アモンと道化師_Ⅰ
結局自分は何も分かってなくて、無知で愚かで、とても醜かった。こんな狂った世界にいるのに、そう、狂った世界に狂った人間がいて、何がおかしいと言うのだ。
一人残された部屋の中で、じっとしていた。動く気は起きないし、そもそも何もすると言うのだ、人の家で。それでも、部屋を出て行く彼女の背中を追いかけなかった理由にはならない。体が震えているのに、疑問はなかった。
脳裏で踊っているのは、殺された親友の姿。
体を突き抜けた槍。死ぬ前にびくり、と反応したあの体。飛び散る血。生き返ったことになんら感情を見せないあの顔。異状に笑っているあの場面。まるで当たり前のことのように受け入れた順応速度。
――――尋常じゃない。というか、尋常かそうじゃないかの問題でもない。
根っから狂ってる。
どこまで深くかは分からない。無意識だったのだ。前世の記憶があるから、この腐敗し腐りきった世界にいても、彼女なら、愛佳なら、影響はないと思っていた。彼女は誰よりも不器用で皮肉屋だが、長く共にいれば優しさも分かるし、壊れているふりをしていても、結局は人間だ。本当は誰よりも人を慈愛していると言うのに。
なのに、先程見た光景は、その自信を揺るがす、異常。
死んでなお、笑っているその姿は、その姿を、見た時の衝撃をどう表せばいいか。誰にも相談できない苦しみが出来てしまった。親友が前世と違う、なんて誰にも言えない。
ずっと、ずっと信じていたのに。
勝手に信じていたのも分かった。
勝手に期待していることも知っている。
心に傷を持って生かして、それの気まずさを理由に、彼女への接し方を変えなかったことを悔やむ。本人の意志を無視して彼女を生かしたのは、本当に狂う原因となってしまった。私は、――私は、何がしたかったのだろう。
ただ、彼女に死んでほしくなくて、生かしてもなお死ぬことを考えないようにしてほしくて、普通に過ごしてほしかった。
少し我儘なところも、あの美貌で振り回されることになっても、何処にてもあるような幸せを手に入れて、そのまま死んでほしかった。できれば、死ぬまで足掻いてほしかった。
ただ、それだけが無理だなんて。
今更悔やんでも悔やみきれず、ただ時間だけが過ぎていく。もう、駄目なんだ。彼女を、今まで通り接してはいけない。
彼女はもう精神異常者であり、そして――世界の女王だ。
今まで通り扱えば、もっと狂っていき、最後には欲に溺れるのもおかしくない。リリス・サイナーは世界を変えるように説得したらしいが、どうもあの神は信じられないし、何よりそう言った本人が殺し合いのゲームを始めるなど、何を考えているのだ。
力を半分ほど失った体で、ふらつきながら立ち上がる。いつまでも人様の家で、しかも一人で、ずっと部屋にいるわけにはいかない。だが、彼女の顔を見たいとも思わない。もう、自分の家に帰ろう。殺風景で寂しいところだと思っていたが、今の自分が頭を冷やすのに、あそこまでいい場所はない。
そして帰ろうとした時、今まで気付かなかった一つの影。
襖のところに腕を組んでじっと見てくる彼――日熊白夜の姿がそこにあった。
「いつのまに……」
「〝二つの槍〟だぜ? 逆に気配よまれてどーするよ?」
「…………どうして、いるんだ?」
「自分の家でもあるし」
「いや、そうではなくて……」
どこかネジが緩んでいる返答に、今までの急降下していた気分は、通常に戻ってしまった。そのまま家に帰って、じっくり悩みたかったというのに……。
白夜は無邪気に笑い、馴れ馴れしく肩に手を置く。こそこそ話をしている女子のように、耳に口を近づけて、声を潜めて言った。
「なあ、ちょっと、あいつを驚かせてみねえ?」
「あいつ、は愛佳のことで合っているか?」
「おうよ」
「驚かせる、とは? 何も企んでいる?」
「企んでるってお前なあ……。俺は〝二つの槍〟だから、あいつを裏切ったりするコーイはできないように育てられてるし、安心していいぜ?」
「では何だ?」
聞くと、待っていましたとばかりに笑う。
「〝反女王派〟潰しと、神側のプレイヤー集めするんだよ」
無邪気な声に、何も言えなくなる。
国が相手しても〝反女王派〟が捕えられないのは、神が関与しているからだ。派閥を束ねる筆頭――ディエニーゴ・コンテンデレは下っ端とはいえ神だ。ただの、と言ったら語弊があるが、それでも神から直接加護を貰っていないサイナーが、一人二人集まったところで潰せるわけがない。自分はリリス・サイナーから直接加護を貰っているが、それでも第二加護者であるがゆえに力は小さい。
参加者探しなら分かるが、〝反女王派〟潰しは冗談で言っているようにしか思えない。
「で、やるの? やらないの?」
「プレイヤー探しだけなら」
「うん? 随分と低い望みだな」
「低いか? それは目星がついているからの言葉か?」
「おうよ。きっと驚くぜー」
驚くなら有名人、高位のもの、または知り合いか。知り合いの場合なら、もう限られている。夏名が死んで、秋名が反女王派に入った今、あの学校で仲がいいのは悠馬のみだ。他の人も仲はいいが、愛佳や悠馬ほどでもない。でも、高位の人でもあるなら、クラスメイトにも何人かいた気がする。
「じゃ、さっそく行くか」
「どこに?」
「愛神市中央病院」
「病院? 病弱なものに神の加護者がいるとは思えないが」
「そいつが病気じゃなくて怪我だよ。全身傷だらけ」
怪我。それを負ったことを知っているなら、その加護者はこの男の知り合い、親戚という可能性もある。クラスメイトあたりがそれっぽいが、そこらへんの凡人に神の加護が貰えるとも思わない。それならば、――日熊家のものか?
「自分から言いだした割には、まるでどうでもいいような口ぶりだな」
「いやいや、俺は情報を与えているだけだぞ?」
「どうして?」
「あとで会った時の衝撃が和らぐだろ?」
「――――もったいぶってないで教えてくれないか
目の前にいる男は、棘のある言葉を気にも留めず、弾んだ声で言った。
「越智悠馬だよ。お前の知り合いの」




