書いてたね。】

俺【カメラで酔った。】

女1【大丈夫?】

俺【休んでる。】

女1【ねーねー、ヘリのアクセス権、私にもちょーだいよ。いま西公園なんでしょ。見てみたい。】

そういえば昔、女1は西公園の近くに住んでいた。

俺【…わかった。ちょっと待って。】

メガネでユーザ定義ファイルを開く。女1のアドレスを登録する。

俺【ヘリのアドレスは 240f:5:ea66:1:222:43ff:57fe:d2b8 】

女1に教えてから、ヘリを起動する。ヘリは自動的に俺の手から離陸し、対地高度1.5mにホバリングした。

ヘリに女1がアクセスしたらしく、

女1【見えた! …でも地面しか見えない。どうやって操作すんの?】

俺【メガネの向きで視点変更、手のジェスチャで操縦。】

女1【私、メガネじゃなくて教科書で見てるんだけど。】

俺【教科書は机に置くんじゃなくて、手に持って。】

そうすれば、教科書がちょうど のぞき窓のようになって、周囲が見えるはずだ。

女1【見えた見えた! そっか、教科書の向きを入力してるのね。でも、教科書を手に持ってると、ジェスチャできないんだけど。】

俺【画面右上のデバッグメニューで、コントローラを選んで。】

女1【OK、矢印が出てきた。これで操作すればいいんだね。】


女1がヘリを操作する。ヘリが俺の前を行ったり来たりする。

やがてコツをつかんだのか、ヘリが俺のまわりを周回する。

俺【ぶつけるなよ。いちおう衝突防止は入れてあるけど。】

ヘリがホバリングした。

女1【わーわー、本当に西公園だ。なつかしいなー。ちょっとひとまわりしてきていい?】

俺【待て、俺も一緒に行く。】

俺はバッグとキーボードを抱えて立ち上がった。


公園の中を、ロボットヘリが飛んでいる。よくある光景なので、注目する人はいない。

ヘリが進んでいく。その後ろから俺が歩いてついていく。


突然、ヘリが加速した。ヘリは公園の外に飛び出した。

俺はあわてて追いかける。

公園前の道路に、俺と同年代くらいの少女が歩いていた。私服姿だ。ヘリは彼女の前へ出て、ホバリングした。少女は警戒心と不快感をあらわに立ち止まり、ヘリと、その後についてきた俺を睨んだ。

少女「なに?」

俺「…誰?」

少女「誰? こっちが聞いてるんだけど。」

俺が混乱していると、腕の電話が振動した。画面に表示されたのは、

女1【やっほー! ひさしぶり! 私だよー!】

どうやらこの少女は女1の友達らしい。

理解した。女1は友達の姿を見つけて駆け寄った (ヘリで)。しかし友達が見ているのは、女1の姿ではなくヘリだ。だから不審に思われた。

俺はヘリのロータ音に負けない声で言う。

俺「ほら女1、通話しなよ。向こうからは女1が見えてないんだから。」

少女「え? 女1?」

数秒後、少女の電話に、女1が顔を出した。

女1「ひどいよー! 私だよ、わからなかったの?!」

少女「いやいや、女1がこんな恰好になったなんて、初耳だし。」


少女が通話している。会話の中で、彼女は中学の同級生、女Aだとわかった。

女A「ほら、西公園前の歯医者さん。」

女1「知ってる知ってる。」

女A「詰め物を3Dプリンタで作ったら終わりと思ったのに、なんか、いろいろ悪いところが見つかって、しばらく歯医者通い。」

女1「あるよねー、そういうこと。」

女A「なんか口内細菌の遺伝子解析したら、バランスが崩れてるとかで、薬のガムが出た。」

女1「私あの味、苦手~。」

とかなんとか、女1と女Aがいろいろ話していた。

俺は暇だったので、公園の柵に座った。


10分以上たって会話が終わり、女Aは立ち去った。

ヘリが俺の近くに飛んできた。

俺「やれやれ、済んだか?」

と話しかけたが、この声はロータ音にかき消されて、女1には聞こえないだろう。

ヘリがホバリングしている。

約10秒間、ロータの高周波音だけが響く、妙な沈黙。

そのあと電話に

女1【男1が返事しないと思ったら、メッセージ出すの忘れてた。】

俺【なに?】

女1【つい、こっちの声が届いてると思って、画面に話しかけてた。】

俺【そりゃ俺には、なんにも聞こえんわな。】

女1【ヘリにスピーカーって載せられない?】

俺【重さの制約上、フィルムスピーカーしか選択肢がないけど、サイズと電力の都合で、音質は期待できない。】

女1【うーん…】

俺【電池が切れそうだ。そろそろ着陸させるぞ。】

女1【うん。ありがと。楽しかった。…けど、ちょっとめまいがする。】

俺【無理するな。休んでくれ。】


シャットダウンを指示すると、ヘリが自動で着陸した。

俺はヘリを拾い上げ、息で草や砂を吹き飛ばしてから、バッグにしまった。


夜、またメッセージが届いた。

女1【音声処理ライブラリに、ノイズキャンセリング機能があるよ。これを使ってモータの音を消せば、ヘリのマイクが効くようになるんじゃない?】

俺【知らなかった! それは良さそうだな。】

勉強を中断して、音声処理ライブラリの説明書を開く。女1が言っていた機能のページを見る。なるほど、わからん。

俺【初期化だけじゃなくて、動作中もいろいろやることがあるな。環境音をマイクで拾って、それを処理するバッファと…なに? FFT?】

女1【Fast Fourier transform ね。3年生の数学でやる Fourier transform を実行するアルゴリズムだよ。私も詳しくは知らないけど。】

俺【そういえば画像補正ライブラリでも FFTって文字を見たような。】

女1【まあライブラリを使うだけなら、サンプルのコピペで済むと思うけど…やっぱり2~3年の数学もかじっておいたほうがいいかな。】

俺【ま、負けねー…ぞ…】


## 翌日。教室。

## 生徒の服装は、半袖と長袖が半々。


男C「状況は悪化している!」

俺「なんだよいきなり。」

男C「テニス部の女子が、どんどん彼氏持ちになってるんだよ!」

俺「そいつは残念だったな。」

俺の後ろの席で、女Cが電子書籍端末を閉じた。それに気づいた男Cが

男C「おや? わざわざ教科書とは別の本を持ってきてるんだ。」

女C「うん…教科書だと開けない本もあるし…」

女C'「この本はファックのシーンがあるからな!」

なんとも気まずい沈黙が降りる。数秒後、

男C「ああ、うん…普通の話だと思って読んでたら、いきなりエロいシーンになる本とか、あるよね…」

女C「えーとね…この本は、女の子ふたりが昔からの友達で、それぞれに恋をしながら、その、オトナになっていく話で…」

女C'「どっちが先に男とヤるかって話だ!」

男C「へー…そう…」

女C「2人とも彼氏ができて、それぞれ焦るように彼氏と…その…せ…関係をもって…」

女C'「2人とも手近でテキトーな男とヤっちまうのさ!」

男C「うん…(もう勘弁してくれ!)」

男Cが目で助けを求めているが、俺はどうすることもできない。

女C「結局、その彼氏ってのが悪い男だってのがわかるのね。それでも別れられない女と、それを見かねて手助けして別れさせる女との、…友情の物語? まあ、もう片方の女も結局、彼氏に捨てられるんだけど…」

女C'「そうしてヤり逃げされて、それでも彼のことが好きな私って、きれいな悲劇のヒロインでしょでしょ? って思ってる、腐れ穴の話だ!」

チャイムが鳴って、休み時間が終わった。男Cは命拾いしたという表情で、席まで戻っていった。


## 2070年 10月下旬。

## 部室。


女2さんは修学旅行に行っている。

だから部活に出ても物足りない。


部室の机にヘリが置かれている。俺は電子教科書で航空力学の本を読んでいる。

すると電話に女1からのメッセージが届いた。

女1【ねーねー、ちょっと試したいことがあるんだ。男1のメガネのアクセス権ちょーだい。描画機能と位置情報に。】

俺【いいけど、イタズラするなよ。】

ちょっと目を離すと、ヘリがあるはずの場所に、見慣れない急須が置かれていた。真っ白で飾り気のない急須だ。

俺「あれ? ここに置いといたヘリ、誰か知りません?」

男E「それはひょっとしてギャグで言ってるのか?」

俺「だってここに、ヘリじゃなくて急須が。」

男F「ヘリとかけて急須と解く…その心は?」

教科書から通話要求の音が鳴る。女1からの通話だった。

女1「やほー、どう、見えてる?」

画面には、昔 俺が好きだった顔が見えている。しかし、

俺「今それどころじゃねーんだ。ヘリがなくなった!」

女1「ティーポットは見えてる?」

俺「だから、ヘリがなくなって、かわりに急須が置かれてるんだよ!」

女1「きゅうすじゃないよ、ティーポットだよ。」

俺「どっちでもいいよ、それよりヘリを探さなきゃ。」

女1「あっはは! ちょっとティーポットを持ってみて。手がかりかも。」

俺「なんだって…え?…え?」

急須を取ろうとすると、幻のように、急須の取っ手は俺の手を貫通した。

もしかして。

メガネを外して肉眼で見ると、そこにはヘリがあった。

メガネをかけると、ヘリの場所に、急須が上書き描画されていた。

俺「おまえの仕業かー!」

女1が俺のメガネにイタズラして、ヘリの位置にちょうど急須が重なって表示されるようにしたのだ。俺が頭を動かすと急須の側面が見えるようになる。急須に指を突っ込んでヘリをずらすと、急須もそれに従って動いた。

女1「おけ、別のモデルに差し替えてみるね。」

2秒後、ヘリを置いた机には、バーチャルアイドルの生首が置かれていた。かかしの標準ポーズをとっているので、机の下から手・胴体・ツインテールの髪が生えている。スカートや脚は床にめり込んでいる。

俺「わけがわからないよ…。」


## 別の日。

## 朝、学校に向かう電車の中。


電話でタンパク質合成ゲームをやりつつ、電子メガネの片隅でログを見る。

女1【市街地まで先輩と一緒にお出かけ。服や雑貨を見て回った。服屋さんで全身3Dスキャナ。】

女1【新体操部の友達に測ってもらって、関節モデルを作成。体が硬いって笑われた。】

女1【どうしてこうフリー素材の服ってアレなの…とりあえずスカートを y軸方向にスケーリングして、あと色の彩度とコントラストを下げた。】


## 数日後。

## 部室。中央の机には、博多の和洋折衷菓子が置かれている。女2の修学旅行土産だ。


俺は教科書の画面で、女1の改造版ソースコードを読んでいた。内容をざっと確認して、自動テストを走らせてから、女1の改造をヘリのメイン開発版に取り込んだ。

そのとき女1からの通話が入った。俺は迷わず通話を受ける。

女1「ちょっと思いついたんだけどさ、」

俺「待って。画面が狭い。移動する。」

手首から電話を外し、カード型に硬化させ、机上のカードスタンドに挿した。

教科書の中の女1を優しく指でつまんで、電話までドラッグする。

女1の姿が電話の中に入った。

俺「よし。どうぞ。」

女1「あのさ、ヘリコプターの操縦方法にこだわらないほうがいいんじゃない?」

俺「どういうこと?」

女1「ロール・ピッチ・ヨーで直接操縦するから、視点の変化が激しくて酔うんじゃないかな? だから、メガネに表示する視点は、もう完全にヘリの姿勢とは無関係にしちゃってさ。地面からの高度を一定にすれば、2次元の操縦で足りるでしょ?」

俺「せっかくのヘリなのに?」

女1「ふつうのヘリみたいに操縦するモードは、エキスパートモードって名前つけて残しておけば。」

俺「…まあ、切り替えができれば、いいか。」

女1「実はもう2次元操縦のコードは、私の改造版には入れてあるんだ。シミュレータでは動作テストしたけど、まだ実機では試してない。」

俺「わかった、俺が実機で動かした後、切り替えスイッチをつけてメイン開発版に取り込んでおく。」

女1「うん、ありがと。」

女1が手を伸ばして通話終了ボタンを押そうとしたようだが、何か思いついたようで、手を引っ込めた。

女1「通話、開きっぱなしでいい?」

俺「べつにいいけど…」

ソースの編集は教科書でやってるから、電話は置きっぱなしでいい。

女1「じゃ、このままにしとく。なんかあったら話しかけて。」

電話の中で女1は横を向き、俯き加減でキーボードを叩き始めた。

部室の奥から様子を見ていた女2さんが、

女2「すっかりうちの部員だね、女1さんは。」

俺はヘリのボディを開けて、CPUの上に拡張シールを貼った。スイッチを入れると、拡張シールがCPUと磁気結合して、ヘリの演算能力が強化された。

これで揺れの補正が高速化できるはずだ。


俺は一息ついて、女2さんのお土産でおやつ。

それを電話越しに女1が見て、

女1「あ、いーな。私もなんか食べたくなってきた。」

俺はそれを気にせず、

俺「女2さん、修学旅行、福岡はどうだった?」

女2「遠かったー! リニア線でも3時間以上! いくら浮上式でも、ずっと座ってると体が痛くなるよ。」

男F「乗ったのは L100系? L300系?」

女2「え? ごめん、わからない。」

俺「東北リニア線の開通って、あと何年でしたっけ。」

男F「予算の都合と政治家の思惑で、予定より大幅に着工が遅れたからねえ。まあ僕としてはおかげで、同じく開発が遅れていた M0系車両が間に合いそうだから、それはそれでいいと思ってるけどね。」

俺「はぁ…」

男F「M系って、L系の技術蓄積はもちろん、さらにエアロトレインの設計思想を取り入れて省電力化を図ってるんだって。なんでも表面にプラズマアクチュエータを仕込んで…」


## 校庭。


衝突回避と画像補正がかなり良くなったので、男Cに挑戦することにした。

テニスコートに行ってヘリを飛ばす。ヘリはコートの中央、ネットの上に浮かんでいる。

男C「本当に大丈夫なのか?」

俺「衝突回避はほぼ絶対の信頼性がある。急な機動をとったときの画像補正を試したいんだ、撃墜するつもりでガンガン打ってこい。」

男C「では遠慮なく。」

男Cが手招きすると、数人のテニス部員が出現した。

俺「えっ?!」

部員1「俺様の美技に酔いな!」

部員2「まだまだだね。」

部員3「カンニンな、男1。」

四方八方からボールが撃ち込まれる。

ヘリは機敏な動きで回避する。

ただし、ずっと加速度センサの値が しきい値を越えているので、電子メガネに表示される画像はぎこちない。もはや動画ではなく、約1秒ごとに静止画が切り替わっているように見える。

1分もしないうちに俺は耐えられなくなってメガネを外したが、ヘリは相変わらずボールを避け続けていた。


## 夜。男1の部屋。


女1【こないだ先輩に「彼氏いる?」って聞かれたの、生物部の男子に頼まれたんだって。】

俺【直接聞けないとは臆病な。】

女1【なんかねー、私って男子の間で「ハマの電子妖精」とか変な称号つけられてるらしいの。」

他県の人は横浜をハマと呼ぶって本当だったのか。

俺【バカばっかだな、男は。でも、女1ってそんなに注目集めてるの?】

女1【なんか男子がさー、女子を何人かリストアップして、勝手に学校のアイドルとか言ってるみたいなんだよね。】

俺【すごいな。女1が学園のアイドル?】

女1【ただそのリスト、片手じゃ数えられないくらいの人数いるんだよね。だからあんまり嬉しくない。】

俺【10人くらいなら、かなり自信もっていいんじゃないか?】

女1【え? 全部で 47人だよ? 64未満だから片手プラス指1本で数えられる。】

俺【binary number (2進数) かよ!】

女1【各都道府県にちなんで選んでるんだって。ほとんどこじつけで。胸が大きいから北海道とか。蕎麦よりうどん派だから香川県とか。】

俺【それで神奈川県代表が女1と。】

女1【ちなみに、彼氏がいるとわかったらリストから除外されて、別の女子がそこに入る。だからなおさら嬉しくない。】

俺【嬉しくない、のか?】

女1【だってリストに入ってるってことは彼氏がいないってことでしょ? 「行き遅れ」って呼ばれてるようなもんじゃない? しかも学校全体の女子の数を考えると、47人以内に入ってるって言われても、ね…】

俺【焦るこたぁねーよ。】

ちょっとだけ、心臓が有刺鉄線で締め付けられるような感覚がした。

いくら俺を振った女でも、適当な男で「済ませる」なんて、してほしくない。


別の日。またヘリを持ち帰って、西公園でテスト飛行。


かなり酔いが軽減されたので、30分くらい飛んだ。一休み。

女1【ちょっと借りていい?】

俺が休んでいると、女1がヘリにログインした。

ヘリが離陸。高度1.5mを保ち、異様なほど安定した姿勢で、俺のまわりを周回している。

ヘリが俺の背後に回った。

そのとき女1から通話が入った。どういうわけか、メガネへの着信で、音声のみの通話要求。

通話を開く。

俺「はい?」

女1「ちょっと後ろ向いてみて。」

電子メガネのスピーカーから女1の声がした。

ベンチの背もたれに手をかけ、声がした後方を振り向くと、


そこに女1が立っていた。


そんなバカな、と思ってメガネを外すと、女1の姿は消えて、そこにはヘリが浮かんでいるだけだった。

メガネをかけると、ヘリを覆い隠すように女1の姿が表示される。目の位置はヘリの位置に一致している。懐かしい顔、少し背が伸びた身体。

俺「お…」

思いがけず女1が「目の前に登場した」ので、俺は驚いて間抜けな顔になってしまった。

女1「あはは! 大成功だね。」

俺「これは…すごいな。本当に女1がそこにいるみたいだ。」


女1のポーズは奇妙だ。何かを捧げ持つように両手を目の前に上げている。

俺「何か持ってるの?」

女1「うん、教科書。デバッグ表示してみると…」

女1が目の前の空間に指を走らせると、女1の両手の中に白い枠が出現した。その中央には x,y,z軸を表す3本の矢印が、教科書の姿勢を表示している。

俺「じゃあ、俺が視界から外れると?」

俺はベンチから立ち上がり、女1の側面に回り込んだ。

女1は俺の姿を追いかけて、枠を持つ手を側面に向けた。

女1「ひどいよー。見えなくなるじゃん。」

俺「あ、やっぱり教科書が「窓」になってるのか。」


女1が持っている教科書は、女1の手の位置と向きの情報をもとに、ヘリの全天球カメラの画像を切り取って、のぞき窓のように風景を表示する。

教科書のカメラとセンサは、女1の身体を認識して、現在の関節の曲がり方を抽出する。

この関節情報に従って、女1の身体モデルが変形されてポーズをとる。身体モデルの上にフリー素材の衣類を重ねて、繊維シミュレータで服のしわや動きを再現する。

こうして作られた女1の画像が、俺の電子メガネに表示される。


俺「じゃあ女1は今、本当はそんな恰好じゃないってこと?」

女1「うん。ちょっとだらけた部屋着なんで、聞かないで。」

俺「じゃあ、歩くとどうなる?」

女1「部屋の壁に当たるまでは歩いて移動できるけど…」

女1が歩いた。女1は幽霊のようにベンチを貫通して歩いた。

そして転んだ。あちこちぶつかる音がした。女1の姿が消滅した。センサの範囲外になったらしい。

俺「ちょ、大丈夫か?!」

参照点を見失ったヘリがホバリングしている。

数秒後、ヘリは地面近くに急降下した。ヘリを覆い隠して、地面に膝をついた女1の姿が現れた。床に落とした電子教科書を拾い上げたらしい。

女1「あた…つまずいた…」

俺「部屋の中なんだろ? 机に頭ぶつけたりするなよ?」

女1「うん…やっぱり移動はこっちの操作方法がいいのかな…」

女1が手元の枠を指で触った。

すると女1の身体は、まったく足を動かすことなく、芝生の上を滑るように平行移動した。現実感のない動きだ。芝生も踏まれた様子はない。

俺「本当に幽霊みたいな動きだな。」

女1「やっぱ矢印キーで移動すると、そう見えるのか…」


こうして女1と話すと、理由もなく自信がついて、ちょっと無茶そうに見えること…女2さんに…すら、できるような気がしてきたんだ。

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